十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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21 絶体絶命

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第四話 絶体絶命

 「離せ! この手を放しなさい!」
お菊の悲鳴が広間に響き渡った。

 伊賀衆のひとりが素早く背後から腕を絡め取り、もう一人が肩に担ぎ上げようとする。白い袖が乱れ、簪が畳に転がった。

 「奥方様をお放しせよ!」
忠義厚き家臣たちが血にまみれた体を押して立ち上がり、刀を振りかざして飛びかかる。

 だが黒装束は冷徹に迎え撃つ。
「ちっ……邪魔をするな!」

 閃く刃が容赦なく肉を裂き、叫び声と共に一人、また一人と藩士が崩れ落ちた。

 「おのれ、通すものか!」
最後の力を振り絞って立ち塞がる家臣がいた。

 だがその胸を無情にも貫いたのは忍びの短刀。
 鮮血が畳に散り、命を賭したその身体は崩れ落ちる。

 「いやっ……! やめて! 私は――!」
お菊は必死に身を捩じり、担ぐ忍びの肩を叩き、爪を立てて抵抗する。

 だが敵の腕は鉄のように固く、その体は無理やり持ち上げられ、広間の敷居を越えて闇の廊下へと連れ出されようとしていた。

 「奥方様――!」
残った家臣たちは血と涙に霞む視界で必死に追いすがる。

 だが黒装束の群れが壁のように立ち塞がり、刃の雨が彼らを次々と斬り倒していく。
 広間は、絶望と鮮血に覆われた。

 そのとき――

 「そこまでだ!」
鋭い声が廊下に響いた。

 伊賀衆が足を止め、振り返る。
薄闇を切り裂くように現れた三つの影。

 本多忠壽。
 金之助。
 鉄之介。

 灰を浴び、衣は裂け、顔は疲弊に覆われていた。
だが三人の眼光は鋭く、闇を切り裂く灯のようにまっすぐだった。

 「お菊様を渡してもらおうか」
 忠壽が静かに告げた。

 お菊の瞳に涙があふれる。
――戻ってきてくれた。

 その思いが、わずかに震える唇に宿った。


第五話 廊下の死闘

 「離せといってるだろうが――!」
鉄之介の怒声が廊下に轟いた。

 巨躯が駆け出すと同時に、大槌が唸りを上げる。

 伊賀衆のひとりが短刀を構えて迎え撃とうとしたが、その瞬間、槌が床を割る衝撃と共に振り下ろされた。

 ――轟音。
壁が震え、畳が跳ね上がる。

 忍びの身体は反撃の間もなく叩き潰され、黒い灰となって散った。

 「ひるむな! 囲め!」
残る伊賀衆が叫び、四方から飛びかかる。

 鉄之介は一歩も退かない。
大槌を横薙ぎに振るえば、迫る忍び二人が同時に吹き飛び、廊下の柱をへし折って転がった。

 「お菊様を守れ!」
その間に忠壽が叫び、金之助が駆け寄る。

 担ぎ上げられたお菊は必死に暴れていたが、忍びの腕は鉄の枷のように固い。

 「離せ!」
金之助が短刀を突き出す。珠の光を帯びた刃が忍びの腕を裂き、血と黒煙が迸る。

 「ぐあっ!」
苦悶の声とともに忍びの腕の力が緩んだ。

 「お菊様、こちらへ!」
忠壽が素早く馬手を伸ばし、その細い身体を抱き寄せる。お菊は涙を滲ませながらも必死に頷いた。

 「忠壽様……!」
背後ではなおも戦いが続いている。

 「まだやるか!」
鉄之介が叫び、返す槌で壁ごと叩き潰す。忍びの身体は耐え切れず、砕けた木片と共に崩れ落ちて灰となった。

 廊下は血と灰と瓦礫にまみれ、ただ鉄之介の咆哮と大槌の轟音が響いていた。
 金之助はお菊を庇うように立ち、忠壽は刀を構えて残りの忍びに睨みを利かせる。

 ――その場の空気は、一瞬で逆転していた。
 
 伊賀衆が撤退し、静寂が戻った。灰と血の匂いが漂う廊下に、三人とお菊だけが残された。

 「お菊様、ご無事でございますか!」
奥から駆けつけてきたのは、年嵩の側近であった。
額には血が滲み、衣は乱れている。

 彼は膝をつき、震える声で言葉を絞り出す。
 「不甲斐なく、この身……お守りできず……」

 「じい、大丈夫です。あなたこそ、すぐに怪我の手当を」
お菊は自らの乱れた衣を気にも留めず、側近の肩を支えた。

 「……お心遣い、勿体のうございます。されど、このくらい大丈夫です」
お菊こそ自分自身の無力さを思い知った。

 「殿は……殿はご無事で?」
お菊が側近に問う。

 「はい。殿は加藤様がお守りしておりますから」
 「そう……それならよかった」
お菊の声には、安堵の響きがあった。

 その様子を見ていた鉄之介が、口を開いた。
 「お姫さんよぉ、あんた人の心配ばかりしてるようだが……狙われてんのは明らかにあんただぜ。自分の身を一番に案じるべきじゃねえかぁ」

 「鉄之介、無礼だぞ!」
忠壽が眉をひそめる。

 「お侍だって分かってんだろ。 ここで一番命を守らなきゃいけねえのはお姫様本人だろうが」
鉄之介が忠壽に食ってかかる。

 「鉄之介!もうよせ」
金之助が慌てて割って入り、彼を制した。

 お菊は小さく首を振り、微笑みさえ浮かべた。
 「……あなたの言うことは正しいのかもしれませんね」

 そして振り返り、側近に問いかける。 「それより、知らせに出した若者は? 彼は……今どこに?」

 側近は唇を震わせた。
「お菊様。あの者は… まだ戻っておりません」

 金之助がお菊の方を見て言う。
「知らせのものが、我らのもとに来た時には、すでに深手をおっていて、助けることは出来ませんでした。申し訳ありません」

 「しかし、あの若者は立派に使命を果たし、我らにお菊様の危険を知らせてくれました」忠壽が申し訳なさそうに言った。

 「なんてこと……。ああ……」
お菊は胸に手を当て、瞳を潤ませた。
 鉄之介が口を挟む。

 「だがよ、お姫さん。あいつは誇っていいだろ。おかげで俺たちは間に合ったんだ。褒めてやれってことさ」

 「しかし……。 いや、彼は命を賭して務めを果たしたのですね」
お菊は声を震わせながらも、しっかりと答えた。

 「必ず、この命で報いましょう。彼の犠  牲を無駄にはいたしません」
その言葉に、廊下にいた誰もが静まり返った。

 忠壽は深く頷き、金之助は拳を固く握りしめた。
 そして鉄之介は鼻を鳴らしながら、そっと大槌を肩に担ぎ直した。


第六話 お菊の決意

 三人とお菊を囲むように、静かな余韻が漂っていた。先ほどの死闘の痕が、まだ壁にも床にも濃く残っている。

 鉄之介が腕を組み、口を開いた。
「どう考えても、もうお姫さんをひとりにゃできねえな。敵はお前を狙ってる。俺たちが一緒にいるほうが安全だ」

 忠壽も頷いた。
「うむ。拙者も同意だ。ここで別れれば、再び伊賀衆が襲うのは必定。ならば行動を共にすべきだ」

 しかしお菊は静かに首を振った。
「いいえ。私は殿と、この藩の民を守らねばなりません。この館林で、皆を支えるのが務めです」

 その声に、金之助が一歩進み出た。顔は煤と血で汚れていたが、眼差しは強く輝いていた。

 「お姫様の命は……もうお姫様だけのものでも、この藩だけのものでもありません」

 お菊が目を見開く。
「あなたは忍神の珠と共にある人だ。じいさまは俺に“西へ行け”と言った。その意味が、今やっと分かりました。お姫様と出会い、守るためだったんです」

 声は震えていなかった。むしろ、少年とは思えぬほど力強く響いた。
 「だから俺たちは、あなたと共に行動します。そして、命を賭してあなたを守ります」

 広間に沈黙が落ちた。鉄之介は思わず金之助を見やり、忠壽は深く目を閉じて噛みしめるように頷いた。

 「金之助……」
忠壽の目が深く潤んだ。だが侍として取り繕うように姿勢を正し、声を低く響かせる。

 「……おぬしの言葉、胸に刻もう。拙者も、この命あるかぎりお菊様をお守りする」

 鉄之介は大槌を肩に担ぎ、鼻で笑った。
「ったくよ、しゃらくせえ。けどな、金之助がそう言うんなら仕方ねえ。俺も加わるぜ。命が削れようが知ったこっちゃねえ。珠の力で暴れるのが性に合ってるんでな」

 「鉄之介……」金之助は思わずその名を呼び、荒っぽさの奥にある真っ直ぐさを感じた。

 忠壽は姿勢を崩さず、真剣な眼差しでお菊を見据える。
 「お菊様。これはもはや一藩のことではありませぬ。天下の安寧をかけた戦であると心得ます。どうか我らにお力を」

 お菊は一度目を伏せ、苦渋を抱えたように唇を震わせた。だがやがて顔を上げ、はっきりと告げる。

 「分かりました。共に参りましょう。大きな力にはなれませんが、私も……この身を捧げる覚悟でございます」

 鉄之介は大槌を突き立て、にやりと笑った。
「よし、決まりだな。行こうぜ」

 三人の影が、お菊を守るように寄り添い、灰の光に照らされた。

第七話 佐野の撤退

 「退けっ、退けぇっ!」
血煙と灰の渦中、伊賀衆の一人が絶叫する。館林藩士の反撃に押され、お蘭は顔を覆い、錯乱したまま後ずさっていた。

 佐野の眼がぎらりと光る。
「役立たずめ……! あと一歩でお菊を手中に収められたというのに!」
 怒声は戦場の喧噪を切り裂き、家臣たちは身を竦ませた。

 そこへ、乱戦の中を駆け寄るひとりの男がいた。
 甲高い叫びではなく、重みのある声で部隊に指示を飛ばす――佐野の側近、補佐役の 村井左門(むらい さもん) である。

 「佐野様、ここは退きましょう! 追撃が迫っております、立て直すのです!」

 「退く、だと?」
佐野は忌々しげに歯噛みした。

「この佐野兵庫頭を誰と心得る! 老中田沼様の御名の下に――」

 その言葉を遮るように、槍を持った館林の侍が土煙を切って突進してきた。

 「斬れ!」
左門の合図で、伊賀衆が素早く背後を取って刺し殺す。しかし敵は次から次へと押し寄せる。

 「佐野様!」
左門が声を荒げた。

「ここで討たれては元も子もございません! あの女は逃げおおせました。次の手を考えるべきです!」

 佐野は振り返り、血走った目で左門を睨みつける。
「貴様……命令を下すつもりか!」

 「いいえ!」 
左門は平伏しながらも、全身で叫んだ。

 「御身を田沼様の御前へ届けるのが、拙者の役目にございます! ここで討ち死にしては、陰謀も策も潰えましょう!」

 その瞬間、黒屍人が血に濡れた石畳を蹴り、背後から飛びかかった。

 「ぐぉぉっ!」
伊賀衆が二人同時に斬りかかり、影の首を叩き落とす。灰が舞い、呼吸が乱れる。

 佐野は唇を噛み切り、血を吐きながら吠えた。
 「……よかろう。退くぞ! 全員、死に物狂いで道を開け!」

 「ははっ!」
左門は即座に合図を送り、伊賀衆と家臣たちが陣形を変える。退きながら敵を斬り伏せ、瓦礫の町並みを必死に駆け抜ける。

 その最中、お蘭は袖で爛れた腕を必死に隠し、震えながら佐野の背を追った。

 「……いや、いや……」
掠れた声が火山灰に紛れ、誰にも届かない。

 ――佐野の一行は、敗北の苦渋を抱えながら館林城下を後にした。
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