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28 根来復活
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第三話 根来復活
黒屍人の群れが左右に割れ、道が一本、城下へ伸びた。
その道の中心を、根来の虚舟は杖をつきながらゆっくりと歩く。
杖の青い光が脈を打つたび、黒屍人のうなりは不思議なほど整い、牙を伏せた犬のように従った。
佐野政親は距離を保たせたまま、虚舟を宿舎の広間へ通させた。
武蔵、虎之進、お蘭、左門が左右に並び、伊賀衆が外を固める。
広間に入った途端、虚舟は群れに向けて杖先を軽く傾けた。
黒屍人たちは門前でぴたりと止まり、低いうなりだけを残して動かない。
その光景に、武蔵が舌打ちする。
「……ほんとに言うこと聞いてやがるな。気味わりぃ」
虚舟は振り返らず、ひょうひょうと笑った。
「“まやかし”とは、そういうものじゃ」
佐野政親が座を示すまでもなく、虚舟は畳に膝をつき、深く頭を下げた。
礼は整っている。だが、腰の低さは媚びではない。
古い一族の矜持が、骨の奥に残っているのがわかる。
「話せ」
佐野の声が鋼のように落ちる。
「未の珠とやらを持って、なぜ私の前に現れた」
虚舟は頭を上げ、青い杖を膝に置いた。
「佐野政親様。
あなたは“集める者”であろう」
佐野の目がわずかに細まる。
「……何を根拠に」
「根来は滅びた。そののち、我らは地下へ潜った。
珠の気配を追い、時の流れを見てきた」
虚舟の指が杖の節をなぞる。
青い光が、静かに、しかし確かな異物感をもって脈を打つ。
「火山が吠え、世が乱れるとき、十二輝はふたたび揺れる。
その揺れの中心に、あなたの手がある」
虎之進が低く遮る。
「回りくどい。
なぜお前が佐野様に頭を下げるのか、それを言え」
虚舟は虎之進へ目を向けず、政親だけを見たまま言う。
「目的は三つ。
第一に、未の珠を然るべき“集める者”に渡すこと。
第二に、その集める者の背後へつき、
第三に――根来衆の復活を成すことじゃ」
広間の空気がぴしりと張る。
左門の眉が動き、お蘭の目がわずかに冷える。
武蔵は「ほう」とだけ鼻を鳴らした。
「復活、だと?」
佐野が問う。
「さよう」
虚舟はゆっくり頷く。
「根来衆は豊臣に滅ぼされた。
だが、滅びたがゆえに我らは学んだ。
群れなき忍びは、珠を守れても、時を変えられぬ」
虚舟の声は老いている。
だが言葉そのものは、若い刃のように鋭い。
「生き残った残党を今一度集め、
かつての根来衆のように“集団”として力を持ちたい。
しかし江戸の世で、忍びが群れを成すには“看板”が要る」
佐野は黙って聞いている。
「看板とは、幕府の后盾。
いま幕府で最も力あるお方――田沼意次様。
その御威光のもとで根来衆を再興し、
堂々と幕府に仕えさせたい」
武蔵が肩を揺らす。
「へぇ……大胆だな、じじい。
田沼に取り入りてぇから、まず佐野に手ェつけたってわけか」
「その通りじゃ、武蔵殿」
虚舟は平然と受け流す。
「佐野様は田沼様の御覚えも厚い。
あなたの道は、我らの道に通じる」
佐野の目が、さらに冷たく冴える。
「つまり――
私を踏み台にして田沼へ近づく、と?」
「踏み台ではない」
虚舟の声が少しだけ低くなる。
「共に行く道じゃ。
あなたが珠を集め、天下の均衡を握るなら、
根来はその“影の腕”となる」
虚舟は杖を軽く持ち上げる。
青い光が脈を打った。
「未の珠は“まやかしの珠”。
心を縛り、群れを従え、
殺すよりも恐ろしい“支配”を成す珠」
外の黒屍人が、合図もないのに一斉に沈黙した。
その静けさだけで、佐野は虚舟の力の輪郭を測った。
「……その力を、私に貸すと?」
「貸すのではない」
虚舟は静かに言う。
「捧げるのじゃ。
根来の未の珠は、あなたの策に必要だ。
そしてあなたの策は、根来の復活に必要だ」
虎之進が家庭用の怒りを抑えた声で問う。
「なぜ“未”がお前に如此く馴染んでいる。
まやかしの珠は強き器を選ぶはずだ」
虚舟は、ふっと笑った。
「儂は、未の器じゃ」
骨ばった胸に手を当てる。
「金之助という若者が辰の器であるように、儂は未を完全に宿した」
その瞬間、青い光が杖から離れるように揺れ、虚舟の身体の奥に同じ青の脈動が透けて見えた――気がした。
錯覚か、まやかしか。
誰も断定できない。
「儂が杖を持てば、未が宿る。
槍でも、鎖でも、箸でも同じ。
手にしたものへ、珠の力は籠る」
お蘭が静かに呟く。
「……完全適合者」
佐野は虚舟を見据えたまま、わずかに口角を上げた。
「その力で、黒屍人を従えた。
ならば、城下に集まった黒屍人も――お前が呼んだのだな」
「呼んだのではない。集めた」
虚舟はさらりと言う。
「放っておけば、城下は黒い波に沈む。
ならば先に集め、先に縛るほうがよい」
武蔵が鼻を鳴らした。
「都合のいい理屈だ。
けどまぁ……今この場で城下が食われてねぇのは、お前の手柄ってことになる」
「手柄など望まぬ」
虚舟は穏やかに言った。
「欲しいのは“道”じゃ」
佐野は一息置き、声を落とす。
「……その道に、見返りは何だ」
虚舟は膝の上の杖を両手で抱え、ゆっくりと答えた。
「根来の再興。
田沼意次様の許しを得て、
根来残党を“根来組”として幕府へ差し出す。
そしてこの未の珠は――あなたの旗印であり続ける」
虎之進が目を細める。
「口だけなら何とでも言える。
お前が裏切らぬ保証はない」
虚舟は、にたりと笑った。
その笑いは老人のものではなく、どこか底の抜けた“器の笑い”だった。
「裏切りは、器に背くことじゃ。
未の珠は、すでに“時”の流れを知っている。
その流れに逆らえば、儂の未は――色を失い、力を失う」
佐野の目がわずかに動く。
「……“時”の流れ、だと?」
「根来は珠を守る一族。
珠が動く刻、珠が集う縁、
そして“まやかし”の古伝も、無論知っておる」
虚舟は、初めて少しだけ声を低くした。
「佐野様。
近く、この城下へ“強い器”が来る。
珠に選ばれた者じゃ。
その気配だけで黒屍人は再び乱れる」
その言葉に、広間の温度が一段下がった。
佐野の奥歯が鳴る。
「……お菊を逃したのも、このためか」
虚舟は首を振る。
「逃がしたのは、儂ではない。
珠が導いた」
佐野の目が細くなる。
「珠が導いた、だと?」
「珠を怖れた者が動いた。
城下の混乱を利用し、
“器”を乱れの中へ引きずり込もうとな。
――だから黒屍人が溢れた」
佐野の沈黙が、答えの代わりになる。
ここ数日の異常な噛み合い方が、一本の糸でつながり始めていた。
武蔵が面白がるように口を挟む。
「つまりよ。
そいつが来る前に、城下を“お前の手札”にしときたかった――ってことだな?」
「そう思うなら、それでもよい」
虚舟は否定しない。
「“器”がここへ来れば、黒屍人は必ず騒ぐ。
ならば儂が先に縛っておくほうが、あなたにも都合がよい」
虚舟の言葉が途切れたあと、広間にはしばし沈黙が落ちた。
黒屍人のうなりは遠く、門前で低くうごめいている。
佐野はじっと虚舟を見据えたまま、声を落とす。
「……お前の言う“器”を、どうやって手に入れる」
虚舟は、待っていたと言わんばかりに細く笑った。
青い杖をとん、と畳に置き、ゆっくりと口を開く。
「探す必要はございませぬ、佐野様」
武蔵が眉を上げる。
「は?」
虚舟は視線を政親に据えたまま続けた。
「この城を、黒屍人で囲みます。
……いま城主は無能と聞いておる。
黒屍人に囲まれ、城下を塞がれれば、恐れて必ず使者を出すでしょう」
虎之進が低く唸る。
「使者を出させて、どうする」
「脅せばよいのです」
虚舟の声音は淡々としている。
「城主は助けを求める。
ならば“助けに来る者”が必ず現れる」
お蘭が目を細めた。
「助けに来る者、ね……」
虚舟は頷いた。
「珠遣いと奥方――いや、巫女。
彼らは情と責を持つ。
城が危機なら、必ず駆け付ける。
こちらから捜し歩くより、待っていれば珠の方から集まる」
広間の空気が少しずつ変わっていく。
理屈だけなら、たしかに筋が通る。
佐野の眼の奥で、静かな火が灯るのが見て取れた。
佐野は追い打ちをかけるように言う。
「そして、ひとつ策がございます」
青い杖がわずかに傾く。
門前の黒屍人が、ひと揺れした。
「使者が出られねば意味がない。
ゆえに――西の門の囲みを緩くいたしましょう。
逃げ道を“残した囲い”にするのです」
「逃げ道を残す……?」
虎之進が眉を寄せる。
「はい。城主はそこを見つけ、必ず人を走らせる。
そして――珠遣いを連れて戻る」
武蔵が口を歪めて笑う。
「なるほどな。
罠にかかった獲物が、仲間を呼んで戻ってくるって寸法か」
虚舟は笑みを崩さない。
「獲物の方から、縄に首を入れに来る。
それが未の道です」
佐野はゆっくり息を吐いた。
石のような沈黙のあと、短く言う。
「……良い考えだ」
虎之進が一歩前へ出る。
「佐野様、本当に……?
城下の民はどうなります。
黒屍人で囲えば、被害も――」
佐野は虎之進を一瞥し、冷たく切った。
「城下の命より、珠だ。
目的を見失うな」
武蔵が肩をすくめる。
「へぇ。決まりだな」
お蘭は薄く笑ったまま、虚舟へ目を向ける。
「やるなら手際よく頼むよ、根来。
焦って荒れさせたら、器が来る前に全部壊れちまう」
「承知しております」
虚舟は深く頭を下げた。
「黒屍人は“囲い”に使うだけ。
城を食わせはせぬ。
……必要とあらば、儂が鎮めて見せましょう」
佐野は立ち上がり、虚舟を見下ろすように言った。
「虚舟。
お前の策に乗る。
珠遣いと巫女をここへ呼び戻せ」
虚舟は、ひょうひょうと笑った。
「御意」
佐野の声がさらに低くなる。
「その代わり――
根来の復活に、私も力を貸そう」
その一句が落ちた瞬間、
虚舟の眼の奥に、老いの奥へ隠していた光が一瞬だけ灯った。
「……ありがたきお言葉。
根来の残党は、必ずや佐野様の影となりましょう」
武蔵が鼻を鳴らす。
「影って言葉、好きだねぇ」
「影でなければ、生き残れぬ世でございますゆえ」
虚舟は立ち上がり、杖を持ち直した。
青い光が静かに脈を打つと、
門前の黒屍人のうなりが揃い、波が一斉に外へ向き直る。
「では佐野様。
西の門を“緩く”し、
他は固く閉じさせましょう。
城主が使者を出す刻まで、
城下は儂が縛ります」
政親は短く頷いた。
「任せる。
左門、伊賀を動かせ。
西門の囲みを調整しろ」
「はっ!」
虎之進と武蔵、お蘭もそれぞれ動き始める。
広間の中に、作戦が決まったときの鋭い速度が走った。
虚舟は最後に、佐野へ一礼した。
「――待てば、珠は集い、
巫女は戻る。
佐野様の望むものは、必ずこの城へ流れ込みます」
青い杖が、もう一度だけ どくん と低く鳴る。
それはまるで、作戦の開始を告げる鼓動だった。
城下の闇は、
“待ち伏せる罠”の形へ変わっていく。
そしてその罠の中心に、いま――
根来の影と佐野の欲が、静かに重なり始めていた。
第四話 館林への帰還
館林城へ向かう道。
灰を含んだ風が野を撫で、空は鈍い色をしている。
小さな噴火が遠くでぼふりと鳴り、灰の薄幕がまた一段、道に降りた。
一行は馬を早めていた。
金之助もまだ顔色は万全ではないが、背を正し、手綱を固く握っている。
胸の奥の辰の鼓動は、昨日より深く、静かだ。
忠壽が前を見据えたまま、低く言う。
「使者の話だと、城を黒屍人が囲い込み、
いつ城へ流れ込んでくるか分からぬということだ。
急がねば殿が危ない」
鉄之介が鼻を鳴らした。
「おいおい、怪しくねぇか?
急に城を黒屍人が囲むだぁ?
こりゃあ、罠だな」
「罠……?」
金之助が眉を寄せ、鉄之介を見る。
「ああ」
鉄之介は肩をすくめた。
「黒屍人は勝手に集まるこたぁある。
けど“城だけ”だの“今この時だけ”だの、
都合よく起きすぎてる。
嫌な匂いがすんだよ」
忠壽は一拍置いて頷いた。
「そうかもしれぬ。
だが、行くしかなかろう。
罠の可能性も考えて、慎重に行くぞ」
「はい」
斎藤と吉村が同時に応じ、隊列の左右を固め直す。
お菊様が馬上で手綱を締め、ふと忠壽に頭を下げた。
「忠壽様……
なんと礼を言えば……」
忠壽は視線を前に置いたまま、穏やかに返す。
「お菊様、これは我らの使命です。
お気になさらず」
鉄之介が横からぶっきらぼうに口を挟む。
「俺は使命でもなんでもねぇがな」
金之助が苦笑し、首だけで鉄之介を見た。
「鉄之介。
じゃあ、お前は残るのか?」
「行くに決まってるだろ」
鉄之介は即座に言い返す。
「俺がいなきゃ、お前ら苦労するからな。
黒屍人野郎相手にな」
金之助はため息まじりに、しかし声音はきっぱりと。
「じゃあ、文句言わない」
「……ちぇ」
鉄之介は口を尖らせたが、どこか嬉しそうに鼻を鳴らした。
忠壽がわずかに口角を動かす。
「減らず口が出るうちは元気だ」
鉄之介がむっとする。
「なんだよ、それ」
お菊が小さく微笑んだ。
「鉄之介殿……頼りにしております」
「へいへい」
鉄之介は照れ隠しのように前を向く。
「ちゃんと守ってやるよ。
ま、俺の槌の届く範囲だけな」
灰の道を、蹄が打つ。
館林が近づくにつれ、空気はどこか粘つき、
遠くから、かすかなうなりが風に紛れて届き始めた。
――罠かもしれない。
それでも行く。
その決意を乗せて、一行は馬をさらに早めた。
館林城の姿が、灰の霞の奥に浮かび上がった。
だが城は、城ではなかった。
城下を包んでいた静寂はここで砕け、低いうなりが地の底から湧き上がるように響いている。
うぅぅ……おぉぉ……
黒屍人だ。
外堀沿い、石垣の下、門前の広場にまで、
腐った影の群れがびっしりと張り付いている。
だが不思議なことに、城へなだれ込む気配はない。
波は荒れず、ただ“囲い”の形でうごめいている。
――誰かが、押さえつけている。
「……くそ、不気味だな」
鉄之介が馬を止め、大槌の柄をきしませた。
「これ、ただの群れじゃねぇぞ。形が整いすぎてる」
忠壽は眉を寄せ、門前を睨む。
「……やはり罠か」
金之助は一度深く息を吸った。
辰の鼓動が胸の奥で低く鳴る。
呼応するように、鞍脇の袋の中で寅の珠も微かに震えた。
お菊が数珠を握り、低く言う。
「……城の中が、静かすぎます」
そのとき。
黒屍人の波が、すっと割れた。
門前の真ん中に一本道ができる。
人が通るために用意された道――そうとしか思えないほど、自然に。
そこを、ひとりの老人が歩いてくる。
やせこけた身体。 節くれた手。
そして青く鈍く脈打つ杖。
根来の虚舟。
虚舟の周りでは、黒屍人が首を垂れるようにうごめき、彼の足が進むたび、波が左右に滑る。
まるで城下そのものが、老人に道を譲っているようだった。
「……お出ましだな」
鉄之介が吐き捨てる。
虚舟は、ひょうひょうと笑いながら歩みを止めた。
「おお……来られましたか」
その言葉の端に、
“待っていた”という質のものがしれっと混じる。
続いて、城内の西門がわずかに開き、
武装した一団が出てくる。
先頭は佐野政親。
背後に村井左門、さらに武蔵、虎之進、お蘭が並ぶ。
佐野の顔は獰猛に落ち着き、
その落ち着きが不気味なほど“準備ができている顔”だった。
「……戻られたか、白河の一行」
佐野が声を落とす。
「ご苦労だったな」
忠壽が馬上から礼をする。
「殿に危急の報が届き、急ぎ戻りました。
何が起きておりますか」
佐野は答えず、虚舟へ目を向けた。
虚舟が青い杖を軽く揺らすと、黒屍人のうなりが一段揃う。
「何が起きているか、だと?」
佐野が薄く笑った。
「見ての通りだ。
城は黒屍人に囲まれている。
だが――“侵入されてはいない”」
鉄之介が鼻を鳴らした。
「へぇ。
誰のおかげで侵入されてねぇんだ?」
武蔵が一歩前に出て、肩を揺らして笑う。
「久しぶりじゃねぇか、雑魚野郎。
相変わらず口が先だなぁ」
「黙っとけ木偶の坊、灰から湧いたみてぇな野郎だな」
鉄之介が即座に返す。
「城を囲われてニヤついてる場合かよ」
「囲われてるのは城じゃねぇ」
武蔵は顎で黒屍人を示した。
「“囲ってる”んだよ。
な、じじい?」
虚舟がひょうひょうと笑う。
「ひょう……その通り。
黒屍人は今、佐野様の“柵”の内におる」
「柵だと?」
金之助が佐野を見る。
「……では、あなた方が集めたのですか」
虎之進がすっと前へ出た。
相変わらず言葉は短く、矜持の刃が立っている。
「根来の虚舟が、未の珠で縛っている。
我らは、城への乱入を防いでいるだけだ」
お蘭が肩をすくめる。
「ま、結果的には城が守られてるってことさ。
助かったと思ってくれていいよ」
お菊の視線が、虚舟の杖に吸い寄せられた。
青い光が、数珠と同じ質の“珠の気配”を帯びている。
「……未の珠」
お菊様が吐息のように呟く。
虚舟は、初めてお菊様の方へ目を向けた。
「巫女殿。
お会いできて光栄じゃ」
その声は丁寧だが、
“巫女を道具として見ている冷たさ”が滲んでいる。
金之助が一歩、馬を進めかけた。
辰の鼓動が、どくんと深く鳴る。
すると――黒屍人の群れが、ざわりと揺れた。
まるで、金之助の気配を嗅ぎ取ったように。
虚舟は青い杖をとん、と地につく。
どくん。
その一拍で、黒屍人は再び鎮まった。
「……器の鼓動は、よく響くのう」
虚舟の声は穏やかだった。
だがその穏やかさが、逆に怖い。
忠壽が剣呑に問う。
「虚舟とやら。
お前が黒屍人を操り、城を囲っているというなら、
その目的は何だ」
「目的?」
虚舟は首をかしげ、まるで“当たり前すぎて聞き返す”ように笑った。
「珠は集まるべきところへ集まる。
早いか遅いかの違いだけ。
ならば、待つ方が楽じゃろう」
鉄之介が眉を吊り上げる。
「待つだぁ?」
「うむ」
虚舟は青い杖をゆっくり掲げる。
「城を囲えば、城主は助けを呼ぶ。
助けを呼べば、巫女と珠遣いが来る。
――ほら、来た」
その言い方が、
魚が網にかかるのを眺める漁師みたいで、鉄之介は思わず歯噛みした。
「……つまり俺らは“呼ばれて来た獲物”ってわけかよ」
武蔵が腹の底から笑う。
「はっは、気づくの遅ぇぞ」
「笑ってんじゃねぇ」
鉄之介が大槌を握り直す。
「こんな真似して、ただで済むと思うなよ」
虎之進が鉄之介と武蔵の間に一歩入り、低く言う。
「二人とも黙れ。
今は場を読む刻だ」
武蔵が肩をすくめる。
「へいへい。
真面目だねぇ、戌は」
「戌の名で呼ぶな」
虎之進の目が鋭く光る。
お蘭がくすりと笑った。
「仲良しだね、ほんと」
忠壽は政親を見据え、
声を落としながらも刃のように言い放つ。
「殿。
黒屍人を囲いに使い、我らを誘い込むとは……
あなたのやり方ではありませんな」
佐野の目が、一瞬だけ笑う。
「“やり方は変わる”ものだ」
その言葉に、空気が凍った。
忠壽の背に冷たいものが走る。
金之助殿は佐野を真っ直ぐ見た。
「……あなたは何を望んでいる」
佐野は虚舟を横目に、静かに告げる。
「珠だ。
そして巫女だ。
それがあれば、田沼様の前で藩は生き残れる」
鉄之介が吐き捨てる。
「結局それかよ」
虚舟がひょうひょうと笑って、最後の一押しをする。
「佐野様。
では、話を“城内で”続けましょう。
ここは黒屍人が騒がしくていかん」
佐野が頷きかけた――その時。
黒屍人の群れの端が、じわりと、城外の別の匂いに反応して揺れた。
辰の鼓動に釣られたものか、あるいは別の“何か”か。
虚舟の目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
青い杖が二拍、強く脈を打った。
すると群れはまた静まり、まるで何事もなかったかのように、柵の形へ戻った。
その“抑え方”の鮮やかさに、お菊様は思わず息を呑み、忠壽もまた、虚舟の力の底を測り直す。
――強い。
そして、ここにいる誰よりも“珠の扱いに慣れている”。
武蔵が政親の耳元で、面白がるように小さく言った。
「いい玩具拾ったな、殿。
このじじい、使えるぜ」
「玩具などではない」
佐野は低く返す。
「“道具”だ」
その言い方に、虚舟は振り返らず、ただ笑った。
「ひょう……道具で結構。
根来は道具になってでも、戻るのじゃ」
佐野が一歩、城門側へ向き直る。
「白河の一行も入れ。
話は中でつける」
忠壽は即答しない。
視線は虚舟と佐野、武蔵たち、そして黒屍人の海を順に測る。
罠の匂いは濃い。
だがここで引けば、お菊様も殿も危うい。
金之助殿が小さく言った。
「……行きますか?」
鉄之介が肩を鳴らす。
「そりゃそうだ。
ここで帰ったら、俺の槌が泣く」
お菊様は数珠を握り、静かに頷いた。
一行は、柵の中へ歩みを進めた。
左右で黒屍人がうごめき、腐臭と灰の風が肌を撫でていく。
虚舟の青い杖が鳴るたび、黒屍人は牙を伏せたまま道を開けた。
――まるで、城の中へ導く“冷たい歓迎”だった。
その道の先に待つのが、交渉か、捕縛か、殺し合いか、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、
この城の中心には、すでに別の意志が根を張り始めている、ということだった。
黒屍人の群れが左右に割れ、道が一本、城下へ伸びた。
その道の中心を、根来の虚舟は杖をつきながらゆっくりと歩く。
杖の青い光が脈を打つたび、黒屍人のうなりは不思議なほど整い、牙を伏せた犬のように従った。
佐野政親は距離を保たせたまま、虚舟を宿舎の広間へ通させた。
武蔵、虎之進、お蘭、左門が左右に並び、伊賀衆が外を固める。
広間に入った途端、虚舟は群れに向けて杖先を軽く傾けた。
黒屍人たちは門前でぴたりと止まり、低いうなりだけを残して動かない。
その光景に、武蔵が舌打ちする。
「……ほんとに言うこと聞いてやがるな。気味わりぃ」
虚舟は振り返らず、ひょうひょうと笑った。
「“まやかし”とは、そういうものじゃ」
佐野政親が座を示すまでもなく、虚舟は畳に膝をつき、深く頭を下げた。
礼は整っている。だが、腰の低さは媚びではない。
古い一族の矜持が、骨の奥に残っているのがわかる。
「話せ」
佐野の声が鋼のように落ちる。
「未の珠とやらを持って、なぜ私の前に現れた」
虚舟は頭を上げ、青い杖を膝に置いた。
「佐野政親様。
あなたは“集める者”であろう」
佐野の目がわずかに細まる。
「……何を根拠に」
「根来は滅びた。そののち、我らは地下へ潜った。
珠の気配を追い、時の流れを見てきた」
虚舟の指が杖の節をなぞる。
青い光が、静かに、しかし確かな異物感をもって脈を打つ。
「火山が吠え、世が乱れるとき、十二輝はふたたび揺れる。
その揺れの中心に、あなたの手がある」
虎之進が低く遮る。
「回りくどい。
なぜお前が佐野様に頭を下げるのか、それを言え」
虚舟は虎之進へ目を向けず、政親だけを見たまま言う。
「目的は三つ。
第一に、未の珠を然るべき“集める者”に渡すこと。
第二に、その集める者の背後へつき、
第三に――根来衆の復活を成すことじゃ」
広間の空気がぴしりと張る。
左門の眉が動き、お蘭の目がわずかに冷える。
武蔵は「ほう」とだけ鼻を鳴らした。
「復活、だと?」
佐野が問う。
「さよう」
虚舟はゆっくり頷く。
「根来衆は豊臣に滅ぼされた。
だが、滅びたがゆえに我らは学んだ。
群れなき忍びは、珠を守れても、時を変えられぬ」
虚舟の声は老いている。
だが言葉そのものは、若い刃のように鋭い。
「生き残った残党を今一度集め、
かつての根来衆のように“集団”として力を持ちたい。
しかし江戸の世で、忍びが群れを成すには“看板”が要る」
佐野は黙って聞いている。
「看板とは、幕府の后盾。
いま幕府で最も力あるお方――田沼意次様。
その御威光のもとで根来衆を再興し、
堂々と幕府に仕えさせたい」
武蔵が肩を揺らす。
「へぇ……大胆だな、じじい。
田沼に取り入りてぇから、まず佐野に手ェつけたってわけか」
「その通りじゃ、武蔵殿」
虚舟は平然と受け流す。
「佐野様は田沼様の御覚えも厚い。
あなたの道は、我らの道に通じる」
佐野の目が、さらに冷たく冴える。
「つまり――
私を踏み台にして田沼へ近づく、と?」
「踏み台ではない」
虚舟の声が少しだけ低くなる。
「共に行く道じゃ。
あなたが珠を集め、天下の均衡を握るなら、
根来はその“影の腕”となる」
虚舟は杖を軽く持ち上げる。
青い光が脈を打った。
「未の珠は“まやかしの珠”。
心を縛り、群れを従え、
殺すよりも恐ろしい“支配”を成す珠」
外の黒屍人が、合図もないのに一斉に沈黙した。
その静けさだけで、佐野は虚舟の力の輪郭を測った。
「……その力を、私に貸すと?」
「貸すのではない」
虚舟は静かに言う。
「捧げるのじゃ。
根来の未の珠は、あなたの策に必要だ。
そしてあなたの策は、根来の復活に必要だ」
虎之進が家庭用の怒りを抑えた声で問う。
「なぜ“未”がお前に如此く馴染んでいる。
まやかしの珠は強き器を選ぶはずだ」
虚舟は、ふっと笑った。
「儂は、未の器じゃ」
骨ばった胸に手を当てる。
「金之助という若者が辰の器であるように、儂は未を完全に宿した」
その瞬間、青い光が杖から離れるように揺れ、虚舟の身体の奥に同じ青の脈動が透けて見えた――気がした。
錯覚か、まやかしか。
誰も断定できない。
「儂が杖を持てば、未が宿る。
槍でも、鎖でも、箸でも同じ。
手にしたものへ、珠の力は籠る」
お蘭が静かに呟く。
「……完全適合者」
佐野は虚舟を見据えたまま、わずかに口角を上げた。
「その力で、黒屍人を従えた。
ならば、城下に集まった黒屍人も――お前が呼んだのだな」
「呼んだのではない。集めた」
虚舟はさらりと言う。
「放っておけば、城下は黒い波に沈む。
ならば先に集め、先に縛るほうがよい」
武蔵が鼻を鳴らした。
「都合のいい理屈だ。
けどまぁ……今この場で城下が食われてねぇのは、お前の手柄ってことになる」
「手柄など望まぬ」
虚舟は穏やかに言った。
「欲しいのは“道”じゃ」
佐野は一息置き、声を落とす。
「……その道に、見返りは何だ」
虚舟は膝の上の杖を両手で抱え、ゆっくりと答えた。
「根来の再興。
田沼意次様の許しを得て、
根来残党を“根来組”として幕府へ差し出す。
そしてこの未の珠は――あなたの旗印であり続ける」
虎之進が目を細める。
「口だけなら何とでも言える。
お前が裏切らぬ保証はない」
虚舟は、にたりと笑った。
その笑いは老人のものではなく、どこか底の抜けた“器の笑い”だった。
「裏切りは、器に背くことじゃ。
未の珠は、すでに“時”の流れを知っている。
その流れに逆らえば、儂の未は――色を失い、力を失う」
佐野の目がわずかに動く。
「……“時”の流れ、だと?」
「根来は珠を守る一族。
珠が動く刻、珠が集う縁、
そして“まやかし”の古伝も、無論知っておる」
虚舟は、初めて少しだけ声を低くした。
「佐野様。
近く、この城下へ“強い器”が来る。
珠に選ばれた者じゃ。
その気配だけで黒屍人は再び乱れる」
その言葉に、広間の温度が一段下がった。
佐野の奥歯が鳴る。
「……お菊を逃したのも、このためか」
虚舟は首を振る。
「逃がしたのは、儂ではない。
珠が導いた」
佐野の目が細くなる。
「珠が導いた、だと?」
「珠を怖れた者が動いた。
城下の混乱を利用し、
“器”を乱れの中へ引きずり込もうとな。
――だから黒屍人が溢れた」
佐野の沈黙が、答えの代わりになる。
ここ数日の異常な噛み合い方が、一本の糸でつながり始めていた。
武蔵が面白がるように口を挟む。
「つまりよ。
そいつが来る前に、城下を“お前の手札”にしときたかった――ってことだな?」
「そう思うなら、それでもよい」
虚舟は否定しない。
「“器”がここへ来れば、黒屍人は必ず騒ぐ。
ならば儂が先に縛っておくほうが、あなたにも都合がよい」
虚舟の言葉が途切れたあと、広間にはしばし沈黙が落ちた。
黒屍人のうなりは遠く、門前で低くうごめいている。
佐野はじっと虚舟を見据えたまま、声を落とす。
「……お前の言う“器”を、どうやって手に入れる」
虚舟は、待っていたと言わんばかりに細く笑った。
青い杖をとん、と畳に置き、ゆっくりと口を開く。
「探す必要はございませぬ、佐野様」
武蔵が眉を上げる。
「は?」
虚舟は視線を政親に据えたまま続けた。
「この城を、黒屍人で囲みます。
……いま城主は無能と聞いておる。
黒屍人に囲まれ、城下を塞がれれば、恐れて必ず使者を出すでしょう」
虎之進が低く唸る。
「使者を出させて、どうする」
「脅せばよいのです」
虚舟の声音は淡々としている。
「城主は助けを求める。
ならば“助けに来る者”が必ず現れる」
お蘭が目を細めた。
「助けに来る者、ね……」
虚舟は頷いた。
「珠遣いと奥方――いや、巫女。
彼らは情と責を持つ。
城が危機なら、必ず駆け付ける。
こちらから捜し歩くより、待っていれば珠の方から集まる」
広間の空気が少しずつ変わっていく。
理屈だけなら、たしかに筋が通る。
佐野の眼の奥で、静かな火が灯るのが見て取れた。
佐野は追い打ちをかけるように言う。
「そして、ひとつ策がございます」
青い杖がわずかに傾く。
門前の黒屍人が、ひと揺れした。
「使者が出られねば意味がない。
ゆえに――西の門の囲みを緩くいたしましょう。
逃げ道を“残した囲い”にするのです」
「逃げ道を残す……?」
虎之進が眉を寄せる。
「はい。城主はそこを見つけ、必ず人を走らせる。
そして――珠遣いを連れて戻る」
武蔵が口を歪めて笑う。
「なるほどな。
罠にかかった獲物が、仲間を呼んで戻ってくるって寸法か」
虚舟は笑みを崩さない。
「獲物の方から、縄に首を入れに来る。
それが未の道です」
佐野はゆっくり息を吐いた。
石のような沈黙のあと、短く言う。
「……良い考えだ」
虎之進が一歩前へ出る。
「佐野様、本当に……?
城下の民はどうなります。
黒屍人で囲えば、被害も――」
佐野は虎之進を一瞥し、冷たく切った。
「城下の命より、珠だ。
目的を見失うな」
武蔵が肩をすくめる。
「へぇ。決まりだな」
お蘭は薄く笑ったまま、虚舟へ目を向ける。
「やるなら手際よく頼むよ、根来。
焦って荒れさせたら、器が来る前に全部壊れちまう」
「承知しております」
虚舟は深く頭を下げた。
「黒屍人は“囲い”に使うだけ。
城を食わせはせぬ。
……必要とあらば、儂が鎮めて見せましょう」
佐野は立ち上がり、虚舟を見下ろすように言った。
「虚舟。
お前の策に乗る。
珠遣いと巫女をここへ呼び戻せ」
虚舟は、ひょうひょうと笑った。
「御意」
佐野の声がさらに低くなる。
「その代わり――
根来の復活に、私も力を貸そう」
その一句が落ちた瞬間、
虚舟の眼の奥に、老いの奥へ隠していた光が一瞬だけ灯った。
「……ありがたきお言葉。
根来の残党は、必ずや佐野様の影となりましょう」
武蔵が鼻を鳴らす。
「影って言葉、好きだねぇ」
「影でなければ、生き残れぬ世でございますゆえ」
虚舟は立ち上がり、杖を持ち直した。
青い光が静かに脈を打つと、
門前の黒屍人のうなりが揃い、波が一斉に外へ向き直る。
「では佐野様。
西の門を“緩く”し、
他は固く閉じさせましょう。
城主が使者を出す刻まで、
城下は儂が縛ります」
政親は短く頷いた。
「任せる。
左門、伊賀を動かせ。
西門の囲みを調整しろ」
「はっ!」
虎之進と武蔵、お蘭もそれぞれ動き始める。
広間の中に、作戦が決まったときの鋭い速度が走った。
虚舟は最後に、佐野へ一礼した。
「――待てば、珠は集い、
巫女は戻る。
佐野様の望むものは、必ずこの城へ流れ込みます」
青い杖が、もう一度だけ どくん と低く鳴る。
それはまるで、作戦の開始を告げる鼓動だった。
城下の闇は、
“待ち伏せる罠”の形へ変わっていく。
そしてその罠の中心に、いま――
根来の影と佐野の欲が、静かに重なり始めていた。
第四話 館林への帰還
館林城へ向かう道。
灰を含んだ風が野を撫で、空は鈍い色をしている。
小さな噴火が遠くでぼふりと鳴り、灰の薄幕がまた一段、道に降りた。
一行は馬を早めていた。
金之助もまだ顔色は万全ではないが、背を正し、手綱を固く握っている。
胸の奥の辰の鼓動は、昨日より深く、静かだ。
忠壽が前を見据えたまま、低く言う。
「使者の話だと、城を黒屍人が囲い込み、
いつ城へ流れ込んでくるか分からぬということだ。
急がねば殿が危ない」
鉄之介が鼻を鳴らした。
「おいおい、怪しくねぇか?
急に城を黒屍人が囲むだぁ?
こりゃあ、罠だな」
「罠……?」
金之助が眉を寄せ、鉄之介を見る。
「ああ」
鉄之介は肩をすくめた。
「黒屍人は勝手に集まるこたぁある。
けど“城だけ”だの“今この時だけ”だの、
都合よく起きすぎてる。
嫌な匂いがすんだよ」
忠壽は一拍置いて頷いた。
「そうかもしれぬ。
だが、行くしかなかろう。
罠の可能性も考えて、慎重に行くぞ」
「はい」
斎藤と吉村が同時に応じ、隊列の左右を固め直す。
お菊様が馬上で手綱を締め、ふと忠壽に頭を下げた。
「忠壽様……
なんと礼を言えば……」
忠壽は視線を前に置いたまま、穏やかに返す。
「お菊様、これは我らの使命です。
お気になさらず」
鉄之介が横からぶっきらぼうに口を挟む。
「俺は使命でもなんでもねぇがな」
金之助が苦笑し、首だけで鉄之介を見た。
「鉄之介。
じゃあ、お前は残るのか?」
「行くに決まってるだろ」
鉄之介は即座に言い返す。
「俺がいなきゃ、お前ら苦労するからな。
黒屍人野郎相手にな」
金之助はため息まじりに、しかし声音はきっぱりと。
「じゃあ、文句言わない」
「……ちぇ」
鉄之介は口を尖らせたが、どこか嬉しそうに鼻を鳴らした。
忠壽がわずかに口角を動かす。
「減らず口が出るうちは元気だ」
鉄之介がむっとする。
「なんだよ、それ」
お菊が小さく微笑んだ。
「鉄之介殿……頼りにしております」
「へいへい」
鉄之介は照れ隠しのように前を向く。
「ちゃんと守ってやるよ。
ま、俺の槌の届く範囲だけな」
灰の道を、蹄が打つ。
館林が近づくにつれ、空気はどこか粘つき、
遠くから、かすかなうなりが風に紛れて届き始めた。
――罠かもしれない。
それでも行く。
その決意を乗せて、一行は馬をさらに早めた。
館林城の姿が、灰の霞の奥に浮かび上がった。
だが城は、城ではなかった。
城下を包んでいた静寂はここで砕け、低いうなりが地の底から湧き上がるように響いている。
うぅぅ……おぉぉ……
黒屍人だ。
外堀沿い、石垣の下、門前の広場にまで、
腐った影の群れがびっしりと張り付いている。
だが不思議なことに、城へなだれ込む気配はない。
波は荒れず、ただ“囲い”の形でうごめいている。
――誰かが、押さえつけている。
「……くそ、不気味だな」
鉄之介が馬を止め、大槌の柄をきしませた。
「これ、ただの群れじゃねぇぞ。形が整いすぎてる」
忠壽は眉を寄せ、門前を睨む。
「……やはり罠か」
金之助は一度深く息を吸った。
辰の鼓動が胸の奥で低く鳴る。
呼応するように、鞍脇の袋の中で寅の珠も微かに震えた。
お菊が数珠を握り、低く言う。
「……城の中が、静かすぎます」
そのとき。
黒屍人の波が、すっと割れた。
門前の真ん中に一本道ができる。
人が通るために用意された道――そうとしか思えないほど、自然に。
そこを、ひとりの老人が歩いてくる。
やせこけた身体。 節くれた手。
そして青く鈍く脈打つ杖。
根来の虚舟。
虚舟の周りでは、黒屍人が首を垂れるようにうごめき、彼の足が進むたび、波が左右に滑る。
まるで城下そのものが、老人に道を譲っているようだった。
「……お出ましだな」
鉄之介が吐き捨てる。
虚舟は、ひょうひょうと笑いながら歩みを止めた。
「おお……来られましたか」
その言葉の端に、
“待っていた”という質のものがしれっと混じる。
続いて、城内の西門がわずかに開き、
武装した一団が出てくる。
先頭は佐野政親。
背後に村井左門、さらに武蔵、虎之進、お蘭が並ぶ。
佐野の顔は獰猛に落ち着き、
その落ち着きが不気味なほど“準備ができている顔”だった。
「……戻られたか、白河の一行」
佐野が声を落とす。
「ご苦労だったな」
忠壽が馬上から礼をする。
「殿に危急の報が届き、急ぎ戻りました。
何が起きておりますか」
佐野は答えず、虚舟へ目を向けた。
虚舟が青い杖を軽く揺らすと、黒屍人のうなりが一段揃う。
「何が起きているか、だと?」
佐野が薄く笑った。
「見ての通りだ。
城は黒屍人に囲まれている。
だが――“侵入されてはいない”」
鉄之介が鼻を鳴らした。
「へぇ。
誰のおかげで侵入されてねぇんだ?」
武蔵が一歩前に出て、肩を揺らして笑う。
「久しぶりじゃねぇか、雑魚野郎。
相変わらず口が先だなぁ」
「黙っとけ木偶の坊、灰から湧いたみてぇな野郎だな」
鉄之介が即座に返す。
「城を囲われてニヤついてる場合かよ」
「囲われてるのは城じゃねぇ」
武蔵は顎で黒屍人を示した。
「“囲ってる”んだよ。
な、じじい?」
虚舟がひょうひょうと笑う。
「ひょう……その通り。
黒屍人は今、佐野様の“柵”の内におる」
「柵だと?」
金之助が佐野を見る。
「……では、あなた方が集めたのですか」
虎之進がすっと前へ出た。
相変わらず言葉は短く、矜持の刃が立っている。
「根来の虚舟が、未の珠で縛っている。
我らは、城への乱入を防いでいるだけだ」
お蘭が肩をすくめる。
「ま、結果的には城が守られてるってことさ。
助かったと思ってくれていいよ」
お菊の視線が、虚舟の杖に吸い寄せられた。
青い光が、数珠と同じ質の“珠の気配”を帯びている。
「……未の珠」
お菊様が吐息のように呟く。
虚舟は、初めてお菊様の方へ目を向けた。
「巫女殿。
お会いできて光栄じゃ」
その声は丁寧だが、
“巫女を道具として見ている冷たさ”が滲んでいる。
金之助が一歩、馬を進めかけた。
辰の鼓動が、どくんと深く鳴る。
すると――黒屍人の群れが、ざわりと揺れた。
まるで、金之助の気配を嗅ぎ取ったように。
虚舟は青い杖をとん、と地につく。
どくん。
その一拍で、黒屍人は再び鎮まった。
「……器の鼓動は、よく響くのう」
虚舟の声は穏やかだった。
だがその穏やかさが、逆に怖い。
忠壽が剣呑に問う。
「虚舟とやら。
お前が黒屍人を操り、城を囲っているというなら、
その目的は何だ」
「目的?」
虚舟は首をかしげ、まるで“当たり前すぎて聞き返す”ように笑った。
「珠は集まるべきところへ集まる。
早いか遅いかの違いだけ。
ならば、待つ方が楽じゃろう」
鉄之介が眉を吊り上げる。
「待つだぁ?」
「うむ」
虚舟は青い杖をゆっくり掲げる。
「城を囲えば、城主は助けを呼ぶ。
助けを呼べば、巫女と珠遣いが来る。
――ほら、来た」
その言い方が、
魚が網にかかるのを眺める漁師みたいで、鉄之介は思わず歯噛みした。
「……つまり俺らは“呼ばれて来た獲物”ってわけかよ」
武蔵が腹の底から笑う。
「はっは、気づくの遅ぇぞ」
「笑ってんじゃねぇ」
鉄之介が大槌を握り直す。
「こんな真似して、ただで済むと思うなよ」
虎之進が鉄之介と武蔵の間に一歩入り、低く言う。
「二人とも黙れ。
今は場を読む刻だ」
武蔵が肩をすくめる。
「へいへい。
真面目だねぇ、戌は」
「戌の名で呼ぶな」
虎之進の目が鋭く光る。
お蘭がくすりと笑った。
「仲良しだね、ほんと」
忠壽は政親を見据え、
声を落としながらも刃のように言い放つ。
「殿。
黒屍人を囲いに使い、我らを誘い込むとは……
あなたのやり方ではありませんな」
佐野の目が、一瞬だけ笑う。
「“やり方は変わる”ものだ」
その言葉に、空気が凍った。
忠壽の背に冷たいものが走る。
金之助殿は佐野を真っ直ぐ見た。
「……あなたは何を望んでいる」
佐野は虚舟を横目に、静かに告げる。
「珠だ。
そして巫女だ。
それがあれば、田沼様の前で藩は生き残れる」
鉄之介が吐き捨てる。
「結局それかよ」
虚舟がひょうひょうと笑って、最後の一押しをする。
「佐野様。
では、話を“城内で”続けましょう。
ここは黒屍人が騒がしくていかん」
佐野が頷きかけた――その時。
黒屍人の群れの端が、じわりと、城外の別の匂いに反応して揺れた。
辰の鼓動に釣られたものか、あるいは別の“何か”か。
虚舟の目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
青い杖が二拍、強く脈を打った。
すると群れはまた静まり、まるで何事もなかったかのように、柵の形へ戻った。
その“抑え方”の鮮やかさに、お菊様は思わず息を呑み、忠壽もまた、虚舟の力の底を測り直す。
――強い。
そして、ここにいる誰よりも“珠の扱いに慣れている”。
武蔵が政親の耳元で、面白がるように小さく言った。
「いい玩具拾ったな、殿。
このじじい、使えるぜ」
「玩具などではない」
佐野は低く返す。
「“道具”だ」
その言い方に、虚舟は振り返らず、ただ笑った。
「ひょう……道具で結構。
根来は道具になってでも、戻るのじゃ」
佐野が一歩、城門側へ向き直る。
「白河の一行も入れ。
話は中でつける」
忠壽は即答しない。
視線は虚舟と佐野、武蔵たち、そして黒屍人の海を順に測る。
罠の匂いは濃い。
だがここで引けば、お菊様も殿も危うい。
金之助殿が小さく言った。
「……行きますか?」
鉄之介が肩を鳴らす。
「そりゃそうだ。
ここで帰ったら、俺の槌が泣く」
お菊様は数珠を握り、静かに頷いた。
一行は、柵の中へ歩みを進めた。
左右で黒屍人がうごめき、腐臭と灰の風が肌を撫でていく。
虚舟の青い杖が鳴るたび、黒屍人は牙を伏せたまま道を開けた。
――まるで、城の中へ導く“冷たい歓迎”だった。
その道の先に待つのが、交渉か、捕縛か、殺し合いか、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、
この城の中心には、すでに別の意志が根を張り始めている、ということだった。
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