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29 館林会議
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第五話 館林会議
城門の内側へ一行が踏み込むと、門がぎい……と重く閉じた。
閉まる音が、まるで棺の蓋みたいに長く響く。
黒屍人は門前に残り、虚舟の杖の一振りで左右に整列した。
うなり声は低く揃い、城の外堀を禍々しい柵のように取り巻く。
鉄之介が肩越しに振り返り、唾を吐くように言った。
「……歓迎ってより監禁だな、こりゃ」
忠壽は答えず、ただ城内の静けさを測るように目を走らせる。
兵の姿が少ない。
火も薄い。
城の中まで“人の息”が引いているのが肌でわかった。
虚舟は先導するわけでもなく、佐野の半歩後ろを歩いた。
青い杖をとん、と鳴らすたび、城内の影がわずかに揺れる。
黒屍人だけではない。
空気そのものが、あの青に縛られているみたいだった。
広い廊下の向こう、奥御殿の障子は固く閉ざされ、中からはひそひそと息を殺す音だけが漏れていた。
その空気の中へ、外様の一行が武装のまま踏み込んでくる。
館林の家臣たちが慌てて前に立ち塞がった。
「お待ちくだされ!
ここは館林の座敷にございます、勝手になされては――」
「困ります!
殿のお許しもなく、外の方をお通しするわけには……!」
槍先を揺らしながら必死に拒む。
だが声は震え、足は半歩も踏み出せない。
そこへ、佐野政親がずいと進み出た。
黒屍人のうなりを背に、まるで自分の庭へ帰ってきたような顔で。
「どけ」
短い一言。
それだけで家臣たちの肩が跳ねる。
「さ、佐野様……!」
年嵩の家臣が歯を食いしばって声を張る。
「ここは館林城にございます。
殿が奥におられる以上、勝手に座敷を――」
佐野は一瞥もしない。
「殿がおられぬなら、なおさらだ。
今ここを動かせる者が誰か、分からぬのか」
「しかし……!」
家臣がさらに口を開きかけた、そのとき。
お菊が一歩前へ出た。
数珠を静かに握り、声は強くない。
だが、その場の空気を真っ直ぐに切る冴えがあった。
「よい」
家臣たちが、はっと息を呑む。
「佐野様をお通しせよ。
殿にはあとで私の方から申しておく」
槍を構えていた家臣の顔が揺れ、やがて深く頭を下げた。
「……奥方様の御意ならば」
「奥方様……!」
別の家臣たちも、次々と膝をついて道を開ける。
怯えと屈辱は消えない。
それでも“奥方様の許し”があれば、筋が立つのだ。
お菊は佐野に視線を向け、丁寧に一礼した。
「佐野様、どうぞ」
佐野は一瞬だけお菊を見た。
――この奥方が、まだ城の“最後の背骨”になっている。
その事実を確かめるような目だった。
「……かたじけない」
佐野はそう言い、家臣の間を割って進む。
館林の家臣たちは奥方の背にすがるように頭を垂れ、それ以上は何も言わなかった。
廊下の先、座敷の襖が開かれる。
佐野が当たり前のように上座へ向かうのを、館林の家臣たちは戸口の外で、悔しさと不安を抱えたまま見送った。
だが今は、殿が奥で怯える城。
奥方が許し、外様が仕切る。
――そんな歪な形でしか、この城は立っていられなかった。
一行は武装を解かぬまま通され、奥の間を分けるように座した。
佐野の正面には虚舟。
左右に武蔵、虎之進、お蘭、左門が控える。
こちら側には忠壽、鉄之介、金之助、お菊、斎藤、吉村。
広間に張りつく緊張は、すでに“会談”じゃない。
刃を抜く前の、息だけで相手を測る殺し合いの間合いだった。
佐野が口を開く。
「戻ってきた以上、話は早い。
虚舟。お前の狙いと策は聞いた。
白河の一行にも、同じ話をする」
虚舟はひょうひょうと笑い、杖を膝に置いた。
「承知いたしました」
目だけで忠壽たちをなぞり、言う。
「この城下は、いま黒屍人が溢れておる。
放てば城も民も食われ、藩は終わる。
ゆえに儂が“未の珠”で縛り、城を囲わせた」
鉄之介が鼻を鳴らす。
「縛った?
囲わせたっつーより、俺ら呼び寄せたんだろ」
「……呼ばれたと感じるなら、それでもよい」
虚舟は否定しない。
「目的は“珠の器”と“巫女”をここへ集めること。
城主が助けを求めれば、必ず来ると踏んだ」
金之助の眉がひそむ。
「……だから、城を脅したのか」
「脅したのではない、導いたのじゃ」
虚舟の声は柔らかい。
柔らかいぶん、背筋に冷たいものが残る。
忠壽が静かに問う。
「虚舟殿。
お前が黒屍人を操れるのは分かった。
だが、その力を誰のために使う?」
「根来のため、そして佐野様のため」
虚舟は迷いなく答えた。
「根来は滅びた。しかし滅びたままでは終われぬ。
佐野様が田沼意次様へ近づくなら、根来はその影になる。
互いに利がある」
武蔵が退屈そうに口を挟む。
「難しい話はいいからよ。
要するに、じじいは俺ら側についたってことだろ?」
虎之進が武蔵の横腹を睨む。
「武蔵、軽口は控えろ」
「へいへい」
佐野が、金之助を真っ直ぐ見た。
「金之助殿。
お前の珠は城下を救う力になる。
ここで俺に従え。
そうすれば、城も民も守れる」
言い方は穏やかだが、逃げ道のない声だった。
鉄之介が身を乗り出す。
「おいおい、いきなり“従え”ってか?
どの面下げて言ってんだよ」
佐野の目が冷たく細くなる。
「面などいらぬ。
藩のためだ」
金之助は一度息を吸い、落ち着いた声で返す。
「藩のために、俺の珠を使うっていうなら――
まず、城下の民を守るやり方を見せてくれ」
佐野は口角をわずかに上げた。
「見せている。
黒屍人は城へ入っていないだろう」
その言葉に、忠壽が目を細める。
「……城に入っていないのは“虚舟が縛っているから”だ。
しかしその縛りが、いつまで続くかは虚舟次第だろう」
虚舟が、ひょうひょうと笑った。
「忠壽殿。疑うのは当然。
ゆえに――」
杖をとん、と鳴らす。
青い脈動が一段深まり、城外の黒屍人のうなりがぴたりと止んだ。
息を潜めた獣の群れのように、瞬間、世界が無音になる。
「……この通り。
儂が望めば、黒屍人は眠る。
望まねば、騒ぐ。
それだけのことじゃ」
お菊が思わず数珠を握る指に力を込め、静かに言った。
「金之助殿……
この方の力は確かに恐ろしい。
けれど、黒屍人を押さえられる者がいることは、
民にとっても“救い”でございます」
鉄之介がふん、と鼻を鳴らす。
「救いの皮かぶった首輪だろ。
民も俺らも、まとめて縛る気満々じゃねぇか」
お蘭が涼しい声で笑う。
「鉄之介さん、相変わらず鋭いね。
でもさ、縛られないためには、
“縛る側”に立つしかないんじゃない?」
その言葉は軽いのに、毒の芯があった。
金之助は佐野と虚舟を交互に見て、ゆっくり言う。
「……俺は、誰かの道具にはならない。
でも、城下が危ないなら見捨てるつもりもない」
佐野の目がわずかに動く。
「ならば俺の下に来い」
金之助は首を振る。
「俺は忠壽たちと来た。
俺が動くなら、こいつらと一緒だ」
鉄之介がにやりとする。
「聞いたかよ、殿サマ。
俺らまとめて面倒見る度量あるのか?」
佐野は一瞬、怒気を見せかけたが、すぐ抑えた。
「……面倒かどうかは、使えるかどうかだ」
虚舟が、間に一枚、薄い笑みを挟む。
「佐野様。
強い器には、強い護りが要る。
――彼らは器の護りにふさわしい」
武蔵が大きく笑った。
「へぇ、じじい、話が分かるじゃねぇか」
「分かっておるのは、器の匂いだけじゃ」
虚舟が静かに言い返す。
「器の周りには、必ず“刃”が集う。
集う刃を捨てれば、器は割れる」
忠壽の目が鋭くなる。
「虚舟殿。
お前はどこまで読んでいる」
「読むのではない。珠の流れを見るだけじゃ」
虚舟は青い杖を軽く掲げ、広間の空気をなぞるように言った。
「この城は今、潮目にある。
器も巫女もここへ来た。
次に動くのは――城の外の者たちじゃろう」
その瞬間。
城の外から、遠雷みたいなうなりが再び立ち上がった。
黒屍人が、何か別の匂いを嗅いだようにざわつき始める。
虚舟の目が細くなる。
青い杖が一拍、深く鳴る。
ざわめきはすぐ鎮まった。
だがその“間”は短すぎた。
――誰もが気づく。
黒屍人は、虚舟の縛りの中でも、
“別の何か”に引かれつつある。
鉄之介が小さく舌打ちした。
「……外で何か起きてやがる」
佐野が立ち上がる。
「左門、外を見ろ」
「はっ」
左門が駆け出していく。
広間に残るのは、再び濃くなる緊張。
虚舟は、佐野へ静かに言った。
「佐野様。
“待てば集まる”とは申したが、
集まれば集まるほど、世は荒れる。
器を手に入れるなら、今夜までが潮時かもしれませぬ」
佐野は虚舟を見下ろし、短く言う。
「……分かっている」
金之助は忠壽へ小さく目配せした。
忠壽もまた頷く。
ここは敵地。
だが表向きはまだ“会談”。
刃を抜くのは、相手の手が先に動いてから――
お菊が息を整え、静かに言った。
「金之助殿、鉄之介殿、忠壽様……
どうか、焦らぬように。
この方々の狙いが見えるまで、言葉で繋ぎましょう」
「分かってる」
金之助が短く返す。
鉄之介は不服そうに鼻を鳴らした。
「……言葉が通じる相手ならな」
そのとき、廊下を駆ける足音が戻ってくる。
左門の声が、張り裂けるように飛び込んだ。
「殿!
城下の南――黒屍人の群れが、何者かに突かれております!
数が……増えている!」
広間の空気が、一気にきしむ。
虚舟の笑みが、ほんの僅かだけ深くなった。
「……来たか」
佐野の目が獰猛に光る。
「黒屍人を操れる者が、他にもいるということか」
虚舟は杖を握り直し、静かに言った。
「操れる者か、操らせる“別の珠”か。
いずれにせよ――
この城はもう、引き返せぬ潮へ入った」
鉄之介が槌を肩に載せ、立ち上がる。
「やっと面白くなってきたじゃねぇか。
……殿サマ、じじい。
誰が来ようが、俺は俺のやり方でぶっ叩くぞ」
忠壽が短く命じる。
「鉄之介、先走るな。
まず外を確かめる。
……金之助、離れるな」
「分かってる」
佐野が深く息を吸い、そして笑った。
「いい。
黒屍人が乱れるなら、城下は戦場になる。
“器”の力を示す機会でもある」
虚舟がひょうひょうと頷く。
「佐野様の御意のままに。
――黒屍人は、儂が押さえよう」
青い杖が、どくんと重く鳴った。
城外のうなりが、再び整列しはじめる。
だがその整列の向こうで、
もっと大きな波が押し寄せる気配が、確かに育っていた。
一行は、同じ広間に座したまま、
それぞれがそれぞれの刃の位置を確かめる。
会談は終わりに近い。
次に動くのは、言葉じゃない。
――黒屍人の海の外で、
“もう一つの意志”が、館林へ近づいていた。
第六話 黒屍人狩りの侍
館林へ続く街道の手前。
灰の降る平地に、黒屍人が群れていた。
倒れた荷車、踏み荒らされた畑、火の潰えた焚き場。
人の気配が抜けた場所ほど、黒い影は濃く集まる。
その真ん中を、ひとりの若侍が歩いていく。
旅笠に羽織、細身の身体。
肩の線は薄く、首筋は白い。
顔立ちは涼しく、声も硬くない。
――優男の若侍。
遠目にはそう見えた。
「……館林は、こっちか」
霧島清十郎は、淡々と呟いた。
古河藩の城下でも、黒屍人は無数に湧いていた。
村一つが丸ごと呑まれる夜もあった。
剣が鈍れば、明け方には人の声が消える――そんな土地だった。
それでも、今耳に届く館林のうなりは、質が違う。
風の中に、数の重みが混じっている。
清十郎はふっと息を吐き、独り言のように低く言った。
「古河でも、黒屍人は嫌になるほどいた。
……だが、あっちは“散って”いたに過ぎん」
「館林は――群れが城を喰う気で固まっている。
数も、気配も、あの比じゃない」
その声は静かだった。
静かなぶん、言葉の重さが灰の中に沈む。
清十郎が立ち止まった瞬間、
黒屍人が四方から一斉に這い寄る。
五体。
八体。
十五体。
腐臭と灰の風が、旅笠の縁を揺らした。
「……面倒だな」
口調は柔らかい。
だがその一言で、身体の芯が切り替わる。
清十郎は、足を半歩だけずらした。
しゃん。
鞘鳴りが一つ。
刃が抜けたのが見えた時には、もう初太刀が終わっていた。
黒屍人の首が、二つ、同時に落ちる。
遅れて黒い血が噴いた。
清十郎の足は止まらない。
歩くのと同じ速さで間合いへ入り、
剣を振るうというより、刃を通すべき線を空気に置いていく。
相手がそこへ勝手に踏み込み、腐肉がほどけ、骨がずれて倒れる。
力で壊していない。
“折れる場所”を先に作ってやっている。
ひゅ、ひゅ、ひゅ。
太刀筋は細い。
細いのに、確実すぎる。
関節、喉、側頭、脊の継ぎ目。
生き物の急所と同じ場所を、寸分違わず抜く。
十五体が、ほぼ同時に崩れた。
最後の一体が倒れる前に、清十郎はもう刃を返している。
血の雫すら、旅笠に届かない。
静けさが戻った。
清十郎は刀を軽く振って灰を落とし、鞘へ収めた。
その目はもう、館林の方角だけを見ていた。
「……ここから先は、さらに濃い」
独りの声が、灰の野に吸い込まれる。
「古河の黒屍人は“兆し”だったんだろうな。
なら、館林は――本流だ」
霧島清十郎は歩みを早め、ひとりで館林へ向かった。
黒屍人を狩りながら、その中心に何があるのかを確かめるために。
館林城が見えたとき、清十郎は足を止めた。
――いや、城が見えたのではない。
城を呑み込む黒い海が見えたのだ。
外堀の縁から石垣の下、城下の道まで、黒屍人が幾重にも折り重なり、うねり、まるで“城を生き物の臓で包み込む”ように蠢いている。
古河で見た群れは、散っていた。
村を食い、畑を荒らし、夜ごとに湧く“点”の災いだった。
だがこれは違う。
城を中心に円を描き、意志を持って囲っている。
数の重みが、風にまで圧をかけている。
腐臭が遠くの木々を枯らすほど濃い。
清十郎は、旅笠の下で唖然としたまま、しばし動けなかった。
「……ここまでとは……」
声が、灰の野に落ちる。
乾いた喉が鳴った。
だが次の瞬間、清十郎の目から驚きがすっと抜けた。
戦う者の目に戻る。
刀の柄を握り直す。
「……行くしかない」
清十郎は一歩踏み出した。
城へ続く坂道の途中、黒屍人の密度がさらに増す。
石畳の上を、腐った足が押し寄せ、
ぶつかった骨ががらがらがらと不吉に鳴る。
清十郎が間合いに入った瞬間、群れが一斉に顔を上げた。
うぉ゛ぉ゛……!
濁った喉が揃い、
黒い波が“城外の異物”へ向かって崩れ落ちる。
清十郎は微かに息を吸い、腰を落とした。
しゃん。
鞘鳴りに遅れて、黒屍人の首が三つ落ちた。
清十郎の足は灰の上を滑る。
前へ出たはずなのに、横へ消える。
横へ消えたはずなのに、群れの背後にいる。
刃は細く、速く、的確だ。
首を狙わない。
関節を抜き、腱を断ち、支えを削ぐ。
黒屍人は“崩れる場所”を失うと、
自分の重さで勝手に倒れていく。
だが数が違う。
倒しても倒しても、城の影から湧き上がってくる。
「……っ!」
清十郎は一拍で呼吸を切り替え、深く踏み込んだ。
ひゅうっ――!
風が裂け、刃が弧を描く。
黒屍人の群れが、扇の骨が折れるように左右へ割れた。
その割れ目を、清十郎は“走る”のではなく“滑る”ように進む。
刃の線が見えない。
見えるのは、倒れていく黒い影だけ。
ばしゃっ、ばしゃっ、ばしゃっ。
黒い血が降り、灰が泥のように跳ねる。
清十郎の羽織の裾が濡れるが、動きは一切鈍らない。
ここで足を止めれば、飲まれる。
止めないために、刃はもっと軽く、もっと速くなる。
――その時だ。
城内のほうで、どん!と、何かが弾けるような音がした。
続けて、金属のぶつかる音、怒号、
そして黒屍人のうなりが、城の中から一段高く立ち上がる。
清十郎は一瞬だけ視線を城へ流す。
門の内側が、何かで騒いでいる。
戦(いくさ)の始まる前の、がらがらとした気配。
「……中でも、動いたか」
呟きは小さい。
だがその瞬間、城外の黒屍人がざわりと波立った。
清十郎に向かっていた群れの一部が、城門の方へ引かれるように向きを変える。
まるで誰かが、城内へ呼び寄せたとでもいうように。
波が割れ、波が寄る。
清十郎はその変化に眉を寄せた。
「……妙だな」
妙だが、考える暇はない。
群れはまだ、目の前にある。
清十郎は足を踏み替え、再び刃を走らせた。
しゃら、しゃら、しゃら――!
刃の音が雨のように連なる。
黒屍人の腕が飛び、膝が砕け、
首が落ちるより先に、胴がずり落ちる。
黒い影の山が、清十郎の周囲に積もっていく。
だが後ろから、横から、無尽蔵のように新しい影が頭を出す。
清十郎は歯を食いしばった。
「……来い」
怒鳴らない。
ただ、刃の角度をほんの少し変えた。
次の一太刀は、
速さの中に“牙”が混じった。
黒屍人の列の中心だけが、
糸で引き抜かれるように崩れる。
崩れたところへ群れが雪崩れ込み、重さでさらに潰れ、波そのものが自滅する。
清十郎はその“崩し”を連鎖させた。
群れは、城の前の広場で大きく形を失い、一瞬だけ密度が薄くなる。
清十郎はその隙に門へ向けて一気に間合いを詰めた。
――その背で、城内の騒ぎがまた膨らんだ。
怒号。
畳を踏む音。
誰かが走る音。
そして、虚ろな呻きが門の内側へ吸い込まれていく。
外で起きている“大波”と、内で起きている“別の戦”が、互いに鳴き交わしているみたいだった。
清十郎の喉が一度鳴る。
「……城の中が先に折れたら、外も雪崩れる」
だから、先に門へ入る。
先に“中心”を見きわめる。
清十郎は、黒屍人の腐臭の壁を、細い刃と軽い足で裂きながら、派手に、豪快に、――しかし一滴の無駄もなく、館林城の門前へ躍り出た。
門の向こうは、
すでに“言葉の場”ではなくなりつつあった。
城門の内側へ一行が踏み込むと、門がぎい……と重く閉じた。
閉まる音が、まるで棺の蓋みたいに長く響く。
黒屍人は門前に残り、虚舟の杖の一振りで左右に整列した。
うなり声は低く揃い、城の外堀を禍々しい柵のように取り巻く。
鉄之介が肩越しに振り返り、唾を吐くように言った。
「……歓迎ってより監禁だな、こりゃ」
忠壽は答えず、ただ城内の静けさを測るように目を走らせる。
兵の姿が少ない。
火も薄い。
城の中まで“人の息”が引いているのが肌でわかった。
虚舟は先導するわけでもなく、佐野の半歩後ろを歩いた。
青い杖をとん、と鳴らすたび、城内の影がわずかに揺れる。
黒屍人だけではない。
空気そのものが、あの青に縛られているみたいだった。
広い廊下の向こう、奥御殿の障子は固く閉ざされ、中からはひそひそと息を殺す音だけが漏れていた。
その空気の中へ、外様の一行が武装のまま踏み込んでくる。
館林の家臣たちが慌てて前に立ち塞がった。
「お待ちくだされ!
ここは館林の座敷にございます、勝手になされては――」
「困ります!
殿のお許しもなく、外の方をお通しするわけには……!」
槍先を揺らしながら必死に拒む。
だが声は震え、足は半歩も踏み出せない。
そこへ、佐野政親がずいと進み出た。
黒屍人のうなりを背に、まるで自分の庭へ帰ってきたような顔で。
「どけ」
短い一言。
それだけで家臣たちの肩が跳ねる。
「さ、佐野様……!」
年嵩の家臣が歯を食いしばって声を張る。
「ここは館林城にございます。
殿が奥におられる以上、勝手に座敷を――」
佐野は一瞥もしない。
「殿がおられぬなら、なおさらだ。
今ここを動かせる者が誰か、分からぬのか」
「しかし……!」
家臣がさらに口を開きかけた、そのとき。
お菊が一歩前へ出た。
数珠を静かに握り、声は強くない。
だが、その場の空気を真っ直ぐに切る冴えがあった。
「よい」
家臣たちが、はっと息を呑む。
「佐野様をお通しせよ。
殿にはあとで私の方から申しておく」
槍を構えていた家臣の顔が揺れ、やがて深く頭を下げた。
「……奥方様の御意ならば」
「奥方様……!」
別の家臣たちも、次々と膝をついて道を開ける。
怯えと屈辱は消えない。
それでも“奥方様の許し”があれば、筋が立つのだ。
お菊は佐野に視線を向け、丁寧に一礼した。
「佐野様、どうぞ」
佐野は一瞬だけお菊を見た。
――この奥方が、まだ城の“最後の背骨”になっている。
その事実を確かめるような目だった。
「……かたじけない」
佐野はそう言い、家臣の間を割って進む。
館林の家臣たちは奥方の背にすがるように頭を垂れ、それ以上は何も言わなかった。
廊下の先、座敷の襖が開かれる。
佐野が当たり前のように上座へ向かうのを、館林の家臣たちは戸口の外で、悔しさと不安を抱えたまま見送った。
だが今は、殿が奥で怯える城。
奥方が許し、外様が仕切る。
――そんな歪な形でしか、この城は立っていられなかった。
一行は武装を解かぬまま通され、奥の間を分けるように座した。
佐野の正面には虚舟。
左右に武蔵、虎之進、お蘭、左門が控える。
こちら側には忠壽、鉄之介、金之助、お菊、斎藤、吉村。
広間に張りつく緊張は、すでに“会談”じゃない。
刃を抜く前の、息だけで相手を測る殺し合いの間合いだった。
佐野が口を開く。
「戻ってきた以上、話は早い。
虚舟。お前の狙いと策は聞いた。
白河の一行にも、同じ話をする」
虚舟はひょうひょうと笑い、杖を膝に置いた。
「承知いたしました」
目だけで忠壽たちをなぞり、言う。
「この城下は、いま黒屍人が溢れておる。
放てば城も民も食われ、藩は終わる。
ゆえに儂が“未の珠”で縛り、城を囲わせた」
鉄之介が鼻を鳴らす。
「縛った?
囲わせたっつーより、俺ら呼び寄せたんだろ」
「……呼ばれたと感じるなら、それでもよい」
虚舟は否定しない。
「目的は“珠の器”と“巫女”をここへ集めること。
城主が助けを求めれば、必ず来ると踏んだ」
金之助の眉がひそむ。
「……だから、城を脅したのか」
「脅したのではない、導いたのじゃ」
虚舟の声は柔らかい。
柔らかいぶん、背筋に冷たいものが残る。
忠壽が静かに問う。
「虚舟殿。
お前が黒屍人を操れるのは分かった。
だが、その力を誰のために使う?」
「根来のため、そして佐野様のため」
虚舟は迷いなく答えた。
「根来は滅びた。しかし滅びたままでは終われぬ。
佐野様が田沼意次様へ近づくなら、根来はその影になる。
互いに利がある」
武蔵が退屈そうに口を挟む。
「難しい話はいいからよ。
要するに、じじいは俺ら側についたってことだろ?」
虎之進が武蔵の横腹を睨む。
「武蔵、軽口は控えろ」
「へいへい」
佐野が、金之助を真っ直ぐ見た。
「金之助殿。
お前の珠は城下を救う力になる。
ここで俺に従え。
そうすれば、城も民も守れる」
言い方は穏やかだが、逃げ道のない声だった。
鉄之介が身を乗り出す。
「おいおい、いきなり“従え”ってか?
どの面下げて言ってんだよ」
佐野の目が冷たく細くなる。
「面などいらぬ。
藩のためだ」
金之助は一度息を吸い、落ち着いた声で返す。
「藩のために、俺の珠を使うっていうなら――
まず、城下の民を守るやり方を見せてくれ」
佐野は口角をわずかに上げた。
「見せている。
黒屍人は城へ入っていないだろう」
その言葉に、忠壽が目を細める。
「……城に入っていないのは“虚舟が縛っているから”だ。
しかしその縛りが、いつまで続くかは虚舟次第だろう」
虚舟が、ひょうひょうと笑った。
「忠壽殿。疑うのは当然。
ゆえに――」
杖をとん、と鳴らす。
青い脈動が一段深まり、城外の黒屍人のうなりがぴたりと止んだ。
息を潜めた獣の群れのように、瞬間、世界が無音になる。
「……この通り。
儂が望めば、黒屍人は眠る。
望まねば、騒ぐ。
それだけのことじゃ」
お菊が思わず数珠を握る指に力を込め、静かに言った。
「金之助殿……
この方の力は確かに恐ろしい。
けれど、黒屍人を押さえられる者がいることは、
民にとっても“救い”でございます」
鉄之介がふん、と鼻を鳴らす。
「救いの皮かぶった首輪だろ。
民も俺らも、まとめて縛る気満々じゃねぇか」
お蘭が涼しい声で笑う。
「鉄之介さん、相変わらず鋭いね。
でもさ、縛られないためには、
“縛る側”に立つしかないんじゃない?」
その言葉は軽いのに、毒の芯があった。
金之助は佐野と虚舟を交互に見て、ゆっくり言う。
「……俺は、誰かの道具にはならない。
でも、城下が危ないなら見捨てるつもりもない」
佐野の目がわずかに動く。
「ならば俺の下に来い」
金之助は首を振る。
「俺は忠壽たちと来た。
俺が動くなら、こいつらと一緒だ」
鉄之介がにやりとする。
「聞いたかよ、殿サマ。
俺らまとめて面倒見る度量あるのか?」
佐野は一瞬、怒気を見せかけたが、すぐ抑えた。
「……面倒かどうかは、使えるかどうかだ」
虚舟が、間に一枚、薄い笑みを挟む。
「佐野様。
強い器には、強い護りが要る。
――彼らは器の護りにふさわしい」
武蔵が大きく笑った。
「へぇ、じじい、話が分かるじゃねぇか」
「分かっておるのは、器の匂いだけじゃ」
虚舟が静かに言い返す。
「器の周りには、必ず“刃”が集う。
集う刃を捨てれば、器は割れる」
忠壽の目が鋭くなる。
「虚舟殿。
お前はどこまで読んでいる」
「読むのではない。珠の流れを見るだけじゃ」
虚舟は青い杖を軽く掲げ、広間の空気をなぞるように言った。
「この城は今、潮目にある。
器も巫女もここへ来た。
次に動くのは――城の外の者たちじゃろう」
その瞬間。
城の外から、遠雷みたいなうなりが再び立ち上がった。
黒屍人が、何か別の匂いを嗅いだようにざわつき始める。
虚舟の目が細くなる。
青い杖が一拍、深く鳴る。
ざわめきはすぐ鎮まった。
だがその“間”は短すぎた。
――誰もが気づく。
黒屍人は、虚舟の縛りの中でも、
“別の何か”に引かれつつある。
鉄之介が小さく舌打ちした。
「……外で何か起きてやがる」
佐野が立ち上がる。
「左門、外を見ろ」
「はっ」
左門が駆け出していく。
広間に残るのは、再び濃くなる緊張。
虚舟は、佐野へ静かに言った。
「佐野様。
“待てば集まる”とは申したが、
集まれば集まるほど、世は荒れる。
器を手に入れるなら、今夜までが潮時かもしれませぬ」
佐野は虚舟を見下ろし、短く言う。
「……分かっている」
金之助は忠壽へ小さく目配せした。
忠壽もまた頷く。
ここは敵地。
だが表向きはまだ“会談”。
刃を抜くのは、相手の手が先に動いてから――
お菊が息を整え、静かに言った。
「金之助殿、鉄之介殿、忠壽様……
どうか、焦らぬように。
この方々の狙いが見えるまで、言葉で繋ぎましょう」
「分かってる」
金之助が短く返す。
鉄之介は不服そうに鼻を鳴らした。
「……言葉が通じる相手ならな」
そのとき、廊下を駆ける足音が戻ってくる。
左門の声が、張り裂けるように飛び込んだ。
「殿!
城下の南――黒屍人の群れが、何者かに突かれております!
数が……増えている!」
広間の空気が、一気にきしむ。
虚舟の笑みが、ほんの僅かだけ深くなった。
「……来たか」
佐野の目が獰猛に光る。
「黒屍人を操れる者が、他にもいるということか」
虚舟は杖を握り直し、静かに言った。
「操れる者か、操らせる“別の珠”か。
いずれにせよ――
この城はもう、引き返せぬ潮へ入った」
鉄之介が槌を肩に載せ、立ち上がる。
「やっと面白くなってきたじゃねぇか。
……殿サマ、じじい。
誰が来ようが、俺は俺のやり方でぶっ叩くぞ」
忠壽が短く命じる。
「鉄之介、先走るな。
まず外を確かめる。
……金之助、離れるな」
「分かってる」
佐野が深く息を吸い、そして笑った。
「いい。
黒屍人が乱れるなら、城下は戦場になる。
“器”の力を示す機会でもある」
虚舟がひょうひょうと頷く。
「佐野様の御意のままに。
――黒屍人は、儂が押さえよう」
青い杖が、どくんと重く鳴った。
城外のうなりが、再び整列しはじめる。
だがその整列の向こうで、
もっと大きな波が押し寄せる気配が、確かに育っていた。
一行は、同じ広間に座したまま、
それぞれがそれぞれの刃の位置を確かめる。
会談は終わりに近い。
次に動くのは、言葉じゃない。
――黒屍人の海の外で、
“もう一つの意志”が、館林へ近づいていた。
第六話 黒屍人狩りの侍
館林へ続く街道の手前。
灰の降る平地に、黒屍人が群れていた。
倒れた荷車、踏み荒らされた畑、火の潰えた焚き場。
人の気配が抜けた場所ほど、黒い影は濃く集まる。
その真ん中を、ひとりの若侍が歩いていく。
旅笠に羽織、細身の身体。
肩の線は薄く、首筋は白い。
顔立ちは涼しく、声も硬くない。
――優男の若侍。
遠目にはそう見えた。
「……館林は、こっちか」
霧島清十郎は、淡々と呟いた。
古河藩の城下でも、黒屍人は無数に湧いていた。
村一つが丸ごと呑まれる夜もあった。
剣が鈍れば、明け方には人の声が消える――そんな土地だった。
それでも、今耳に届く館林のうなりは、質が違う。
風の中に、数の重みが混じっている。
清十郎はふっと息を吐き、独り言のように低く言った。
「古河でも、黒屍人は嫌になるほどいた。
……だが、あっちは“散って”いたに過ぎん」
「館林は――群れが城を喰う気で固まっている。
数も、気配も、あの比じゃない」
その声は静かだった。
静かなぶん、言葉の重さが灰の中に沈む。
清十郎が立ち止まった瞬間、
黒屍人が四方から一斉に這い寄る。
五体。
八体。
十五体。
腐臭と灰の風が、旅笠の縁を揺らした。
「……面倒だな」
口調は柔らかい。
だがその一言で、身体の芯が切り替わる。
清十郎は、足を半歩だけずらした。
しゃん。
鞘鳴りが一つ。
刃が抜けたのが見えた時には、もう初太刀が終わっていた。
黒屍人の首が、二つ、同時に落ちる。
遅れて黒い血が噴いた。
清十郎の足は止まらない。
歩くのと同じ速さで間合いへ入り、
剣を振るうというより、刃を通すべき線を空気に置いていく。
相手がそこへ勝手に踏み込み、腐肉がほどけ、骨がずれて倒れる。
力で壊していない。
“折れる場所”を先に作ってやっている。
ひゅ、ひゅ、ひゅ。
太刀筋は細い。
細いのに、確実すぎる。
関節、喉、側頭、脊の継ぎ目。
生き物の急所と同じ場所を、寸分違わず抜く。
十五体が、ほぼ同時に崩れた。
最後の一体が倒れる前に、清十郎はもう刃を返している。
血の雫すら、旅笠に届かない。
静けさが戻った。
清十郎は刀を軽く振って灰を落とし、鞘へ収めた。
その目はもう、館林の方角だけを見ていた。
「……ここから先は、さらに濃い」
独りの声が、灰の野に吸い込まれる。
「古河の黒屍人は“兆し”だったんだろうな。
なら、館林は――本流だ」
霧島清十郎は歩みを早め、ひとりで館林へ向かった。
黒屍人を狩りながら、その中心に何があるのかを確かめるために。
館林城が見えたとき、清十郎は足を止めた。
――いや、城が見えたのではない。
城を呑み込む黒い海が見えたのだ。
外堀の縁から石垣の下、城下の道まで、黒屍人が幾重にも折り重なり、うねり、まるで“城を生き物の臓で包み込む”ように蠢いている。
古河で見た群れは、散っていた。
村を食い、畑を荒らし、夜ごとに湧く“点”の災いだった。
だがこれは違う。
城を中心に円を描き、意志を持って囲っている。
数の重みが、風にまで圧をかけている。
腐臭が遠くの木々を枯らすほど濃い。
清十郎は、旅笠の下で唖然としたまま、しばし動けなかった。
「……ここまでとは……」
声が、灰の野に落ちる。
乾いた喉が鳴った。
だが次の瞬間、清十郎の目から驚きがすっと抜けた。
戦う者の目に戻る。
刀の柄を握り直す。
「……行くしかない」
清十郎は一歩踏み出した。
城へ続く坂道の途中、黒屍人の密度がさらに増す。
石畳の上を、腐った足が押し寄せ、
ぶつかった骨ががらがらがらと不吉に鳴る。
清十郎が間合いに入った瞬間、群れが一斉に顔を上げた。
うぉ゛ぉ゛……!
濁った喉が揃い、
黒い波が“城外の異物”へ向かって崩れ落ちる。
清十郎は微かに息を吸い、腰を落とした。
しゃん。
鞘鳴りに遅れて、黒屍人の首が三つ落ちた。
清十郎の足は灰の上を滑る。
前へ出たはずなのに、横へ消える。
横へ消えたはずなのに、群れの背後にいる。
刃は細く、速く、的確だ。
首を狙わない。
関節を抜き、腱を断ち、支えを削ぐ。
黒屍人は“崩れる場所”を失うと、
自分の重さで勝手に倒れていく。
だが数が違う。
倒しても倒しても、城の影から湧き上がってくる。
「……っ!」
清十郎は一拍で呼吸を切り替え、深く踏み込んだ。
ひゅうっ――!
風が裂け、刃が弧を描く。
黒屍人の群れが、扇の骨が折れるように左右へ割れた。
その割れ目を、清十郎は“走る”のではなく“滑る”ように進む。
刃の線が見えない。
見えるのは、倒れていく黒い影だけ。
ばしゃっ、ばしゃっ、ばしゃっ。
黒い血が降り、灰が泥のように跳ねる。
清十郎の羽織の裾が濡れるが、動きは一切鈍らない。
ここで足を止めれば、飲まれる。
止めないために、刃はもっと軽く、もっと速くなる。
――その時だ。
城内のほうで、どん!と、何かが弾けるような音がした。
続けて、金属のぶつかる音、怒号、
そして黒屍人のうなりが、城の中から一段高く立ち上がる。
清十郎は一瞬だけ視線を城へ流す。
門の内側が、何かで騒いでいる。
戦(いくさ)の始まる前の、がらがらとした気配。
「……中でも、動いたか」
呟きは小さい。
だがその瞬間、城外の黒屍人がざわりと波立った。
清十郎に向かっていた群れの一部が、城門の方へ引かれるように向きを変える。
まるで誰かが、城内へ呼び寄せたとでもいうように。
波が割れ、波が寄る。
清十郎はその変化に眉を寄せた。
「……妙だな」
妙だが、考える暇はない。
群れはまだ、目の前にある。
清十郎は足を踏み替え、再び刃を走らせた。
しゃら、しゃら、しゃら――!
刃の音が雨のように連なる。
黒屍人の腕が飛び、膝が砕け、
首が落ちるより先に、胴がずり落ちる。
黒い影の山が、清十郎の周囲に積もっていく。
だが後ろから、横から、無尽蔵のように新しい影が頭を出す。
清十郎は歯を食いしばった。
「……来い」
怒鳴らない。
ただ、刃の角度をほんの少し変えた。
次の一太刀は、
速さの中に“牙”が混じった。
黒屍人の列の中心だけが、
糸で引き抜かれるように崩れる。
崩れたところへ群れが雪崩れ込み、重さでさらに潰れ、波そのものが自滅する。
清十郎はその“崩し”を連鎖させた。
群れは、城の前の広場で大きく形を失い、一瞬だけ密度が薄くなる。
清十郎はその隙に門へ向けて一気に間合いを詰めた。
――その背で、城内の騒ぎがまた膨らんだ。
怒号。
畳を踏む音。
誰かが走る音。
そして、虚ろな呻きが門の内側へ吸い込まれていく。
外で起きている“大波”と、内で起きている“別の戦”が、互いに鳴き交わしているみたいだった。
清十郎の喉が一度鳴る。
「……城の中が先に折れたら、外も雪崩れる」
だから、先に門へ入る。
先に“中心”を見きわめる。
清十郎は、黒屍人の腐臭の壁を、細い刃と軽い足で裂きながら、派手に、豪快に、――しかし一滴の無駄もなく、館林城の門前へ躍り出た。
門の向こうは、
すでに“言葉の場”ではなくなりつつあった。
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