十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

文字の大きさ
41 / 43

41 廃村へ

しおりを挟む
第二話 廃村へ

 街道を外れ、山際へ入ると空気が変わった。
 灰の匂いが濃くなり、土が柔らかい。

 踏みしめるたび、足裏に沈む感触がある。
 遠くで、浅間の赤がうっすらと揺れていた。

 夕映えではない。
火の色だ。
武蔵は前を歩きながら、右腕を一度だけ握った。

 握って、開いて、また握る。
何かを確かめるように。
「……ちッ」
舌打ちが小さく漏れた。

 お蘭が、横目でそれを見る。
「まだ気持ち悪いのかい?」

「うるせえ」
武蔵は吐き捨てたが、右手の指先がわずかに震えている。

 さっきまで握り飯を食っていたのに――
 皮膚の下で、細い裂け目が走ったように見えた。

 武蔵は気づかないふりをして、もう一度掌を握りつぶす。
 裂け目は見えなくなる。
代わりに、骨がきしむような音がした。

「……はは」
お蘭が笑う。笑いきれない笑いだ。
「ほんとに、あんた。
 喰えば治る身体になっちまったんだねえ」

「黙って歩け」
武蔵の声は低い。
怒りで押し切ろうとする声だ。

「それにしてもさ」
お蘭が軽口を叩くように言った。

 けれど芯は真面目だった。
「殿も妙な場所を指定するもんだよ」

「廃村だろ。人がいねえんだろ」

「だから言ってんのさ」
お蘭は袖で鼻を拭き、目を細める。

「人がいねえ場所に先に行けって。
 そこで用意しろって。
 ……何を用意する気なんだろうねえ」

 武蔵は鼻で笑った。
「決まってんだろ。狩り場だ」

「狩り場?」
お蘭がその言葉を、舌の上で転がす。

「巫女と、珠持ちを――ってやつかい」

「殿はそう言ってたな」

「どうしてそう言い切れるのかは知らないけどさ」

 武蔵は、右手を握りしめた。
指が、少し動かなくなる。
 その感覚に気づき――
武蔵は無言で、腰の袋から干し肉を引きちぎり、噛み切った。

 ぐしゃ、と肉が潰れる音。
 喉が鳴る。
 次の瞬間。

 指先の強張りが、嘘みたいにほどける。
 お蘭はそれを見て、息を止めた。
 武蔵は気づかないふりをして、歩く。

「……おかしいねえ」
 お蘭の声が、少しだけ低くなる。
「治ってるように見えて、
 治さなきゃ崩れる身体になってる」

 武蔵が舌打ちした。
「うるせえ。食えばいいだけだろ」

「その“だけ”が増えてくんじゃないの」

「黙れ」
武蔵は吐き捨てた。

 だが歩幅が、ほんの少しだけ狭い。
 いつもの岩みたいな歩きではない。
微かな“保ち方”が混じっている。

 お蘭はそこで話を戻す。
「で?
 廃村で、どうする?」

「……待つ」

「待つだけ?」

「殿がそう言った」
武蔵の言葉は短い。

 命令を疑う知恵もないわけじゃない。
 ただ疑うより先に“壊す”方へ身体が動く。

 お蘭は笑った。
「ま、あんたらしい」

「黙ってろ」

「でもさ」
お蘭の声が、ふっと冷える。
「殿は“あとで合流する”って言ってたね」

「ああ」

「……館林で何してるんだろうねえ」

「知らねえ」
武蔵はそれだけ言った。

 興味がないのではない。
興味よりも、今の身体の方が厄介だった。

 武蔵は無意識に右肩を押さえた。
 そこに“つなぎ目”の筋がある。
痛みは薄い。
だが、皮膚の下が落ち着かない。

 道の先に、廃村が見え始めた。
 朽ちた屋根。
 崩れた土塀。
 灰を被った井戸。

 家々はあるのに、人の匂いがない。

 武蔵が足を止める。
お蘭が横で息を吸う。
「……ここが、狩り場かい」

 武蔵は答えず、
右腕で大鉞の柄を持ち直した。

 そのとき。
右手の小指が、ぴくりとも動かなくなった。

 武蔵は笑った。
笑いながら、干し肉を噛みちぎる。
 ぱき、と骨のような音がした。
そして、指が動いた。

 お蘭は、その様子を見て――
笑えなかった。

 廃村の奥。
誰もいないはずの家並みの向こうで、
 何かが、かすかに呻いた気がした。

 人の声ではない。
獣でもない。
 それでも――
確かにそこに“いる”匂いだけがした。

ーー小屋

 清十郎は焚き火の残り火を見下ろしていた。

 その視線が、じっと動かない。
金之助は気づく。
額に薄い汗。寒さの汗ではない。

「……清十郎」
金之助が小さく呼ぶ。

 清十郎は一拍遅れて顔を上げた。
表情は整っている。

 だがその目が、一瞬だけ――
焚き火の向こうの“何か”を見たように揺れた。

「大丈夫だ」
短く言って、口元を整える。

 無理をしている。そうするしかない。
金之助には分かった。

 大丈夫ではない。
ただ、“大丈夫にしている”。

 そのとき、遠くから湿った声が風に混じった。

 ――もっと。

 声は小さい。
聞こえたのは金之助だけかもしれない。

 だが、清十郎の眉が僅かに歪んだ。

 清十郎も聞いている。
清十郎はこめかみを押さえかけて、途中でやめた。

 怒りを隠すような動作だった。
焚き火のそばで、斎藤が膝を立てる。

 外の気配を聴くように、戸口の闇へ目をやった。

「廃村まで……どのくらいだ」
斎藤が低く問う。

「馬なら半刻」
吉村が答える。
「歩けば……一刻半。道は荒れているので、もう少しかかるやも」

 忠壽が黙って頷いた。
それが決定だった。

 鉄之介は焚き火の向こうで肩を鳴らす。
鼻で笑ったが、目は笑っていない。
「寝起きで廃村ってのも、ついてねえな」

 忠壽が言った。
「二手に分かれる」

 鉄之介がすぐ顔を上げた。
「は?」

 忠壽は淡々と続ける。
「罠を警戒だが、どちらにしろ敵がいるのは確実だ。
 巫女を連れて全員で突っ込めば、守りきれん」

 お菊が小さく息を呑む。
眠っていたわけではない。
 身体を起こして、ずっと聞いていた。

 金之助は気づく。
お菊の指先が布の下で震えている。

 忠壽はお菊を見た。
「……お菊様。身体は大丈夫ですか」
お菊は頷いた。
 だが、その頷きは強がりだった。

 忠壽は鉄之介へ視線を移す。
「俺と鉄之介が先に徒歩で入る。
 道を見て、村の様子を取る」

 鉄之介が舌打ちする。
文句を言いながらも、もう立っていた。
「勝手に決めんな。……まあいい。行くぞ」

 忠壽が続ける。
「金之助、清十郎は後から来い。
 お菊様を守れ」

 清十郎の目が僅かに動く。
“残れ”という言葉が、内側の何かに触れた。

 苛立ちの火花。
だが清十郎は、それを飲み込んで頷いた。

 吉村が一歩前へ出る。
「馬を回します。……夜が明ける前に追いつけるように」
 それだけ言って、吉村は戸口へ向かった。

 急がない。
だが、手際だけが早い。

 斎藤も頷く。
「俺は残る。……お菊様の護衛だ」

 忠壽が短く言う。
「よし」

 その「よし」で、もう話は終わった。

 忠壽は刀の緒を整え、戸へ向かう。
 鉄之介も大槌を担ぎ直し、半歩遅れてつく。

 戸が軋み、闇が割れる。
鉄之介が、出る直前に振り返った。

 珍しく笑わない目で、金之助を見る。
「……焦って突っ込むなよ。絶対だ」

 金之助は頷いた。
辰の珠が落ち着かない。
「分かった。……気をつけて」

 忠壽は何も言わず、戸を開ける。

 夜の闇が口を開けていた。
鉄之介も続く。
 最後に肩越しに焚き火を一度だけ見た。

 その目が、清十郎を一瞬捉える。
鉄之介は何か言いかけ――

 やめた。
戸が閉まる。

 小屋に残るのは焚き火の音と、
お菊の浅い呼吸と、辰の珠の落ち着かない鼓動と――
 清十郎の胸の奥に潜む、“別の声”だった。

 清十郎は焚き火を見下ろしたまま、小さく息を吐く。
「……大丈夫だ」

 自分に言い聞かせるように呟いた。
 金之助はその声を聞いて、胸が冷えた。
 大丈夫じゃない。
清十郎はまた、“大丈夫にしている”。
 
 焚き火だけが、ぱち、と鳴る。
外の風が灰を運び、板壁を撫でる音が続く。

 その音が、忠壽と鉄之介の足音の代わりみたいに耳に残っていた。

 お菊は横になっている。
眠っているというより――呼吸を整えている。

 斎藤が額へ手を当て、熱を確かめた。
 吉村が湯を少しずつ口に含ませ、喉を潤わせる。

「……大丈夫だ。熱ない。 噴火以来、お菊様は領民のため無理をなさった。
相当に疲れが溜まっているのだろう」
斎藤の声は小さい。

 お菊は目を閉じたまま、わずかに頷いた。
その頷きすら、いまは重い。

 金之助は巾着を胸に押し当て、じっと座っていた。
 辰の鼓動は落ち着かない。
けれど――いま走れば、お菊が崩れる。

 清十郎は焚き火の向こうで黙っている。
目は閉じているのに、眠っていない。
 呼吸の深さが、“耐える者”のそれだった。

 火は一度、弱くなった。
吉村が薪を足し、また火が起きる。
 その繰り返しで、夜が少しずつ削れていく。

 やがて、戸の隙間の闇が薄れた。
 黒が、ほんの少しだけ青に変わる。
 灰の匂いの中に、朝の冷たさが混じり始める。

 お菊の呼吸が、ようやく浅さを抜けた。
斎藤がその肩に布を掛け直し、吉村が荷をまとめる。

 一刻以上経過し、そして――

 清十郎が立ち上がった。
音はほとんどしない。
 だが、小屋の空気が一瞬で締まる。

 金之助も、同じように立ち上がる。
 巾着が胸元で、どくん、と一度だけ強く脈を打った。

「……俺が先に行く。お菊様と斎藤様たちは、ゆっくり来てください」
金之助が言う。

「俺も金之助とともに行く……」
清十郎が短く続ける。

 清十郎は静かに刀を取り、焚き火を一度だけ見た。
 炎の揺れの向こうで、黒い影がちらつく。

 ――もっと。
清十郎は息を止める。

 そして、何でもないように口元を整えた。
「……行くぞ」

 そのときだった。
布の下で、かすかに音がした。

 寝床の上、お菊が――身体を起こした。

 まだ顔色は青い。
指先も震えている。
だが、その目だけは、揺れていなかった。

「……いえ」
声は小さい。
けれど、火の音を割って届いた。

 金之助が思わず振り向く。
お菊は布を押しのけ、膝を立てる。

 斎藤がすぐに手を伸ばした。
「お菊様、ご無理は――」

 お菊は首を振った。
その動きが、いつになくきっぱりしている。

「私も行きます」

 一拍。
お菊は自分の足で立とうとして、ぐらりと揺れた。

 吉村が慌てて支えに入る。
それでも、お菊は視線を逸らさなかった。

「私も……一緒に戦います」

 金之助は言葉を失う。
守るべき人が、守られるだけを拒んでいる。

 斎藤が歯を食いしばる。
止めたい。
 だが止めれば、この人の覚悟を否定することになる。

 清十郎が、焚き火の向こうで静かに見ていた。

 その目が一瞬だけ細くなる。
だが、口は挟まない。

 金之助は、お菊の目を正面から受け止めた。

「……分かりました」
ゆっくり言う。

 拒めないと理解した声だ。
「……でも、絶対に無理はしないでください」

 お菊は頷いた。
その頷きには、強い意思が込められていた。

 金之助はその意志を胸に押し込み、深く一つ息を吐いた。

 外に出ると、空はまだ白みきっていない。
 灰の積もる道が冷たく光っている。

 馬の息が、白く立った。
吉村が手綱を引き、斎藤が最後まで小屋の中の気配を確かめる。

 金之助が鞍へ足をかける。
清十郎も無言で跨る。

 お菊は、斎藤に支えられながらも、自分の足で一歩踏み出した。

 廃村へ。
徒歩で先に入った忠壽たちの背を追う。

 削れた夜の分だけ、遅れは深い。

 それでも――
馬が、その差を、削り取っていく。

第三話 不吉な予感

 忠壽たちは小屋を離れてしばらく、言葉を交わさなかった。
闇はまだ濃い。

 夜明け前の空気は重く、噴火の灰が湿り気を帯びて馬の脚に絡む。
 踏むたびに、ざり、と乾いた音が小さく鳴った。

 先を行く忠壽の背は、いつもより硬い。
鉄之介は大槌を肩に担いだまま、その背をすこし遅れて追う。

 ときどき、遠くで犬が吠える。
しかしその声すら、どこか力がない。
 廃村へ向かう道は、人の気配が消えて久しい。

 街道から外れ、畑だったはずの土地を横切り、崩れかけた用水路を越えるころには、もう足元に家の残骸が混じり始めていた。

 灰に埋もれた屋根瓦。
折れた柱。
朽ちた井戸の縁。

 鉄之介が、ふと口を開いた。
声は、低かった。
「……双子の珠ってよ」

 独り言みたいに言って、忠壽の横顔を窺う。
「ほんとに、あんな“繋がり方”すんのな」

 忠壽は歩幅を変えないまま頷いた。
「見たか。あれが……“真骨頂”かもしれぬ」

「正直、鳥肌立った」
鉄之介が吐き捨てるように言う。
「ただ強えとかじゃねえ。……気持ち悪いくらい、綺麗だった」

 忠壽は一拍置く。
「綺麗…か」

その言葉を噛むようにして続けた。
「だが、綺麗なものほど――裏がある」

鉄之介はすぐに返さない。
いつもの調子なら、「お前らしいな」と笑って終わる。
だが今日は違う。

「……ああ」
鉄之介が短く言う。
「俺も、そう思った」

灰の道を踏む音だけが続く。
しばらくして、鉄之介がまた言った。
「お菊様……」

珍しく、言い方が丁寧だった。
「巫女ってのは、守られるだけの存在じゃねえんだな」

忠壽が目を細める。
「封印のための巫女ではない。……珠の力を引き出す巫女だ」

鉄之介が歯を鳴らす。
「つまり、敵にとっちゃ――奪う価値が一番高い」

「そうだ」
忠壽の返事は速い。

鉄之介は小さく舌打ちした。
「だから佐野は、巫女ごと持っていく算段を組んでる……」

忠壽は歩きながら、わずかに首を振る。
「いや。もっと先だ」

低い声。
「佐野だけではない。あの黒屍人使いの老人……虚舟だったか」

「……あいつな」
鉄之介が眉を寄せる。

忠壽の目が、闇の向こうを睨む。
「術の腕だけで、あれほどの働きはせぬ」

「何が言いてえ?」
鉄之介が聞く。

 忠壽は、はっきり言った。
「他にも器がいる…」

一拍。
「新しい器の用意が、必ずある」

 鉄之介の足が、ほんの僅かに止まりかける。
 だがすぐに歩き直す。

「……本当か」
鉄之介が呟いた。

 忠壽は答えない。
鉄之介が拳を握った。
「清十郎が加わったってのに、まだ心配してんのかよ」

 忠壽は、そこで初めて鉄之介を見た。
「心配に決まっておろう」

 その目が、真面目すぎるほど真面目だった。
「清十郎は強い。だが、強さだけでは万能ではない」

「……」
鉄之介が黙る。

 忠壽は視線を前に戻し、言葉を続ける。
「清十郎の強さは“刃”だ。 鋭い。だが……折れるときは一気に折れる」

 鉄之介が眉をひそめる。
「折れる?」

「……いや」
忠壽はそれ以上は言わず、ただ灰の道を睨んだ。

 鉄之介はその沈黙の意味を追いかけようとしたが、やめた。
 今はそれを掘ると、嫌な予感が形になる。

 代わりに、鉄之介が話題を変える。
「……そういや、お前の耳」

 ぶっきらぼうだが、気遣いが混じる。
「どうなんだ。大丈夫か」

 忠壽は答える前に、少しだけ顎を引いた。
風の音を聞こうとするように。

「……左は、鈍い」
言葉は淡々としている。
「遠い音が、抜ける。……さっきの犬の声も、半分しか聞こえぬ」

 鉄之介が歯を食いしばった。
「……くそ」

 忠壽は歩きながら、薄く笑う。
「斬れるうちは斬る。それだけだ」

 鉄之介は、珍しく返せなかった。
代わりに大槌を担ぎ直し、忠壽の横へ少し寄る。

「……俺が叫ぶ」
鉄之介が言った。
「危ねえときは、俺が先に叫ぶ」

 忠壽の目が一瞬だけ動く。
そして、短く頷いた。
「頼む」
 
 そのやり取りが終わったころ、
道の先に、黒い影が見え始めた。

 家の骨組み。
焼け落ちた梁。
潰れた壁。
廃村だ。

 鉄之介が息を吐く。
「……ここか」
声が自然と低くなる。

 忠壽は答えず、足を止た。
灰の上に膝を落とし、指先で地面を撫でた。
「新しい足跡……」

 忠壽が言う。
「数が多い」

 鉄之介が身構える。
「黒屍人か?」

「分からぬ」
忠壽は指を立て、音を聞こうとする。

 だが――
その瞬間、忠壽の眉が僅かに歪んだ。
 耳の奥に痛みが走ったのか、
ほんの一瞬だけ目を細める。

 鉄之介がすぐに言う。
「無理すんな」

「黙れ」
忠壽が小さく返す。

 だが声は強くない。
忠壽は、村の闇を睨んだ。
 目を細めるのではない。
光の届かぬ場所を、ただ押さえつけるように見る。

「……誘われている」
静かな声だった。

 鉄之介が眉を寄せる。
「何がだ」

 忠壽は答えを急がない。
灰の上に残る足跡。
折れた柵。
崩れた家の影。

 どれもが“荒れた痕”のはずなのに――
妙に整っている。
「ここは……」

 忠壽が吐く。
「人が逃げた場所だ。死んだ場所だ。……なのに、気配が落ち着かぬ」

 鉄之介が小さく舌打ちした。
「落ち着かねえって、そりゃそうだろ。廃村だぞ」

 忠壽は首を振る。
「廃村の闇とは違う」
一拍。
「……“見られている闇”だ」
鉄之介の背中に、冷たいものが這う。
冗談で返せない声だった。

 忠壽は刀の柄に、指を添えたまま続ける。
「誰かが、ここを使おうとしている」

「待っているのか?」
鉄之介が問い返す。

 忠壽は頷かない。
だが、否定もしない。
「……分からぬ」

 忠壽が言う。
「ただ――早めに片をつけねば厄介になる者がいる」

 鉄之介が目を細めた。
「…デカブツと蛇女か」

 忠壽は短く頷く。
「…たぶん、そんなところだ」

 鉄之介が大槌の柄を握り直す。
「……清十郎も金之助もいねえ」
声が低くなる。

 忠壽は、村の奥を見据えたまま言った。
「だから、ここで止める」

「お前と俺で?」
鉄之介の問いに、忠壽はようやく視線をこちらへ移す。

 その目が、硬い。
「俺たちが前に立つ」
忠壽が言う。
「後発が追いつくまで、道を開けて待つ」

 鉄之介は大槌を肩から下ろした。
今日は茶化さない。
やることが分かってしまったからだ。

「……やるしかねえな」
鉄之介が吐き捨てる。

「俺らが、ここで受ける」
忠壽は刀を抜いた。

 刃が闇の中で鈍く光り、灰が薄く張りつく。

その瞬間だった。
村の奥――

 潰れた家の影から、“ぬるり”と女の影が現れた。

 次いで、
石を踏み砕くような足音。
巨大な男が、肩を揺らして出てくる。

 鉄之介が息を止めた。
忠壽の声が落ちる。
「……来たか」

 巨躯の武蔵と妖艶なお蘭が、廃村の入口で二人を見つけ、笑うように口元を歪めた。

「――よう」
武蔵が言う。
「あれ?お前らだけか。 チビと女みてぇな侍はいねぇのか?」

 忠壽が武蔵に目をやったが無言のまま。

「まぁ、お前らだけでも先に来てくれて、助かるぜ」
武蔵が不敵に笑う。

 鉄之介は大槌を構える。
声は、低い。
「……終わらせるぞ」

 忠壽は刃先を僅かに持ち上げた。
目は逸らさない。

「ここで止める」
忠壽が言う。

「後ろには、通さぬ」
闇が、ゆっくりと笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

影武者の天下盗り

井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」 百姓の男が“信長”を演じ続けた。 やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。 貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。 戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。 炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。 家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。 偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。 「俺が、信長だ」 虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。 時は戦国。 貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。 そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。 その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。 歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。 (このドラマは史実を基にしたフィクションです)

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

処理中です...