十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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40 双子の珠の覚醒 

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第十二章 双子の珠の覚醒 

第一話 寅と辰の共鳴

 鉄之介が腕を組んだまま、金之助を見た。
「なあ、金之助」
「辰の珠ってのはよ、他の珠の在処を教えてくれねえのか?」

 金之助は、巾着に触れたまま首を振る。
「……今のところ、何の反応もない」

「寅の珠のときはどうだった」
鉄之介は続ける。
「俺たちを引っ張るみたいに、
 ちゃんと導いたじゃねえか」

「それは……」
金之助は少し考え、正直に言った。
「今回は、まったく違う」

「じゃあ、近くにねえってことか?」

「それも、断言できない」
金之助は苦く笑う。

「反応しない理由が、距離なのか、別の何かなのか……分からない」

 お菊が、静かに言葉を添える。
「珠どうしが呼応するのは事実です」
「ですが、その範囲までは……
 巫女である私にも、読み切れません」

 焚き火の音が、小さく鳴った。
「やっぱり、探すのは現実的じゃないな」
 そう言ったのは、清十郎だった。

 声音は淡々としている。
「時間と労力に対して、
得られるものが不確かすぎます」

 鉄之介が、横目で清十郎を見る。
「……おめえ、
 最初から戦う気で考えてねえか?」

「違います」
清十郎は即座に否定する。
「選択肢を整理しただけです」

 忠壽が、低く頷いた。
「清十郎の考えは、間違っておらぬ」

 全員の視線が集まる。
「相手も、必ずこちらの珠を狙う」
「珠の奪い合いは、
 いずれ命の取り合いになる」

 一拍。
「覚悟を決める段階には、
 もう来ている」

「覚悟なんてよ」
鉄之介が肩をすくめる。
「そんなもん、とっくに出来てるさ」

 虚勢だと分かっていても、
誰も否定しなかった。

 そこで、清十郎が金之助へ向き直る。
「金之助殿」

 金之助が笑顔で応える。
「金之助でいいよ、堅苦しいのは嫌いなんだ」

 清十郎も表情が緩む。
「そうか、じゃあ金之助。……一つ、聞いてもいいか」

「何?」

「なぜ、お前は珠と融合しない。
力は、使えているのだろう?」

「それ、俺も気になってた」
鉄之介が口を挟む。
「適合してるなら、
 とっとと取り込めばいい」

 金之助は、巾着を強く握った。
「……取り込まないんじゃない」
 言葉を選びながら、続ける。
「辰の珠が、
 まだ俺を“器”として認めてない」

「認めてない?」
忠壽が、眉をひそめる。

「清十郎には、寅の珠が……
引き寄せられるみたいに入った」
 金之助は、清十郎を一瞬だけ見る。
「でも、辰の珠は違う」
「俺の中に、
 まだ入れないんだと思う」

「理由は?」

「分からない」
 金之助は首を振る。

「ただ……」
巾着を軽く叩く。
「持ってるだけで、
 熱が出たり、身体がおかしくなる」
「器として、弱いんじゃないかって思ってる」

「年齢か、体力か、
 それとも心の問題か……」

 金之助は、苦笑した。
「正直、どれかも分からない」

 お菊が、ゆっくりと口を開く。
「珠は、器を選びます」
「辰の珠は、特にそうでしょう」

 その声は、静かだが、重い。
「適合しない器には……
 容赦をしない珠です」

 その言葉が、朝の空気をわずかに冷やした。
 金之助は、巾着から手を離さなかった。

 清十郎は、黙ってそれを見ている。

 胸の奥で、寅の珠が、何かを量るように、静かに脈打った。

 焚き火の爆ぜる音が、小さく夜気を押し返した。

 鉄之介が胡坐のまま、顎をしゃくる。
「……しかしよ、金之助」

「おめえ、珠を飲み込んでねえのに――力、使えてるように見えるぞ?」

 金之助は巾着に触れ、戸惑うように目を伏せる。
「……俺にも、よく分からない」

一拍。
「でも……“何か”があるのは感じる。
使えてるかって言われると、自信はないけど」

 忠壽が静かに頷き、言葉を継いだ。
「俺にも、持っているだけで影響を受けているように見えるな。
辰の珠は、それほど強く……器を揺らすのかもしれぬな」

 お菊が、炎の揺れを見つめながら口を開く。
「辰の珠の力は……巫女である私にも詳しく伝わっておりません。
十二の珠の中でも、“丑”と“辰”だけは特に謎の多い珠なのです」

 鉄之介が眉を上げる。
「へえ。巫女でも分かんねえ珠があるってことかよ」

「はい」
お菊は小さく頷く。
「丑は適合しやすい。辰は……適合する器が限られる。
分かっているのは、それくらいなのです」

 鉄之介が急に笑い出した。
「じゃあよ!
適合が難しい辰に“選ばれてる”金之助ってのは、すげえってことじゃねえか!」

 金之助は笑えなかった。
巾着を握る手に、力がこもる。
「……いや、
俺は、まだ選ばれてないのかもしれない」

 その言葉に忠壽が目を細める。
「……ほう。どういう意味だ?」

 金之助は焚き火から目を逸らし、言いづらそうに吐き出した。
「試されてる気がするんだ。
……ずっと」

「試されている……?」
忠壽が首をかしげる。

 金之助は頷いた。
「そうとしか思えない、
この力を、どう使えばいいのか――まるで分からないんだ」

 鉄之介が鼻で笑う。
「分からねえならよ、おめえが使いやすいように使えばいいじゃねえか」

 その雑さに、清十郎が静かに口を挟んだ。
「……金之助」

清十郎は金之助の目をじっと見た。
「お前は、何が得意なのだ」

「え?」
金之助が面食らう。

「得意って……俺は武士でもないし、ただの樵だから……」

 鉄之介がすかさず噛みつく。
「でもよ、おめえ――伊達政宗公を守った忍びの血族なんだろ?
剣術くらい、使えるんじゃねえのか?」

「いや、じいさまに一通りは習った…」
 金之助は正直に言った。
「…でも、実戦がない。
鉄之介みたいな動きは……無理だよ」

「何、弱気なこと言ってんだ」
鉄之介が焚き火に唾を吐く。

「短剣の捌き、見事だったぜ」
清十郎が、その言葉を肯定するように頷いた。
「私も少し見たが…、
筋は良い…だが……」

 そこで清十郎は、ふと目を細めた。
「――あの動きは、短剣向きではない」

「え……?」
金之助が意外そうに言う。
「金之助には…」

 清十郎は脇に置いてあった脇差を取り、おもむろに金之助の前に掲げた。
「これを使ってみるといい」

 金之助が、思わず身を引く。
「……いや、それは……」

 目の前の立派な刀を見て言う。
「その刀…清十郎のだろ。
そんな大事なもの、俺が――」

「大事だからこそだ」
清十郎は淡々と、しかし押しの強い声で言った。

「このくらいの長さの方が、お前の身体と動きに合う。
長い刀では、金之助は持て余す」

 鉄之介が覗き込み、にやりと笑った。
「おお……それ、かなり上物に見えるぞ。
いいじゃねえか、使えよ」

「名刀でも何でもない。ただの刀だ。遠慮するな」
 清十郎は言い切り、金之助の手に脇差を押しつけた。

 無理やり、柄を握らせる。
「これから、共に戦うのだ。
金之助の力がいる」

 金之助の手が震える。
受け取った瞬間、掌の熱がじわりと広がった。
「……でも」

 迷いが残る声を、忠壽が静かに断ち切った。
「刀は武士の魂。
清十郎は、その魂を託すと言っておるのだ、受け取らぬは――むしろ失礼だぞ」

 金之助は息を呑み、脇差を見つめた。
「……いいのか…清十郎」

 清十郎は短く頷く。
「もちろんだ」

 金之助は、ようやく真正面から受け取った。
 握りを確かめるように、一度だけ柄を強く握る。

「ありがとう」
深く頭を下げて、再度清十郎の目を見て言う。
「……大事に使わせてもらう」

 焚き火の光が、刀の刃先を一瞬だけ照らした。
それは、まるで “器を決める儀式”のように見えた。

 金之助は、清十郎から託された脇差を、両手で握った。

 重い。
だが、それ以上に――妙に“馴染む”。
 柄の革の感触が、掌の皮膚の奥へ染みていくようだった。

 そのとき。
巾着の奥で眠る辰の珠が、ふっと息を吹き返す。

 どくん。
心臓の拍よりも深い場所で、何かが脈を打った。

 脇差の鍔が、薄く光を帯びた。
最初は焚き火の反射かと思った。

 けれど違う。
光は刀身ではなく、“柄の内側”から湧いている。

 金之助の指の隙間から、白い筋が漏れはじめた。
「……え?」

 声が喉で途切れた。
光が増していく。

 じわり。
じわりと、熱ではないものが掌から腕へと上がってくる。

 血が逆流するような、ゾクリとした感覚。
 金之助は息を呑んだまま、脇差を見つめる。

 すると――
向かいに座る清十郎の腰の刀も、同じように淡く発光した。

 光が、互いに呼び合うように揺れる。
 まるで、二本の刀が“会話”しているみたいに。

 どくん。
 どくん。

 鼓動のような音が、確かに聞こえた。
 焚き火の爆ぜる音でも、風の音でもない。

 刀が鳴っている。
金之助の脇差と、清十郎の刀が。
 光が二つ、同じ拍で脈を打ち始める。

 そして――光と光のあいだに、薄い筋が生まれた。

 目に見える“線”。
焚き火の煙のように揺らぎながら、空気を裂いて、二つを繋いでいく。

 金之助は、背筋が凍った。
繋がってしまった。
 自分と刀が。
そして――自分と清十郎が。

 周りの空気が変わる。
忠壽が息を止める。
 斎藤も、吉村も、動けない。
お菊は手を口元へ添えたまま、目を見開いていた。

 そして鉄之介が、やっと絞り出すように言う。
「……なんなんだ、これは」

 返事をしたのはお菊だった。
声が震えている。
「双子の珠……。きっと、こういう……」

 一拍。

 お菊は自分でも言葉を探している。
「……由来はそこにあるのかもしれません。でも……どういう意味を持つのか、私にも……分かりません」

 鉄之介が舌打ちした。
「謎の珠ってのは、伊達じゃねえって訳かよ」

 金之助は、喉が渇いて、言葉がうまく出なかった。
 けれど胸の奥では、何かが満ちていく。

 脇差を握っているだけなのに、身体が“太くなる”。
 肺が広がり、骨が強くなり、血が熱くなる。

 まるで――自分が自分ではなくなるみたいに。

「……すごい」
金之助は震える声で言った。
「力を感じる。……みなぎる何かを」

 清十郎の声が、いつもより低い。
静かなのに、どこか危うい。
「私も同じだ。……引っ張られていく。抗えぬほどの力に」

 清十郎が立ち上がる。
焚き火の光と、刀の光が、旅笠の陰を白く塗った。

 清十郎は躊躇なく金之助の前へ膝をつき――
おもむろに、その手を取った。

 金之助の手を。
脇差を握る、その手を。
 その瞬間。

 ――バチンッ!!
乾いた音が、空気を叩き割った。

 光が爆ぜる。
二人の間に張られていた“線”が、一気に太くなり、束になり、奔流になって押し寄せた。
 金之助の目の前が、真っ白になる。

 何かが入ってくる。
頭ではなく、胸でもなく、もっと深い場所へ。

 骨の隙間、臓の裏、魂の底。
そこへ、太い何かが滑り込んでくる。

 痛みはない。
それなのに、息が漏れた。
 声にならない吐息が、喉から勝手にこぼれた。

 力が、快さを伴って侵食してくる。
 金之助は膝が抜けそうになる。
視界が滲み、一瞬、意識が遠のく。

 清十郎もまた、同じ感覚に襲われていた。
 金之助の内側から、自分の内側へ――
“何か”が移ってくる。

 冷たくも熱くもない。
ただ、確かな重さと、甘い痺れ。
 清十郎は眉をひそめながらも、拒まなかった。

 受け止めた。
まるで、それが当然だと言うように。

 光が収まり――
焚き火の音が戻ってきたとき、
 二人の手は、まだ繋がったままだった。

 ぱち、ぱち、と薪が弾ける。
さっきまでの眩さが嘘みたいに、闇がやわらかく戻ってくる。

 金之助は、息の仕方を忘れていたことに気づいて、ようやく空気を吸った。
 胸の奥が熱い。だが嫌な熱ではない。
 体の芯から、何かが満ちてくる。

 清十郎も同じように息を吐いた。
 その吐息は静かで、焚き火の揺れに溶ける。

 ――だが。
清十郎の喉の奥に、ひとつだけ残ったものがあった。
 言葉に出来ない、鈍い刺。
こめかみの内側。
 そこを、細い楔で押されている。

 痛みは小さい。
だが、無視できない。
 清十郎は表情を変えないまま、金之助の手をそっと放した。

 指先が離れた瞬間、焚き火の熱が少し遠くなる。
 金之助はその動きに気づき、慌てて問いかける。
「だ、大丈夫か……?」

 鉄之介も、焚き火の向こう側から身を乗り出した。

 さっきまでの笑いが消え、目だけが真剣になる。
「おい、清十郎。今の……なんだったんだよ」

 忠壽は腕を組み、何も言わない。
 ただ、清十郎の顔の“変化”を見逃さぬように、視線を据えている。

 清十郎は小さく頷きかけ――
そのときだった。
 焚き火の火が、ふっと跳ねた。
跳ねた炎の形が、いびつに揺らいで見えた。

 黒い。
人の形に似ている。
 腕が折れ、首が歪み――
清十郎の視界の端に、灰まみれの影が立った。

 黒屍人。
 臭いまで、戻ってくる。
 湿った土の匂いと、焼けた肉の匂い。

 清十郎の背筋が冷たくなる。
――違う。ここにはいない。
 分かっているのに、影は消えない。
 影が一歩、焚き火の向こうからこちらへ踏み出す。

 清十郎は、反射的に腰の刀へ手を伸ばしかけた。
 その瞬間。
胸の奥から、熱が湧き上がった。

 怒りだ。
 黒屍人への怒り。
 領民を奪ったものへの怒り。
 噴火に焼かれた村への怒り。

 ――当然だ。
そう思った。
だが、その怒りは、すぐ別の方へ曲がった。

 目の前の者たち。

 金之助の声。

 鉄之介の覗き込む顔。

 忠壽の沈黙。

 その全部が――
うっとおしい。

 清十郎は、自分の内側に走ったその感情に、ぞっとする。

 何だ、今の。

 彼らは味方だ。
恩を受けた相手だ。
守るべき者もいる。

 なのに、なぜ。
こめかみが、また鋭く疼いた。

 清十郎は唇を噛む。
奥歯が、ぎり、と鳴る。
 視界の影が、ふっと揺らぎ、焚き火の炎に溶けた。

 黒屍人は消えた。
けれど、残ったものがある。

 理由のない苛立ち。
喉の奥に浮かびかけた、汚い言葉。

 清十郎は首を振った。

 強く。
それで振り払えるようなものではない。

 分かっている。
だが、今はそれしか出来なかった。

 金之助が、一歩だけ近づきかける。
 その足音が、妙に耳に刺さる。
清十郎は、反射的に言いかけた。

 ――寄るな。

 口を開く寸前で、清十郎は自分を止めた。
 その言葉が出れば、もう戻れない気がした。

 清十郎は、焚き火に目を落とし、武士の形で、自分を縛るように息を整える。

「……かたじけない」
声は低い。

 だが荒れてはいない。
清十郎はゆっくりと頭を下げた。

 礼が、心を押し込む楔になる。
「大丈夫だ」
短く言い切り、顔を上げる。

 金之助はほっとしたように、目を細めた。
 鉄之介も、肩の力を少し抜く。
忠壽だけは、まだ何かを測っているように見えた。

 清十郎は、微かに笑うふりをした。
 だが胸の奥で、まだ“火種”が生きている。

 消えたのではない。
沈んだだけだ。
 焚き火の火が、またぱち、と弾けた。

 その音が、どこか――
橙朱の鼓動に似て聞こえた気がして、清十郎は一瞬だけ、目を細める。

 何でもない。
そう言い聞かせながら、清十郎は自分の中の“獣の息遣い”に、耳を澄ませてしまっていた。

 焚き火が、ぱち、とまた弾ける。
 炎が揺れた拍子に、巾着の奥――辰の珠が、わずかに熱を持った。

 金之助が、眉をひそめる。
「……ん」

 指先で巾着を押さえる。

 熱い。
だが、これまでの“焼けるような熱”とは違う。

 痛いほどではない。

 むしろ――不快だ。

 鉄之介が目を細めた。
「どうした」

 金之助はすぐに答えられず、
焚き火から視線を外して、闇の向こうを見た。

 ……遠い。
けれど、遠さの感覚が曖昧だ。
 “距離”ではなく、別のものが押し寄せてくる。

 冷たい濁り。
泥水みたいな、重いもの。
「……分からない」

 金之助は、正直に言った。
「珠の反応っていうより……
 なんか……嫌な感じがする」

 一拍。
その言い方が、子供じみているのを自覚して、金之助は自嘲するように口元を歪めた。
「……すまん。うまく言えない」

 忠壽が焚き火を見つめたまま、低く言う。
「いや。
 お前の感じ方は、たぶん正しい」

 清十郎が、ゆっくり顔を上げた。
 金之助を見ている。
だがそれだけではない。
 金之助の巾着を――さらにその奥のものを測るような目だ。

「辰が……何かを感じているのか」

 金之助は頷きかけて、止めた。
「……辰が、っていうより……
 俺の中に、何かが入ってきてる感じがする」

 一拍。
金之助は手の平を見下ろす。
 さっきまで脇差を握っていた手。
 その掌が、妙に“広く”感じる。
世界の音が、少しだけよく聞こえる。

 遠くの風。
 木の軋み。
 そして――
 “息”のようなもの。

 誰かが、苦しそうに息を吐いている。
 ここじゃない。
 遠いところで。
それがいくつも重なって、
風に混じって届いてくる。

 金之助は喉を鳴らした。
「……声がする」

 鉄之介が眉をひそめた。
「声?」

 そのとき、お菊が顔を上げた。
まるで引き上げられるみたいに。

 斎藤が驚いて身を寄せる。
「お菊様……?」

 お菊は、しばらく息を整えるように胸を押さえた。
 顔色が、焚き火の明かりでも分かるほど青い。

 そして、唇だけを動かす。
「……聞こえます」
 声は小さい。

 けれど、その場の空気を一瞬で冷やす重さがあった。

 鉄之介が思わず身を乗り出す。
「何がだ」

 お菊は目を閉じたまま、ゆっくりと言う。
「……魂の声です」

 一拍。
忠壽の指が、無意識に膝を叩いた。

「魂……?」
お菊は頷く。
「消えていく声……
 削られていく声……
 “まだ死んでいないのに、死んでいく”声がします」

 焚き火が、ぱち、と大きく爆ぜた。
 その音が、まるで何かが折れる音に聞こえた。
 金之助の巾着が、どくん、と鳴った。

 辰の鼓動。
それは、今までのどの熱とも違う。
 “怒っている”みたいだった。
 金之助は思わず巾着を押さえ、立ち上がりかける。

 膝が勝手に前へ出た。
清十郎が、低い声で言った。
「……どこだ」

 お菊は震える指で、ひとつの方角を示した。
 館林の城とは逆。
噴火の灰が積もり、村ごと捨てられた土地。
 人が寄りつかなくなった、死んだ道。
「……廃村の方です」

 その言葉が落ちた瞬間、
清十郎の頭の奥に、また細い楔が打ち込まれた。

 ズキン。
清十郎は眉をひそめる。

 だが今度は、幻覚ではない。
“言葉”が聞こえた。

 ……もっと。
 ……もっと。
誰かが耳元で囁いたような、湿った声。

 清十郎は息を詰め、
その声を振り払うように焚き火を見下ろした。

 だが、視界の端に――
黒い影がちらつく。
 清十郎は、自分の中で湧いた苛立ちに気づく。

 理由のない苛立ち。
そして、それが“廃村”という言葉で膨らんだ。

 ――行けばいい。
 ――斬ればいい。

 胸の奥から、短絡的で暴力的な衝動が湧き上がる。

 清十郎は歯を食いしばった。
その衝動に飲まれないために、言葉を形にして、外へ出す。

「……行こう」
声は静かだった。

 しかし、その静かさが逆に揺れない。
 鉄之介が一瞬だけ目を丸くする。
「おめえ……即決だな」

 清十郎は返さない。
返せば、自分の中の“別の声”が漏れそうだったから。

 忠壽が短く頷いた。
「巫女がそう言うなら、放っておけぬ」

 鉄之介が舌打ちし、立ち上がる。
「……面倒な臭いしかしねえが、
 放っときゃもっと面倒になるってことか」

 金之助は、脇差を見下ろす。
柄が、ほんのわずかに温かい。
 そしてその温かさが、辰の鼓動と同じ拍で脈を打つ。

 ……導かれている。
だが、寅のときとは違う。

 “呼ばれている”のではない。
“奪われている”ものを取り返しに行く感覚だ。

 金之助は、焚き火の向こうを見た。
 そこに村は見えない。
けれど、確かに――
 誰かの息が、苦しそうに聞こえる。

「……行く」
金之助が言うと、お菊が小さく息を吐いた。

「……ありがとうございます」

 斎藤と吉村が、お菊を支えるように立つ。

 お菊はまだ震えているが、その目は逃げていなかった。

 清十郎は、ふっと視線を落とす。
 金之助の手の中の脇差。
そして巾着。

 ――双子の鼓動。
清十郎は、そこでまた一瞬、目の奥に黒い影が差すのを感じた。

 自分が、自分ではなくなる気配。
 だが今は、まだ耐えられる。
清十郎は口元だけを整え、武士らしい形で言う。

「……夜が明けきる前に発つ」

 一拍。

 清十郎は、焚き火の火を見下ろしたまま続けた。
「廃村に何がいるか分からぬ。
 ……だが、“消える声”があるなら、
 それを放ってはおけぬ」

 その言葉に、金之助は小さく頷く。
 そして胸の奥で、辰の珠が――
まるで何かに怒るように、どくん、と強く脈打った。

 “もっと”
 “もっと”

 遠い場所から、
湿った声が風に混じって聞こえた。
 金之助はそれを振り払うように、脇差を握り直す。

 その握りが、昨日よりも深い。
強くなったのではない。

 ――強くならざるを得なくなった。
 廃村の闇が、
こちらへ向けて口を開けている。

 そこに、理由がある。
行かねばならない理由が。
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【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

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