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12.弱い心
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アンネリーゼが目の前でお茶を飲みながら次のケーキを選んでいる。
この一瞬がジークハルトにとってどれほど尊いものか誰にも分からないだろう。
ジークハルトはアンネリーゼからいろいろなことを学んだ。喜びだけじゃない。嫉妬という真っ黒な感情。彼女に見捨てられるのではという不安と恐怖。
アンネリーゼは人に対して間口が広い。噂や見た目や偏見で拒否をしない。自分自身で確かめる。だからといって何でも受け入れる訳ではない。暫く交流をして自分と相容れないと判断すると未練なくあっさりと心から締め出す。ジークハルトは囲い込んで守りたいと思っているが、実は彼女は強い心を持つしっかりものなので一方的に庇護するような存在ではないのだ。むしろジークハルトを守ってくれている。縋り付いているのはきっとジークハルトだ。
アンネリーゼにとって両親は「両親」という名前を持つだけの存在で家族ではない。ディンケル侯爵夫妻はよくある貴族の政略結婚で決して仲が悪い訳ではない。子供のことも愛している。ただ、それはいかにも貴族っぽい方法でだ。使用人や家庭教師をつけ衣食住もちゃんとしている。それで責任はすべて果たしていると思っている。愛情はあるがそれは親が子に与えるそれというよりも、愛玩動物に気ままに与える愛情に近い。
自分たちの与えたいものだけを与え子供達が何を望んでいるのかには興味がない。アンネリーゼやマルティナが何を考えているのか悩んでいるのかを知らない。知ろうとしない。自分が与えたものを幼い我が子が喜ばなければ、なぜかと疑問に思わず不快に感じそれを言葉にして責めてしまうような人だ。
それをアンネリーゼは理解している。彼女にとって本当の家族は姉のマルティナだけだ。ジークハルトは彼女が十五歳になったときに結婚を早めたいと話した。十六歳の成人後すぐにと。だが彼女は頷かなかった。マルティナが幸せになるのを確かめてからではないと嫌だと言った。彼女にとって一番大切な人は姉のマルティナだった。
マルティナには同じ年の縁戚の婚約者がいたが破談になっている。
破談の理由は馬鹿馬鹿しいものだった。ディンケル侯爵夫妻はマルティナに跡継ぎ教育を厳しく施した。一緒に学んだ婚約者は優秀なマルティナを苦手として侯爵夫妻にある提案をした。
「アンネリーゼがこの家を継げばいいのでは」と。
ジークハルトとすでに婚約をしていたが公爵家に嫁ぐのはアンネリーゼには荷が重いだろう。だから公爵家にはマルティナが嫁ぎアンネリーゼが侯爵家を継げばいい。両親は感情を出さないマルティナより可愛いアンネリーゼを手元に置きたいと考えた。その婚約者もマルティナよりアンネリーゼを好いていたらしい。(許し難い!)二人には意思を確かめずに行動した。マルティナとアンネリーゼの気持ちを無視したなんという身勝手なことか。
ディンケル夫妻がその話をしに来た時にジークハルトはキッパリと拒絶した。アロイスもヘルミーナも呆れ怒った。もちろんその話はなくなったが、ディンケル夫妻は断られるとは思っていなかったようでマルティナの婚約をすでに解消していた。
夫妻は再度その婚約者とマルティナを婚約させようとしたが、マルティナが激しく拒否し(当然だ)その話を知ったアンネリーゼに非難されて再婚約は消え、そのまま婚約者がいない状態となった。
そういう過去の経緯があったのでマルティナの婚約者が決まって幸せを見届けるまで結婚できないと言われた。正直なところジークハルトはマルティナに嫉妬したが強引な手段には出れない。
アンネリーゼの意思を無視すれば彼女を失うかもしれない。それを酷く恐れていた。もし彼女が自分のもとを去ってしまったら、きっと息も出来なくなる。世界は真っ黒に塗りつぶされ喜びも幸せも二度と訪れない。マルティナが結婚するまでせいぜい数年待つだけだ、そう自分に言い聞かせた。
マルティナが学園に在学中にオイゲン辺境伯の次男ヴァルターと知り合うことになり、二人は紆余曲折ありながら婚約をした。
ヴァルターとジークハルトは親友だ。彼は学園に入学して第二王子とも気が合い一緒に過ごした。いい奴なのだが武骨で女性の扱いがたぶん下手だ。そのせいでマルティナとすれ違い揉めた時期があった。あの頃のアンネリーゼはヴァルターに姉を任せられないと激怒していた。だから二人が結婚して間違いなく幸せだと感じられるまでは新婚の二人の邪魔をしてでも屋敷にいたいと言い張った。それに両親のことも気にしていた。アンネリーゼには甘いのにマルティナに厳しい二人が結婚したマルティナとヴァルターの邪魔にならないか、水を差すことをしないかを心配していた。ジークハルトはその憂いを晴らすためにヴァルターとアンネリーゼと組んでディンケル侯爵夫妻を領地に隠居させることにした。
アンネリーゼにとって両親は家族ではないので喜んで協力してくれた。そう、彼女のそういうところを密かに恐れていた。切り捨てた相手には情をかけない。もし、自分が同じように愛想を尽かされたらそうやって切り捨てられてしまう。
アンネリーゼはジークハルトのことをすごいと誉め、自分にはもったいないと言ってくれるがそんなことはない。むしろ彼女に相応しくあるためにジークハルトこそ日々努力をしている。彼女を守るために力が欲しい。両親はジークハルトの気持ちを見守り協力してくれた。そのおかげで不穏な輩を排除するだけの権力を持っている。
彼女の一番はマルティナだ。いつか自分が一番になりたいなんて幼稚なことを考えているとは知らないだろう。どれだけ彼女に愛されたくて必死なのか、どれだけ不安なのか。そんな情けない姿は見せられない。
アンネリーゼの笑顔を見ることが出来るなら何でもする。だってジークハルトは知っている。自分はアンネリーゼがいないと幸せになれないがアンネリーゼはジークハルトでなくても自分の力で幸せになれる。もっと彼女に相応しい心の広い男がこの世にいるはずだ。だけど、どうしても彼女を手放したくない。それなら努力するだけだ。
アンネリーゼからは大人の余裕を持った男に見えているかもしれないが(そうであって欲しい)本当の姿は優雅に水面に浮かんでいるふりをしてその下でみっともなく足をバタバタと動かす水鳥のようだ。
「結婚式が待ち遠しいな。早く……君の一番になりたい」
声に出してしまったのは無意識だった。
いつかなれるのだろうか。結婚してもマルティナが一番のままかもしれない。モニカ・ダウム子爵令嬢やカタリーナ・カペル伯爵令嬢と仲良くなってはしゃぐ君を心から良かったと思う。それは本当なのに自分以外に大切な存在が増えていくことが苦しくもある。
こんな狭量な男だと知ったら君は私を嫌いになるのだろうか。感情を持たなかった頃は恐れを知らなかった。今は幸せとともに不安を知っている。失う恐怖と誰もが戦っているのだろうか。それとも自分だけなのか。
先日、祖母が王都に来ると連絡が来た。感情を知ったジークハルトはヒルデカルトが苦手だ。今ならヒルデカルトの幼い頃の自分に対する態度が度を越して異常だと知っているがゆえだ。情けないが自分ではどうすることも出来ない。父親もヒルデカルトが王都に来ることに反対だったがやむを得ない理由があった。その手紙が来たことでナーバスになっていたのか、ふいに弱気な言葉が口を突いて出てしまった。
その小さな呟きが届いてしまったようだ。アンネリーゼが顔を上げジークハルトをじっと見る。きっと今自分は情けない顔をしているだろう。
「何でもないよ」
誤魔化す声は少しだけかすれてしまった。
この一瞬がジークハルトにとってどれほど尊いものか誰にも分からないだろう。
ジークハルトはアンネリーゼからいろいろなことを学んだ。喜びだけじゃない。嫉妬という真っ黒な感情。彼女に見捨てられるのではという不安と恐怖。
アンネリーゼは人に対して間口が広い。噂や見た目や偏見で拒否をしない。自分自身で確かめる。だからといって何でも受け入れる訳ではない。暫く交流をして自分と相容れないと判断すると未練なくあっさりと心から締め出す。ジークハルトは囲い込んで守りたいと思っているが、実は彼女は強い心を持つしっかりものなので一方的に庇護するような存在ではないのだ。むしろジークハルトを守ってくれている。縋り付いているのはきっとジークハルトだ。
アンネリーゼにとって両親は「両親」という名前を持つだけの存在で家族ではない。ディンケル侯爵夫妻はよくある貴族の政略結婚で決して仲が悪い訳ではない。子供のことも愛している。ただ、それはいかにも貴族っぽい方法でだ。使用人や家庭教師をつけ衣食住もちゃんとしている。それで責任はすべて果たしていると思っている。愛情はあるがそれは親が子に与えるそれというよりも、愛玩動物に気ままに与える愛情に近い。
自分たちの与えたいものだけを与え子供達が何を望んでいるのかには興味がない。アンネリーゼやマルティナが何を考えているのか悩んでいるのかを知らない。知ろうとしない。自分が与えたものを幼い我が子が喜ばなければ、なぜかと疑問に思わず不快に感じそれを言葉にして責めてしまうような人だ。
それをアンネリーゼは理解している。彼女にとって本当の家族は姉のマルティナだけだ。ジークハルトは彼女が十五歳になったときに結婚を早めたいと話した。十六歳の成人後すぐにと。だが彼女は頷かなかった。マルティナが幸せになるのを確かめてからではないと嫌だと言った。彼女にとって一番大切な人は姉のマルティナだった。
マルティナには同じ年の縁戚の婚約者がいたが破談になっている。
破談の理由は馬鹿馬鹿しいものだった。ディンケル侯爵夫妻はマルティナに跡継ぎ教育を厳しく施した。一緒に学んだ婚約者は優秀なマルティナを苦手として侯爵夫妻にある提案をした。
「アンネリーゼがこの家を継げばいいのでは」と。
ジークハルトとすでに婚約をしていたが公爵家に嫁ぐのはアンネリーゼには荷が重いだろう。だから公爵家にはマルティナが嫁ぎアンネリーゼが侯爵家を継げばいい。両親は感情を出さないマルティナより可愛いアンネリーゼを手元に置きたいと考えた。その婚約者もマルティナよりアンネリーゼを好いていたらしい。(許し難い!)二人には意思を確かめずに行動した。マルティナとアンネリーゼの気持ちを無視したなんという身勝手なことか。
ディンケル夫妻がその話をしに来た時にジークハルトはキッパリと拒絶した。アロイスもヘルミーナも呆れ怒った。もちろんその話はなくなったが、ディンケル夫妻は断られるとは思っていなかったようでマルティナの婚約をすでに解消していた。
夫妻は再度その婚約者とマルティナを婚約させようとしたが、マルティナが激しく拒否し(当然だ)その話を知ったアンネリーゼに非難されて再婚約は消え、そのまま婚約者がいない状態となった。
そういう過去の経緯があったのでマルティナの婚約者が決まって幸せを見届けるまで結婚できないと言われた。正直なところジークハルトはマルティナに嫉妬したが強引な手段には出れない。
アンネリーゼの意思を無視すれば彼女を失うかもしれない。それを酷く恐れていた。もし彼女が自分のもとを去ってしまったら、きっと息も出来なくなる。世界は真っ黒に塗りつぶされ喜びも幸せも二度と訪れない。マルティナが結婚するまでせいぜい数年待つだけだ、そう自分に言い聞かせた。
マルティナが学園に在学中にオイゲン辺境伯の次男ヴァルターと知り合うことになり、二人は紆余曲折ありながら婚約をした。
ヴァルターとジークハルトは親友だ。彼は学園に入学して第二王子とも気が合い一緒に過ごした。いい奴なのだが武骨で女性の扱いがたぶん下手だ。そのせいでマルティナとすれ違い揉めた時期があった。あの頃のアンネリーゼはヴァルターに姉を任せられないと激怒していた。だから二人が結婚して間違いなく幸せだと感じられるまでは新婚の二人の邪魔をしてでも屋敷にいたいと言い張った。それに両親のことも気にしていた。アンネリーゼには甘いのにマルティナに厳しい二人が結婚したマルティナとヴァルターの邪魔にならないか、水を差すことをしないかを心配していた。ジークハルトはその憂いを晴らすためにヴァルターとアンネリーゼと組んでディンケル侯爵夫妻を領地に隠居させることにした。
アンネリーゼにとって両親は家族ではないので喜んで協力してくれた。そう、彼女のそういうところを密かに恐れていた。切り捨てた相手には情をかけない。もし、自分が同じように愛想を尽かされたらそうやって切り捨てられてしまう。
アンネリーゼはジークハルトのことをすごいと誉め、自分にはもったいないと言ってくれるがそんなことはない。むしろ彼女に相応しくあるためにジークハルトこそ日々努力をしている。彼女を守るために力が欲しい。両親はジークハルトの気持ちを見守り協力してくれた。そのおかげで不穏な輩を排除するだけの権力を持っている。
彼女の一番はマルティナだ。いつか自分が一番になりたいなんて幼稚なことを考えているとは知らないだろう。どれだけ彼女に愛されたくて必死なのか、どれだけ不安なのか。そんな情けない姿は見せられない。
アンネリーゼの笑顔を見ることが出来るなら何でもする。だってジークハルトは知っている。自分はアンネリーゼがいないと幸せになれないがアンネリーゼはジークハルトでなくても自分の力で幸せになれる。もっと彼女に相応しい心の広い男がこの世にいるはずだ。だけど、どうしても彼女を手放したくない。それなら努力するだけだ。
アンネリーゼからは大人の余裕を持った男に見えているかもしれないが(そうであって欲しい)本当の姿は優雅に水面に浮かんでいるふりをしてその下でみっともなく足をバタバタと動かす水鳥のようだ。
「結婚式が待ち遠しいな。早く……君の一番になりたい」
声に出してしまったのは無意識だった。
いつかなれるのだろうか。結婚してもマルティナが一番のままかもしれない。モニカ・ダウム子爵令嬢やカタリーナ・カペル伯爵令嬢と仲良くなってはしゃぐ君を心から良かったと思う。それは本当なのに自分以外に大切な存在が増えていくことが苦しくもある。
こんな狭量な男だと知ったら君は私を嫌いになるのだろうか。感情を持たなかった頃は恐れを知らなかった。今は幸せとともに不安を知っている。失う恐怖と誰もが戦っているのだろうか。それとも自分だけなのか。
先日、祖母が王都に来ると連絡が来た。感情を知ったジークハルトはヒルデカルトが苦手だ。今ならヒルデカルトの幼い頃の自分に対する態度が度を越して異常だと知っているがゆえだ。情けないが自分ではどうすることも出来ない。父親もヒルデカルトが王都に来ることに反対だったがやむを得ない理由があった。その手紙が来たことでナーバスになっていたのか、ふいに弱気な言葉が口を突いて出てしまった。
その小さな呟きが届いてしまったようだ。アンネリーゼが顔を上げジークハルトをじっと見る。きっと今自分は情けない顔をしているだろう。
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誤魔化す声は少しだけかすれてしまった。
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