9 / 51
桜とさくらと桜子と僕
しおりを挟む
桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
毎年一緒に桜を見ようねと、君と約束したから。
桜子の家には庭に一本の大きな桜がある。
桜の時期になると、僕は毎日桜子の家へと通う。
モニターに顔を映して「こんにちは」と言うと、二ヶ所のドアロックが外される。
僕は自転車ごと中へと入り、途中で自転車を置いて庭へと回り込む。
ウッドデッキにはもう、ワンピース姿の桜子が腰掛けていて、その横には桜葉茶が二人分置かれている。
この香りを嗅ぐと、春が来たんだなと改めて実感する。
「大丈夫なのか?」
僕が尋ねると、桜子は黙ったまま頷く。
そういうことじゃないんだけどな……僕は桜子の隣に座り、咲き始めたばかりの今年の桜を静かに眺める。
桜子がそっと僕の手に、その手を重ねる。
やっぱり。
僕の手の甲には肉球の感触。
桜子じゃない。「桜子」か。
「またさくらにお願いしたのか」
僕は「桜子」の頭を優しく撫でると、靴を脱いで家へと上がり込んだ。
除菌室を経由して、桜子の居る部屋へ。「桜子」も一緒についてくる。
除菌室での「桜子」の表情は、なんともいえない猫らしさが出てて、僕は密かに気に入っている。
「桜子、来たよ」
まるで病院内の特別個室のような部屋の中央、大きなベッドの中央で、寝間着のままの桜子は申し訳なさそうに微笑んだ。
僕は椅子をベッドの横につけて座り、桜子の正面にある吊り下げモニターを一緒に眺める。
そこには庭の桜が大きく映し出されている。
『ごめんね。さくらにお願いすると、風を感じられるの。』
モニターにゆっくりと表示される桜子の言葉。
「でも、代償があるだろ?」
『採血なら毎日してるし。』
そうじゃなくて、と言いそうになるのをぐっと堪える。
そんなこと、桜子だってわかってる。
それを指摘したところでどうにもならないし、桜子と一緒に居られる貴重な時間を下らないケンカなんかで消費したくなんかないし。
「心配なだけだよ」
僕は消毒済みの手で、桜子の頭を優しく撫でた。
すると「桜子」から猫の姿に戻ったさくらが僕の膝にとんと飛び乗り「わたしも」と鳴く。
僕は残りの手でさくらの頭も撫でながら、二人と一匹で桜を眺めた。
さくらが「桜子」に化けるには、桜子の血を舐める必要がある。
「桜子」の五感は、桜子につながっているらしく、肉球をつないでも、猫耳を撫でても、桜子はそれを感じられるという。
さくらが何歳なのかは誰も知らず、少なくともさくらのお祖母さんが物心ついたときにはもう居たらしい。
昔は、桜子の体調がいいときはウッドデッキまで出てきて、よく一緒に眺めた庭の桜。
でもここ何年かは、部屋の外で見る桜子はいつだって「桜子」だった。
桜子の薬の時間が来て、僕は帰ることにする。
「また明日」
桜子に手を振って部屋を出ると、さくらが猫の姿のままウッドデッキまで見送りに来てくれた。
その日はいつもと違った。
僕が庭へ回り込むと、桜子が寝間着のままウッドデッキのベンチに腰掛けていた。
駆け寄って隣に座ると、桜子は僕の腕の中へ倒れるようにもたれかかった。
匂いが「桜子」じゃなく桜子だった。
「だ、大丈夫なのか?」
桜子は静かに頷く……ように見せかけて、僕に唇を重ねた。
桜子の弱々しい手も僕の手に重なる。
人の手、人の温もり。
僕は空いている方の手で桜子を抱きしめた。
喜びよりも心配の方が大きくて、自分の手が震えているのがわかる。
桜子はその手にも自分の手を重ねて、しがみつくように握りしめる……その手から次第に力が抜けてゆく。
僕は看護師の加賀さんを呼んだ。
そのあと、ぐったりとした桜子を加賀さんと一緒に桜子の部屋へと運んだ。
すぐに桜子のお祖父さんとお母さんとが駆けつけてきたけれど、その晩はなんとか持ち直した。
本当はその場に僕なんかが一緒に居るのはおかしいんだけど、桜子が望んだから、僕も一緒に泊まった。
一晩中、桜子の手を握っていた。
握りしめ過ぎないように、でも隙間ができないように、指がこわばるくらいに、大切に。
翌日は少し落ち着いて、会話ができるまでに回復した。
昨晩の桜子のお母さんの言葉が耳に残っている。
「どうして無理したの? 無理しなければ、来年もまた桜を見れるかもしれないのに」
その時はあえて聞き流したけど、そんなに悪くなっていたのかと愕然とした。
僕が桜子を治療できるようになるまで、いや医者なるまでですら、待てないのだという事実を、僕はどうにも受け止めきれずにいた。
『知ってる?』
桜子がモニターに言葉を記した。
僕が桜子の目を見ると、また文字が表示される。
『桜の花ってさ、毎年咲くって思ってるでしょ?』
『でも違うの。』
『咲いてる花は、毎年違うの。』
『一度咲いた桜にはね、来年なんてないの。』
「うん」
僕は言葉を探す。
『私の十六歳の春は、もう二度と戻らないの。』
桜子の壊れそうな手を、僕は優しく握り続ける。
『それよりね、今、という時間を一緒に過ごしたかったの。』
『約束したよね。でも一緒に、本当の桜を見れたから。』
「びれだね」
「見れたね」と言ったつもりだったのに、僕の口から出てきた言葉は濁点まみれだった。
『約束はもう果たしてくれたよ。だから』
その先の言葉を見たくなくて、僕は桜子の瞳にキスをした。
今は呼吸器を着けている唇。
さっき交わした口付けと同じくらい桜子の瞳は暖かくて、柔らかくて、そして二人の涙の味がした。
僕が再びモニターに目を向けたとき、書かれている内容はクリアされ、代わりにただ一言。
『さくらは私より長生きだから、お願いね』
僕は精いっぱいの笑顔を作って、頷いた。
桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
毎年一緒に桜を見ようねと、君と約束したから。
桜の時期になったから、僕は桜子の家へと向かう。
モニターに顔を映して「こんにちは」と言うと、二ヶ所のドアロックが外される。
僕が自転車ごと中へと入ると、そこにはマウンテンバイクを準備した桜子が待っていた。
二人で手をつなぎ、庭の桜の前へ行く。
さくらのお墓の前でしゃがんで手を合わせると、今でもさくらの声が聞こえてくる。
「わたしはもう十分生きたから、わたしの命を桜子にあげる。だから桜が咲いたら、わたしのことも思い出してね」
お墓のてっぺんを優しく撫でてから、桜を見上げる。
「今年もまた、皆で一緒に桜を見れたね」
僕は立ち上がり、桜子と手をつなぎ、もう片方の手でさくらの遺骨の入ったペンダントを優しく握りしめた。
桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
<終>
化け猫
毎年一緒に桜を見ようねと、君と約束したから。
桜子の家には庭に一本の大きな桜がある。
桜の時期になると、僕は毎日桜子の家へと通う。
モニターに顔を映して「こんにちは」と言うと、二ヶ所のドアロックが外される。
僕は自転車ごと中へと入り、途中で自転車を置いて庭へと回り込む。
ウッドデッキにはもう、ワンピース姿の桜子が腰掛けていて、その横には桜葉茶が二人分置かれている。
この香りを嗅ぐと、春が来たんだなと改めて実感する。
「大丈夫なのか?」
僕が尋ねると、桜子は黙ったまま頷く。
そういうことじゃないんだけどな……僕は桜子の隣に座り、咲き始めたばかりの今年の桜を静かに眺める。
桜子がそっと僕の手に、その手を重ねる。
やっぱり。
僕の手の甲には肉球の感触。
桜子じゃない。「桜子」か。
「またさくらにお願いしたのか」
僕は「桜子」の頭を優しく撫でると、靴を脱いで家へと上がり込んだ。
除菌室を経由して、桜子の居る部屋へ。「桜子」も一緒についてくる。
除菌室での「桜子」の表情は、なんともいえない猫らしさが出てて、僕は密かに気に入っている。
「桜子、来たよ」
まるで病院内の特別個室のような部屋の中央、大きなベッドの中央で、寝間着のままの桜子は申し訳なさそうに微笑んだ。
僕は椅子をベッドの横につけて座り、桜子の正面にある吊り下げモニターを一緒に眺める。
そこには庭の桜が大きく映し出されている。
『ごめんね。さくらにお願いすると、風を感じられるの。』
モニターにゆっくりと表示される桜子の言葉。
「でも、代償があるだろ?」
『採血なら毎日してるし。』
そうじゃなくて、と言いそうになるのをぐっと堪える。
そんなこと、桜子だってわかってる。
それを指摘したところでどうにもならないし、桜子と一緒に居られる貴重な時間を下らないケンカなんかで消費したくなんかないし。
「心配なだけだよ」
僕は消毒済みの手で、桜子の頭を優しく撫でた。
すると「桜子」から猫の姿に戻ったさくらが僕の膝にとんと飛び乗り「わたしも」と鳴く。
僕は残りの手でさくらの頭も撫でながら、二人と一匹で桜を眺めた。
さくらが「桜子」に化けるには、桜子の血を舐める必要がある。
「桜子」の五感は、桜子につながっているらしく、肉球をつないでも、猫耳を撫でても、桜子はそれを感じられるという。
さくらが何歳なのかは誰も知らず、少なくともさくらのお祖母さんが物心ついたときにはもう居たらしい。
昔は、桜子の体調がいいときはウッドデッキまで出てきて、よく一緒に眺めた庭の桜。
でもここ何年かは、部屋の外で見る桜子はいつだって「桜子」だった。
桜子の薬の時間が来て、僕は帰ることにする。
「また明日」
桜子に手を振って部屋を出ると、さくらが猫の姿のままウッドデッキまで見送りに来てくれた。
その日はいつもと違った。
僕が庭へ回り込むと、桜子が寝間着のままウッドデッキのベンチに腰掛けていた。
駆け寄って隣に座ると、桜子は僕の腕の中へ倒れるようにもたれかかった。
匂いが「桜子」じゃなく桜子だった。
「だ、大丈夫なのか?」
桜子は静かに頷く……ように見せかけて、僕に唇を重ねた。
桜子の弱々しい手も僕の手に重なる。
人の手、人の温もり。
僕は空いている方の手で桜子を抱きしめた。
喜びよりも心配の方が大きくて、自分の手が震えているのがわかる。
桜子はその手にも自分の手を重ねて、しがみつくように握りしめる……その手から次第に力が抜けてゆく。
僕は看護師の加賀さんを呼んだ。
そのあと、ぐったりとした桜子を加賀さんと一緒に桜子の部屋へと運んだ。
すぐに桜子のお祖父さんとお母さんとが駆けつけてきたけれど、その晩はなんとか持ち直した。
本当はその場に僕なんかが一緒に居るのはおかしいんだけど、桜子が望んだから、僕も一緒に泊まった。
一晩中、桜子の手を握っていた。
握りしめ過ぎないように、でも隙間ができないように、指がこわばるくらいに、大切に。
翌日は少し落ち着いて、会話ができるまでに回復した。
昨晩の桜子のお母さんの言葉が耳に残っている。
「どうして無理したの? 無理しなければ、来年もまた桜を見れるかもしれないのに」
その時はあえて聞き流したけど、そんなに悪くなっていたのかと愕然とした。
僕が桜子を治療できるようになるまで、いや医者なるまでですら、待てないのだという事実を、僕はどうにも受け止めきれずにいた。
『知ってる?』
桜子がモニターに言葉を記した。
僕が桜子の目を見ると、また文字が表示される。
『桜の花ってさ、毎年咲くって思ってるでしょ?』
『でも違うの。』
『咲いてる花は、毎年違うの。』
『一度咲いた桜にはね、来年なんてないの。』
「うん」
僕は言葉を探す。
『私の十六歳の春は、もう二度と戻らないの。』
桜子の壊れそうな手を、僕は優しく握り続ける。
『それよりね、今、という時間を一緒に過ごしたかったの。』
『約束したよね。でも一緒に、本当の桜を見れたから。』
「びれだね」
「見れたね」と言ったつもりだったのに、僕の口から出てきた言葉は濁点まみれだった。
『約束はもう果たしてくれたよ。だから』
その先の言葉を見たくなくて、僕は桜子の瞳にキスをした。
今は呼吸器を着けている唇。
さっき交わした口付けと同じくらい桜子の瞳は暖かくて、柔らかくて、そして二人の涙の味がした。
僕が再びモニターに目を向けたとき、書かれている内容はクリアされ、代わりにただ一言。
『さくらは私より長生きだから、お願いね』
僕は精いっぱいの笑顔を作って、頷いた。
桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
毎年一緒に桜を見ようねと、君と約束したから。
桜の時期になったから、僕は桜子の家へと向かう。
モニターに顔を映して「こんにちは」と言うと、二ヶ所のドアロックが外される。
僕が自転車ごと中へと入ると、そこにはマウンテンバイクを準備した桜子が待っていた。
二人で手をつなぎ、庭の桜の前へ行く。
さくらのお墓の前でしゃがんで手を合わせると、今でもさくらの声が聞こえてくる。
「わたしはもう十分生きたから、わたしの命を桜子にあげる。だから桜が咲いたら、わたしのことも思い出してね」
お墓のてっぺんを優しく撫でてから、桜を見上げる。
「今年もまた、皆で一緒に桜を見れたね」
僕は立ち上がり、桜子と手をつなぎ、もう片方の手でさくらの遺骨の入ったペンダントを優しく握りしめた。
桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
<終>
化け猫
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる