妖怪奇譚【一話完結短編集】

だんぞう

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桜とさくらと桜子と僕

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 桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
 毎年一緒に桜を見ようねと、君と約束したから。



 桜子の家には庭に一本の大きな桜がある。
 桜の時期になると、僕は毎日桜子の家へと通う。
 モニターに顔を映して「こんにちは」と言うと、二ヶ所のドアロックが外される。
 僕は自転車ごと中へと入り、途中で自転車を置いて庭へと回り込む。

 ウッドデッキにはもう、ワンピース姿の桜子が腰掛けていて、その横には桜葉茶が二人分置かれている。
 この香りを嗅ぐと、春が来たんだなと改めて実感する。

「大丈夫なのか?」

 僕が尋ねると、桜子は黙ったまま頷く。
 そういうことじゃないんだけどな……僕は桜子の隣に座り、咲き始めたばかりの今年の桜を静かに眺める。
 桜子がそっと僕の手に、その手を重ねる。

 やっぱり。
 僕の手の甲には肉球の感触。
 桜子じゃない。「桜子さくら」か。

「またさくらにお願いしたのか」

 僕は「桜子さくら」の頭を優しく撫でると、靴を脱いで家へと上がり込んだ。
 除菌室を経由して、桜子の居る部屋へ。「桜子さくら」も一緒についてくる。
 除菌室での「桜子さくら」の表情は、なんともいえない猫らしさが出てて、僕は密かに気に入っている。

「桜子、来たよ」

 まるで病院内の特別個室のような部屋の中央、大きなベッドの中央で、寝間着のままの桜子は申し訳なさそうに微笑んだ。

 僕は椅子をベッドの横につけて座り、桜子の正面にある吊り下げモニターを一緒に眺める。
 そこには庭の桜が大きく映し出されている。

『ごめんね。さくらにお願いすると、風を感じられるの。』

 モニターにゆっくりと表示される桜子の言葉。

「でも、代償があるだろ?」

『採血なら毎日してるし。』

 そうじゃなくて、と言いそうになるのをぐっと堪える。
 そんなこと、桜子だってわかってる。
 それを指摘したところでどうにもならないし、桜子と一緒に居られる貴重な時間を下らないケンカなんかで消費したくなんかないし。

「心配なだけだよ」

 僕は消毒済みの手で、桜子の頭を優しく撫でた。
 すると「桜子さくら」から猫の姿に戻ったさくらが僕の膝にとんと飛び乗り「わたしも」と鳴く。
 僕は残りの手でさくらの頭も撫でながら、二人と一匹で桜を眺めた。

 さくらが「桜子さくら」に化けるには、桜子の血を舐める必要がある。
 「桜子さくら」の五感は、桜子につながっているらしく、肉球をつないでも、猫耳を撫でても、桜子はそれを感じられるという。
 さくらが何歳なのかは誰も知らず、少なくともさくらのお祖母さんが物心ついたときにはもう居たらしい。

 昔は、桜子の体調がいいときはウッドデッキまで出てきて、よく一緒に眺めた庭の桜。
 でもここ何年かは、部屋の外で見る桜子はいつだって「桜子さくら」だった。

 桜子の薬の時間が来て、僕は帰ることにする。

「また明日」

 桜子に手を振って部屋を出ると、さくらが猫の姿のままウッドデッキまで見送りに来てくれた。



 その日はいつもと違った。
 僕が庭へ回り込むと、桜子が寝間着のままウッドデッキのベンチに腰掛けていた。
 駆け寄って隣に座ると、桜子は僕の腕の中へ倒れるようにもたれかかった。
 匂いが「桜子さくら」じゃなく桜子だった。

「だ、大丈夫なのか?」

 桜子は静かに頷く……ように見せかけて、僕に唇を重ねた。
 桜子の弱々しい手も僕の手に重なる。
 人の手、人の温もり。
 僕は空いている方の手で桜子を抱きしめた。

 喜びよりも心配の方が大きくて、自分の手が震えているのがわかる。
 桜子はその手にも自分の手を重ねて、しがみつくように握りしめる……その手から次第に力が抜けてゆく。
 僕は看護師の加賀さんを呼んだ。

 そのあと、ぐったりとした桜子を加賀さんと一緒に桜子の部屋へと運んだ。
 すぐに桜子のお祖父さんとお母さんとが駆けつけてきたけれど、その晩はなんとか持ち直した。

 本当はその場に僕なんかが一緒に居るのはおかしいんだけど、桜子が望んだから、僕も一緒に泊まった。
 一晩中、桜子の手を握っていた。
 握りしめ過ぎないように、でも隙間ができないように、指がこわばるくらいに、大切に。



 翌日は少し落ち着いて、会話ができるまでに回復した。
 昨晩の桜子のお母さんの言葉が耳に残っている。

「どうして無理したの? 無理しなければ、来年もまた桜を見れるかもしれないのに」

 その時はあえて聞き流したけど、そんなに悪くなっていたのかと愕然とした。
 僕が桜子を治療できるようになるまで、いや医者なるまでですら、待てないのだという事実を、僕はどうにも受け止めきれずにいた。

『知ってる?』

 桜子がモニターに言葉を記した。
 僕が桜子の目を見ると、また文字が表示される。

『桜の花ってさ、毎年咲くって思ってるでしょ?』
『でも違うの。』
『咲いてる花は、毎年違うの。』
『一度咲いた桜にはね、来年なんてないの。』

「うん」

 僕は言葉を探す。

『私の十六歳の春は、もう二度と戻らないの。』

 桜子の壊れそうな手を、僕は優しく握り続ける。

『それよりね、今、という時間を一緒に過ごしたかったの。』
『約束したよね。でも一緒に、本当の桜を見れたから。』

「びれだね」

 「見れたね」と言ったつもりだったのに、僕の口から出てきた言葉は濁点まみれだった。

『約束はもう果たしてくれたよ。だから』

 その先の言葉を見たくなくて、僕は桜子の瞳にキスをした。
 今は呼吸器を着けている唇。
 さっき交わした口付けと同じくらい桜子の瞳は暖かくて、柔らかくて、そして二人の涙の味がした。

 僕が再びモニターに目を向けたとき、書かれている内容はクリアされ、代わりにただ一言。

『さくらは私より長生きだから、お願いね』

 僕は精いっぱいの笑顔を作って、頷いた。



 桜の季節は、胸がぎゅっとなる。
 毎年一緒に桜を見ようねと、君と約束したから。

 桜の時期になったから、僕は桜子の家へと向かう。
 モニターに顔を映して「こんにちは」と言うと、二ヶ所のドアロックが外される。
 僕が自転車ごと中へと入ると、そこにはマウンテンバイクを準備した桜子が待っていた。

 二人で手をつなぎ、庭の桜の前へ行く。
 さくらのお墓の前でしゃがんで手を合わせると、今でもさくらの声が聞こえてくる。

「わたしはもう十分生きたから、わたしの命を桜子にあげる。だから桜が咲いたら、わたしのことも思い出してね」

 お墓のてっぺんを優しく撫でてから、桜を見上げる。

「今年もまた、皆で一緒に桜を見れたね」

 僕は立ち上がり、桜子と手をつなぎ、もう片方の手でさくらの遺骨の入ったペンダントを優しく握りしめた。
 桜の季節は、胸がぎゅっとなる。



<終>

化け猫
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