【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第8章 蔓延

12 浦安の絶望

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 バサッと、腕の中に倒れてきた。銃弾を全て飲み込んだ身体はボロボロなのに、その顔は優しく笑っている。

「俺さ、お前のこと、ずっと、好きだった」

 バカ、遅いのよ。

「あなしもね、あんたの口を、ずっとふさぎたいと思ってた。あ、いい意味でよ、いい意味で。あんたの口をあたしの口で塞いで、それからあんたを裸にして、それから、それから…」

 ポタポタと、男の顔に赤い液が垂れる。男は頬を緩ませ、血に染まった手で女の頬を撫でる。

「うん、それは、いい、意味だ……」

 パタッと、男の手が落ちる。フッと、命の抜ける音がする。優しい笑みだけが、女の手許に残った。

 女の視界が真っ赤に染まる。と同時に、ギュンと、意識が高みに昇る感覚。暗紅色の空のあちこちから、真っ黒い触手が伸びてきて、女の意識に繋がっていく。

(ああ、あたし今、猛烈にお腹がすいてる)

 激しい飢餓感に襲われ、意識を地上に戻す。真っ赤な世界を見渡すと、目の前にキラキラ光る美味しそうな果物がある。たくさん、たくさん。果物たちはブルブルと震えて今にも逃げ出しそうだが、一匹も逃さない。女が目に力を込めると、その果物たちは魅入られるように動けなくなる。女は余すこと無く全てを視界に収めながらヌルヌルと首を伸ばし、まずは手前の果実のくびれた部分に噛み付く。口の中に甘美な果汁が広がっていく。恍惚とした表情でむしゃぶりつき、堪能したら次の果実へと首を伸ばす。次…また次…と、女は足ることを知らず、延々と首を伸ばし続け、やがてブチンと、煩わしい胴体を切り離した。







 何やら喧騒が聞こえるようだが、境内にいる浦安うらやすからは確認の仕様が無い。

『何があった!?弓削ゆげ!報告しろ!』

 インカムを飛ばすが、少し待っても応答は無かった。嫌な予感が浦安の頭を掠める。やはり自分が行けばよかったと後悔の念が頭をもたげた時、ガガッとインカムが鳴った。

『あ、こちら、番場ばんば、です。南の方から発砲音がして、それで、さっき岩永いわなが課長が様子を見に行かれました。弓削班長も遠藤えんどう班長も橋爪はしづめ班長も、まだこっちには帰って来られてません』

 門前で待機していると思われる番場の報告に、浦安は苛立った。持ち場を代わってもらおうにも、班長が誰もいないのでは動けない。久遠寺くおんじの警護の捜査員だけでインカムの周波数を合わせていたので、岩永にはさっきのやり取りは聞こえていない。浦安は仕方なく携帯を取り出し、岩永に電話をかけた。かなりのコールの後、岩永がやっと出る。

「そっちの状況はどうなってる?南側の発砲音はどういうことだ?」

 すかさず聞くが、岩永からは何も言わない。だが耳をこらすと、うわあとかぎゃあとか悲鳴のようなものが聞こえている。

「おい!岩永!どうなってる!答えろ!」

 また耳をこらすが、応答がない。と、微かに息使いの音が漏れている。携帯を耳に押しあてて聞いていると、うふふふ、と、女の含み笑いする声が聞こえた。

「誰だ!?岩永じゃないな?」

 うふふふ、あははは、いひひひ、と含み笑いは哄笑に変わり、やがて笑い声の主は、「係長」と言った。

「誰だ?弓削か?そこにいるのは弓削なのか?」
「あらあ、弓削班長じゃありませーん。ざーんねんでした。あなたの可愛い可愛い弓削さんは今、機動隊員たちを次々に血祭りにあげてるところですよぉ」

 浦安の携帯を持つ手の毛穴が湧き立つ。女の声には聞き覚えがあった。

「お前は…酒井田さかいだか?そこで何してる?何でお前が岩永の携帯を持ってるんだ?」

 電話の相手はそこでまた哄笑する。黒板を爪で引っ掻いたような、不快な笑い声だった。

「何をしてるって?そりゃあ、寺を攻めてるんですよぉ。あたしたちが寺の中に入れるようにね、寺の四方を穢していってるんですぅ。北は工場爆破でとっくに穢れてて、西と南は今完了しましたからね、あとは東だけ。もうすぐそこに行きますからね~係長、そこで大人しく待ってて下さあーい!」

 携帯からけたたましい笑い声が上がるとともに、門のすぐ外から悲鳴が飛び込んでくる。浦安はお焚き上げ供養がしっかり進行しているのを確認し、東門に駆け寄って外を見た。そしてそこで信じられない光景を見る。機動隊員たちが次々と首から血しぶきを上げている。何か黒くて丸いものが機動隊員たちの間を飛び回り、その物体に首元を噛みつかれているのだ。その丸い物体をよく見ると…顔だ。血走った目に、口元からダラダラと血を滴らせている。おそらくあれは飛頭蛮ひとうばんという化け物だろう、顔が飛び回って機動隊員たちを襲っているのだ。

 その飛頭蛮はまるでスイカ畑に入って次々とスイカにかぶりつく野獣のように、機動隊員たちを襲っていった。だがその視線はあちこちに散っている。なぜ機動隊員たちは微動だにしないでむざむざと自らの首を晒すのかと視界を広めた東の先に、異様な妖気を感じた。見てはいけない、咄嗟にそう判断して目を反らす。

「あら~あ、係長、目を逸らさないで、こっち見てえ~!係長ってば、いーっつも弓削班長のことばっかし可愛がるんですもん、あたしぃ、ずっと妬いてたんですよぉ?たまにはあたしのことも見て下さいよ~お」

 甘ったるい声に、顔をしかめた。酒井田は寺へと続く東からの道の十メートルほど先にいる。西壁でのトレンチ男のやり方が思い起こされた。やつは離れた位置から視界を広め、中に収まった人間をすくませて動きを止めていた。おそらくその拘束力はろくろっ首や飛頭蛮よりも強力だ。すなわち、トレンチ男はやつらの上位互換である将門まさかどの影武者だったのだ。今、酒井田はトレンチ男と同じ力を発揮している。ということは、酒井田も将門の影武者の一人ということなのか?…だとしたらやつらはいつからこんな計画を練っていたのだろう?自分の知る限り、酒井田は知り合った時からずっとあの奔放な性格だった。

「そうそう、注目ー!みんな、注目!マコトさんもほら、注目ー!」

 酒井田と同じ方向から岩永いわながの声がする。岩永も敵の手に堕ちたのか?ジリジリと視線を上げ、赤いヒールを履いた女の足を捉える。こんな現場にあんな靴を履いて来るのは酒井田しかおらず、その足の隣には茶色い革靴が並んでいる。岩永の靴だ。岩永は酒井田と付き合っていた。その線から考えて、岩永はすでに懐柔されてしまっていたのか?そしておそらく機動隊員たちは岩永の声に従って酒井田の方を向き、その目に拘束された。トレンチ男が事切れる前に叫んでいた内容を思い出す。やつは誰かに後のことを頼むような断末魔をあげていた。その相手は、酒井田だったのだ。最悪の事態に思い当たった時、また酒井田の甘ったるい声が飛ぶ。

「ほらほらあ、番場のおじいちゃんもそんなとこでぼぉ~っとしてないで手伝ってよぉ。おじいちゃんもあたしの若い身体を堪能したでしょ?あんたみたいなおじいちゃんに前払いしてやったんだからさ、ちゃんと働いてよね~!ほら、係長をこっちに向かせてよ、早くぅ!」

 すかさず番場の姿を視界に入れる。彼は機動隊員の中に混じっておろおろしていたが、その目からはすでに流血させている。そして酒井田の声に呼応するようにブルブルと身体を震わせると、首をヌルヌルと伸ばし始めた。きっと岩永もこれと同じ手口でやられたのだ、酒井田の暗躍によって、内側から崩壊することはずっと前から仕組まれていたのだ。西で襲われた時は自分の計画の甘さを呪ったが、人数がいても結果は同じだった。力の差があり過ぎる。それに加えて、やつらは周到に準備して来ている。敵わぬ戦いだったのだ。だが……!

(俺は簡単には殺られない!例え最後の一人となっても、みんなのかたきは俺が取る!)

 三、ニ、とカウントし、サッと酒井田に銃を向ける。が、岩永がその前に立ち塞がった。岩永の首も、ウネウネと長く伸びていた。そうこうするうちに番場が迫ってくる。ウウウと低く呻きながら、前に伸ばした手が浦安に届きそうな位置まで来ていた。

(番場さん、すまん!許してくれ!)

 銃音を轟かせ、番場の眉間に一発入れる。番場はギャッと奇声を上げ、後方に仰向けに倒れた。浦安は次に機動隊員たちの間を飛び回っている飛頭蛮を狙う。その頭だけの物体にフォーカスした時、寺の街灯に照らされたその顔立ちを見る。浦安に戦慄が走る。

「ま…さか…弓削…なのか?弓削まで、モノノケになってしまったのか!?」
 
 浦安の声に気づいた飛頭蛮が浦安に向かってくる。だが浦安は力なく銃を下ろし、脱力した。


(全…滅……なのか……)


 ガクンと膝を折り、門の下で正座する格好になった。目の前の惨劇を眺める。この門で弁慶のように立ち塞がり、一体たりとも通すものかと思っていた気概はもはや砕け散った。頭だけになった弓削がこちらにゆらゆらと飛んでくる。狂犬病の獣のように目を血走らせ、ダラダラと血を垂らすその顔には弓削の凛々しかった面影は無い。目を瞑り、ジワっと湧いた涙が目の下の窪みに溜まる。娘のように思ってきた弓削に殺られるなら本望だと思う。心残りは、妻の君枝きみえだ。だが自分たちには息子がいる。彼がきっと、妻と一緒に住んでくれるだろう。

(すまん、君枝、俺は先に逝ってる)

 ぐっと拳を握り、膝に押しあてながらその時を待つ。すると、目の前でバシッと何かが弾けた音がする。肩を誰かに掴まれる。

「おっさん、諦めるのは早いぜ。だがここまでよくやってくれた。あとは任せな」

 目を開けて肩の位置を見上げると、そこには弾正だんじょうの笑いかける顔があった。弾正は浦安の手から拳銃を奪うと、門前に転がる黒い物体に銃頭を向けた。おそらく蹴るか叩くかして落としたのだろう、転がっていた飛頭蛮は再び浮遊し、こちらに牙を向く。しかしこちらに到達する前に、一発、二発、三発と銃弾が叩き込まれる。弓削だった飛頭蛮は、シュート後のサッカーボールのように、コロコロと地面に転がった。

「うおおおぉぉぉおおお!!」

 弾正が咆哮し、酒井田のいる方向に走り出す。途中倒れている機動隊員から一丁の機関銃を奪い、ダダダダと、小気味いい音を響かせた。




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