【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第8章 蔓延

11 悲しみの連鎖

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 絶望的だった。目の前では将門まさかどの影武者の悪霊に乗っ取られたトレンチ男が血走った目でこちらを見据えている。撮影はもうしていない。これがやつらの能力なのだろう、やつの視界に入った三人は、指先一つ動かせずに固まっていた。やつの背後からは首をウネウネと伸ばしたろくろっ首集団が迫ってくる。一人だけでも異様な光景なのに、それが何人も寄り集まると集合体恐怖症を発症しそうなくらい全身の毛が沸き立つ。浦安うらやすは自分の計画の甘さを痛感する。

 そもそも日本の警察官の発砲許可基準はハードルが高く、何十年も勤務して一度も人に向けて銃を撃ったことがない刑事なんてザラだ。浦安とてそんな経験は無い。おそらく、橋爪はしづめも、番場ばんばも。加えて今手にしている銃は装弾数5発のリボルバー、三人合わせても15発。対するろくろっ首どもの頭数はそれ以上で、その時点で詰んでいる。さらにはこの暗闇でライトは手放せず、銃は片手で撃たなければならないが、その体勢で相手の額を撃ち抜けるとは到底思えない。こんなに何人もの人間がモノノケと化して襲ってくることは想定外だったのだが、それを差し引いても警護計画自体が甘かったのは間違いなく、逃げ出した酒井田さかいだを責めることは出来ない。橋爪にも番場にも、そしてすでに散っていった橋爪班の二人にも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 万事休す、ろくろっ首たちが前方10メートルほどのところにいるトレンチ男を超えて迫ってくる。いよいよ覚悟を決めた時だった。ろくろっ首たちの背後からダダダダという連続的な発砲音が鳴り響いた。その音でやつらの足が止まり、何事かと振り向く。トレンチ男も振り向いた。その瞬間、金縛りが解けて自由となる。

「今だ!トレンチコートの男を狙え!責任は俺が持つ!」

 言った浦安が真っ先に撃つが、銃弾は胸に当たり、頭を外してしまった。トレンチ男が目を見開いてこちらを向く。

「やつの目を見るな!撃て!撃て!」

 発砲音が数発連なり、そのうちの一発がトレンチ男の眉間を捉えた。ググっというくぐもった男の声。よろよろとよろめき、断末魔を上げる。

「五郎兄者、六郎兄者!あとはよろしくー!」

 咆哮してバタっと倒れ、どういう仕組みなのか、その身体は青白い炎に包まれて黒い塊となり、ボロボロと崩れて灰と化した。

「助かった、のか?」

 一瞬脱力しかけたが、前方にはまだろくろっ首の集団がいる。やつらの後方は北側で起こった発砲音に向かっていたが、こちらの異変に気づいた南後方の何体かが向かってくる。不覚にも目を見てしまい、また身体が固まる。橋爪と番場が残弾を放ってくれていたが、すぐに弾切れとなり、カチカチと乾いた音に代わった。と、浦安たちの背後からバラバラと黒ずくめの男たちが前に飛び出す。機動隊だ。要請を受けてやっと駆けつけてくれたのだ。彼らは暗視ゴーグルを付け、手にしているのはMP5という30発連射式機関銃だ。

「やつらの目を見るな!着実に頭を撃つんだ!」

 浦安の叫んだ内容などとうに知っているというように、ダダダダという小気味いい音を響かせては次々にろくろっ首を仕留めていった。頭を撃たれたろくろっ首どもはギャッと逃げる時のセミのような断末魔を上げ、その場に崩折れていく。

「お怪我はありませんか?」

 機動隊の最後尾から声をかけてきた顔を見ると、それはK署刑事課課長の岩永いわながだった。浦安は今回の久遠寺くおんじでのお焚き上げ業の警護を沖芝おきしば管理官に願い出る前、岩永にも天冥てんめいから聞いた詳細を報告していた。そしてもし自分が無事に戻らなかった場合、岩永に後のことは託していた。妻の君枝きみえのことも頼んだ。浦安は岩永がまだ自分の部下だった頃、飲みの延長でよく彼を家へ連れ帰っていた。K署では唯一、岩永は君枝と顔を合わせていた。

「ありがとう。助かったよ。間一髪だった」

 まだ予断を許さない状況だったが、馴染みの顔の登場に張っていた気が少し弛緩した。

「まことさんを死なせるわけにはいきませんからね、僕も駅で待機してたんです」
「そっか、サンキュな、岩ちゃん」

 昔の呼び方で呼ばれ、浦安も昔の呼び方で返し、岩永の肩をポンポンと叩く。橋爪と番場とも無事を確認い合い、四人の間に安堵の息が漏れた。機動隊が作ってくれた壁からはろくろっ首が一体としてこちらに這い出てくる様子はない。そしてやがて、機関銃の音も止んだ。

「終わったようです。それにしても…この世のこととは思えないことが起こってますね。本庁のやつら、この事態をどこまで予測出来てたんだか」

 忌々しげに言う岩永に亡くなった捜査員たちのことを告げ、彼らの遺体を寺の中に運ぶように頼む。そして、橋爪と番場の二人を伴って東門に急いだ。まだお焚き上げ業が始まって二時間と経っていない。朝までまだ何が起こるか分からないのだ。



「大丈夫ですか?僕らも係長のところに行こうかと迷ったんですが、門の警護を優先しました」
「それでいいんだ。引き続きここを頼む」

 やや言い訳混じりに寄ってきた遠藤えんどうにそう告げ、橋爪と番場の二人も門前の警護に加える。岩永もさらに人員を投入し、寺の警護に当てると言ってくれた。寺は襲撃を受けたのだ。もはや、警察庁捜査一課の業務と分断させる必要は無くなった。事件の舞台は、今やここなのだ。

 境内に入ると、天冥てんめいの祝詞と遵奉じゅんぽうの読経のアンサンブルは途切れずに続いていた。弓削ゆげが心配そうに駆け寄ってくる。無事を告げると、その目に安堵の色が浮かんだ。だが浦安の頭にはトレンチ男の最後の咆哮が暗い影を落としていた。やつはこの後のことを誰かに託すようなことを言っていた。二の矢、三の矢が飛んでくることは着実に思えた。高く舞い上がるお焚き火を見る。舞台の外周の巫女たちが積み上げられた薪を朱美あけみに渡し、朱美は優雅に舞いながらも受け取った薪をお焚き火に投げ入れている。炎の高さは維持され、煌々と周囲の闇を赤に染めていた。この火を朝まで絶やしてはならない、そんな決意を新たにしている時だった。

『遠藤です。速水はやみが!速水が南から近づいて来ます!目から、目から血を流してます!係長、どう対処しますか?』

 そのインカムの声に、ギョッとした顔で弓削が浦安を見る。

「行ってくる。ここを頼む」

 そう言ってまた出て行こうとする浦安の袖をすかさず掴み、弓削は仕切りに首を振る。

「あたしが!今度はあたしが行ってきます。係長がここにいて下さい」
「いや、しかし…」
「もう一人で待つのは嫌なんです!それに、あたしはずっと速水のことを弟のように面倒見てきました。まだ目から血を流しているだけなら、あたしなら彼を引き戻せるかもしれない。お願いです、あたしを行かせて下さい!」

 浦安は弓削の懇願に折れた。速水を引き戻すという言葉にはそれなりの説得力があったし、何よりここで彼女を突き離せば後々に大きなシコリとなって残る気がした。だがその判断は浦安に悔恨の情を沸き立たせることになるのだったが………




 門を出ると、黒ずくめの機動隊が寺の外周にバリケードを作るようにずらっと並んでいた。前方にいた番場と目が合う。番場は南を指差し、弓削はそれに頷いた。そして南に駆け、角で橋爪に呼び止められる。

「遠藤さんが気配を察知して南へ向かったんだ。そしたら、速水がいた」

 そう言って指差した先に、二人のものらしき人影が見えた。一枚の田んぼを挟み、向こう側の畦道に立っている。遠藤の持つサーチライトが一条の光となって暗闇に速水の姿を浮き立たせていた。弓削がそこに向かおうとすると、橋爪が両肩を掴んで正面に立ち塞がった。

「いいか、もし、もし速水が化け物に変わったら、迷うことなく撃つんだ。それがきっと、彼への手向けにもなる」

 真摯に訴えかける橋爪の目を、弓削は睨む。そして肩の手を振り払い、橋爪の横を抜けて南へ走った。

「弓削!」

 橋爪の声を背後にやり過ごし、速水に駆け寄る。速水の目からは二筋の赤い涙。白目を真っ赤に染め、泣きじゃくる幼子のように顔を歪めて弓削を見る。

「弓削さん…俺、俺、父さんを殺しちゃったよ。目を覚ますと強烈な殺意が湧いてきて、それで、それで…」

 弓削は速水に抱きついた。

「何も話さないで。大丈夫、大丈夫だから。あなたは何も悪くない。あなたは病気にかかってるだけ。必ず治るから。今は悪いことを考えないで」

 草を踏む音がし、遠藤が後ずさったのだと分かる。遠藤は速水より少し離れて立っていたが、さらにその距離を広げる。ライトを持つ反対の手には銃が握られている。

「弓削ちゃん、それ以上近づくと…危ないよ、危ないって」

 きっと顔を上げ、遠藤を睨む。

「危なくない!速水は必ず戻ってくる。だから黙って!」

 そこへバラバラと、背後に重い靴音が何重にも迫る。機動隊の一隊がこちらに寄ってきたようだ。

「離れなさい!その男は目から流血している!殺処分対象だ!」

 弓削はハッとして振り向いた。話に聞いてはいたが、やはり警察庁は目から血が出た時点で処分すると決めているのだ。それが今の言葉で証明された。弓削は速水を背後に回し、両手を広げて機動隊の前に立ち塞がった。

「待って!あなたたちは間違ってる!目から流血しただけならまだ人間に戻れるの!あなたたちだって無闇に人を殺したくはないでしょう?ここはあたしに任せて!引いて下さい!」

 弓削の言葉で警察庁トップの決定が覆るとは思えない。だが警察官も人間だ。今、弓削の言ったことが目の前の機動隊のリーダーと思われる男に動揺を与えたのは伝わった。が、その時、

「でもさあ、親、殺しちゃったんだよね?そこまで罪を犯しちゃったら、もう、戻れないんじゃないかなあ?」

 と、無責任な言葉が投げられる。速水の後ろに控えている遠藤だった。その遠藤の言葉が発されると同時に、速水がブルブルと震え出す。弓削が速水の振動を感じて振り向いた時、速水が咆哮した。

「うがあああぁぁぁっ!!」

 ダメ!弓削は叫んだ。そして世界がスローモーションに変わる。ダン、という音とともに一切の音が消え、銃弾が、弓削の顔横を通っていく軌道が見えた。銃弾は真っ直ぐに、速水の額を貫いた。速水の足が浮き上がり、ゆっくり弧を描いて背後に立つ遠藤の足許に着地する。ドサッという着地音とともに世界に音が戻り、弓削は全身を震わせて悲鳴を上げた。

「何で!?なんでぇぇぇ!!」

 弓削の目からヌルっとした液体が漏れ、機動隊からざわめきが起こる。

「や、やつもだ!やつも化け物になるぞ!」

 もはやそれは正義感ではなく、その場を支配していたのは恐怖だった。ダダダダという発砲音が幾重にも連なる。弓削は速水に覆い被さり、自らの最期を悟った。が、音が止んでも痛みが来ない。恐る恐る振り向いたところに、大きな背中が見えた。機動隊に向いて両手を広げているその背は、弓削がいつかは包み込まれてみたいと思っていた男のものだった。




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