裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都

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21 解けていくわだかまり

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 森の中をローゼリアはイアンに付いて歩いて行く。静かな森の中で二人の足音だけが聞こえる。日はとうに昇っているのだろうが、雲が厚い上に木々に囲まれているので森の中は薄暗い。

 自分はどうなっても構わないとさっきまで思ったが、助けがきてから改めて見回すとこんな鬱蒼とした森の中で一日過ごすのは嫌だと思えてきた。一人きりで一日この森にいたら、出られたとしてもヘビ以上に森が苦手になっていたかもしれない。

「随分森の奥まで来ましたね」

 そう言いながらイアンは、ナイフで木の幹に付けた印を確認しながら屋敷があると思われる方へ向かう。

 イアンは自分も迷わないために、木の幹に×印を付けながらローゼリアを探していたので、印をたどればいずれ森から出られるようにしていた。

 ふとローゼリアはイアンの右腕の袖が少し赤く染まっている事に気付いた。

「イアン様、……腕に怪我をしていいらっしゃるの?」

「これですか?先ほど鼻血が出たんです」

「まあ!大変」

 まるで他人事のように素直に驚くローゼリアをイアンは横目で見る。

「あなたの頭が俺の顔面に当たったんです」

 そう言われてローゼリアは自分がパニックを起こした時にイアンにぶつかった事を思い出して恥ずかしくなり、俯きながらも小さな声でイアンに謝った。

「………ごめんなさい」

「この程度、大した事ないです。貴族令嬢でも素直に謝る方がいらっしゃるんですね」

「貴族は駆け引きが必要な時は謝ったり、わざと謝らなかったりしますわ」

「今はどんな時なんですか?……俺相手に駆け引きをしてるのですか?」

 幾分棘が含まれる言い方だった。

「…………」

 ここでイアンの指摘している駆け引きというのは、ローゼリアがイアンのお見合いをセッティングしようとしたり、今朝のように鍛錬にかこつけてイアンに近づこうとしていた事を指しているのだろう。

「俺はああいったことは嫌いです」

「あの程度の事を気にされるのでしたら貴族としてやっていけませんわ。イアン様は真っ直ぐすぎです」

「養子に入る前の俺は王宮騎士を目指していました。騎士は目の前の敵を勝つ事をまず考えます。近衛騎士は違うのでしょうが、俺たち下級の騎士なんかにとっての実戦ではルールなんてありませんから、相手の足を引っかけたり砂をかけたりと何でもアリです。でもそんな騎士でも絶対的なルールがあります。分かりますか?」

「騎士さまに大切なもの……守ることとか、ですか?」

「近いけれど違います。騎士にとって一番守らないといけないことは主からの命令です。騎士団に所属していれば上官ですね。今の俺にとっての上官は義父です。でも義父は誰かに仕えるのではなく己が主になれと言うのです」

「主は仕える者を切り捨てる事がありますもの。ならば自分が主になれば良いという伯爵さまのお考えは私も賛成ですわ」

「ええ、そうですね。でも俺は自分が生涯を懸けても良いと思える相手なら裏切られても切り捨てられてもいいと思っています」

「その考えは危険ですわ。忠臣と名高かった私の父が王家にどう扱われたのかをご存知でしょう?」

「それは義父にも言われました。だから私には、どうしても主が欲しいなら貴族としての品格を持ちながら気慨のある妻を迎え、外では自分が主のような顔をして家では妻に仕えろと」

 そう言われてローゼリアは伯爵がなぜ高位貴族の令嬢にこだわるのかが分かった。オルコット伯爵がイアンの妻に求めているのは家と当主となるイアンの舵取りだ。伯爵家だから高位貴族との付き合いは避けられない。しかし低位貴族の令嬢が嫁いでもこの家には社交まで教えてくれる女主人はいない。だから最初からそれが備わった令嬢でなければ付け入れられてしまう隙は多いし、どこの派閥にも属していないオルコット家ではイアン共々他の高位貴族に簡単に喰い潰されてしまうだろう。

 ローゼリアが女主人としてイアンの妻に社交を教えるという方法もあったのだが、今のローゼリアの言う事を素直に聞く令嬢がそういない事は先日の王都で痛感したばかりだ。

10年位この家にいてオルコット家の女主人として自分の立場を築けていれば違うのだろうが、35歳になったイアンに嫁いでくれる未婚の令嬢がいるのかは疑問だった。それにローゼリアは一日でも早く伯爵と離縁してエルランドへ行き家族と再会を果たしたいと思っている。

「イアン様にはそういう夫婦の形が合っていらっしゃるのかもしれませんわね。私の母は気品と美しさのある花のような方ですのよ。あまり社交の場には出ませんでしたが、母がいるだけでその場に花が咲いたような空気を感じますわ。同じ貴族女性として母を尊敬していますが、母は弱いお方です。でもそんな母を父はとても大切にしていますわ」

 ローゼリアがそう言うと、イアンは柔らかく笑った。この人はこんな表情もするのだとローゼリアは意外に思った。

「ははは、やはりフォレスターは貴族の鑑と言われる家ですね。平民と変わらないウチとは大違いだ。ウチはといっても実父母ですが、俺の父はいつも母の尻に敷かれていました」

「尻に敷かれて?」

「ああ、令嬢には少し下品な言葉でしたね。ウチは母がとても強いのです。ですから父は母には逆らえないのです」

「まあ」

「近所でもそういう家は多いので、平民や俺の家みたいな平民に近い家では珍しい事ではありません」

「そうなのですね。でも貴族でもそういったお家はありますのよ。公の場では旦那様を立てつつも家の中では絶対に譲らないという方は思いのほか多くいますの。だから貴族男性は外に家庭を持つ方が多いのですわ」

「なるほど、平民で浮気をしたらカミさんにタコ殴りにされますよ。子供の頃に何度か見かけましたから、浮気も命がけだと思いました」

「ふふふ…。イアン様がこんなにお話をされる方とは思いませんでしたわ」

「ああ、そうですね。俺、貴族令嬢って苦手なんであんまり話さないようにしてるんです」

「令嬢がお嫌いですの?」

「最初の見合いをした令嬢に、平民だと散々馬鹿にされたのです。次に会った見合いの相手は、次期伯爵という言葉をしつこいくらい何度も言う令嬢でしたし。ああいった人たちは俺とは住んでいる世界が違うって思っただけでした」

「でもイアン様はこちら側にいらしたのですのよ」

「それも分かっています。自分の実家が無くなってしまうのは忍びないから養子に入ってくれって実父に泣きつかれて伯爵家の跡取りを安易に引き受けてしまいました」

 イアンは少し苦い表情を浮かべる。

「もしかして、イアン様は養子になられた事を後悔してらっしゃるの?」

「どうでしょうね?前の仕事、辞めちゃいましたからもう戻れませんし。今は伯爵家当主になる事が仕事って思ってやってます」

「私、仕事ならば中途半端にやってはいけないと思いますわ」

「……?」

「はっきり申し上げますと、今のイアン様は伯爵家のご令息なのか護衛の騎士なのかわかりません。先ほどお聞きしましたイアン様のお気持ちはそのままでも構いませんが、貴族には貴族のマナーというものがございますの。主人の危険が無い限り護衛が決して前に出ないのと同じですわ。マナーを守れない貴族は他の貴族に排除されるだけですもの。今のイアン様がなさっている事は端的に申し上げてしまいますと、オルコット家を潰しかねませんわ」

 王太子の婚約者としてのローゼリアに自由意思というものは認められなかった。王族や王宮の誰かに常に指示をされ、その通りに行動をするように厳しく教育をされてそうしてきた。ローゼリアにとっての子供時代はヘンリックと婚約する7歳までで、留学期間を除いた7年間、婚約破棄をするまでローゼリアは必死になって王家の望む婚約者であろうとしてきた。それが貴族として生まれて将来の王妃として選ばれた者の義務だと思ってきた。

 だから、伯爵家の養子となりながらも家を守るために自分を変えようとしないイアンが許せなかった。

「我が家の事をあなたにそこまで言われたくはありません」

 イアンは少し早足に歩き出す。ローゼリアは置いて行かれまいと小走りに付いていく。

「ええ、私はオルコット家の血縁の者ではありませんが、私は伯爵様よりイアン様を導くように言いつかっておりますの。あなたの主である伯爵さまのご命令ですのよ」

 イアンが立ち止まって振り返り、ローゼリアを見る。

「あなたは、ズルイ方ですね」

 ローゼリアは大きな瞳でイアンを見つめ返す。二人の間に剣呑な雰囲気が流れ出すのは分かっていたが、ローゼリアは気にしなかった。

「私は生粋の貴族ですからズルさも兼ね備えた人間ですわ。隙を見せたら足を引っ張り、己の利益とするのが貴族ですもの。ですから、イアン様も社交の場では決して隙も弱味も見せてはいけません」

 しばらくイアンは黙ってローゼリアを見つめていたが、フッと少し笑って再び歩き出す。先ほどとは違い、今度はローゼリアの歩調に合わせる速さだった。

「そのようにおっしゃいますが、先ほど泣いていらしたあなたは隙だらけでしたよ」

「そっ、それはっ。……ここは社交の場ではありませんもの。私だって完璧な人間ではありませんから、泣きもしますし怒りもしますわ。それに今お話をしている事はイアン様の事を思って言いましたのに、意地悪で返されるなんてひどいですわ」

「ははは、分かりました。気のお強い義母上のおっしゃる事は聞くように致します」

「もうっ、家族や親族以外の男性に自分の思っている事をこんなにお話をしたのは初めてですのに、物語のようにもっと楽しくお話がしたかったですわ」

「王太子殿下とは話をしなかったのですか?……ああ、婚約者だから家族って事ですか?」

「あの方とは定期的にお茶会がありましたが、話す事は決められていたので、あれは私にとっては台本のあるお芝居のようなものでしたの。それにあちらも私の事は好いていませんでしたから私自身の事を聞かれるようなことはありませんでした」

「寂しい関係ですね」

「寂しくなんかありませんわ。政略で結ばれた婚約で、私も王太子殿下の婚約者というお仕事をしていただけですから」

「義母上なら仕事をきっちりこなしてそうだ」

「ええ、人生を懸けてやっておりましたわ。学びも外見も全て将来の王妃としてふさわしくあるようにやっておりましたの」

「夜会に出掛けられた時のあれは、将来の王妃としてのふさわしい外見だったとは……」

 イアンは王都での夜会に出掛けようとしていたローゼリアの姿を思い出していた。

「ランゲルは他国との交流が少ないですから、色々な事が遅れておりますの。異分子を排除しようとする気質が強いのです。私の容姿は母の祖国であるエルランド人の特徴がよく出ていますから、ランゲル人に外見を近づけようとするとああなってしまいますの。王妃様からのご指示でしたのよ。いずれ私が王太子妃となり立場を得た時には、国も自分自身の外見も変えていこうと思っていましたわ。国内ではあれで通じても、外交であのような姿を晒していては笑われてしまいますでしょう。特にエルランドが相手での外交では不利になりますわ」

 並んで歩きながらローゼリアの話を聞いていたイアンは、視線を遠くにやってからローゼリアを見た。

「ほらっ、見て下さい。そろそろ森を出れそうです」

 そう言われてローゼリアも遠くを見たら、木々のずっと先は森の中よりも明るく開けていそうな雰囲気だった。

「やっと出られますのね」

「ええ、いつ雨が降ってくるかわかりませんから急ぎましょう」

 そう言ってイアンはローゼリアの手を引いて走り出した。

「あっ、イアン様っ」

 突然手を握られたローゼリアは動揺してしまい、強い力に引っ張られるようにして走る。

自分の頬が熱くなるのを感じながらローゼリアが森を出た時には、ポツポツと雨が降り出していた。

 そしてイアンが言っていた通り、屋敷に着いてすぐに雨足は強くなり、やがて強い雨となっていった。
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