裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都

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29 彼の夜会デビュー

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 「義母上、これで問題無いでしょうか?」

 正装したイアンが玄関ホールで待っていたローゼリアの前に立つ。

 今日のイアンは彼の髪色に合わせた黒いコートに黒いスラックス姿だった。黒地のコートには縁を銀糸の刺繍で飾った。丈の短いウエストコートはベージュ寄りの白色の布地にコートと同柄の刺繍を全面に施した。スラックスはコートと同じ黒だが、いつも履いている麻のラフなものではなく、コートと同じ厚みのある布地で、違う色にしようか迷ったが、黒にした事で彼の足の長さが引き立っている事にローゼリアは満足した。

「素敵です。よくお似合いですわ」

 褒められてイアンは照れているのか、視線を足元に向けて自分の頬を掻く仕草をする。

 今日のイアンは普段は下ろしている髪を夜会用に後ろに撫でつけている。そうするよう侍女に指示をしたのはローゼリアだったが、年相応に見えるので独身というよりも妻帯者にしか見えなかった。

(少し落ち着き過ぎてしまったかしら?)

 初婚で婚約者を探しているイアンの見せ方としては少し失敗したとローゼリアは思ったが、26歳で今さら前髪を下ろしても無理をして若く見せているように見えてしまう。

 見栄えは悪くないのでこれで良しとするかとローゼリアは思い直した。

 デビュタント・ボールが今夜王宮で開かれる。本日の主役はデビュタントを迎える少女たちだが、イアンも本日が社交界デビューだった。男性にデビュタントは無いが、イアンの貴族社会の中での第一印象が決まる夜会なので、本日ばかりはイアンの装いを全てローゼリアが決めた。

 ローゼリアが意識したのは大人の男性として演出することで、髪色と同じ黒をベースにした上で差し色は瞳と同じ緑色を使った。胸元から覗く緑色のチーフにはコートと同じ刺繍を施し、クラバットに付ける飾りにはイアンの瞳の色と近いエメラルドのものを選んだ。我ながら全体がシックにうまく纏まったとローゼリアは思う。

 イアンの顔立ちは貴族としては平凡ではあるが、目立つような悪い箇所は無いし、イアンの瞳の色は引き込まれるような美しいグリーンなので印象としては良い方になるだろう。そして彼の一番の特徴はスタイルの良さだった。身長も高く肩幅もあり、ほどよく筋肉の付いている彼のスタイルはバランスが良く、見る者に精悍な印象を与える。

 あと10歳若ければ、令嬢たちも放っておかなかっただろう。

「イアン様、この夜会で素敵な女性をぜひ見つけて下さい。先日、当商会が発行致しました『伯爵さまと私』には女性側から見た年上男性の良い所がたくさん書かれていますわ。あれに登場する伯爵様を思い出されてご令嬢と話されることをオススメ致しますわ」

 『真実の愛』に続き売り出した『伯爵さまと私』の売り上げは上々で、今も売れ続けている。これで女性たちの間で年上男性との恋愛が流行ればイアンにとっても追い風になるかもしれない。

「『伯爵さまと私』を売っている側の人間が年下の女性と話したら下心が満載だとご令嬢に引かれてしまいますよ」

 そう言ってイアンは苦笑いを浮かべる。

「イアン様、まさか読まれていませんの?あの本の伯爵様は黒髪に緑色の瞳、剣術が得意という設定にしておりますのよ。あれを読まれたご令嬢たちはきっとイアン様を伯爵さまと重ねられるに違いありませんわ」

 イアンの表情が無表情になる。自分が小説のモデルにされた事が気に障ったようだ。

「……義母上、次からは俺にも小説の検閲をさせて下さい」

「あの本は売り出したばかりなのですから、本の売り上げの為にも今シーズンだけは『伯爵さま』のイメージを崩すような事はくれぐれもしないでいただきたいのです」

 イアンの気持ちなど気にせず熱心に語るローゼリアにイアンはため息を吐く。

「最近知りましたが、本の売り上げの何割かは義母上の元へいくそうですね」

「ええ、オルコット領が潤う事は私の私財も潤うことに繋がりますの。支度金ゼロで何も持たずに嫁いできました私にとって私個人の資産が増える事は大切なことですわ」

「俺の見合い話とご自分の利益……。欲深なところを隠そうとしないところがいっそ清々しく思います」

「まあ、私にとっては褒め言葉ですわね。あの本はゴシップが好きな方を読者へと引き込む為に、私とオルコット伯爵様の事を想像して手に取って読み始めた方が、読んでいくうちに伯爵さまのモデルは実はイアン様だった、という事に気付いてイアン様に社交会の注目が集まる事を目指しておりますの。

「俺はあの小説に出てくる伯爵のようにデビュタントしたばかりのお歳のご令嬢と結婚なんてしませんし、しようとも考えていません」

「あら、でも人は恋に落ちてしまうのは一瞬ですのよ。年齢なんて関係なくなりますわ」

「それは義母上のご経験からですか?それとも大好きな恋愛小説からですか?」

 そう言ってイアンは一歩ローゼリアに近づく。距離の近さにローゼリアは一瞬たじろいでしまう。

「……わ、私の人生には自由恋愛なんてものはありませんわ。留学していた頃はエルランドの学園へ通っていましたが、従兄弟以外の男子生徒と話す事はほとんどありませんでしたし、この国では私が婚約者以外の男性と話すことは許されませんでしたもの。小説を読んで色々なことを想像して楽しむくらいはいいと思いますのよ」

「別に恋愛小説を読まれる事を否定しているわけではありませんが、想像だけのご経験で俺の恋愛問題にあれこれ意見をするのはやめて下さい」

 ローゼリアの瞳がスッと細められる。本日も白塗りのローゼリアは化粧の厚さで表情を読ませにくくなっているが、イアンにはローゼリアの口調から化粧の下の彼女がどのような表情を浮かべているのかが分かった。

「そうですわね、イアン様には過去に想いを寄せた素敵な方がいらっしゃいましたものね。私のような恋愛経験の無い小娘に指図をされるのは不本意ですわね」

「あれはっ……」

「おお、良く似合ってるではないかイアン。ローゼリアもいつも通りで貞淑な妻といった感じで良いな」

 玄関ホールで言い合っていたローゼリアとイアンのところへ準備を終えた伯爵がやってくる。明るめの茶色で纏めると言っていた伯爵のウエストコートだけは侍女に頼んでこっそりイアンと揃いにした。その事に今気付いた伯爵はイアンのウエストコートを見た後にローゼリアをチラリと見る。

 顔立ちがよく似ている上に服を揃えると、伯父と甥だけあって本当によく似ている。伯爵は小柄な方だが、近くで二人の顔を見比べれば実の親子と言われても違和感は無い。

「そうやって並ばれると実の親子のようですわ。本日はイアン様の社交会デビューで伯爵様、いいえ旦那様が他家の方々にイアン様をご紹介されるのですから、これくらいの方がよろしいかと思いますのよ」

「まあ、そうだな。……こうやって社交での細かい事まで気配りが出来るのは夫人ならではだな。家に女主人がいるというのは良いものだな、なあイアン」

 そう言って伯爵は含みを持たせたような様子でイアンを見る。

「あら、私が嫁ぐ少し前にも奥様がいらしたでしょうに」

「いや、最初の妻以外は女主人としての仕事を任せられる妻はいなかったから、家政は執事のジェフとワシでしていた。ローゼリアは王都と領地の屋敷両方の家政も一人でやっているとジェフから報告を受けている。よくやってくれているな」

「いいえ、当家はパーティーもお茶会も開きませんから、私は届けられる帳簿を見ているだけでラクをさせていただいておりますのよ」

 ローゼリアは帳簿を見ているだけだと言うが、執事には領地の屋敷勤めの使用人たちの勤務の様子を手紙で教えてもらい、王都の使用人たちには勤務に関する聞き取りを直接行い、仕事を頑張っている者や何か功績のあったと判断された者には特別に給料を与えたりして、使用人たちの勤務状況は常に把握している。

 それに両方の屋敷の管理に関する収支についても、前年やその前の年のものと比べて細かくチェックを入れていた。

「少しぐらいならパーティーや茶会を開いてもいいのだぞ」

「フォレスター時代にお付き合いのあった方とは縁が切れてしまいましたし、あの方々をお呼びしたいとは今は思いませんわ」

 実家が没落する前はローゼリアの周りには令嬢たちがいたが、皆が交流を深めたかったのはフォレスターという大貴族を背にしたローゼリアだ。没落した後は誰ひとりローゼリアに手紙を送るような令嬢はいなかった。

 今の社交界でローゼリアがどれ程の価値があるのかは分からない。それは今シーズンの社交で分かる事で、これからオルコットやローゼリアと繋がりをもちたい貴族が現れるかもしれない。

 そして誰が敵か味方か分からないところではまだ下手に貴族令嬢や婦人たちとの付き合いなんて出来ない。フォレスターの件もあったので、社交界で動くのは慎重にしていきたいローゼリアは思っていた。

「本日はデビュタントもあって、人も多いでしょうから私は壁の花となっていますわ。その間、旦那さまはお付き合いのある家門の方々に次期当主であるイアンさまをご紹介なさって下さい。私がご一緒だと私ばかりが注目されるでしょうから、私のことは次の夜会でご紹介下されば結構ですわ」

「ああ、分かった。ウチもそんなにつきあいのある家は多くないが、ワシよりもローゼリアの方が有名だからな。でもいいのか『伯爵さまと私』の伯爵は夜会で妻を放っておく夫ではないだろう」

「大丈夫ですわ。あの伯爵さまのモデルはイアン様ですから」

「ワシではなかったのか?」

「旦那様もお気付きでしょう?あれは本を読んだ若い令嬢がイアン様に憧れていただくような、そんな物語を目指しましたの」

「ならば、本を貴族家に売りに行く時はイアンにでも行かせるか?」

「まあ、良い案ですわね。商談に赴いた先にいらっしゃったご令嬢と恋に落ちるなんて素敵ですわ!」

 名案とばかりにローゼリアはぱちんと両手を合わせる。イアンは額に手を当てている。

「お二人共、出掛ける前に俺で遊ぶのはやめて下さい」

 イアンはそう言うと、さっさと玄関を出て馬車に乗り込む。自分の後から馬車へと乗ろうとしていたローゼリアへは当たり前のように手を差し出す。

 ローゼリアはイアンに引き上げてもらいながら、イアンが女性のエスコートを自然に出来るようになったのだと内心ホクホクとしていた。
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