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大きな黒い翼が羽ばたき、風を巻き起こすと同時に魔力を振りまいた。
黒い靄の粒子は私たちを取り囲み、渦を巻くように回転を始めた。
これで、渦の内部にいる私たちの姿は外から見えなくなり、声すら届かなくなったのだ。
「さて。エル、お願い」
「ああ」
エルヴィンは私の手を離すと、床で震えているカリナの頭をガシッと掴んだ。
「どう?」
「……いけそうだ」
「そう。よかったわ。
じゃあ、最後のお別れを言わなくてわね」
エルヴィンに猿轡を外されると、カリナは元気に喚き始めた。
「いったい、なんなのよ⁉ あんたたち、何者なのよぉ!」
私はカリナを見下ろしながら、会心の笑みを浮かべた。
「私、前世の記憶があるの」
「はぁ? だったらなんなのよ!」
「前世の私の名は、松島紫」
「え?」
「あなたが酒好きなのに男性の前ではカシスオレンジしか飲まないことも、たいして可愛がってもいない実家の猫の写真をスマホの待ち受けにしていたことも、男性にだけお土産を配ることも、よく覚えてるわ」
カリナの顔色が変わった。
「そ、そんな……本当に松島さん……?」
「そうよ。ふふふ、やっとわかってくれたのね。
また会えてとっても嬉しいわ、三沢さん」
「ひぃっ……!」
前世と同じ呼び方をすると、カリナは先ほどまでとは違う怯えた顔になった。
「寝取った彼が私に心を残したままだったのが気に入らなかったのよね。
だから階段から突き落としたんでしょう?」
冴えない年増女に負けるなんて、可愛いことに命がけなカリナには許せなかったのだろう。
「ち、違います! 私は松島さんを殺してなんかいません!
あれは、事故だったって」
「そう、やっぱり事故ってことになったのね。
でもね、私ははっきり覚えているの。
血を流しながら倒れている私を見て、嬉しそうに笑っていたあなたをね」
「誤解です! 私はそんなことは」
「あなたが強かだってことはわかってたけど、まさか人殺しまでするなんてね。
そこまで大胆なことするとは思わなかったわ」
私はチラリとカリナの平らなままの腹部に目を向けた。
「でもまぁ、人殺しができるくらいなんだから、ひとの男を寝取った上に妊娠したって嘘をついて結婚に持ち込むくらい簡単よね」
「そ、それは」
「エコー写真見せられただけで信じちゃうとか、あのひとも詰めが甘いわよね。
営業部のエースとか言われてたくせに、お人よしなんだから」
彼のそんなところが好きだったのだが、もちろんそれはもう過去の話だ。
今ではもう顔もほとんど思い出せない。
「……もしかして、あんたのせいなの?
こんなにシナリオから外れてるのは?あんたがなにかしたからなの?」
「ええ、その通り。
私はあなたが言ってた漫画は読んでないんだけど、結果として私がいたおかげでこの国の平和は保たれたわ」
第二王子殿下が亡くなることはなく、ヘンリックも闇落ちせず、アブラッハが枯れることもなく、その後に起こるはずだったらしい不幸も回避することができた。
エルヴィンがこの国を滅ぼそうとすることもない。
そうしようと思ってそうなったわけではないが、全て前世の記憶をもつ私が引き金となった出来事だ。
「なんてことしてくれたのよ!
ここは私がヒロインの、私のための世界なのよ⁉
あんたみたいな冴えない女が、どうして……」
私を口汚く罵ろうとしたカリナだが、エルヴィンにギロリと睨まれて口を噤んだ。
「……私をどうするの? こ、殺すの……?」
「いいえ、そんな芸がないことはしないわ」
私はまたにっこりと笑った。
「元の世界に戻してあげるわ。
おまけをつけてね」
「お、おまけ?」
エルヴィンに合図をすると、彼は大きな手で今度はカリナの顔を覆うように掴んだ。
「きゃああああ! なにするのよ!」
「私の元婚約者によろしくね」
「放して! 放しなさいよぉ!」
喚くカリナに、私はひらひらと手を振った。
「さようなら、人殺しの三沢さん」
次の瞬間、私たちを取り囲む渦巻を形成していた黒い靄がピタリと動きを止めたかと思うと、しゅるりとカリナに纏わりついて彼女を包む繭のようなものができあがった。
元気に喚いていた彼女の声はもう聞こえない。
繭はふわりと宙に浮き上がり、空気に溶けるように消えていった。
エルヴィンが私を振り返り、小さく頷く。
カリナは無事に日本へと逆転移されたようだ。
私も笑顔で頷くと、彼は私を軽々と抱きかかえて固唾をのんでこちらを見ている騎士団に目を向けた。
『偽聖女は、本来あるべき場所に戻した。
バルテン王国の聖女は、我が花嫁一人だけだ』
膨大な闇属性魔力を持つ彼だからそんな非常識なことも可能なのだ。
とはいえ、正直なところできるかどうかは賭けだったのだが、これも彼が生まれ持った能力に胡坐をかくことなく、地道に鍛錬を積み重ねた結果だ。
エルヴィンはとても優秀で頼もしくて、誰よりもカッコイイのだ。
大きな翼が羽ばたき、私たちはふわりと宙に舞い上がった。
「皆様、お元気で!
私は魔王様と幸せになりますわ~!」
大きく手を振ると、ヘンリックと第二王子殿下を中心に半数ほどの騎士たちが手を振り返してくれた。
今日をもって、私とヘンリックの離婚は国王陛下の名のもとに正式に成立している。
最後にいろいろと予想外なことが起こったが、当初の予定通り三年で円満離婚が叶ったのだ。
エルヴィンは私を大切に抱えて飛ぶ姿を見せつけるように王城の上を三度ほどぐるりと回って、それから空高く舞い上がり宵闇に紛れて姿を消した。
こうして、私とエルヴィンはバルテン王国の王都を去ったのだった。
黒い靄の粒子は私たちを取り囲み、渦を巻くように回転を始めた。
これで、渦の内部にいる私たちの姿は外から見えなくなり、声すら届かなくなったのだ。
「さて。エル、お願い」
「ああ」
エルヴィンは私の手を離すと、床で震えているカリナの頭をガシッと掴んだ。
「どう?」
「……いけそうだ」
「そう。よかったわ。
じゃあ、最後のお別れを言わなくてわね」
エルヴィンに猿轡を外されると、カリナは元気に喚き始めた。
「いったい、なんなのよ⁉ あんたたち、何者なのよぉ!」
私はカリナを見下ろしながら、会心の笑みを浮かべた。
「私、前世の記憶があるの」
「はぁ? だったらなんなのよ!」
「前世の私の名は、松島紫」
「え?」
「あなたが酒好きなのに男性の前ではカシスオレンジしか飲まないことも、たいして可愛がってもいない実家の猫の写真をスマホの待ち受けにしていたことも、男性にだけお土産を配ることも、よく覚えてるわ」
カリナの顔色が変わった。
「そ、そんな……本当に松島さん……?」
「そうよ。ふふふ、やっとわかってくれたのね。
また会えてとっても嬉しいわ、三沢さん」
「ひぃっ……!」
前世と同じ呼び方をすると、カリナは先ほどまでとは違う怯えた顔になった。
「寝取った彼が私に心を残したままだったのが気に入らなかったのよね。
だから階段から突き落としたんでしょう?」
冴えない年増女に負けるなんて、可愛いことに命がけなカリナには許せなかったのだろう。
「ち、違います! 私は松島さんを殺してなんかいません!
あれは、事故だったって」
「そう、やっぱり事故ってことになったのね。
でもね、私ははっきり覚えているの。
血を流しながら倒れている私を見て、嬉しそうに笑っていたあなたをね」
「誤解です! 私はそんなことは」
「あなたが強かだってことはわかってたけど、まさか人殺しまでするなんてね。
そこまで大胆なことするとは思わなかったわ」
私はチラリとカリナの平らなままの腹部に目を向けた。
「でもまぁ、人殺しができるくらいなんだから、ひとの男を寝取った上に妊娠したって嘘をついて結婚に持ち込むくらい簡単よね」
「そ、それは」
「エコー写真見せられただけで信じちゃうとか、あのひとも詰めが甘いわよね。
営業部のエースとか言われてたくせに、お人よしなんだから」
彼のそんなところが好きだったのだが、もちろんそれはもう過去の話だ。
今ではもう顔もほとんど思い出せない。
「……もしかして、あんたのせいなの?
こんなにシナリオから外れてるのは?あんたがなにかしたからなの?」
「ええ、その通り。
私はあなたが言ってた漫画は読んでないんだけど、結果として私がいたおかげでこの国の平和は保たれたわ」
第二王子殿下が亡くなることはなく、ヘンリックも闇落ちせず、アブラッハが枯れることもなく、その後に起こるはずだったらしい不幸も回避することができた。
エルヴィンがこの国を滅ぼそうとすることもない。
そうしようと思ってそうなったわけではないが、全て前世の記憶をもつ私が引き金となった出来事だ。
「なんてことしてくれたのよ!
ここは私がヒロインの、私のための世界なのよ⁉
あんたみたいな冴えない女が、どうして……」
私を口汚く罵ろうとしたカリナだが、エルヴィンにギロリと睨まれて口を噤んだ。
「……私をどうするの? こ、殺すの……?」
「いいえ、そんな芸がないことはしないわ」
私はまたにっこりと笑った。
「元の世界に戻してあげるわ。
おまけをつけてね」
「お、おまけ?」
エルヴィンに合図をすると、彼は大きな手で今度はカリナの顔を覆うように掴んだ。
「きゃああああ! なにするのよ!」
「私の元婚約者によろしくね」
「放して! 放しなさいよぉ!」
喚くカリナに、私はひらひらと手を振った。
「さようなら、人殺しの三沢さん」
次の瞬間、私たちを取り囲む渦巻を形成していた黒い靄がピタリと動きを止めたかと思うと、しゅるりとカリナに纏わりついて彼女を包む繭のようなものができあがった。
元気に喚いていた彼女の声はもう聞こえない。
繭はふわりと宙に浮き上がり、空気に溶けるように消えていった。
エルヴィンが私を振り返り、小さく頷く。
カリナは無事に日本へと逆転移されたようだ。
私も笑顔で頷くと、彼は私を軽々と抱きかかえて固唾をのんでこちらを見ている騎士団に目を向けた。
『偽聖女は、本来あるべき場所に戻した。
バルテン王国の聖女は、我が花嫁一人だけだ』
膨大な闇属性魔力を持つ彼だからそんな非常識なことも可能なのだ。
とはいえ、正直なところできるかどうかは賭けだったのだが、これも彼が生まれ持った能力に胡坐をかくことなく、地道に鍛錬を積み重ねた結果だ。
エルヴィンはとても優秀で頼もしくて、誰よりもカッコイイのだ。
大きな翼が羽ばたき、私たちはふわりと宙に舞い上がった。
「皆様、お元気で!
私は魔王様と幸せになりますわ~!」
大きく手を振ると、ヘンリックと第二王子殿下を中心に半数ほどの騎士たちが手を振り返してくれた。
今日をもって、私とヘンリックの離婚は国王陛下の名のもとに正式に成立している。
最後にいろいろと予想外なことが起こったが、当初の予定通り三年で円満離婚が叶ったのだ。
エルヴィンは私を大切に抱えて飛ぶ姿を見せつけるように王城の上を三度ほどぐるりと回って、それから空高く舞い上がり宵闇に紛れて姿を消した。
こうして、私とエルヴィンはバルテン王国の王都を去ったのだった。
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