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パンの香り
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路地を離れて歩き出した、その時だった。
「……ぐぅ」
小さな音。
本当に小さくて、聞き間違いかと思うくらい。
でも、隣を歩くルカが、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……お腹、すいてる?」
私がそう聞くと、ルカは一瞬、固まった。
それから、観念したように頷く。
「……朝から、何も食べてないんだ」
「じゃあ…パン、食べに行こう」
「え?」
彼が目を丸くする。
「私の家のお隣にパン屋さんがあるの。とっても美味しくて、毎日食べてるのに毎日幸せになっちゃうの。食べたらルカも幸せ~って感じるよ!」
「ね、行こっ」
ルカの手をとり、戸惑う彼に気づかないふりをして、ぐいぐいと引っ張っていく。
マルタおばさんのパン屋は、店の前に立つだけで幸せな匂いがする。
扉を開けると、すぐに声が飛んできた。
「アイリス!おかえり」
「こんにちは、マルタおばさん」
「今日は一人――じゃないね?」
視線が、私の隣に移る。
「この子はルカっていうの。お腹すいてるみたいなの。だからね、私の1番大好きなパンを食べて欲しくて連れて来たの」
「そうかい」
マルタは微笑み、アイリスの頭を優しく撫でる。
「すぐに用意するから、座っておいで」
「ありがとう!ルカ、こっちだよ」
カーテンから柔らかな陽が差し込む窓際に置かれた、2人がけの真っ白なベンチと小さな丸いテーブルを指さす。
パン屋さんに来るお客さんが、食事をしたり、休憩できるスペースだ。
テーブルの上の小さな一輪挿しには、パンの香りを邪魔しない花を父に教わりアイリスが毎朝届けている。
アイリスが先にベンチに座り、早く、と横をトントンと示しながら微笑む。
「でも……」
男の子が遠慮しかけるのを、マルタは一睨みで止める。
「子どもが遠慮なんてするもんじゃないよ。さぁ、座って手を拭きな」
温かい手拭きのタオルを手渡されたルカは、観念したようにベンチの隅に腰を下ろす。
焼きたてのパンを受け取ると、男の子は猫背を正し、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その所作が、妙に丁寧で、アイリスはにんまりと口角を上げる。
(……やっぱり、綺麗で優しい子)
アイリスへの配慮だろうか、少し距離を取るようにベンチの角に浅く座るルカは、身なりは確かに汚れているが、時折見せる丁寧な所作と纏う空気に、平民とはどこか異なる、高貴な雰囲気さえ感じさせた。
初めて見るこの男の子は、この町の子ではないのだろう。
年齢はアイリスより、2つか3つくらい歳上だろうか。
くすんだ灰色の髪はぼさぼさで、頬にはそばかすがみえる。
サイズの合っていない汚れた服の裾は、少しほつれていた。
路地で出会った時は猫背に見えたけれど、今は姿勢を正しパン手にしていた。
「いただきます」
ルカは丁寧にもう一度頭を下げてから、
一口食べて、少しだけ目を見開いた。
「……おいしい」
その言い方が飾り気がなくて、心からの感想だと伝わる。
「よかった。私もこのパン大好きなの」
私が笑うと、彼は少し照れたように視線を落とし、また一口、パンを味わうように口にした。
マルタおばさんが用意してくれた、はちみつ入りのホットミルクも二人で美味しくいただいて、会話こそほとんど無かったものの、温かい時間を過ごした。
「誘ったのは私だから、私が出すよ」
「いやいや、年下の女の子にお金を出させるなんてできないよ。僕が払う」
帰り際、アイリスとルカがどちらがお金を出すか言い合っていると、呆れたように笑いながらマルタおばさんは「出世払いで構わないよ。またいつでも食べに来な」と二人の頭を撫で、見送ってくれた。
特に目的地はないまま、二人でゆっくりと川沿いの道を歩いていくと、町の中心にある噴水広場にたどり着いた。
店を出た後、ルカは何か思案するように、しばらく黙っていた。
噴水の音だけが、二人の間に静かに流れる。
(さて、どうしようか)
ルカはこの町の子ではない。
どこから来たのかわからないから、送って行く事はできない。
本人が口にしないのなら、こちらから聞き出すのも良く無い気がして、噴水の前で立ち止まって動かなくなったルカをチラリと伺いながら、一緒に噴水を眺めている。
「……君は、どうして、さっき止めてくれたの?」
唐突な質問。
「どうしてって……」
私は、少し考えてから答える。
「嫌だったから」
「……嫌?」
「人を笑うの」
「……変わってるね」
そう言いながら、ルカの口元が少しだけ緩む。
「えっと…私は、アイリス。マルタおばさんの…さっきのパン屋さんね、その隣の花屋さんの娘だよ」
改めて名乗ると、
彼は一拍置いてから、言った。
「……ルカ」
それだけ。
「ルカは、この町の人?」
「……一応」
その答え方が、どこか曖昧で、少し線を引かれているのがわかった。
でも、けして失礼な態度ではなく、きっと話せない事情があるんだろうということも理解できた。
「そっか。また会える?」
「え?!」
そんなに驚く事を言っただろうか?
ルカの驚く表情からは、信じられない、という感情が滲み出ていた。
「…ごめんね、もう会えない?それとも会いたくなかったかな?」
少し背の高いルカを見上げながら、迷惑だった?と目線で問いかけると、ルカの頬が少し赤くなった気がした。
「いや…、そんな事はない。また今度…アイリスが嫌じゃなければ…」
ルカが初めて名を呼んでくれた事に、友達になれた気がして、頬が緩む。
「もちろん!嫌な訳ないよ!じゃあまた今度、一緒にパンを食べようね」
「なんか調子狂うんだよな…」
「え?何か言った?」
ルカの小さな呟きは、噴水広場に来た子ども達の笑い声にかき消されて聞こえなかった。
「なんでもない。またね、アイリス」
今日1番の笑顔のルカは、やっぱり綺麗だと思った。
「……ぐぅ」
小さな音。
本当に小さくて、聞き間違いかと思うくらい。
でも、隣を歩くルカが、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……お腹、すいてる?」
私がそう聞くと、ルカは一瞬、固まった。
それから、観念したように頷く。
「……朝から、何も食べてないんだ」
「じゃあ…パン、食べに行こう」
「え?」
彼が目を丸くする。
「私の家のお隣にパン屋さんがあるの。とっても美味しくて、毎日食べてるのに毎日幸せになっちゃうの。食べたらルカも幸せ~って感じるよ!」
「ね、行こっ」
ルカの手をとり、戸惑う彼に気づかないふりをして、ぐいぐいと引っ張っていく。
マルタおばさんのパン屋は、店の前に立つだけで幸せな匂いがする。
扉を開けると、すぐに声が飛んできた。
「アイリス!おかえり」
「こんにちは、マルタおばさん」
「今日は一人――じゃないね?」
視線が、私の隣に移る。
「この子はルカっていうの。お腹すいてるみたいなの。だからね、私の1番大好きなパンを食べて欲しくて連れて来たの」
「そうかい」
マルタは微笑み、アイリスの頭を優しく撫でる。
「すぐに用意するから、座っておいで」
「ありがとう!ルカ、こっちだよ」
カーテンから柔らかな陽が差し込む窓際に置かれた、2人がけの真っ白なベンチと小さな丸いテーブルを指さす。
パン屋さんに来るお客さんが、食事をしたり、休憩できるスペースだ。
テーブルの上の小さな一輪挿しには、パンの香りを邪魔しない花を父に教わりアイリスが毎朝届けている。
アイリスが先にベンチに座り、早く、と横をトントンと示しながら微笑む。
「でも……」
男の子が遠慮しかけるのを、マルタは一睨みで止める。
「子どもが遠慮なんてするもんじゃないよ。さぁ、座って手を拭きな」
温かい手拭きのタオルを手渡されたルカは、観念したようにベンチの隅に腰を下ろす。
焼きたてのパンを受け取ると、男の子は猫背を正し、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その所作が、妙に丁寧で、アイリスはにんまりと口角を上げる。
(……やっぱり、綺麗で優しい子)
アイリスへの配慮だろうか、少し距離を取るようにベンチの角に浅く座るルカは、身なりは確かに汚れているが、時折見せる丁寧な所作と纏う空気に、平民とはどこか異なる、高貴な雰囲気さえ感じさせた。
初めて見るこの男の子は、この町の子ではないのだろう。
年齢はアイリスより、2つか3つくらい歳上だろうか。
くすんだ灰色の髪はぼさぼさで、頬にはそばかすがみえる。
サイズの合っていない汚れた服の裾は、少しほつれていた。
路地で出会った時は猫背に見えたけれど、今は姿勢を正しパン手にしていた。
「いただきます」
ルカは丁寧にもう一度頭を下げてから、
一口食べて、少しだけ目を見開いた。
「……おいしい」
その言い方が飾り気がなくて、心からの感想だと伝わる。
「よかった。私もこのパン大好きなの」
私が笑うと、彼は少し照れたように視線を落とし、また一口、パンを味わうように口にした。
マルタおばさんが用意してくれた、はちみつ入りのホットミルクも二人で美味しくいただいて、会話こそほとんど無かったものの、温かい時間を過ごした。
「誘ったのは私だから、私が出すよ」
「いやいや、年下の女の子にお金を出させるなんてできないよ。僕が払う」
帰り際、アイリスとルカがどちらがお金を出すか言い合っていると、呆れたように笑いながらマルタおばさんは「出世払いで構わないよ。またいつでも食べに来な」と二人の頭を撫で、見送ってくれた。
特に目的地はないまま、二人でゆっくりと川沿いの道を歩いていくと、町の中心にある噴水広場にたどり着いた。
店を出た後、ルカは何か思案するように、しばらく黙っていた。
噴水の音だけが、二人の間に静かに流れる。
(さて、どうしようか)
ルカはこの町の子ではない。
どこから来たのかわからないから、送って行く事はできない。
本人が口にしないのなら、こちらから聞き出すのも良く無い気がして、噴水の前で立ち止まって動かなくなったルカをチラリと伺いながら、一緒に噴水を眺めている。
「……君は、どうして、さっき止めてくれたの?」
唐突な質問。
「どうしてって……」
私は、少し考えてから答える。
「嫌だったから」
「……嫌?」
「人を笑うの」
「……変わってるね」
そう言いながら、ルカの口元が少しだけ緩む。
「えっと…私は、アイリス。マルタおばさんの…さっきのパン屋さんね、その隣の花屋さんの娘だよ」
改めて名乗ると、
彼は一拍置いてから、言った。
「……ルカ」
それだけ。
「ルカは、この町の人?」
「……一応」
その答え方が、どこか曖昧で、少し線を引かれているのがわかった。
でも、けして失礼な態度ではなく、きっと話せない事情があるんだろうということも理解できた。
「そっか。また会える?」
「え?!」
そんなに驚く事を言っただろうか?
ルカの驚く表情からは、信じられない、という感情が滲み出ていた。
「…ごめんね、もう会えない?それとも会いたくなかったかな?」
少し背の高いルカを見上げながら、迷惑だった?と目線で問いかけると、ルカの頬が少し赤くなった気がした。
「いや…、そんな事はない。また今度…アイリスが嫌じゃなければ…」
ルカが初めて名を呼んでくれた事に、友達になれた気がして、頬が緩む。
「もちろん!嫌な訳ないよ!じゃあまた今度、一緒にパンを食べようね」
「なんか調子狂うんだよな…」
「え?何か言った?」
ルカの小さな呟きは、噴水広場に来た子ども達の笑い声にかき消されて聞こえなかった。
「なんでもない。またね、アイリス」
今日1番の笑顔のルカは、やっぱり綺麗だと思った。
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