観客席のモブは、恋をする予定じゃなかった

しろうさぎ

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ルカ

私は少しだけ、落ち込んでいた。

「またね」

そう言ったはいいものの、考えてみれば、ルカがどこに住んでいるのかも、どんな人なのかも、私は何ひとつ知らない。

(……どうやって、また会えばいいんだろう)

名前しか知らない相手と、次に会える保証なんてない。
それに、この町は小さいけれど、毎日顔を合わせるほど狭くもない。
ルカはこの町に住んで居ると言っていたけれど…。

(やっぱり、あれっきりだったのかな)

そんなふうに思いながら家に帰った日の夜は、いつもより少しだけ眠りが浅かった。

けれど。

それは、本当に取り越し苦労だった。


二日後。
花の配達に出た帰り道、川沿いの道で見覚えのある背中を見つけた。

(……あ)

ぼさぼさの灰色の髪。少し猫背の姿。
間違えようがない。

「ルカ?」

名前を呼ぶと、彼は驚いたように振り返る。

「……アイリス」

気まずそうに、少し照れた笑顔を返してくれるルカに、つられて私も笑顔になる。それだけで、胸の奥がふっと軽くなった。

それからだった。

二日か、三日に一度。
私は、町のどこかでルカを見かけるようになった。

市場の端。
噴水のそば。
川沿いの道。

いつも同じ場所じゃないのに、不思議とちゃんと会える。
ルカは自分から声をかけてきてはくれないけれど、こちらから声をかければ、笑顔で応じてくれるようになった。

(……あの心配、何だったんだろう)

まるで、野良猫が少しずつ距離を許してくれるみたい。
そんなふうに思いながら、私は小さく笑う。

「また会えたね」

そう言うと、ルカは少し照れたように目を逸らした。

連絡手段なんて、なくてもよかった。
約束なんて、しなくてもよかった。
町が、二人の待ち合わせ場所みたいになっていく。



「また来てるぞ」

「ほんとに、懲りないな」

アルベルト家の息子とその取り巻きたちが、私達の事を良く思っていないなんて思ってもみなかった。

数を頼りに、ルカに言葉を投げつける。

「アイリスの近くをうろつくなよ」

「不細工で汚いお前には、アイリスの隣が似合うわけないだろ」

「優しいアイリスは、お前を拒む事ができないだけだ。これ以上アイリスに付き纏うのはやめてくれ」

そうやって、何度かに一度は、町で絡まれているルカに遭遇する事となった。
最初の数回は、何故こんな事をするのかと詰め寄った事もあるけれど、彼らの返事は「そいつはアイリスに相応しい男ではない」など、理解できない言葉だけしか返ってこず…。そんな虐めのような遭遇が両手を超えたあたりで、私は彼らと言葉を交わすのを諦めた。

それからは、絡まれているルカを見つける度に
「ルカ、行こう」
それだけ言って、彼の手を引く。

「……いいの?」

小さく、そう聞かれる。

「いいよ」

最初のうち、ルカは遠慮がちだった。
必要以上に距離を取って、必要以上に謝った。

でも、何度目かの午後。

「……ありがとう」

その言葉が、少しだけ自然になった。


「また、からかわれた?」

「……うん」

「気にしなくていいよ」

そう言うと、ルカは困ったように笑う。

「アイリスって…ほんとに変わってる」

(それ、何度目だろう)

私は、心の中で数えた。

広場の噴水。いつものベンチ。
パンを分け合ったり、
ただ並んで座って川を眺めたり。
話すのは、取り留めのない言葉を少しだけ。
特別な事は何もしていないし、お互い会話を必死に繋ぐような努力もしない。

ルカと過ごす穏やかな時間が好きだと言うと、ルカは決まって
「アイリスってほんとに変わってる」と優しく笑う。

それがなんだか、嬉しい気持ちになってしまう私は、
やっぱり変わってるのかもしれない。

「この町、好き?」
ルカにとってきっと良い想いばかりではないこの町。
いつか、もう町で会う事が無くなってしまうのではないかという思いが、心の片隅に影を落とす。

「……うん。……でも、ずっとはいられない」

ルカから、ぽつりと落ちた言葉。

私は、聞き返さなかった。



「アイリス」

帰り道、ルカが名前を呼んだ。
少しだけ、緊張した声。

「君は……」

言いかけて、言葉を探す。

「……みんなに、好かれてる」

「そうかな?」

「うん」

即答だった。

「アイリスが笑うと、この町が少しだけ優しく見える。だから…好きだよ。」

胸の奥が、きゅっとする。
まるで告白みたいに聞こえてしまったのは、さすがに自意識過剰だろうと、直ぐに頭の中で否定する。

「良かった。ルカがこの町を好きになってくれて嬉しいよ」

そうやって二人で笑い合って「またね」と繋ぐ。



アルベルト家の息子の視線は、日に日に鋭くなっていった。

「……やめておけ」

花の配達に行く度に、そんな忠告を真剣な眼差しでされるようになったけれど、私は曖昧に笑って聞き流した。

自分でも、ルカに対するこの気持ちがなんなのか、まだ答えが見つけられないでいるのに、やめるも何も…。
ただ、また会えたら良いなって思う。そんな存在にルカはなっていた。


ルカもルカで、少しずつ変わっていった気がする。
笑う回数が増えて、話す時間が長くなって。

そして
私を見る目が、ほんの少し、変わった。
琥珀の澄んだ瞳に、私がゆっくりと映るようになったと思うのは、自惚れなのかもしれない。


まだ、
私は知らない。

この穏やかな時間が、
終わりに向かっていることを。

そして

ルカがある日突然、この町から消えてしまうことを。


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