6 / 19
ルカ
しおりを挟む
私は少しだけ、落ち込んでいた。
「またね」
そう言ったはいいものの、考えてみれば、ルカがどこに住んでいるのかも、どんな人なのかも、私は何ひとつ知らない。
(……どうやって、また会えばいいんだろう)
名前しか知らない相手と、次に会える保証なんてない。
それに、この町は小さいけれど、毎日顔を合わせるほど狭くもない。
ルカはこの町に住んで居ると言っていたけれど…。
(やっぱり、あれっきりだったのかな)
そんなふうに思いながら家に帰った日の夜は、いつもより少しだけ眠りが浅かった。
けれど。
それは、本当に取り越し苦労だった。
二日後。
花の配達に出た帰り道、川沿いの道で見覚えのある背中を見つけた。
(……あ)
ぼさぼさの灰色の髪。少し猫背の姿。
間違えようがない。
「ルカ?」
名前を呼ぶと、彼は驚いたように振り返る。
「……アイリス」
気まずそうに、少し照れた笑顔を返してくれるルカに、つられて私も笑顔になる。それだけで、胸の奥がふっと軽くなった。
それからだった。
二日か、三日に一度。
私は、町のどこかでルカを見かけるようになった。
市場の端。
噴水のそば。
川沿いの道。
いつも同じ場所じゃないのに、不思議とちゃんと会える。
ルカは自分から声をかけてきてはくれないけれど、こちらから声をかければ、笑顔で応じてくれるようになった。
(……あの心配、何だったんだろう)
まるで、野良猫が少しずつ距離を許してくれるみたい。
そんなふうに思いながら、私は小さく笑う。
「また会えたね」
そう言うと、ルカは少し照れたように目を逸らした。
連絡手段なんて、なくてもよかった。
約束なんて、しなくてもよかった。
町が、二人の待ち合わせ場所みたいになっていく。
⸻
「また来てるぞ」
「ほんとに、懲りないな」
アルベルト家の息子とその取り巻きたちが、私達の事を良く思っていないなんて思ってもみなかった。
数を頼りに、ルカに言葉を投げつける。
「アイリスの近くをうろつくなよ」
「不細工で汚いお前には、アイリスの隣が似合うわけないだろ」
「優しいアイリスは、お前を拒む事ができないだけだ。これ以上アイリスに付き纏うのはやめてくれ」
そうやって、何度かに一度は、町で絡まれているルカに遭遇する事となった。
最初の数回は、何故こんな事をするのかと詰め寄った事もあるけれど、彼らの返事は「そいつはアイリスに相応しい男ではない」など、理解できない言葉だけしか返ってこず…。そんな虐めのような遭遇が両手を超えたあたりで、私は彼らと言葉を交わすのを諦めた。
それからは、絡まれているルカを見つける度に
「ルカ、行こう」
それだけ言って、彼の手を引く。
「……いいの?」
小さく、そう聞かれる。
「いいよ」
最初のうち、ルカは遠慮がちだった。
必要以上に距離を取って、必要以上に謝った。
でも、何度目かの午後。
「……ありがとう」
その言葉が、少しだけ自然になった。
「また、からかわれた?」
「……うん」
「気にしなくていいよ」
そう言うと、ルカは困ったように笑う。
「アイリスって…ほんとに変わってる」
(それ、何度目だろう)
私は、心の中で数えた。
広場の噴水。いつものベンチ。
パンを分け合ったり、
ただ並んで座って川を眺めたり。
話すのは、取り留めのない言葉を少しだけ。
特別な事は何もしていないし、お互い会話を必死に繋ぐような努力もしない。
ルカと過ごす穏やかな時間が好きだと言うと、ルカは決まって
「アイリスってほんとに変わってる」と優しく笑う。
それがなんだか、嬉しい気持ちになってしまう私は、
やっぱり変わってるのかもしれない。
「この町、好き?」
ルカにとってきっと良い想いばかりではないこの町。
いつか、もう町で会う事が無くなってしまうのではないかという思いが、心の片隅に影を落とす。
「……うん。……でも、ずっとはいられない」
ルカから、ぽつりと落ちた言葉。
私は、聞き返さなかった。
「アイリス」
帰り道、ルカが名前を呼んだ。
少しだけ、緊張した声。
「君は……」
言いかけて、言葉を探す。
「……みんなに、好かれてる」
「そうかな?」
「うん」
即答だった。
「アイリスが笑うと、この町が少しだけ優しく見える。だから…好きだよ。」
胸の奥が、きゅっとする。
まるで告白みたいに聞こえてしまったのは、さすがに自意識過剰だろうと、直ぐに頭の中で否定する。
「良かった。ルカがこの町を好きになってくれて嬉しいよ」
そうやって二人で笑い合って「またね」と繋ぐ。
⸻
アルベルト家の息子の視線は、日に日に鋭くなっていった。
「……やめておけ」
花の配達に行く度に、そんな忠告を真剣な眼差しでされるようになったけれど、私は曖昧に笑って聞き流した。
自分でも、ルカに対するこの気持ちがなんなのか、まだ答えが見つけられないでいるのに、やめるも何も…。
ただ、また会えたら良いなって思う。そんな存在にルカはなっていた。
ルカもルカで、少しずつ変わっていった気がする。
笑う回数が増えて、話す時間が長くなって。
そして
私を見る目が、ほんの少し、変わった。
琥珀の澄んだ瞳に、私がゆっくりと映るようになったと思うのは、自惚れなのかもしれない。
まだ、
私は知らない。
この穏やかな時間が、
終わりに向かっていることを。
そして
ルカがある日突然、この町から消えてしまうことを。
「またね」
そう言ったはいいものの、考えてみれば、ルカがどこに住んでいるのかも、どんな人なのかも、私は何ひとつ知らない。
(……どうやって、また会えばいいんだろう)
名前しか知らない相手と、次に会える保証なんてない。
それに、この町は小さいけれど、毎日顔を合わせるほど狭くもない。
ルカはこの町に住んで居ると言っていたけれど…。
(やっぱり、あれっきりだったのかな)
そんなふうに思いながら家に帰った日の夜は、いつもより少しだけ眠りが浅かった。
けれど。
それは、本当に取り越し苦労だった。
二日後。
花の配達に出た帰り道、川沿いの道で見覚えのある背中を見つけた。
(……あ)
ぼさぼさの灰色の髪。少し猫背の姿。
間違えようがない。
「ルカ?」
名前を呼ぶと、彼は驚いたように振り返る。
「……アイリス」
気まずそうに、少し照れた笑顔を返してくれるルカに、つられて私も笑顔になる。それだけで、胸の奥がふっと軽くなった。
それからだった。
二日か、三日に一度。
私は、町のどこかでルカを見かけるようになった。
市場の端。
噴水のそば。
川沿いの道。
いつも同じ場所じゃないのに、不思議とちゃんと会える。
ルカは自分から声をかけてきてはくれないけれど、こちらから声をかければ、笑顔で応じてくれるようになった。
(……あの心配、何だったんだろう)
まるで、野良猫が少しずつ距離を許してくれるみたい。
そんなふうに思いながら、私は小さく笑う。
「また会えたね」
そう言うと、ルカは少し照れたように目を逸らした。
連絡手段なんて、なくてもよかった。
約束なんて、しなくてもよかった。
町が、二人の待ち合わせ場所みたいになっていく。
⸻
「また来てるぞ」
「ほんとに、懲りないな」
アルベルト家の息子とその取り巻きたちが、私達の事を良く思っていないなんて思ってもみなかった。
数を頼りに、ルカに言葉を投げつける。
「アイリスの近くをうろつくなよ」
「不細工で汚いお前には、アイリスの隣が似合うわけないだろ」
「優しいアイリスは、お前を拒む事ができないだけだ。これ以上アイリスに付き纏うのはやめてくれ」
そうやって、何度かに一度は、町で絡まれているルカに遭遇する事となった。
最初の数回は、何故こんな事をするのかと詰め寄った事もあるけれど、彼らの返事は「そいつはアイリスに相応しい男ではない」など、理解できない言葉だけしか返ってこず…。そんな虐めのような遭遇が両手を超えたあたりで、私は彼らと言葉を交わすのを諦めた。
それからは、絡まれているルカを見つける度に
「ルカ、行こう」
それだけ言って、彼の手を引く。
「……いいの?」
小さく、そう聞かれる。
「いいよ」
最初のうち、ルカは遠慮がちだった。
必要以上に距離を取って、必要以上に謝った。
でも、何度目かの午後。
「……ありがとう」
その言葉が、少しだけ自然になった。
「また、からかわれた?」
「……うん」
「気にしなくていいよ」
そう言うと、ルカは困ったように笑う。
「アイリスって…ほんとに変わってる」
(それ、何度目だろう)
私は、心の中で数えた。
広場の噴水。いつものベンチ。
パンを分け合ったり、
ただ並んで座って川を眺めたり。
話すのは、取り留めのない言葉を少しだけ。
特別な事は何もしていないし、お互い会話を必死に繋ぐような努力もしない。
ルカと過ごす穏やかな時間が好きだと言うと、ルカは決まって
「アイリスってほんとに変わってる」と優しく笑う。
それがなんだか、嬉しい気持ちになってしまう私は、
やっぱり変わってるのかもしれない。
「この町、好き?」
ルカにとってきっと良い想いばかりではないこの町。
いつか、もう町で会う事が無くなってしまうのではないかという思いが、心の片隅に影を落とす。
「……うん。……でも、ずっとはいられない」
ルカから、ぽつりと落ちた言葉。
私は、聞き返さなかった。
「アイリス」
帰り道、ルカが名前を呼んだ。
少しだけ、緊張した声。
「君は……」
言いかけて、言葉を探す。
「……みんなに、好かれてる」
「そうかな?」
「うん」
即答だった。
「アイリスが笑うと、この町が少しだけ優しく見える。だから…好きだよ。」
胸の奥が、きゅっとする。
まるで告白みたいに聞こえてしまったのは、さすがに自意識過剰だろうと、直ぐに頭の中で否定する。
「良かった。ルカがこの町を好きになってくれて嬉しいよ」
そうやって二人で笑い合って「またね」と繋ぐ。
⸻
アルベルト家の息子の視線は、日に日に鋭くなっていった。
「……やめておけ」
花の配達に行く度に、そんな忠告を真剣な眼差しでされるようになったけれど、私は曖昧に笑って聞き流した。
自分でも、ルカに対するこの気持ちがなんなのか、まだ答えが見つけられないでいるのに、やめるも何も…。
ただ、また会えたら良いなって思う。そんな存在にルカはなっていた。
ルカもルカで、少しずつ変わっていった気がする。
笑う回数が増えて、話す時間が長くなって。
そして
私を見る目が、ほんの少し、変わった。
琥珀の澄んだ瞳に、私がゆっくりと映るようになったと思うのは、自惚れなのかもしれない。
まだ、
私は知らない。
この穏やかな時間が、
終わりに向かっていることを。
そして
ルカがある日突然、この町から消えてしまうことを。
12
あなたにおすすめの小説
五周目の王女様
輝
恋愛
「私、今度はどうやって殺されるの?」
バザロス国へ嫁ぐことになった王女ジゼルは、数度の死に戻りの記憶を持っていた。 1度目は毒殺、2度目は即死、3度目は逃亡先での裏切り。どう足掻いても結婚初夜を越えられず死に戻る運命に私の心はクタクタだった。
今世の夫も「冷酷皇帝」と恐れられる皇帝レオポルド。
実は彼もまた孤独に戦い、ループする人生から脱出を図ろうする一人。
夫婦がようやく絡まりだす4度目の死に戻り。
どうやら今世は他に女がいる皇帝は全く私に見向きもしない……と思っていたら、誰にも見つからずに私に会いに来るんですが?
出ていけ、と言ったのは貴方の方です
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
あるところに、小さな領地を治める男爵家がいた。彼は良き領主として領民たちから慕われていた。しかし、唯一の跡継ぎ息子はどうしようもない放蕩家であり彼の悩みの種だった。そこで彼は息子を更生させるべく、1人の女性を送りつけるのだったが――
※コメディ要素あり
短編です。あっさり目に終わります
他サイトでも投稿中
【完結】大好きなあなたのために…?
月樹《つき》
恋愛
私には子供の頃から仲の良い大好きな幼馴染がいた。
2人でよく読んだ冒険のお話の中では、最後に魔物を倒し立派な騎士となった男の子と、それを支えてきた聖女の女の子が結ばれる。
『俺もこの物語の主人公みたいに立派な騎士になるから』と言って、真っ赤な顔で花畑で摘んだ花束をくれた彼。あの時から彼を信じて支えてきたのに…
いつの間にか彼の隣には、お姫様のように可憐な女の子がいた…。
起きたら猫に!?~夫の本音がだだ漏れです~
水中 沈
恋愛
(猫になっちゃった!!?)
政務官の夫と大喧嘩した翌朝、目が覚めたら猫になっていたアネット。
パニックになって部屋を飛び出し、行き着いた先は夫、マリウスの執務室だった。
(どうしよう。気まずいわ)
直ぐに立ち去りたいが扉を開けようにも猫の手じゃ無理。
それでも何とか奮闘していると、マリウスがアネット(猫)に気付いてしまう。
「なんでこんなところに猫が」
訝しそうにするマリウスだったが、彼はぽつりと「猫ならいいか」と言って、誰の前でも話さなかった本音を語り始める。
「私は妻を愛しているんだが、どうやったら上手く伝えられるだろうか…」
無口なマリウスの口から次々と漏れるアネットへの愛と真実。
魔法が解けた後、二人の関係は…
好感度0になるまで終われません。
チョコパイ
恋愛
土屋千鶴子(享年98歳)
子供や孫、ひ孫に囲まれての大往生。
愛され続けて4度目の転生。
そろそろ……愛されるのに疲れたのですが…
登場人物の好感度0にならない限り終わらない溺愛の日々。
5度目の転生先は娘が遊んでいた乙女ゲームの世界。
いつもと違う展開に今度こそ永久の眠りにつける。
そう信じ、好きなことを、好きなようにやりたい放題…
自覚なし愛され公女と執着一途皇太子のすれ違いラブロマンス。
婚約破棄を言い渡された側なのに、俺たち...やり直せないか...だと?やり直せません。残念でした〜
神々廻
恋愛
私は才色兼備と謳われ、完璧な令嬢....そう言われていた。
しかし、初恋の婚約者からは婚約破棄を言い渡される
そして、数年後に貴族の通う学園で"元"婚約者と再会したら.....
「俺たち....やり直せないか?」
お前から振った癖になに言ってんの?やり直せる訳無いだろ
お気に入り、感想お願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる