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「…ここ?」
立っていられずにしゃがみこんだ私の後ろから、風を縫って優しい声が届いた。
近づく気配。迫る足音。差し出された手。
「…手、つないでやろうか」
涙の膜の向こうに千晃くんがいる。
時間が戻ったのかと思った。
千晃くんがそこにいて、私を呼んで、救いの手を差し伸べている。
「…千晃くん」
千晃くんの滑らかな手に触れて力強い腕に引き寄せられて、
ほのかな石鹸の匂いがする胸の中に包み込まれた。
「…大丈夫」
千晃くんの甘い声が頭上から降り注ぎ、身体を巡って落ち着きをもたらす。
どうか神様。
時間を止めて。
何万回願っただろう。
願いが叶って、時間が止まったのかと思った。
奇跡が起きて、千晃くんが戻ってきてくれたのかと思った。
目をつむる。
耳を鳴らす強い風もすくみ上る高さの外階段も、もう怖くない。
「…ここ」
千晃くんに抱えられながら、外階段から7階フロアに戻った。
「ここ、って言うんだね」
敷き詰められた絨毯。皮の匂い。
一面ガラス張りの窓から降り注ぐのどかな日差し。
(株)トイ・プードル本社7階。役員執務室階。
「あ、…はい」
現実に戻った。
願いは叶わないし、奇跡も起きない。
千晃くんが私の名前を認識しただけだった。
「高いところ、ダメなの?」
千晃くんは私が落ち着くのを待って、まだ手をつないでくれていた。
「…はい」
「そ、っか」
千晃くんが私の手の甲を親指でそっと撫でた。
「…ここ」
目を上げると、千晃くんの澄んだ瞳が揺れていた。
「俺、時々、どうしようもなく、…」
ゆらゆら揺れる瞳に、私が映っていた。
そのきれいな瞳は、私だけを映していた。
「…焦る」
焦る?
千晃くんがふっと自嘲するような声を漏らした。
「ごめん。変なこと言って」
千晃くんが私から瞳をそらして、寂しそうな笑みを浮かべた。
「もし、必要な時があったら連絡して」
千晃くんの手のぬくもりが離れて、代わりにメモを握らされた。
「くれぐれも、気を付けて」
何か言うよりも早く、フロアに可愛らしい高音が響いた。
「千晃くんっ。ここにいたんだ! パパがお昼一緒に食べようって」
こっちをうかがうように見ている心菜さんの視線に射られて、心臓が不規則に脈打つ。
なんだか、いけないことをしていたような罪悪感に駆られた。
「ああ、うん、心菜ちゃん。今行く」
千晃くんは心菜さんに向き直り、私から離れていった。
…心菜、ちゃん。
2人寄り添って役員室に消えていく。
部屋に入る前に、一度、千晃くんと視線が交差した。
千晃くんの寂しそうな笑みが頭に焼き付いて離れない。
願いは叶わないし、奇跡も起きない。
幻かもしれない。だけど。
もしかして。
もしかしたら。
千晃くんの記憶の片隅に、ほんのほんの少しだけ。
私が残っているのかな。
そんなこと、あるわけない、かな。
握っていた手を開くと、メモに電話番号が記されていた。
変わってない。
そう思って、そんな自分が悲しかった。
千晃くんの番号を目と指が覚えている。
忘れたくて忘れたくて連絡先からは消したけど、
頭からも心からも消えていない。
全然、忘れられてない。
千晃くん。
必要な時、っていつ?
焦る、ってなに?
聞きたいけど、聞けない。
涙が出るほど懐かしい千晃くんの筆跡を握りしめた。
立っていられずにしゃがみこんだ私の後ろから、風を縫って優しい声が届いた。
近づく気配。迫る足音。差し出された手。
「…手、つないでやろうか」
涙の膜の向こうに千晃くんがいる。
時間が戻ったのかと思った。
千晃くんがそこにいて、私を呼んで、救いの手を差し伸べている。
「…千晃くん」
千晃くんの滑らかな手に触れて力強い腕に引き寄せられて、
ほのかな石鹸の匂いがする胸の中に包み込まれた。
「…大丈夫」
千晃くんの甘い声が頭上から降り注ぎ、身体を巡って落ち着きをもたらす。
どうか神様。
時間を止めて。
何万回願っただろう。
願いが叶って、時間が止まったのかと思った。
奇跡が起きて、千晃くんが戻ってきてくれたのかと思った。
目をつむる。
耳を鳴らす強い風もすくみ上る高さの外階段も、もう怖くない。
「…ここ」
千晃くんに抱えられながら、外階段から7階フロアに戻った。
「ここ、って言うんだね」
敷き詰められた絨毯。皮の匂い。
一面ガラス張りの窓から降り注ぐのどかな日差し。
(株)トイ・プードル本社7階。役員執務室階。
「あ、…はい」
現実に戻った。
願いは叶わないし、奇跡も起きない。
千晃くんが私の名前を認識しただけだった。
「高いところ、ダメなの?」
千晃くんは私が落ち着くのを待って、まだ手をつないでくれていた。
「…はい」
「そ、っか」
千晃くんが私の手の甲を親指でそっと撫でた。
「…ここ」
目を上げると、千晃くんの澄んだ瞳が揺れていた。
「俺、時々、どうしようもなく、…」
ゆらゆら揺れる瞳に、私が映っていた。
そのきれいな瞳は、私だけを映していた。
「…焦る」
焦る?
千晃くんがふっと自嘲するような声を漏らした。
「ごめん。変なこと言って」
千晃くんが私から瞳をそらして、寂しそうな笑みを浮かべた。
「もし、必要な時があったら連絡して」
千晃くんの手のぬくもりが離れて、代わりにメモを握らされた。
「くれぐれも、気を付けて」
何か言うよりも早く、フロアに可愛らしい高音が響いた。
「千晃くんっ。ここにいたんだ! パパがお昼一緒に食べようって」
こっちをうかがうように見ている心菜さんの視線に射られて、心臓が不規則に脈打つ。
なんだか、いけないことをしていたような罪悪感に駆られた。
「ああ、うん、心菜ちゃん。今行く」
千晃くんは心菜さんに向き直り、私から離れていった。
…心菜、ちゃん。
2人寄り添って役員室に消えていく。
部屋に入る前に、一度、千晃くんと視線が交差した。
千晃くんの寂しそうな笑みが頭に焼き付いて離れない。
願いは叶わないし、奇跡も起きない。
幻かもしれない。だけど。
もしかして。
もしかしたら。
千晃くんの記憶の片隅に、ほんのほんの少しだけ。
私が残っているのかな。
そんなこと、あるわけない、かな。
握っていた手を開くと、メモに電話番号が記されていた。
変わってない。
そう思って、そんな自分が悲しかった。
千晃くんの番号を目と指が覚えている。
忘れたくて忘れたくて連絡先からは消したけど、
頭からも心からも消えていない。
全然、忘れられてない。
千晃くん。
必要な時、っていつ?
焦る、ってなに?
聞きたいけど、聞けない。
涙が出るほど懐かしい千晃くんの筆跡を握りしめた。
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