英雄の番が名乗るまで

長野 雪

文字の大きさ
31 / 67

31.勤務初日

しおりを挟む
「念のために確認なんだけど、これって読める?」
「はい、ちゃんと内容は理解できるみたいです」

 出勤してすぐに案内されたのは、クレットの執務室の端にある小さな机だ。ここが今日からユーリの席になるらしい。ガラスペンとインク壺が置かれ、そして紙の束がどどんと積まれている。
 昼休憩以外にも、随時、休んで構わないことや、クレット以外にここに出入りしている文官には「フィルが戦地で拾ってきた人材」とだけ伝えてあることなど、一通りの説明を受けた後、何やら古びた本を渡されて質問されたと思えば、クレットは両膝をついて手を組み、ユーリを拝んできた。

「あのっ、そんな大袈裟な……っ」
「いやいや、大袈裟なんかじゃないんだよ。だって、もう失われた言語だよ? この言語を使ってた文明すら伝説レベルなのに、僅かに残った本や碑文なんて読めるはずもないって諦めてたレベルだからね?」

 そんなことを言われても、とユーリは思う。ただ、今の説明を聞いて疑問も湧いた。

「あの、この世界には長命な種族がいると聞いていたんですが、それでも伝説になるレベルって、よほど昔の文明なんでしょうか?」
「あぁ、長命って言っても、自分の国に引きこもってることが多かったりするからね。その有り余る寿命を使って見聞を深めている種族なんて、まず、いないから。いたとしても相当な変わり者扱いだろうね」
「そういうものなんですか……」

 この世界にどんな種族がいるかはフィルさんから教えてもらったが、そういった深い知識まではユーリにはまだない。まだまだこちらの世界での常識が足りないな、と自覚する。

「それで翻訳先の言語なんだけど、これを手本にしたら書けそうかな」
「はい。この言語って、共通語、ですよね? 大陸で広く使われてるっていう……」
「あぁ、そういうのは分かるんだね。そうなんだ。共通語に翻訳できれば、他の研究者にも内容を広めやすいからね」

 あぁ、翻訳内容を秘匿するわけじゃないのか、とユーリは意外に思った。なんとなく研究者のような雰囲気を醸し出すクレットは、研究内容を隠すタイプに見えたのだ。

「この本……、休憩時間に読んでもいいですか?」
「もちろん、そのつもりで用意したから。――あぁ、翻訳は別に急がないからゆっくりで構わないよ。こちらの筆記具にも慣れていないだろうし、練習のつもりでね」

 ひらひらと手を振って自席に戻るクレットを見送り、ユーリは手元に残された本を見つめた。共通語で書かれたその本の背表紙には「彷徨い人の事例集~ビジタ・Cによる聞き取り~」とあった。つまり、ユーリより以前にこの世界にやってきた彷徨い人の資料らしいのだ。すごく内容が気になって仕方がない。
 ユーリは視線を本から引き剥がし、気持ちを切り替えるようにひとつ頷いてイスに座った。間に合わせにしては、随分と質の良い机とイスに驚いた。イスの座面と背もたれのクッションが程良い柔らかさで、あちらの職場のイスとは比べものにならない座り心地だ。

(よし、頑張ろう)

 渡された本の内容は気になるが、とにかく仕事を優先させようと、古びた本を慎重にめくる。

(でも、この本、本当に翻訳してしまっていいのかな)

 伝説扱いされるその文明が、どういった文明なのかさっぱり分からないが、少なくとも本の内容は、学術的な価値がなさそうに思えた。

(だって、『あがり症のあなたに教える3つのこと』なんて、完全に自己啓発本じゃない?)

 それでも、もしかしたら全く別の価値があるのかもしれない。そう思い直してユーリは仕事に取り組み始めた。


・‥…━━━☆


 一方その頃、フィルはめでたく副官ポジに戻ったロシュに、徹底的に絞られていた。

「ちょっと待て! 明らかにこの量はおかしいだろ!」
「あら、それはアタシがサボっていたとでも言う気ですか?」
「さすがにそこまでは言わないが……」
「副官の権限で回せるものと回せないものがあるんですよ? 一時的に長官代理には任命されていましたけど、1人で2人分の仕事なんてできるわけありませんよね?」
「ぐ、わ、悪かった……」

 素直に謝るフィルに、ロシュは思わず身震いした。

「やだ、フィル殿下がこんなに素直に謝るなんて、雪でも降るんですかね?」
「そこまで言うか?」
「これが番効果ってやつですか。成程、その方がいらっしゃるという資料室の方を拝んでおきましょう」
「否定はしないが、ひどい言われようだな!」

 クレットの所に預けたユーリが気になるが、とにかく早く仕事を終わらせようと、フィルは書類仕事だというのにいつになく集中力が続いていた。

「あらー、本当に番ってすごいんですね」
「他人事のように言うが、ロシュも自分の番に遭遇する可能性はあるからな?」
「はいはい。出会えたら素敵ですねー」
「聞けよ!」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる

藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。 将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。 入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。 セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。 家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。 得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。

ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~

紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。 毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?

浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。 「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」 ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。

公爵令息様を治療したらいつの間にか溺愛されていました

Karamimi
恋愛
マーケッヒ王国は魔法大国。そんなマーケッヒ王国の伯爵令嬢セリーナは、14歳という若さで、治癒師として働いている。それもこれも莫大な借金を返済し、幼い弟妹に十分な教育を受けさせるためだ。 そんなセリーナの元を訪ねて来たのはなんと、貴族界でも3本の指に入る程の大貴族、ファーレソン公爵だ。話を聞けば、15歳になる息子、ルークがずっと難病に苦しんでおり、どんなに優秀な治癒師に診てもらっても、一向に良くならないらしい。 それどころか、どんどん悪化していくとの事。そんな中、セリーナの評判を聞きつけ、藁をもすがる思いでセリーナの元にやって来たとの事。 必死に頼み込む公爵を見て、出来る事はやってみよう、そう思ったセリーナは、早速公爵家で治療を始めるのだが… 正義感が強く努力家のセリーナと、病気のせいで心が歪んでしまった公爵令息ルークの恋のお話です。

千年に一度の美少女になったらしい

みな
恋愛
この世界の美的感覚は狂っていた... ✳︎完結した後も番外編を作れたら作っていきたい... ✳︎視点がころころ変わります...

【完結】転生白豚令嬢☆前世を思い出したので、ブラコンではいられません!

白雨 音
恋愛
エリザ=デュランド伯爵令嬢は、学院入学時に転倒し、頭を打った事で前世を思い出し、 《ここ》が嘗て好きだった小説の世界と似ている事に気付いた。 しかも自分は、義兄への恋を拗らせ、ヒロインを貶める為に悪役令嬢に加担した挙句、 義兄と無理心中バッドエンドを迎えるモブ令嬢だった! バッドエンドを回避する為、義兄への恋心は捨て去る事にし、 前世の推しである悪役令嬢の弟エミリアンに狙いを定めるも、義兄は気に入らない様で…??  異世界転生:恋愛 ※魔法無し  《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆

病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋
恋愛
大規模な自然災害により絶滅寸前となった兎耳族の生き残りは、大帝国の皇帝の計らいにより宮廷で保護という名目の軟禁下に置かれている。 彼らは宮廷内の仕事に従事しながら、一切の外出を許可されず、婚姻は同族間のみと定義づけられ、宮廷内の籠の鳥と化していた。 そんな中、宮廷薬師となった兎耳族のユーファは、帝国に滅ぼされたアズール王国の王子で今は皇宮の側用人となったスレンツェと共に、生まれつき病弱で両親から次期皇帝候補になることはないと見限られた五歳の第四皇子フラムアーク付きとなり、皇子という地位にありながら冷遇された彼を献身的に支えてきた。 フラムアークはユーファに懐き、スレンツェを慕い、成長と共に少しずつ丈夫になっていく。 だがそれは、彼が現実という名の壁に直面し、自らの境遇に立ち向かっていかねばならないことを意味していた―――。 柔和な性格ながら確たる覚悟を内に秘め、男としての牙を隠す第四皇子と、高潔で侠気に富み、自らの過去と戦いながら彼を補佐する亡国の王子、彼らの心の支えとなり、国の制約と湧き起こる感情の狭間で葛藤する亜人の宮廷薬師。 三者三様の立ち位置にある彼らが手を携え合い、ひとつひとつ困難を乗り越えて掴み取る、思慕と軌跡の逆転劇。

処理中です...