奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『花倉の乱(勃発)編』 天文四年(一五三五年)

第31話 襖の奥に誰かいる

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 雪斎禅師はここまでの会話で五郎八郎の事を中々に見どころがあると感じたらしい。一呼吸置くと此度の反乱をどう思うかとたずねた。
 その問いは実質どちらに付く気かと問われているようなものである。五郎八郎も返答にはかなり慎重にならねばと感じた。

「あのまま亡きお館様の親政が続けば、周辺の家から侵略を受けた際、遠江衆は我先にと今川家を離反したでしょう。駿河守を担いだ者たちも、それを危惧しての行動であると聞き及んでいます。遠江衆の一人としては十分賛同できるでしょうね」

 雪斎禅師は無言でこくこくと頭を動かしている。
 左京進はしきりに隣の部屋を気にしているが、雪斎禅師は五郎八郎を観察し続けている。

「なるほどのう。だがな、彼らの取った行動のせいで、今川の家は少なからず弱体するのだぞ。そうなれば国力が回復するまで他国の侵略を受けやすくなる。結果的に彼らの取った行動は今川家を危険にさらす事になるのではないかな?」

 もう少し広い目で見てみろ、雪斎禅師はそう言いたいのだろう。
 周辺の家々に比べ今川家の勢力が落ちれば侵略を受けやすくなる。一度侵略を受ければ、例えそれを跳ね返す事に成功しても確実に国力が落ちる。そうなれば今度は別の家に攻められる事になる。
 負のスパイラルに陥る事になるのだ。

「大きな内乱にならねば、国力が落ちるような事にはならないのではないですか? 今のところ彼らは今川館を占拠し大きな抵抗は受けていないと聞きます。このまま彼らの賛同者がどんどん増えていけば、後は不満分子を潰すだけで良いという事になるかと」

 五郎八郎は少し揺さぶりをかけてみた。五郎八郎の意見は駿河守たちに皆が従えば今川家の国力は落ちないという話である。

 雪斎禅師は一瞬だが目を細めた。五郎八郎の意見が気に入らなかったのだろう。

「残念だ。そなたは主殺しをするような輩の下に立てるのだな。そんな不義を許せるというのだな。拙僧はそんな国衆は多くは無いと信じたいがな」

 雪斎禅師の発言を五郎八郎は鼻で笑った。先ほど国衆は利で動くと言っておきながら、今度は不義は許さないはずとは。

「不義を犯したから統治者として不適格というのなら鎌倉殿を傀儡にした執権はどうなりましょう? 後醍醐帝になびいて六波羅を攻めた室町様はどうなるでしょう?」

 雪斎は言葉に詰まった。まさかこんなに真正面から正論で反撃を食うとは思ってもみなかったのだろう。
 雪斎は少し焦った顔をし反論の言葉を探している。


 すると隣の部屋から雪斎禅師を呼ぶ声がした。
 雪斎禅師は襖を開けずに隣室の人物と何やら小声で会話を交わす。
 うんうんと何度も頷き、最終的に襖に向かって平伏した。

「こちらの部屋におわす御方がそなたと話がしたいそうじゃ」

 五郎八郎はまだ何の紹介も受けていないのに、襖に向かって平伏した。
 最初から気付いてやがったなという目で五郎八郎を見て雪斎禅師は襖を開けた。

「表を上げられよ。拙僧が話をしたいと申したのだ。かしこまらずともよい」

 姿勢を直すと目の前に紫紺の袈裟に身を包んだ僧が座っていた。
 顔つきは僧というより荒武者という風で、目付きは鋭く顎もがっちりとしている。袈裟の上からでも肩ががっちりしているのがわかる。恐らくは相当武芸の鍛錬を積んでいるのだろう。
 ……悔しいが一対一なら五郎八郎など簡単に首を取られてしまうであろう。

「二俣の松井五郎八郎と申します」

 承芳和尚は無言で五郎八郎をじっと見つめている。
 五郎八郎は線が細く、武人というより能吏という風貌。目尻が垂れいかにも頼りないという雰囲気を醸している。

 だが承芳和尚は先ほどの雪斎禅師とのやり取りを聞いている。雪斎禅師があれほどむきになって反論した姿を承芳和尚は初めて見たのだ。
 まさか遠江衆にこんな逸材がいたとは。

「五郎八郎。拙僧は今駿府の館を占拠している無法者たちを許せぬ。そなたがまだどちらに付くか迷っているのはわかっている。その上でたずねたい。拙僧はこれからどうすべきと考えるか」

 明らかに参謀としての助言を求められている。五郎八郎を試す段階はもう過ぎ、もう承芳和尚は取り込みに入っている。五郎八郎自身もそう感じた。

 少なくともこの『花倉の乱』はこの人物が勝つはずなのだ。であれば、ここでこの人物の目に止まれば、ここから先、今川家での未来が開けるはずである。

「それがしであれば、二つの事を同時に進めます。一つは駿府の館の奪取、もう一つは遠江衆の取り込み。この二つが成れば、彼らは完全に基盤を失う事になり、経過観察している者たちを一気に引き寄せる事ができるでしょう」

 なるほどと隣で聞いていた雪斎禅師が小さく呟いた。
 承芳和尚が助言を求めるように雪斎禅師の表情を確認する。

「もしもだ、片方だけしかできぬ場合はどうなると思う?」

 恐らくこの質問は五郎八郎が向こうに付いた事を想定しているのであろう。
 五郎八郎はここが勝負所だと判断した。

「今川の家が二つに割れるだけです。仮に駿府の館の奪取に失敗すれば、寿桂尼様が失望して向こうに付くかもしれません。仮に遠江衆の取り込みに失敗すれば、向こうは遠江に逃れ全面対決となるでしょう」

 つまり今のままでは承芳和尚陣営はじり貧だという事になる。
 雪斎禅師もその事には気付いていたようで、苦々しいという表情をしている。承芳和尚も静かに目を閉じた。

「拙僧に従って欲しいと言ったら、そなたは何を望む?」

 承芳和尚はこれまでの余裕のある態度を捨て少し弱さを見せた。

「先ほども申しました通り、遠江衆を対等に扱っていただけると約していただきたいだけです。それだけで、少なくとも駿河守には付きません。遠江衆の中にもそういう者は多くいると思います」

 承芳和尚は首を横に振った。そういう事では無いと言いたげな表情で、じっと五郎八郎の目を見つめる。

「遠江衆ではなく、拙僧はそなたの事を聞いている。そなたに従ってもらいたいと感じているし、ゆくゆくは雪斎禅師と共に拙僧の片腕になってもらいたと感じている。それを踏まえ、そなたが何を望むのか、拙僧はそれが聞きたい」

 五郎八郎は思わず雪斎禅師の顔を確認する。どうやら雪斎禅師も同様の思いらしく、こくりと小さく頷いた。

「それがしからは、あえて口にはいたしません。報酬が過多であればそれに見合う一層の働きをと思うだけですし、過少であればそれ相応の働きをと思うだけです。それが君臣の間柄というものだと思いますゆえ」

 五郎八郎の答えは承芳和尚を大いに納得させた。承芳和尚は膝を叩いて、なるほどそれが真髄だと唸った。

「あいわかった。五郎八郎、改めてそなたにお願いする。拙僧に力を貸してはもらえぬか? 事が成った暁には褒賞はそれなりのものを用意するゆえ。頼む、この通りだ」

 承芳和尚は頭巾を床に擦り付けんばかりに平伏した。
 隣を見ると雪斎禅師も岡部左京進も平伏している。

「皆さんおやめください。そんなそれがしごとき若輩者に勿体ない。わかりました。和尚にお味方いたします故、どうかお顔をお上げください」
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