奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『花倉の乱(激闘)編』 天文五年(一五三六年)

第37話 土方城を落とせ

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 承芳陣営が今川館の防衛に成功したという噂は瞬く間に遠江中に広まった。

 雪斎禅師が朝日山城に入った翌日、遠江衆から一斉に五郎八郎宛てに書状が届いた。
 真っ先に届いたのは大沢左衛門佐。その後、天方山城守、匂坂六右衛門、奥山金吾正と届いた。

 そして午後、ついに待望の書状が五郎八郎の元に届いた。それも二通。

 一通目の差出人は朝比奈備中守。
 その書状にははっきりと当家は承芳和尚に御味方する事にしたと書かれていた。込み入った事情があり旗色を示すのが遅くなってしまったが、ここからはそれがし自らが兵を率いて暴れる所存、何卒良しなにと書かれていた。

 二通目の書状を持って来たのは久野三郎の嫡男である三郎四郎。
 書状の内容を読むと、どうやら福島上総介が旗揚げをした際、強引に三男の三郎左衛門と家人二人を引き連れて行ってしまったらしい。当然、旗色を変えたり中立になれば三郎左衛門は殺されてしまう。まるで人質を取られたような状態となり渋々駿河守に付き従っていたのだそうだ。

 先の今川館の攻防で駿河守は撤退を余儀なくされた。この時上総介たちが先陣として向かわせていた兵の多くが久野家の兵だったらしい。
 三郎左衛門たちは兵たちの手前、駿河守の将として立派に戦っていた。ところが撤退の号令が届かず取り残される事になったらしい。わずかだが残った兵たちは若様をお守りせねばと敵中突破。多くが討死する事になったが三郎左衛門たちは撤退に成功。
 その後、三郎左衛門たちはわずかに残った兵たちと共に、花倉城には入らず真っ直ぐ久野城に帰って来た。

 悔しい事に主力の兵を全て捨て駒にされてしまい、派兵もままならない有様だが、せめてもと思い嫡男を向かわせるので好きに使っていただきたい。以降久野家は承芳和尚に御味方する故、お口添えをお願いしたいとも書かれていた。


 久野三郎四郎を引き連れて五郎八郎は雪斎禅師の元へ向かった。
 どうやら先の今川館の攻防戦で完全に流れがこちらに来たらしいと、朝比奈備中守からの書状を見せて報告。雪斎禅師は三郎四郎の手を取り、よくぞ参ってくれたとにこやかな顔を見せた。

「三郎四郎殿を花倉城攻めに加えてあげてください。敵陣に『五瓜に三つ巴』の旗指物が見えるだけで相手は相当動揺するはずです」

 寝返った者が攻め手にいる。これほど守備する側にとって嫌な事は無いであろう。ましてや籠城戦ともなれば。
 それと懸川城の朝比奈軍も。彼らは後れを取り戻す為に必死に戦うだろうから、最も士気の高い部隊となるだろう。
 五郎八郎の提案に雪斎禅師は全面的に賛同した。


 翌朝、五郎八郎は小姓の弥三を連れて、朝日山城を出て堤城へと向かった。
 堤城は二俣城と秋葉城、さらに天方城の兵まで加わり大賑わいであった。

 城内に入ると、松井家の家人たちがあっちにこっちにと走り回っており非常に忙しそうである。堤城の家人の中に何故か二俣城の家人である薮田権八、常葉又六、和田八郎二郎が混ざって兵たちの世話をしている。恐らく客人かのように振る舞い父上に叱られでもしたのだろう。よく見ると弟の八郎三郎も兵たちの世話をしている。相当父上から大きな雷が落ちたと見える。

「父上、いかがですか、土方城の様子は?」

 城の最上階の一室で土方城の見取図を睨んでいる兵庫助が声のする方を向いた。

「偵察にやった者の話では、上総介たちが兵を率いて久野城に向かってから、兵は全く増えてはおらんらしいな。恐らくだが守備体制も全く変わってはおらんだろう」

 五郎八郎は窓の外から城下を見下ろした。
 堤城はお世辞にも山城とはいえぬ小さな山を利用した平山城というやつである。眼下には菊川が流れており、見渡す限り田畑が広がっている。集まった兵たちがそんな田園風景に溶け込んで、緩やかに過ごしているのが見て取れる。

「打って出る兵はいないが、守りは十分というところですか」

 土方城という名は聞いた事は無いが、その地図を見るだけでいかに難攻不落な城かが見て取れる。
 土方城は小笠山の南東にちょこんと出っ張った山を利用した城である。城は全体的に見れば十字架を東西に倒したような形をしている。特徴的なのは天守台が二つあること。その双子の城双方が万全の備えとなっているのである。当然一方から攻めれば、もう片方から反撃を食う。そういう城の作りなのである。

「馬伏塚の信濃から曳馬の飯尾軍が入城したと連絡が来てるぞ。城攻めの時は声をかけて欲しいとよ。こっちもいつでも行けるぞ。というかさっさとあの大飯食らいたちを何とかしてくれ」

 このままでは堤城の米倉は空になってしまうと兵庫助は忌々しいという顔で五郎八郎に恨み節である。
 五郎八郎は城の外にいる兵たちから大体の兵数を予想している。

「そうですね。どんな感じか一度探りで攻めてみましょうか。手ごたえが得られるようなら力押ししてしまえば良いでしょうから」


 その日の午後、軍議が開かれた。
 参加者は松井五郎八郎、兵庫助、八郎三郎、天野小四郎、天方山城守、それと堤城の家人と二俣城の家人を代表して薮田権八。
 その軍議の中で現状の確認が行われ、土方城にどの程度の兵が詰めているか見るために一度ちょっかいを出してみるという事を伝えた。
 明日朝一で攻撃を開始するので、その攻防の具合で馬伏塚城からも攻めてもらうと小笠原信濃守には伝令を送った。


 翌朝、堤城下の兵たちが大挙して土方城東門へと押し寄せた。
 まずは様子見と言う事で八郎三郎と権八にそれぞれ堤城と二俣城の兵を率いさせ城門に突入させた。
 兵たちが丸太を抱えて門に勢いよくぶつける。

 城門の向こうには地図によると広い曲輪があるはずなのに、思った以上に抵抗が弱い。城門の反対側に馬出という広場があるのだが、ここには人一人いない。これはもしかすると思った以上に城兵が少ないのかもしれない。

 どうやら父上もそう感じているらしい。天方山城守と二人で大した事無いかもしれんと言い合っている。

 一時ほど城門前で門を壊していると、中のかんぬきが折れ門が開き、最初の曲輪が姿を現した。
 城兵は奥に逃げ出しているようで曲輪には誰もいない。

 八郎三郎と権八を下がらせ、交代で天野小四郎と天方山城守に三の丸を目指してもらった。
 その一方で馬伏塚城に一の門突破の連絡を入れた。

 途中見張り櫓のような場所で抵抗を受けたものの、小四郎たちは無事三の丸前の門前に到着。


 いくら兵数が少ないと言えど、こうも抵抗が少ないというのはおかしい。
 五郎八郎はじっと城の見取図を見つめていた。そこで何かに気付き、陣幕を飛び出し、常葉又六を呼びつけた。

「又六! 兵を率いて大手門奥の曲輪で待機しろ! 恐らく奴らは三の丸を通ってそこに降りてくる。油断するなよ!」

 御意と短く答えて、又六は大手門の奥の曲輪に布陣した。


 又六が向かって半時後、馬伏塚城の兵が到着し城攻めを開始。
 西の方から元気の良い歓声が聞こえて来る。

 五郎八郎は兵庫助と向こうでも始まったようだと言い合った。
 まさにその時であった。
前方から大きな歓声が聞こえてくる。慌てて様子を見に行くと、三の丸から降りて来た兵が又六の部隊に襲い掛かったのだった。

「八郎二郎! 権八! 又六を救援に行ってくれ!」

 承知と叫び、二人は陣幕を飛び出し、兵を率いて曲輪へと駆けつけた。


 どうやら福島軍の狙いはまさにこれだったらしい。
 恐らく本丸の背後に三の丸に通じる抜け道があるのだろう。次から次へと曲輪に福島軍が降りてくる。狭い曲輪での攻防だけに、両軍入り乱れての混戦となっている。しかも敵は曲輪の上から矢も射てきている。

 敵は次々に兵を送り出してきて、時間経過と共にすり潰されるように二俣軍が倒れていく。徐々に二俣軍が劣勢になり始めていった。
 どうやら兵の精強さと言う点では悔しいが向こうに軍配が上がるらしい。五郎八郎が唇を噛んで無言で悔しがる。

「ひと暴れしてくるからここで待っておれ」

 突然兵庫助が床几から立ち上がり、槍を手に陣幕を出て行ってしまった。


 堤城の部隊が到着してから一時ほどが経過したであろうか。福島軍の曲輪への増援が途切れたようで、兵たちの動きが緩やかになった。
 その後、どれだけ暴れたのか、返り血でべとべとの兵庫助が陣幕に帰ってきた。久々に武者首を取ってやったと兵庫助は高笑いをしている。


 それから程なくして三の丸の門から城門突破という大声が聞こえて来た。さらに西の城からも煙が上がった。


 気が付けば陽は大きく傾き、空を赤々と染めている。
 兵の疲労も大きく、これ以上の攻城戦は困難と五郎八郎も兵庫助も判断。
 小笠原軍に城攻め中断の報を入れ、兵たちは城の南方に作らせた臨時の砦に撤退させた。

 もはや土方城は本丸を残すのみ。
 後は総攻撃をいつにするかだけとなったのだった。
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