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『河東の乱編』 天文六年(一五三七年)
第49話 兵部少輔を口説く
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「三日欲しい。三日で見附館は開城させる」
そう言って孫二郎、孫九郎、伊賀守の三人は縛を解かれて見附館へと向かった。
見附館はその周囲を松井、久野、天野、天方、山内の各兵に完全に囲まれている。匂坂軍は見附館の西、天竜川の東の河川敷に布陣し西からの増援が来ないか見張りをしている。
一日目、二日目と見附館からは何の反応も無かった。約束の三日目、何も無く半日が過ぎ去った。
昼過ぎ、見附城に掲げられていた「丸に二引両」の旗が全て取り除かれ大手門が開いた。
城内から一人の武者が松井軍の陣幕に向かってとぼとぼと歩いて来る。手には白い布に包まれた大きな桶を下げている。
まるで貴族かのように細身で顔も縦に長い。顔には精悍さの欠片も感じない。父に似たその目はどこか陰謀家のような印象も受ける。顎には父と同じもさもさとした髭が生えている。堀越治部少輔の嫡男六郎である。
五郎八郎の陣幕にやってきた六郎は「父は全ての責任を取って自刃した」と報告し首の入った桶を提出した。
「孫二郎から伺いました。剃髪して祭祀を守れとおっしゃってくださったとの事。謹んでお受けしようと思います。お手数ではございますが、駿河のお館様への取りなしを何卒良しなにお願いします。それと水神丸の事もよろしくお願いします」
六郎はその場に平伏し涙を流した。そんな六郎に五郎八郎は極めて冷静な口調で、女性たちはどうしたのかとたずねた。
六郎の母は父の後を追って自刃したらしい。六郎の妻は六郎に合わせて落飾する事にしたのだそうだ。敗戦に次ぐ敗戦で残った家人は多くは無いが、それなりの年齢の者は追い腹を切ってしまったらしい。若い者たちは牢人となる道を選んだので、もし良ければ召し抱えてあげて欲しいと六郎は頭を下げた。
****
見附館に入城した諸将は一日だけ逗留し、軍勢をまとめて井伊谷城へと進軍。途中、三方ヶ原で軍を二手に別け、匂坂、天方、久野の軍は堀江城の救援に、残った松井、天野、山内の軍は真っ直ぐ井伊谷城へと向かった。
情報によれば、堀江城は井伊宮内少輔の弟の彦次郎と平次郎が兵を率いて取り囲んでいるらしい。それ以外に三河田原城の戸田軍が合流して攻めているという情報が入ってきている。
ただ堀江城は三方を海に囲まれた難攻不落の城で、中々総攻撃をかけるわけにいかず、睨みあいが続いているらしい。
救援に向かう匂坂六右衛門には敵を堀江城の前に釘付けにできればそれで良いと指示している。双方無駄な犠牲を出す必要は無いと。
井伊谷城に来るのは実に久々だ。
確か前回は烏帽子親になってもらうという事で挨拶に訪れたのであった。確かあの時は父上と兄上と一緒であった。
できればこんな形でここに来たくはなかった。井伊谷城が徐々に大きく見えてくるにつれ強くそう感じる。
城前には井伊家の橘の旗以外に九曜と抱き稲の旗が見える。恐らくは事前に聞こえている三河亀山城の奥平家と足助城の鈴木家の兵が合流しているのだろう。
井伊谷城から少し離れた場所に陣を張り、五郎八郎たちは一旦休憩を取る事にした。本陣では天野小四郎、山内対馬守、和田八郎二郎たちが呼び寄せられ軍議が開かれている。
「六右衛門殿にも言ったのだが、できれば無血開城してもらいたい。今なら準備段階であり、まだ積極的に謀反には参加していないという言い訳ができる。だが一戦交えたらもう言い逃れは不可だ」
花倉の乱の時、五郎八郎が間に入って罪を減じてもらったという事は、井伊家の者たちも全員知っているはずである。にも関わらず今回堀越治部少輔に従い反旗を翻した。となれば恐らく周囲からではわからない、今川家に従えない何か理由があるのだと思われる。そこが解決できればと五郎八郎は考えていた。
「井伊家はご隠居の意向が強すぎるのですよ。あの老人は野望も血の気も多いので有名ですからなあ。普通どの家も子の尻ぬぐいを親がするものですが、彼の家は逆ですから。宮内少輔の苦労が偲ばれますよ」
山内対馬守が諦め口調で言うと、天野小四郎も兵部少輔の事を『あの偏屈爺さん』と呼んで同調。だとすると交渉は一筋縄ではいかないだろう。
ただ逆に言えば兵部少輔さえ説得できてしまえば何とでもなるのかもしれない。恐らく書状では駄目だろう。乗り込んで行って口で説得しないと……
すると一人の武者がすっと手を挙げた。
「殿が行かれるのでしたら、ぜひそれがしを帯同くだされ」
松井軍の陣から三人の男が井伊谷城に向かって歩いて行く。一人は松井五郎八郎、もう一人は魚松弥次郎、最後の一人は面当てをした武者。
城の前、弓の射程限界まで近づくと面当てをした武者が雷鳴のような大声を張り上げた。
「こちらは二俣の松井五郎八郎である! 話し合いたき議これ有り!」
暫く待つと井伊谷城の大手門が少しだけ開き、中から一人の男性が出てきた。五郎八郎には面識がある。高根城の奥山金吾正である。
井伊兵部少輔に矛を収めるように説得に来たと言うと、金吾正は三人を井伊谷城へと案内した。
井伊谷城の城兵はいづれも士気が高く、敵愾心むき出しの顔で五郎八郎を見ている。それを両脇の二人が睨み返して牽制している。
三人は大広間へと通された。五郎八郎としては実に懐かしき場所である。元服の烏帽子親をお願いしに来た時に宴会をした場所である。
正面向かって右から、奥山金吾正、井伊宮内少輔、左に兵部少輔。宮内少輔はさすがにバツが悪いらしく、五郎八郎の顔がまともに見れないという感じである。だが、父の兵部少輔は口を真一文字にし五郎八郎を睨みつけている。
「それがしに用という事だが何用か?」
兵部少輔はかなり威圧的な声で言った。
兵部少輔は歴戦の強者であり、五郎八郎も一瞬怯みそうになる。だが深呼吸して心を落ち着かせ、見附館が開城した事、堀越治部少輔が自刃した事を伝え、矛を収めて欲しいと懇願した。今なら大きな戦闘も無く、堀越治部少輔一人の狂乱と言う事にして事を収められるからと。
どうやら見附館開城の情報は井伊谷城にまだ入っていなかったらしい。大広間に集まっていた諸将が大きく動揺している。
「にわかには信じられぬな。あそこには福島上総介の子が逃れていたはず。あれらはいずれも剛の者として一目置かれた者たちだ。あの者たちはどうしたというのだ?」
少し動揺した面持ちで兵部少輔がたずねると、五郎八郎の隣の武者立ち上がって面当てを外した。
その顔を見て兵部少輔が思わず床几から倒れそうになる。兵部少輔も何度も見た事のある顔、福島上総介の次男孫二郎だったのだ。
「……あいわかった。どうやら抵抗は無駄死にでしかないようだな。潔く矛を収めよう。その上で、その、厚かましい願いだとは思うのだが、井伊家が取り潰しにならぬよう、何卒よしなにお願いできないだろうか?」
兵部少輔は床几から床に膝をつき、この通りだと言って平伏した。宮内少輔と金吾正もそれに倣う。
「一つだけ取り潰しにならない方法があります。というか、その条件を飲んでいただけるのであれば、後はそれがしが何とかお館様を説得しようと思います」
そう言って孫二郎、孫九郎、伊賀守の三人は縛を解かれて見附館へと向かった。
見附館はその周囲を松井、久野、天野、天方、山内の各兵に完全に囲まれている。匂坂軍は見附館の西、天竜川の東の河川敷に布陣し西からの増援が来ないか見張りをしている。
一日目、二日目と見附館からは何の反応も無かった。約束の三日目、何も無く半日が過ぎ去った。
昼過ぎ、見附城に掲げられていた「丸に二引両」の旗が全て取り除かれ大手門が開いた。
城内から一人の武者が松井軍の陣幕に向かってとぼとぼと歩いて来る。手には白い布に包まれた大きな桶を下げている。
まるで貴族かのように細身で顔も縦に長い。顔には精悍さの欠片も感じない。父に似たその目はどこか陰謀家のような印象も受ける。顎には父と同じもさもさとした髭が生えている。堀越治部少輔の嫡男六郎である。
五郎八郎の陣幕にやってきた六郎は「父は全ての責任を取って自刃した」と報告し首の入った桶を提出した。
「孫二郎から伺いました。剃髪して祭祀を守れとおっしゃってくださったとの事。謹んでお受けしようと思います。お手数ではございますが、駿河のお館様への取りなしを何卒良しなにお願いします。それと水神丸の事もよろしくお願いします」
六郎はその場に平伏し涙を流した。そんな六郎に五郎八郎は極めて冷静な口調で、女性たちはどうしたのかとたずねた。
六郎の母は父の後を追って自刃したらしい。六郎の妻は六郎に合わせて落飾する事にしたのだそうだ。敗戦に次ぐ敗戦で残った家人は多くは無いが、それなりの年齢の者は追い腹を切ってしまったらしい。若い者たちは牢人となる道を選んだので、もし良ければ召し抱えてあげて欲しいと六郎は頭を下げた。
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見附館に入城した諸将は一日だけ逗留し、軍勢をまとめて井伊谷城へと進軍。途中、三方ヶ原で軍を二手に別け、匂坂、天方、久野の軍は堀江城の救援に、残った松井、天野、山内の軍は真っ直ぐ井伊谷城へと向かった。
情報によれば、堀江城は井伊宮内少輔の弟の彦次郎と平次郎が兵を率いて取り囲んでいるらしい。それ以外に三河田原城の戸田軍が合流して攻めているという情報が入ってきている。
ただ堀江城は三方を海に囲まれた難攻不落の城で、中々総攻撃をかけるわけにいかず、睨みあいが続いているらしい。
救援に向かう匂坂六右衛門には敵を堀江城の前に釘付けにできればそれで良いと指示している。双方無駄な犠牲を出す必要は無いと。
井伊谷城に来るのは実に久々だ。
確か前回は烏帽子親になってもらうという事で挨拶に訪れたのであった。確かあの時は父上と兄上と一緒であった。
できればこんな形でここに来たくはなかった。井伊谷城が徐々に大きく見えてくるにつれ強くそう感じる。
城前には井伊家の橘の旗以外に九曜と抱き稲の旗が見える。恐らくは事前に聞こえている三河亀山城の奥平家と足助城の鈴木家の兵が合流しているのだろう。
井伊谷城から少し離れた場所に陣を張り、五郎八郎たちは一旦休憩を取る事にした。本陣では天野小四郎、山内対馬守、和田八郎二郎たちが呼び寄せられ軍議が開かれている。
「六右衛門殿にも言ったのだが、できれば無血開城してもらいたい。今なら準備段階であり、まだ積極的に謀反には参加していないという言い訳ができる。だが一戦交えたらもう言い逃れは不可だ」
花倉の乱の時、五郎八郎が間に入って罪を減じてもらったという事は、井伊家の者たちも全員知っているはずである。にも関わらず今回堀越治部少輔に従い反旗を翻した。となれば恐らく周囲からではわからない、今川家に従えない何か理由があるのだと思われる。そこが解決できればと五郎八郎は考えていた。
「井伊家はご隠居の意向が強すぎるのですよ。あの老人は野望も血の気も多いので有名ですからなあ。普通どの家も子の尻ぬぐいを親がするものですが、彼の家は逆ですから。宮内少輔の苦労が偲ばれますよ」
山内対馬守が諦め口調で言うと、天野小四郎も兵部少輔の事を『あの偏屈爺さん』と呼んで同調。だとすると交渉は一筋縄ではいかないだろう。
ただ逆に言えば兵部少輔さえ説得できてしまえば何とでもなるのかもしれない。恐らく書状では駄目だろう。乗り込んで行って口で説得しないと……
すると一人の武者がすっと手を挙げた。
「殿が行かれるのでしたら、ぜひそれがしを帯同くだされ」
松井軍の陣から三人の男が井伊谷城に向かって歩いて行く。一人は松井五郎八郎、もう一人は魚松弥次郎、最後の一人は面当てをした武者。
城の前、弓の射程限界まで近づくと面当てをした武者が雷鳴のような大声を張り上げた。
「こちらは二俣の松井五郎八郎である! 話し合いたき議これ有り!」
暫く待つと井伊谷城の大手門が少しだけ開き、中から一人の男性が出てきた。五郎八郎には面識がある。高根城の奥山金吾正である。
井伊兵部少輔に矛を収めるように説得に来たと言うと、金吾正は三人を井伊谷城へと案内した。
井伊谷城の城兵はいづれも士気が高く、敵愾心むき出しの顔で五郎八郎を見ている。それを両脇の二人が睨み返して牽制している。
三人は大広間へと通された。五郎八郎としては実に懐かしき場所である。元服の烏帽子親をお願いしに来た時に宴会をした場所である。
正面向かって右から、奥山金吾正、井伊宮内少輔、左に兵部少輔。宮内少輔はさすがにバツが悪いらしく、五郎八郎の顔がまともに見れないという感じである。だが、父の兵部少輔は口を真一文字にし五郎八郎を睨みつけている。
「それがしに用という事だが何用か?」
兵部少輔はかなり威圧的な声で言った。
兵部少輔は歴戦の強者であり、五郎八郎も一瞬怯みそうになる。だが深呼吸して心を落ち着かせ、見附館が開城した事、堀越治部少輔が自刃した事を伝え、矛を収めて欲しいと懇願した。今なら大きな戦闘も無く、堀越治部少輔一人の狂乱と言う事にして事を収められるからと。
どうやら見附館開城の情報は井伊谷城にまだ入っていなかったらしい。大広間に集まっていた諸将が大きく動揺している。
「にわかには信じられぬな。あそこには福島上総介の子が逃れていたはず。あれらはいずれも剛の者として一目置かれた者たちだ。あの者たちはどうしたというのだ?」
少し動揺した面持ちで兵部少輔がたずねると、五郎八郎の隣の武者立ち上がって面当てを外した。
その顔を見て兵部少輔が思わず床几から倒れそうになる。兵部少輔も何度も見た事のある顔、福島上総介の次男孫二郎だったのだ。
「……あいわかった。どうやら抵抗は無駄死にでしかないようだな。潔く矛を収めよう。その上で、その、厚かましい願いだとは思うのだが、井伊家が取り潰しにならぬよう、何卒よしなにお願いできないだろうか?」
兵部少輔は床几から床に膝をつき、この通りだと言って平伏した。宮内少輔と金吾正もそれに倣う。
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