奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『河東の乱編』 天文六年(一五三七年)

第48話 ここでお別れ

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「誰に聞いたのだ? 松井山城守を毒殺した事は、治部殿以外では福島家でも一門と一部の家人だけしか知らぬはず」

 孫二郎は五郎八郎にたずねたのだが、すぐに隣の孫九郎が恐らく静からだろうと指摘した。

 孫二郎の言った『一門』の中には一部の内儀たちも含まれている。
 堤城から見附館に姉の鉢が届けられており、鉢の口から静と仙が生きている事は聞かされている。堤城は五郎八郎の父の居城であり、当然五郎八郎もその三人の女性の事を知っているはずである。


 ――孫九郎が指摘したように、山城守が毒殺された経緯は静から聞いた。

 元々、福島上総介と松井山城守はどうにも馬が合わなかったらしい。父である兵庫助とはそこまででは無いので、単純に個人的な相性の問題なのだろう。

 かなり以前から堀越治部少輔は上総介に、遠江をまとめ上げて駿河の宗家から独立したいと相談を持ち掛けていた。すでに東三河の家々からも賛同を得ていると言って。
 ただその為には幾人か邪魔になる者がいる。最大の障壁は恐らくは懸川城の朝比奈備中守と曳馬城の飯尾豊前守。

 懸川城は婚姻で身動きできないようにしてしまおう。曳馬城は井伊家と共に攻め込んでしまえば良い。
 いずれにしても、どこかで戦勝をあげて、流れを一気に引き寄せる必要はある。飯尾豊前守はそこまで武勇に長けているわけではないし、曳馬城もそこまで難攻不落というわけではない。血祭りにあげるにはうってつけであった。

 既に小田原の北条左京大夫とは連絡が付いており、その時が来たら北条家にも兵をあげてもらうという手筈になっていた。そのお礼は今問題となっている『河東郡』。

 では決起の前に計画の邪魔になりそうな家を少しづつ潰しておこうと言う事になった。
 治部少輔と上総介が最初に邪魔だと目を付けたのが松井家であった。恐らくこれまでの態度から松井山城守はこの計画には賛同しないだろう。
 そこで上総介は娘の紅葉を山城守が可愛がっている弟の五郎八郎に嫁がせて取り込もうとした。ところが流行り病が遠江を襲い、肝心の紅葉が病没してしまったのだった。

 ならば武を持って脅すしかないと、治部少輔は犬居城の天野安芸守をそそのかして二俣城を攻めさせた。だがこの時、治部少輔たちに三つ大きな誤算が生じた。
 一つは偶然井伊宮内少輔がいたという事。
 二つ目は予想以上に二俣城の松井軍が強かったという事。
 そして三つ目は、調停に入るはずの堀越軍が到着する前に犬居城の天野軍が壊滅してしまった事。

 恐らく詳しい事情を知らぬ安芸守は山城守に色々と喋ってしまった事だろう。つまりは、後ろに堀越治部少輔がいると言う事が明るみになってしまったという事である。

 焦った治部少輔は上総介を呼びつけ対応を相談した。
 上総介が提案したのは毒殺であった。東海道で商う行商から『猫いらず』という良い物を仕入れているはずであろうと。

 そしてあの日、治部少輔は宴席の途中で話があると言って別室に山城守を呼び寄せた。
 治部少輔は山城守に領家周辺を天野安芸守に割譲してはどうかと提案した。その代わりに曳馬の辺りの領地を割譲させるからと。だが当たり前の話だが、治部少輔が割譲させると言った土地は飯尾家の土地。それはつまり、暗に一緒に曳馬城を攻めようと言っているのである。

 それに山城守は激怒した。

「遠江衆同士で争って何になる! そんな事をしたら遠江の民たちが悲鳴をあげるだけで、何の地位の向上も図れないではないか!」

 山城守は出された茶を飲み干すと、御免と言って部屋を出て行った。

 山城守が部屋を出て行った後で治部少輔と上総介は大笑いした。自ら進んで毒薬を飲んでいきおったと。

 上総介は自分が毛嫌いしている山城守の毒殺に成功したのが余程愉快だったのだろう。土方城に戻って家人たちを集めて大宴会を催した。
 静はその時にその話を聞いたのだ。

 さらに数日して山城守の訃報が届くと、上総介は再度家人たちを集めて酒宴を開いた――


 治部少輔には自刃いただく。息子の六郎には剃髪してもらい堀越家の祭祀を守ってもらう。
 だが水神丸君は元服前。彼の者にまで咎を背負わせるのは酷というものであろう。
 ただ、元服した後に担ぎ出す者が出ないとも限らない。好むと好まざるとに関わらず、今川家にいるというだけで反乱分子の旗印にされかねない。だから今川家を捨てて北条家へ逃れよというのが五郎八郎の案であった。
 後は五郎八郎の方で上手くやっておくからと。

「どうする、兄者たち? それがしは悪い話じゃないと思うんだが?」

 最初に話に乗って来たのは意外にも伊賀守であった。悔しいが今川家にいる限り自分たちは福島上総介の子という扱いを受ける。それならいっその事、新天地で暴れてやるのも悪くないと言い出したのだった。

 だがそれを孫九郎が鼻で笑った。こいつらがすんなり伊豆に行かせてくれるとは限らんと指摘。

「もちろん条件は出すよ。当たり前だろう。こっちだってそれなりに交渉しなくちゃいけないのだから」

 五郎八郎がそう口を挟むと、伊賀守と孫九郎は露骨に不快さを顔に出して、五郎八郎を睨んだ。

 ほらみろと言う孫九郎を制し、孫二郎はどのような条件かとたずねた。

「そなたたちは北条左京大夫の思惑がどのあたりにあると考える?」

 逆にたずねられ、孫二郎は首を横に振り、伊賀守が首を傾げる。だが孫九郎は不敵に口元を歪めた。

「なるほど、そういう事か。つまりそれがしたちを小田原に向かわせ、北条を先代の基本戦略に立ち返らせて、今川と同盟して関東制圧に向かえって説得しろって事か」

 孫九郎の見解に五郎八郎は無言で頷いた。
 それにはそれなりの発言力が必要であり、北条家の中でそれなりの地位を築く必要がある。
 ただ、北条左京大夫も、よもや謀反を起こした福島上総介の息子たちが今川家と通じているとは思うまい。あまり疑う事無く受け入れるのではないかと思われる。

「良いだろう。それがしは乗ってやる。もし左京大夫の説得に失敗したとしても、どんな事があってもこの恩を忘れずそれがしだけでも今川領への手出しはしないと約束しよう。その代わり、水神丸君と姉上は連れて行くぞ」

 孫九郎の決意に伊賀守も同調。だが孫二郎は中々返事をしなかった。孫九郎の顔を見て、次いで伊賀守の顔を見て唇を強く噛んだ。

「孫九郎、伊賀、それがしは残る。残って五郎八郎殿に仕える事にする。お前たちが伊豆に無事辿り着けるように、残って支援するよ。仙の事も心配だしな。だからここでお別れだ」

 そう孫二郎が精一杯の笑顔で言うと、孫九郎と伊賀守の頬を同時に涙が伝った。
 孫二郎は涙が零れぬように唇を噛みして大空を見上げている。
 孫九郎と伊賀守は兄に涙を見られぬように顔を背けた。
 その光景を見て諸将は貰い泣きし福島兄弟から顔を反らした。
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