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『河東の乱編』 天文六年(一五三七年)
第50話 三河衆は今川が庇護する
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五郎八郎が井伊兵部少輔に提示した条件は二つあった。
一つは忠誠の証として井伊家の姫をお館様の側室に差し出す事。
そしてもう一つは今回反乱に賛同した奥山家及び、三河の戸田家、奥平家、鈴木家を説得して今川家に従属させる事。
奥山金吾正は此度の謀反を不問にしてもらえるのであれば今川家に忠誠を誓うと即答であった。
だが奥平監物丞、鈴木越後守はお互い顔を見合わせながら困惑した顔をしている。よく考えれば、五郎八郎の提示した条件は、自分たちが是と言わねば井伊家は取り潰しと言われているようなものだからである。
監物丞はただ困っているだけだったが、一方の越後守はかなり打算的な計算をしていた。
「仮に今川家に従ったとして、例えば尾張から当家が攻められたら誰が援軍を送ってくれるのだ? 浜名湖からそれがしの足助城まではかなり距離がある。駿河からなら論外だ。援軍が到着するまで持ちこたえられぬかもしれぬのだが?」
確かに今川家に従った場合、鈴木家は尾張との国境の最前線の家となってしまう。尾張からの侵攻があった場合、一番近い宇津山城から援軍を差し向けても持ちこたえられないかもしれない。仮に奥平家の亀山城から援軍が来るとしても、尾張一国をあげて攻められたらひとたまりも無いかもしれない。
だが、そのような指摘をされる事など、五郎八郎も織り込み済みであった。
「松平家があのような事になってしまって、今庇護する家が必要なのであろう? そこを当面今川家が庇護しようというだけの話だよ。真剣に捉える必要は無い。その場合は旗色を変えられてもやむ無しと判断しよう。もちろん心から従ってくれればそれに越したことは無いが」
中立今川寄り。今はそれだけで十分だと五郎八郎は三河の二人の国人に説明した。
奥平、鈴木、戸田の三家が今川家になびいたと知れば、恐らくは田峯城の菅沼家、今橋城の牧野家もそれに続くであろう。そうなれば東三河と奥三河は今川家の影響下となり、親今川派の家が三河で影響力を持つ事になる。
何かあった時には同志の三河国衆が援軍を差し向けてくれるだろうし、それで耐えている間に今川家の援軍が到着もできるであろう。
だから今川家に近づく事の利点は大いにあるはずだと五郎八郎は説いた
五郎八郎が説いた内容は、全て仮定に仮定を重ねた絵に描いた餅ではある。
ただ、今回北条家の侵攻に合わせてわざわざ三河からやって来たというに、遠江での軍事行動はあっという間に鎮圧されてしまった。その恐ろしいまでの手際の良さを考えれば、このまま今川家と松井五郎八郎に家運を託すのも悪くは無いと越後守は算盤を弾き出した。
「あいわかった。それがしはそれで賛同しよう。ただしあくまで盟主と仰ぐというだけで降伏したわけでは無い。そこは努々勘違いなさらぬよう」
越後守の発言に、今はそれで構わないと五郎八郎が承諾すると、監物丞も当家もそれでお願いしたいと頷いた。
五郎八郎が、防衛のために三河衆の切り崩しをお願いすると、監物丞は人使いが荒いと言って笑い出し、越後守は判断を誤ったかもしれんと笑い出した。
井伊谷城を出た五郎八郎たちは陣を引き払い、堀江城に行き匂坂軍たちと合流。戸田孫四郎にも先ほどの話をし、賛同を得て、そこで軍は解散となった。
****
解散と言っても五郎八郎は駿府城の留守居。小姓の弥三を引き連れて駿府城へと急いで向かった。
五郎八郎の顔を見て瀬名陸奥守はほっと胸を撫でおろした。だが、弥三が首桶を持っている事に気付くと、安堵した顔が少し緊張の色を帯びる。
「そうか……叔父上は自刃されたか。我が父と異なり正妻の子であったから、どうしても家の事が大事になってしまったのだろうな。彼の人にはこれしか道が思いつかなかったのであろう」
もしそうだとしても、民を巻き込むべき話ではない。五郎八郎はそう反論したかったのだが、陸奥守の寂しそうな顔を見たら何も言えなかった。
すると陸奥守はふいに、早急に報告せねばならぬ話があるのだったと小声で言って城内の一室に招き入れた。
「えっ? 扇谷上杉の五郎様が急死? 戦死したのですか?」
河東郡に北条軍が侵攻した際、雪斎禅師は急使を扇谷上杉家の河越城に走らせ後背を突くように依頼している。
上杉五郎は、松山城主の難波田弾正という者を大将に江戸城に軍を進ませた。ところがその道中で当主の五郎が急死したという報が入ったらしい。
あくまで噂の一つであるが、従弟にあたる先代の嫡子藤王丸の亡霊に呪い殺されたのではないかと言われているらしい。
先代には遅くになってできた藤王丸という実子がおり、養子とした甥の五郎に家督は譲るが、その次は藤王丸にという約束だったのだそうだ。ところが元服を目前に控えた藤王丸を五郎は殺害してしまったらしい。我が子新松丸に後を継がせるために。
父の急死を受けて新松丸が急遽当主となったのだが、まだ八歳でしかなく北条領侵攻どころでは無くなってしまった。反対に北条左京太夫の嫡男新九郎が江戸城などから兵をかき集めて河越城に攻め上り、落城させてしまったのだそうだ。
話を聞いた五郎八郎は一人の人物の名前を想像した。
『風間小太郎』
北条家に仕える『乱波』の頭領。いわゆる忍者、忍び、草といわれる者たちで、現代でいう特殊工作員。
武田家などがよく用いていたとされる『透波』は『すっぱ抜く』の語源ともなったように、いわゆる現代の人たちが想像する忍者のイメージで、主に諜報活動をしていたとされる。それに対し『乱波』は、テロ工作のような荒事を得意としてたらしい。
恐らくは暗殺。さらにはその後も城内に混乱をもたらし、そこを北条新九郎は突いたのだろう。
もしかしたら早急に当家もそのような者を抱えないと後々苦労する事になるかもしれない。
「ところでお館様たちの戦況はどうなっているのです? まだにらみ合いを続けているのですか?」
陸奥守は懐から駿河周辺の地図を取り出して床に置き、報告を始めた。
興国寺城に入城した北条左京太夫は、あっという間に周辺の城を接収し、そこに笠原越前守、大道寺駿河守、多目周防守といった者たちを配置して防御線を構築した。さらに葛山中務少輔が寝返り、富士山の東側から攻め込んだ武田軍は足止めを食い、挟撃作戦も失敗に終わってしまっている。
現在お館様たちは蒲原城に入城していて、何とか武田軍が葛山城を落とすのを待つしかないという状況なのだそうだ。
相模の小田原城や伊豆の韮山城からの補給線が繋がってしまっているので、正直戦況は容易には覆せないのではないかと思われる。
「遠江内乱の報告も、その鎮圧の一報も入れておりますゆえ、もしかしたらこのまま長逗留するよりはと長期戦を覚悟して誰かに任せて一旦帰って来るかもしれませんな」
そうなれば我らも重責から開放されると陸奥守は顔をほころばせた。
そうですなと言って微笑んだ五郎八郎だったが、腹の中では少し別の事を考えていた。
家督を継いで初戦となる此度の戦、しかもあれだけの動員をかけておいて、戦果は小競り合いの小さな戦勝のみ。それでは、引き下がってくるという決断は容易には下せないであろう。
今後の家中の統率を考えれば、家督を継承して早々に領土を大きく削られるなどと言う事はあってはならないと雪斎禅師も考えているだろうから。
だが、残念だが今回はどうにもならないように思う。扇谷上杉軍が敗れ、武田軍が足止めを受けている現状では。
仮に興国寺城を力攻めしたとして、失敗してあれだけの兵を失う事にでもなったらそれこそ存亡に関わる。それも雪斎禅師はわかっているはず。
恐らくは武田軍が引いた段階で、北条と停戦して駿府に戻って来るだろう。
北条家に同調した遠江の反乱は少なくとも鎮圧でき、三河国衆の侵攻は追い払えた。大局で見ればそれなりの戦果と言えるかもしれない。それを持って今回の戦果だと家中に宣伝する事は可能だろうから。
だが、それはつまるところ、井伊家の助命嘆願の交渉が困難を極めるという事になる。
「烏帽子親殿は果たして間に合うだろうか……」
一つは忠誠の証として井伊家の姫をお館様の側室に差し出す事。
そしてもう一つは今回反乱に賛同した奥山家及び、三河の戸田家、奥平家、鈴木家を説得して今川家に従属させる事。
奥山金吾正は此度の謀反を不問にしてもらえるのであれば今川家に忠誠を誓うと即答であった。
だが奥平監物丞、鈴木越後守はお互い顔を見合わせながら困惑した顔をしている。よく考えれば、五郎八郎の提示した条件は、自分たちが是と言わねば井伊家は取り潰しと言われているようなものだからである。
監物丞はただ困っているだけだったが、一方の越後守はかなり打算的な計算をしていた。
「仮に今川家に従ったとして、例えば尾張から当家が攻められたら誰が援軍を送ってくれるのだ? 浜名湖からそれがしの足助城まではかなり距離がある。駿河からなら論外だ。援軍が到着するまで持ちこたえられぬかもしれぬのだが?」
確かに今川家に従った場合、鈴木家は尾張との国境の最前線の家となってしまう。尾張からの侵攻があった場合、一番近い宇津山城から援軍を差し向けても持ちこたえられないかもしれない。仮に奥平家の亀山城から援軍が来るとしても、尾張一国をあげて攻められたらひとたまりも無いかもしれない。
だが、そのような指摘をされる事など、五郎八郎も織り込み済みであった。
「松平家があのような事になってしまって、今庇護する家が必要なのであろう? そこを当面今川家が庇護しようというだけの話だよ。真剣に捉える必要は無い。その場合は旗色を変えられてもやむ無しと判断しよう。もちろん心から従ってくれればそれに越したことは無いが」
中立今川寄り。今はそれだけで十分だと五郎八郎は三河の二人の国人に説明した。
奥平、鈴木、戸田の三家が今川家になびいたと知れば、恐らくは田峯城の菅沼家、今橋城の牧野家もそれに続くであろう。そうなれば東三河と奥三河は今川家の影響下となり、親今川派の家が三河で影響力を持つ事になる。
何かあった時には同志の三河国衆が援軍を差し向けてくれるだろうし、それで耐えている間に今川家の援軍が到着もできるであろう。
だから今川家に近づく事の利点は大いにあるはずだと五郎八郎は説いた
五郎八郎が説いた内容は、全て仮定に仮定を重ねた絵に描いた餅ではある。
ただ、今回北条家の侵攻に合わせてわざわざ三河からやって来たというに、遠江での軍事行動はあっという間に鎮圧されてしまった。その恐ろしいまでの手際の良さを考えれば、このまま今川家と松井五郎八郎に家運を託すのも悪くは無いと越後守は算盤を弾き出した。
「あいわかった。それがしはそれで賛同しよう。ただしあくまで盟主と仰ぐというだけで降伏したわけでは無い。そこは努々勘違いなさらぬよう」
越後守の発言に、今はそれで構わないと五郎八郎が承諾すると、監物丞も当家もそれでお願いしたいと頷いた。
五郎八郎が、防衛のために三河衆の切り崩しをお願いすると、監物丞は人使いが荒いと言って笑い出し、越後守は判断を誤ったかもしれんと笑い出した。
井伊谷城を出た五郎八郎たちは陣を引き払い、堀江城に行き匂坂軍たちと合流。戸田孫四郎にも先ほどの話をし、賛同を得て、そこで軍は解散となった。
****
解散と言っても五郎八郎は駿府城の留守居。小姓の弥三を引き連れて駿府城へと急いで向かった。
五郎八郎の顔を見て瀬名陸奥守はほっと胸を撫でおろした。だが、弥三が首桶を持っている事に気付くと、安堵した顔が少し緊張の色を帯びる。
「そうか……叔父上は自刃されたか。我が父と異なり正妻の子であったから、どうしても家の事が大事になってしまったのだろうな。彼の人にはこれしか道が思いつかなかったのであろう」
もしそうだとしても、民を巻き込むべき話ではない。五郎八郎はそう反論したかったのだが、陸奥守の寂しそうな顔を見たら何も言えなかった。
すると陸奥守はふいに、早急に報告せねばならぬ話があるのだったと小声で言って城内の一室に招き入れた。
「えっ? 扇谷上杉の五郎様が急死? 戦死したのですか?」
河東郡に北条軍が侵攻した際、雪斎禅師は急使を扇谷上杉家の河越城に走らせ後背を突くように依頼している。
上杉五郎は、松山城主の難波田弾正という者を大将に江戸城に軍を進ませた。ところがその道中で当主の五郎が急死したという報が入ったらしい。
あくまで噂の一つであるが、従弟にあたる先代の嫡子藤王丸の亡霊に呪い殺されたのではないかと言われているらしい。
先代には遅くになってできた藤王丸という実子がおり、養子とした甥の五郎に家督は譲るが、その次は藤王丸にという約束だったのだそうだ。ところが元服を目前に控えた藤王丸を五郎は殺害してしまったらしい。我が子新松丸に後を継がせるために。
父の急死を受けて新松丸が急遽当主となったのだが、まだ八歳でしかなく北条領侵攻どころでは無くなってしまった。反対に北条左京太夫の嫡男新九郎が江戸城などから兵をかき集めて河越城に攻め上り、落城させてしまったのだそうだ。
話を聞いた五郎八郎は一人の人物の名前を想像した。
『風間小太郎』
北条家に仕える『乱波』の頭領。いわゆる忍者、忍び、草といわれる者たちで、現代でいう特殊工作員。
武田家などがよく用いていたとされる『透波』は『すっぱ抜く』の語源ともなったように、いわゆる現代の人たちが想像する忍者のイメージで、主に諜報活動をしていたとされる。それに対し『乱波』は、テロ工作のような荒事を得意としてたらしい。
恐らくは暗殺。さらにはその後も城内に混乱をもたらし、そこを北条新九郎は突いたのだろう。
もしかしたら早急に当家もそのような者を抱えないと後々苦労する事になるかもしれない。
「ところでお館様たちの戦況はどうなっているのです? まだにらみ合いを続けているのですか?」
陸奥守は懐から駿河周辺の地図を取り出して床に置き、報告を始めた。
興国寺城に入城した北条左京太夫は、あっという間に周辺の城を接収し、そこに笠原越前守、大道寺駿河守、多目周防守といった者たちを配置して防御線を構築した。さらに葛山中務少輔が寝返り、富士山の東側から攻め込んだ武田軍は足止めを食い、挟撃作戦も失敗に終わってしまっている。
現在お館様たちは蒲原城に入城していて、何とか武田軍が葛山城を落とすのを待つしかないという状況なのだそうだ。
相模の小田原城や伊豆の韮山城からの補給線が繋がってしまっているので、正直戦況は容易には覆せないのではないかと思われる。
「遠江内乱の報告も、その鎮圧の一報も入れておりますゆえ、もしかしたらこのまま長逗留するよりはと長期戦を覚悟して誰かに任せて一旦帰って来るかもしれませんな」
そうなれば我らも重責から開放されると陸奥守は顔をほころばせた。
そうですなと言って微笑んだ五郎八郎だったが、腹の中では少し別の事を考えていた。
家督を継いで初戦となる此度の戦、しかもあれだけの動員をかけておいて、戦果は小競り合いの小さな戦勝のみ。それでは、引き下がってくるという決断は容易には下せないであろう。
今後の家中の統率を考えれば、家督を継承して早々に領土を大きく削られるなどと言う事はあってはならないと雪斎禅師も考えているだろうから。
だが、残念だが今回はどうにもならないように思う。扇谷上杉軍が敗れ、武田軍が足止めを受けている現状では。
仮に興国寺城を力攻めしたとして、失敗してあれだけの兵を失う事にでもなったらそれこそ存亡に関わる。それも雪斎禅師はわかっているはず。
恐らくは武田軍が引いた段階で、北条と停戦して駿府に戻って来るだろう。
北条家に同調した遠江の反乱は少なくとも鎮圧でき、三河国衆の侵攻は追い払えた。大局で見ればそれなりの戦果と言えるかもしれない。それを持って今回の戦果だと家中に宣伝する事は可能だろうから。
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