奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『小豆坂の戦い編』 天文十一年(一五四二年)

第54話 勘助がいる!

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 一度、朝比奈親徳なる者に会ってみよう、会ってどのような者なのか確かめてみよう。そう考えた五郎八郎は駿府城下の牢人取次小屋へと足を運んだ。

 このような時世である。一旗揚げようと考える者は多い。仕官希望の者は列をなしており、それがしはこんな事ができる、それがしはこんな事に自信があると取次の者に必死にアピールをしている。

 そこは一次面接の会場のようなもので五郎八郎が用があるのはその隣の屋敷。そこに牢人家老の庵原安房守と朝比奈丹波守が交代で詰めているはず。
 この二人が牢人家老を務めているという所に雪斎禅師の人事のいやらしさを感じる。庵原安房守は雪斎の甥、朝比奈丹波守は父である先代の丹波守に似てバリバリの駿河至上主義者だと聞く。つまりは新たに召し抱える者は駿河衆に従順そうな者をという事である。


「今一度! 今一度、丹波様に言ってお館様のお目通りをお願いしてはいただけませぬか?」

 一人の男が誰かの家人にそう懇願している。
 顔は浅黒く、どこかで怪我を負ったのか片目には深い切り傷があり隻眼。真剣勝負で怪我をしたのか指も何本か無いように見受けられる。どうやら片足も不自由らしい。
 あのような風体では確かに仕官してもらえなければ食うにも困ってしまうだろう。そう考えた五郎八郎はその家人に何を揉めているのかとたずねた。

 家人は朝比奈丹波守の家の者であった。どうやら丹波守も五郎八郎と同様に考え、口利きをしてやってお館様への目通りを世話してやったのだそうだ。

 他所がどうかは知らないが、駿府城ではまず取次小屋で役人の審査を受ける。その後、牢人家老の家人が二次面接を行う。さらに牢人家老が面談をし、お館様の最終面談となる。
 ただほとんどの場合、牢人家老が最終面談のようなもので、お館様の目通りでそれがくつがえるなどという事は無い。

 ところがお館様は、この人物の風貌を見て嘘つきを用いる気は無いと言って採用を見送ってしまったらしい。
 男は長年武者修行を積んできたから兵法(=剣術)に長けているという触れ込みで仕官を願い出た。そんな触れ込みの男が杖をついてきたのである。お館様の気持ちも若干わからなくもない。

 五郎八郎はその牢人に名をたずねた。どうせ聞いてもわからないだろうとは思いながらも。
 ところが、牢人のまさかの回答に、五郎八郎は目を丸くして驚く。

「三河宝飯ほい牛窪うしくぼの出で、名は勘助と申します」

 五郎八郎は、なるべく平静を装い、勘助に自分の屋敷の場所を教え、機を見て訪ねてくるようにと指示した。



 何度も何度も礼を述べる勘助の声を背に、五郎八郎は牢人家老の屋敷へ。
 家人の案内で屋敷の一室に通され、出された茶をすすって待っていると、ゆっくりとした足取りで丹波守はやってきた。

 年齢的には井伊宮内少輔と同じか少し下くらいだろうか。この人物の父、先代の丹波守が備中守の弟である事を考えると、かなり早くにできた子なのだろう。顔は父とは異なり細面だが目つきは父に似て鋭い。左右に長い口髭が非常に特徴的である。

 今日はどのような御用かと聞く丹波守に、五郎八郎は三河の支配が進んで三河の牢人がどの程度来ているのか知りたくなったと答えた。
 訪ねてくる者がかなり増えているように見受けられるから大変だろうと言うと、家人どもが悲鳴をあげていると丹波守は笑い出した。

 ある程度牢人の話が終わると話題は朝比奈家の話に移っていった。

 当然丹波守も父と五郎八郎の確執の話は知っている。その一件で父が蟄居となり自分が当主となったのだから当然であろう。

「父は未だにそなたの事を『遠州の小童こわっぱ』と罵ってるよ。だが、あんなのは放っておけばよい。これまでの五郎八郎殿の活躍を見れば、父の方が愚かであったと言わざるを得ないだろうよ」

 そう言って丹波守は笑った。その顔が若干煽るように感じたのは、笑った顔が父の丹波守を思わせたからだろうか。

「先の家を別けての内乱。あれでいち早くお館様に付き、駿河守に傾きつつあった遠江衆を一気にお館様に引き寄せた手腕はお見事と言う他はない。それに比べて我が弟はどうだ。勝手に駿河守に付いてしまって、少しは家への迷惑を考えて欲しいものだ」

 そう言って丹波守は憤った。その顔も父の丹波守を彷彿とさせ、不快感を抱く。

「あの痴れ者のおかげで朝比奈家は身動きが取れなくなってしまった。そのせいで、それがしはまた功名を上げる機会が得られなかった。本当に困った弟ですよ」

 過日は河東郡の防衛に従軍したらしい。これで功名が立てられると思いきや単なるにらみ合いで終わってしまった。なんだかんだとここ数年全く功績がたてられていないと、丹波守は残念そうな顔をした。

「それに比べ、何だかんだと武勲に恵まれ、お館様の覚えめでたいそなたの運の強さが羨ましいですよ」

 丹波守は次の戦が待ち遠しいと言って茶をすすった。その態度からは少なくとも、父のように五郎八郎に対し敵意を剥きだしにしているという感じは受けない。父同様、遠江衆を蔑んでいるという噂を耳にしていたが、ここまででそんなところは微塵も感じない。

 友江は丹波守の事を『石頭』と言っていたが、実際に会った丹波守は雰囲気こそ父に似たところはあるが、物腰は軟らかく、それなりに好人物という印象であった。
 ただ一点、しきりに『武勲』『功名』と口にするのには引っかかった。戦国の世では当たり前なのかもしれない。五郎八郎の周囲に、純粋にこれまでそういう極端に出世欲の強い人物がいなかっただけなのかもしれない。
 もしかして友江が言う『石頭』というのは視野が狭いという事なのかもと感じた。

「三河の牢人も今が山ですぐに落ち着くと思われるので、暫し辛抱してくだされ」

 そう丹波守を労って五郎八郎は屋敷を出た。

****

 自分の屋敷に戻った五郎八郎は真っ直ぐ友江の下へ向かった。眉月まゆづきという侍女にも部屋を出ていてもらい、誰も近づけないようにして欲しいとお願いした。なお、それまで侍女をしていた福島豊後守の娘の仙は従兄の蒜田孫二郎に嫁ぎ二俣に移り住んでいる。

「友ちゃん、凄い人が今うちに来てる! 凄い人だよ? 誰だと思う?」

 友江の両肩を掴んだ五郎八郎こと宗太は、かなり興奮気味に友江の体を揺らした。
 信也が来たのかとたずねる友江を、宗太は即座に否定。すると友江は「他に誰がいるのよ」と、かなり面倒そうな顔をする。だが、ふいに何かを思い出したらしく、にやりと口角を上げた。

「あ、わかっちゃったかも。本来ここにいるはず無い人じゃない? 山本勘助でしょ! どう? 当たってる?」

 簡単に当てられてしまうと興というものは醒めてしまうもので、宗太は実につまらなそうな顔でそうだよと呟いた。
 悪戯が事前にばれたかのようなガッカリ顔をする宗太を、友江はまあまあと慰めた。

「で、どうするの、山本勘助を? 武田に引き渡すの?」

 友江の問いかけに、宗太はどうしようか悩んでいると回答。もし今川家で雇用してしまったとして、その結果どのような影響がでると思うか、それを友江に聞いてみたかったと。

 友江は肩を掴み続けている宗太の手を、つねるようにして払いのけ、腕を組んで宗太の顔をじっと見た。暫く黙った後で、にっと口角を上げ、何度か小さくうなづいた。
 友江の出した結論は『影響無し』。

「もしかしたら勘助はこっちで貰った方が良い結果になるかもしれない。矯正力とやらに邪魔されず貰えるのならだけど」

 勘助が実際にどんな人かはわかっていない。単なる占い師と言う人もいれば、剣豪だという人もいるし、天才軍師だという人もいる。
 ただ一つはっきりしている事がある。それは第四回川中島合戦で啄木鳥戦法を提案し、それを上杉謙信に偶然が重なりながらも見破られ、戦術上大敗北を喫する事になったという事実。
 この戦いを引き分けとする人もいるが、それは戦略上を加味した上での事で、局地戦を見たら大敗北といって良い。
 もしこの敗戦が無ければ、もしかしたら武田家と上杉家は共同で織田家に当たる事ができたかもしれない。

 ただ一点懸念はある。もしかすると勘助がいなくなると、その地位に真田幸綱が座るかもしれないという点。
 真田幸綱は奸智に長けた謀将なので、何かと武田家が怪しい動きをするようになるかもしれない。

「そうだ、宗太。武田っていえばね、もう一つ留意しとかないといけない事があるのよ。多分もうすぐ武田信虎が追放になってこっちに来る。だけどあれ武田のスパイだからね。調略されたり分断工作受けないように十分注意してね」
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