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プチ家出
しおりを挟む早朝クラリスは家を出た。
小さなボストンバッグ一つとバイオリンケースを抱えて。
掃除の途中でゴミ箱から拾ったキレイな反古紙にシノへお世話になったことへのお礼をしたためた。
ゴミ箱から拾った紙なんて失礼だと思うが、他に無いのだから仕方がない。
クラリスはジルベールへも何か書き残すべきだろうかとは思ったが、内容も思いつかなかったし、却って心証を悪くするのではないかと思って、シノへの手紙の中で、
「ジルベール様にも感謝をお伝えください」
とだけ記しておいた。
日の出前の薄暗い中をこっそりクラリスは抜け出した。
なにせ無一文。お金に代えられるようなものはバイオリンの他には何も無い。
クラリスは悪いと知ってはいたけれど厨房からテーブルパンを10個ほど拝借した。
ジルベールは朝起き出してくるとなんとなく家の中をうろつき、庭に出てみたりしたがクラリスの姿はなかった。
昨日の事を気に病んで自分の目に入らないようにしているのだろうか。
本邸から迎えに来た馬車に乗って王都の仕事場へ向かう。
主人が気まぐれに辺鄙な片田舎に住んでいるせいで御者は毎朝片道一時間かけてジルベール坊っちゃまを迎えに行き、帰りも送り届けた後で暗い夜道を本邸まで戻っていかなければならない。
雨の日も風の日も二往復だ。
気の毒なことこの上ない。
他人の労力など意に介さないジルベールは今日も馬車に乗ってお仕事に出掛けて行く。
仕事場に着いたジルベールは一通りの事務処理を済ませてお茶を飲んでいた。
ふと、思い出して父が持ってきたまま見もしないで放っといたクラリスの釣書のことを思い出して未決書類入れから引っ張り出してきた。
コーヒー片手に読み進めると、クラリスの実母がかつて天才バイオリン少女として一世を風靡したセーラ・ディーンであったことが分かった。
実母の死後、ろくな教育も受けられず不遇の生活を強いられたクラリス。
粗末な衣服を身につけ、おどおどとした視線をさまよわせる痩せっぽっちな女。
彼女の心に迫る歌声と母を思慕して流した涙。
ジルベールは思った。
彼女は今までの計算ずくな いやらしい女どもとは違う!
この瞬間ジルベールの脳内で何かがはっちゃけた。
ジルベールは秘書に馬車の準備を命じると再び我が家に舞い戻った。
家に戻るとシノがどこか不機嫌そうに洗濯をしていた。
「あれ、坊っちゃま、今日はお早いですね」
「クラリスはどこだ?」
「ああ、クラリス様なら出て行かれましたよ」
「なんだと?」
「いつもなら朝早くから働いているのに起きていらっしゃらないから様子を見に行ったんです。
そしたら書き置きがありましてね」
「なんと書いてあったんだ?」
「ご覧になりますか?」
手紙にはジルベールの結婚相手として自分が不適格であるにも関わらず、長い間居座り続けたことへのお詫び、その間の生活の面倒を見てくれたことに対するお礼、シノが優しく接してくれたことへの感謝などが綴られていた。
ジルベールに関しては一言、ご迷惑をお掛け致しましたことを申し訳なく思っております、とあっただけだった。
「これだけか?他には?」
「これだけです」
ジルベールは何故か面白くない気持ちがした。
「どこに行ったんだろうか?」
「さあ、以前クラリス様は、どこか働き口を紹介してくれる人がいないか、なんてことを言ってらしたから、坊っちゃまに仕事の斡旋でもしてもらいたかったのかも知れませんね」
シノは
『図々しい娘だね』
と心の中では思いながら、それを一切おくびにも出さずに心配そうに眉を下げて見せた。
ジルベールが、
「探しに行く」
というのを面白くなく思いながら、
「でも、クラリス様も色々考えてご決断なさったんじゃないですかねぇ」
勝手に出て行ったんだから放っておけばいいのに、そう思いながらやんわりと止めてみた。
ジルベールは王都に戻ろうとしていた御者を呼び止めて、もう一度王都に向かうことを告げた。
御者は気取られないようにため息を吐いた。
『今日は三往復か』
クラリスは町外れの川沿いの広場の石段に座っていた。
午前中に王都に着いたクラリスは貼り紙のある店を見つけては雇って貰えないかと頼んでみた。
12件回ったがどれもダメだった。
もっと明るい子じゃないと、とか、店の雰囲気に合わないんだよね、とか言われた。
それを踏まえて無理して元気良く振る舞ったが、
「あら、さっき決まったのよ」
と言われたり、面接の反応は良かったが、住む場所が無いことを理由に断られたりもした。
住み込みで働こうとすると、身元引き受け人がいないことがネックになった。
『やはり私は何処に行っても受け入れられないのね』
晩秋の夕暮れは早い。
行くあてのないクラリスは風の温度が下がっているのを感じながら西日に照らされた川面をぼんやり眺めていた。
水面がキラキラ輝いてキレイだった。
生活排水の流れ込んだ汚い川なのに。
いっそここから飛び込んでしまおうか。
私にはこんなドブ川がお似合いかもしれない。
このまま夜になったら寒さで凍え死んでしまうのかな。
どっちが楽なんだろう。
そうだ、クラリスは思った。
どうせ死ぬんだからパン食べとこう。
クラリスはボストンバッグをごそごそあさってパンの包みを取り出した。
「おい!」
突然頭上から降ってきた声に驚いて見上げると、ジルベールが立っていた。
クラリスは驚きで小さく悲鳴を上げた。
「ご・・・ご主人様」
どうしてジルベールがいるのだろう?
まさかパンを盗んだことに気づいてここまで追いかけて来たのだろうか?
金持ちほどケチだと昔から言うのだからあり得ない話でもないだろう。
私はパンを盗んだ罪で投獄されるのだろうか?
そんなジャン・バルジャンな・・。
「あ、・・・あの、パンの代金は必ず働いてお返ししますので・・」
泣きそうな顔を向けるクラリスにジルベールは一言、
「帰るぞ」
と言った。
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