侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕

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 無事に女将さんを送り出し、雇われ女将業も板についてきた頃、事件は起こった。

 ランチタイムも終わり準備中の札を下げて夜の仕込みをしていると誰かが店に入って来た。

 「お客さん、悪いね。昼は終わったんだ。
 夜の開店は5時からだよ」

 女将さんの声色を真似てちょっと場末感を出してみる。
 
我ながらなかなか様になっているだろう。
 
 「シンディー。お前シンディーだろ?」

「え?」

 振り返った私の目に映るのは長身の男。
 
金色の長い髪を後ろで無造作に結んでいて、ラフなスタイルのセットアップを着ているが品質の良さは一目で分かる。
 
この辺の人間とは明らかに違う。

 さっきランチの時に来た客だ。
 
チラチラこっちを見ていたから感じの悪い客だと思っていたのだ。

「・・・・人違いではありませんか?」

 さては侯爵家の手の者か?警戒感を露にする私に男は詰め寄る。

「シンディー、こんなとこで何やってんだ?」

 半分怒って半分呆れたような緑の眼に遠い記憶が呼び起こされる。

「あ・・・れ・・・?もしかしてスティーブお兄様?」

 こりゃ逃げられないな。
 観念した私はおとなしく兄の尋問を受けることにした。

 5つ違いの兄は私が10歳の時に留学して、以来10年以上会っていない。
 
元々兄妹としての関係も希薄だったのだからすぐに気づけなかったからと言って責められる謂れは無いと思う。

 すっかりいい感じのオジ・・・じゃない
お兄さんに成長したスティーブお兄様は、貴族というより何か胡散臭いジゴロ的な雰囲気を漂わせている。
 
たしか新聞記者になったというようなことをヒューズ家にいた時に聞いたような覚えがある。
 

「お前結婚したんだろう?
 どうしてこんなことになってるんだ?
 分かるように説明しろ」



「えっと、・・・遡ること22年前、私は悪女サンドラの私生児としてこの世に生を受け」


「・・・そこは知ってるから言わなくていいんだよ」

 兄の場合は生い立ちから説明する必要は無かったが、兄が留学してから今までのかくかくしかじかについて語らねばならず、それが何とも面倒であった。
  
  長い間話し相手がいなかった私だから、かいつまんで要点を話す、とかいうのが苦手だった。

 女将さんに話す時は、聞いて聞いてモードだったのに、相手が兄だと途端にテンションが下がるのは何故なのか。

 顎が疲れることしきりであった。 

 だんだん喋るのが面倒になってきた私は、夜の仕込みの片手間に兄の問いに面倒そうに答えるというスタイルに落ち着いた。

 こちとら腹を空かせた労働者たちを迎え撃たにゃならんのよ。
 
夕食時の大衆食堂は戦場なのよ。

私が手際良く鶏肉を串に刺していくのを何とも言えない表情で眺めていた兄は

 「色々すまなかった」 

そう言って項垂うなだれたが、なぜ兄が謝るのか分からなかった私は、正直邪魔だから早く帰ってくれないかな、と思っていた。

「ゆっくり話せる時間が取れないか?」

 神妙な顔をする兄に

「休みは日曜日だけど、日曜は屋敷にいるアピールしないといけないからなあ」

とデカイ寸胴鍋に大量のスープを移しながら答えると、兄は何故か悲しげな顔をして力なく笑った。
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