10 / 33
09 鶏舎の朝
しおりを挟むセルフィーユ領の朝は早い。どこの家でも、鶏を飼っていて、家々の雄鶏が競うように夜明けを告げるのだ。
「コケコッコー!」
「コケコッコー!」
その声を目覚ましに起き出して、朝食前の一仕事をするのが常だ。
男たちは、早朝のひんやりした空気の中で畑を耕す。こどもたちは、鳥小屋でまだ温かい産みたての卵を集め、台所で料理を作る女たちのもとに持っていく。
フロルの家は、身分こそ子爵だが、昔からこの土地で、領民とともに農業をして暮らしてきた。
今朝も、兄たちが野菜の収穫に向かうのを、部屋の窓から眺めながら、フロルは空を見上げた。本日も晴天なり――大きなあくびをひとつして、眠たい目を擦りながら、鶏舎に卵集めに向かった。
セルフィーユ家の鶏は、昔からフロルのことが大好きだ。顔さえ見れば、フロルを温めようと周りに寄ってくるのだ。鶏舎の中を歩くフロルの後ろには、鶏たちのにぎやかな行列が出来た。
「コッコッコッコ」
「おはよ。今日も元気だね」
フロルが腕に籠を下げて、卵を集めていると、両肩にふわりと鶏が乗った。頭の上には、白い冠のように、ちょこんと鶏が座った。鶏はふわふわした羽のせいで軽そうに見えるが、数羽となるとなかなか重かった。
卵を拾おうとかがんだ隙に、背中にも数羽の鶏が乗った。ぐしゃり、ついにフロルは、敷き藁の上に倒れこんだ。
一斉に鶏がフロルの前後左右を陣取り、フロルを覆い尽くす。
「もー、おまえら、何がしたいんだよ。ぼくは卵じゃないぞ」
温めることにかけては達人級の鶏たち、ほわほわの羽毛に包まれて、ぬくぬくに温められたフロルは、たちまち眠気に襲われた。体にかかる重さの配分も絶妙だった。
「……これ、なんか幸せかも。もういいや。寝よ」
そのまま、フロルは鶏と同化するように眠ってしまった。こんなふうに世界とひとつになるのなら、自分の最後も案外、悪くないかもしれない――そんなことを思いながら。
◇◇◇
ダレンの元に、魅了魔法を解くサシェを送ったのは先週のことだった。フロルは、風の精霊に、薬の効果が高まるように、香りを広げてほしいと頼んだ。なんとかなっただろうか。もう、学園は遠い世界のように思えた。
フロルは、自分の体が透け始めてから、今まで存在すら気づかなかった精霊たちが、見えるようになった。朝露に濡れた花の上や、麦の穂を揺らす風の中――彼らは自然界の至るところで、自由気ままに過ごしていた。
精霊たちと目が合うようになってから、自分のいるべき世界が、あちらへと少しずつシフトチェンジしていくのを感じた。
感情の起伏がなだらかになり、こころを乱すことが減ってきた。今までの風守が"意思がない"と言われるのは、こういう感覚のせいかもしれない。
鶏に埋まりながら、フロルはつぶやいた。
「ダレンは元気かな。結局、あのとき婚約解消しといて、正解だったってこと?悲しいも、さみしいも、なくなったら楽だけど、うれしいも、楽しいもなくなっちゃうんだよね……」
「クルルルルゥ?」「コッコッコケ?」
「ん?ひとりごとだよ……なんでもない」
◇◇◇
セージは、最近めっきりと食が細くなったフロルのことを、とても心配していた。
少しずつフロルの顔から表情が抜け落ち、人間らしさを失っていくのがわかった。いろんな欲を手放して、透明な存在になっていくように感じた。
今朝、フロルは朝食に現れなかった。
食い意地の張ったあいつが、食べることに興味を失うなんてありえないと、セージはフロルの部屋を訪れた。しかし、ベッドは空で、ぬくもりすら残っていなかった。
「……っ、フロル……?どこに行ったんだ?」
セージは慌てて屋敷中を探した。家族も使用人も、今朝フロルを見た者はいなかった。厭な予感しか胸の中に残らなかった。
「おーい!フロルー!」
「坊っちゃーん!」
「フロルさまー!」
鶏舎にも、屋敷の慌ただしい気配が届いた。
鶏の羽毛に包まれて、ぬくぬくで眠っていたフロルの意識が、ゆっくりと浮上する。上にいる鶏をかきわけて、上半身を起こすと、バン!と大きな音をたてて、鶏舎の扉が開いた。
鶏たちが驚いて散り散りに逃げていく。音に驚いて固まる、羽まみれのフロルだけを残して。
「あっ、フロルっ!ここにいたのかー!」
「……びっくりした。ちい兄どうしたの?」
「おまえが……、いなくなってしまったのかと思って……」
セージはつかつかとフロルに近寄り、力いっぱい抱きしめた。
「消えてしまったのかと……うぅ……」
「ああ、ああ、ちい兄、大丈夫だから……泣かないで……」
セージに痛いくらいに抱きしめられて、フロルは苦しかったけど、なんだかうれしかった。
セージの体はとても温かく、汗のにおいすら心地よかった。どくんどくんと伝わる心臓の鼓動が、フロルをこちらに呼び戻すかのようだった。
フロルはセージの首にぎゅっと巻き付いた。
「ちい兄、心配かけてごめんね。
……ぼく、さみしいのかもしれない……もっと、ぎゅっとしてくれる?」
セージは言われるままに、フロルを抱き上げてぎゅっとした。自分の首に回された両腕の片方だけが、ふわふわと頼りなくて切なかった。
この弟はいつも達観した様子で、誰にも文句も言わないくせに、たまに感情をぽろりとこぼすのだ。コップいっぱいになった水が、ふるりと揺れてあふれるかのように。
屋敷のみんなが鶏舎までやってきたので、フロルは鶏と一緒に眠ってしまったと、心配をかけたことを謝った。
セージはフロルを抱いたまま、食事をさせ、世話を焼き、一緒に眠った。いつもは「こども扱いやめてー!」と抵抗するフロルは、くたんとしてされるがままだった。
(本来なら、あいつがこんなフロルのそばにいるはずだった。フロルも、あいつにだったら、もっと素直に甘えられたかもしれない)
人のこころとはままならないものだ――セージは静かに、王都の方角に思いを馳せた。
270
あなたにおすすめの小説
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
呪われた辺境伯は、異世界転生者を手放さない
波崎 亨璃
BL
ーーー呪われた辺境伯に捕まったのは、俺の方だった。
異世界に迷い込んだ駆真は「呪われた辺境伯」と呼ばれるレオニスの領地に落ちてしまう。
強すぎる魔力のせいで、人を近づけることができないレオニス。
彼に触れれば衰弱し、最悪の場合、命を落とす。
しかしカルマだけはなぜかその影響を一切受けなかった。その事実に気づいたレオニスは次第にカルマを手放さなくなっていく。
「俺に触れられるのは、お前だけだ」
呪いよりも重い執着と孤独から始まる、救済BL。です!
僕に双子の義兄が出来まして
サク
BL
この度、この僕に双子の義兄が出来ました。もう、嬉し過ぎて自慢しちゃうよ。でも、自慢しちゃうと、僕の日常が壊れてしまう気がするほど、その二人は人気者なんだよ。だから黙って置くのが、吉と見た。
そんなある日、僕は二人の秘密を知ってしまった。ん?知っているのを知られてしまった?が正しいかも。
ごめんよ。あの時、僕は焦っていたんだ。でもね。僕の秘密もね、共有して、だんだん仲良くなったんだよ。
…仲良くなったと、そう信じている。それから、僕の日常は楽しく、幸せな日々へと変わったんだ。そんな僕の話だよ。
え?内容紹介が内容紹介になってないって?気にしない、気にしない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる