ぼくが風になるまえに――

まめ

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08 解除


 ダレンは金が欲しかった。愛しいキャンディスが望むままに、光輝く宝石や、繊細なレースをふんだんに使った美しいシャツ、なんでも買ってやりたかった。
 しかし、ダレンの家はただの騎士爵で、それほど裕福ではないし、護衛の名目で、朝から晩までキャンディスのそばに張り付いている彼には、稼ぐ時間もなかった。
 ダレンは、小さな野の花を摘んで、キャンディスに贈った。昔――その花を、心から喜んでくれた誰かがいたはずだった。
 キャンディスは、それを嫌そうに指でつまむと、ぽとりと足元に落として鼻で笑った。

「ダレンって、ほんっと贈り物のセンスないよね!」

◇◇◇
 
 その日の終わり、ダレンは、キャンディスを寮の部屋まで送り、自分の部屋に戻ると、ドアに一通の手紙が挟まれていた。フロル――昔の婚約者からだった。 
 その少し厚みがある封筒に、ダレンは「金目のものが入っているかもしれない」と、都合のいい期待をしながら開けた。
 封筒には、手のひらの半分ほど大きさの軽い包みと、一枚の手紙が入っていた。
 元婚約者からの手紙には興味はなかった。しかし、この小さな包みには、とても惹かれた。きっと高価なものが入っているに違いない。だって、こんなに大事そうに包まれているのだから――ダレンは待ちきれなくて、ばりばりと荒っぽく包みを破った。
 
 中から出てきたのは、小さなサシェだった――手に取ると、薬草の香りがふわりと立ち上ぼり、ダレンの部屋にひとすじの風が吹いた。
 その香りを部屋中に広げるかのように、風はくるくると小さな渦を巻いた。
 
 深い森のような落ち着いた香りが、彼の興奮した脳を鎮めた――誰かの荷物を担いで、野山をのんびり歩いたことを思い出した。
 
 早朝の朝露のようなすっとさわやかな香りが、彼の頭を覚醒させた――誰かと早起きして、山の頂まで日の出を見に行ったことを思い出した。
 
 柔らかな草原のような青い香りが、彼の愛を呼び起こした――誰かを抱きしめて、髪に顔をうずめたのを……ペールブルーの髪。照れて笑う愛しい君を。鮮明に。
 ダレンは思い出した―― 

「っ、……フロル!!!」

 よみがえった記憶の奔流が嵐のように、容赦なくダレンの心をかき乱す。
 ダレンは、全てを思い出した。キャンディスに夢中になってからの自分を。涎を垂らした犬のような醜い自分を。
 あれだけ愛していたフロルに、婚約解消を突き付け、その手を離したことを。
 最後に見た、フロルの静かな、あきらめた表情を。

「短命だっていうなら、なおさら一緒にいたい。――その短い人生を、俺と一緒に生きてくれ。フロル、好きなんだっ!」

 ダレンは、そう告白したのだった。
 この思いを抱えて、ずっと一緒に生きるつもりだった。それなのに。
 喉の奥から突き上げる、言葉にならない叫びが、空気を裂いた。混乱と絶望で、ダレンは床にどさりと崩れ落ちた。
 
 目の前には、さっき放った手紙が落ちていた。 
 
『今までありがとう さようなら フロル』

 それだけが書かれていた。
 いつも整っていたフロルの筆跡は、消えそうに弱々しかった。
 ダレンの頭に、フロルの背負う宿命がよぎった。
 
「この『さようなら』は……まさか!嘘だろ、フロル!」
 
◇◇◇

 ダレンの部屋で渦を巻いていた風は、ドアを押し開き、香りを乗せたまま、寮の廊下へと流れていった。 
 
「うあああぁっ! 私は今まで何を――!!」

 廊下の向こうから、叫び声が聞こえた。
 ダレンと同じように、魅了魔法が解けた者がいたのだ。
 その声は一人にとどまらず、次々と他の部屋からも叫びが上がり、風とともに学院中に広がっていった。

「どうして……どうして、こんなことに……」
「自分は何をしてしまったんだ?」
「あああああああっ!!!」

 混乱し暴れる生徒、倒れる生徒の多さに、対処しきれないと判断した教師たちは、夜ではあったが、すぐさま医療機関に連絡をした。
 もはや学園内で秘匿することは、不可能だったし、その生徒の中に王族も含まれており、事は急を要したのだ。
 医術にも魔術にも見識のある、国の医術師長が駆けつけ、ベッドにぐったりと横たわる、第二王子スチューベンの手を取った。
 学園の花形として輝いていた彼の表情は、憔悴し生気を失ったかのようだった。

「殿下、お加減はいかがですか?」

「あぁ、私は大変なことをしてしまった……私は……汚れている……」

 スチューベンの目からは、後悔の色が見てとれた。
 
「では、お体に魔力を通して診ていきます」

 医術師長は、第二王子の体の隅々まで魔力を巡らせて、異常が無いか調べた。その結果、彼の脳の奥深くに、ルビーのように赤い、魅了魔法の残滓がこびりついているのを発見した。

「これは……禁忌とされている魅了魔法では!」
 
 第二王子スチューベンは、憂いをたたえた表情で、小さく頷いた。
 
「ああ、全て覚えている。その始まりから、今までのおぞましいことの数々を……」
 
 彼がキャンディスに夢中になり、大事にしていたはずの婚約者に、婚約破棄を突き付けたのは、有名な話だった。
 キャンディスに高価な贈り物を貢いでいるのも、その身体に溺れ、部屋に通い詰めているのも、生徒たちの周知の事実だった。


 
 
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