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第一章
49 -ルークside- ⑲
しおりを挟むユイの歌声がピアノの音に合わせて、室内に優しく響いた。水の情景を思わせるその歌は、まるで不浄のものを洗い流すかのように心に沁み渡った。時折、頭に激痛が走ることはあったが、歌を聴いているうちに徐々に和らいでいった。
歌が終わる頃には、今まで如何に淀んでいたか分かるくらい、視界が鮮やかになり、頭がすっきりしていた。でもなぜか、不安感と焦燥感がより一層大きくなっていた。
俺の変化に気づいた姉さんは、近寄って再び瞳を覗き込んだ。
「……信じられない。"魅了"が消えている。魔法具を介して上級魔法を解呪するなんて、この声の主は何者だ?」
俺から離れた姉さんは、驚いた様子でシグルド司祭にユイのことを聞いた。
「私の補佐をしておりました、ユイという青年です」
「ああ、以前報告があった異世界からの転移者か。しかし、異世界から来た者に魔力が宿るとは、そんな前例あっただろうか?それで、彼のスキルは?」
「分かっておりません。魔力が宿ったと分かった時から訓練を優先させ、鑑定は先延ばしにしておりましたので…」
「そうか……」
姉さんは俺を一瞥すると、シグルド司祭と話を続けた。
「彼は今、どこに?」
「……夜明け前、ここを出て行きました」
「すれ違いになってしまったか。彼の力があれば、完全に魔法が解けたかもしれん…」
「完全に解けたわけではないのですか?」
「解けたのは"魅了"と、僅かにあった"改竄"だ。"忘却"だけがまだ──」
そこでノック音が部屋に響き、会話が中断した。姉さんが「入れ」と入室を許可すると、姉さんの従者をしているロイドが、サラを連れて入ってきた。幼い頃から姉さんに仕えている彼と顔を合わせるのも、実に数年ぶりだ。しかし最後に会った時からほとんど変化はなく、俺より10歳も年上とは思えない風貌だ。
「ルナシス様、お待たせいたしました。参考人の娘を連れて参りました」
「ご苦労だった、ロイド」
「ルーク…!」
不安そうな表情をしたサラが、俺の腕に抱きついてきた。いつも身に着けてるネックレスは以前のような輝きを失い、石の中心は黒く淀んでひびが入っていた。しかし、サラはそれを気にする様子もなく、いつもと変わらずそれを身に着けていた。
あんなに愛しいと感じていたサラに対し、今は何の感情も湧かず、むしろ嫌悪感すら抱いた。無言でサラの手を振り払うと、彼女は傷ついたような表情をして縋ってきた。
「…ルーク、どうしたの…?何でそんな……。それに、この人たち…」
俺が目も合わせず、口を開かないでいると、姉さんがシグルド司祭に目配せをした。
「サラ。こちらはルナシス・クイントス様。この領地を治めるクイントス伯爵家のご令嬢で、ルークの姉君だ」
「領主様の…?じゃあ、ルークは……」
「愚弟は君に何も話していないのか?聞くところによると、結婚の約束までしたそうじゃないか。まあその様子だと、それも無効となりそうだがな」
サラは愕然とした表情になった。それはそうだろう。数日前に好きな男からプロポーズを受けて幸せの絶頂にいたのに、その家族から認められないと言われたのだから。
「そ…それは、私が平民だからですか?」
「クイントス家は婚姻の際、相手の身分をそれほど重要視しない」
「だったら…!」
「俺にその意思がないからだ」
ようやく口を開いた俺に、サラは信じられないと言わんばかりの視線を向けた。
「ルーク…何を言ってるの…?私のこと、愛してるって言ったじゃない。あれは……あれは嘘だったっていうの!?」
サラの困惑した表情は、みるみるうちに怒りへと変わり、大声で怒鳴りだした。しかし、その瞳の奥には確かな悲しみも浮かんでいた。
「嘘かどうかは、君が一番分かっているだろ?」
「…?何のことを言っているの?」
俺はサラを見据え、冷静に続けた。そして両手をサラの首の後ろに回し、胸元で揺れている黒く淀んだネックレスを外した。
「…これは"魅了"が発動する魔法具だ。これを身に着けた者は、意中の人間を虜にすることができる。俺のこれまでの発言や行動は、この魔法具による効果だ」
「…そ…そんな…、嘘…嘘よ!」
サラは頭を抱えて泣き叫んだ。今まで俺が囁いた甘い言葉や行動は、全て魔法具によって引き出された偽りのものだったことを、受け入れられずにいるようだ。
そしてサラの瞳を見て、俺は悟った。彼女も俺と同じように、"魅了"に匹敵する洗脳魔法がかかっている。かけたのは恐らく、このネックレスを路上で売っていたあの男だ。あの時サラは、あの男の話を熱心に聞いていた。サラの欲望を掻き立てる言葉を織り交ぜながら、あたかも自分の意思であるかのように動くよう仕向けたんだろう。
「姉さん、彼女を──」
「分かっている。ロイド、彼女を急ぎ解呪師の元へ。シグルド司祭はご両親に事の経緯を説明してくれるか?あの様子は、解呪後も医術院でのケアも必要だろう」
「承知しました」
おそらく、サラの状態は魔法具に記録されたユイの歌では解呪できないだろう。俺のように魔法具を介したのではなく、直接魔法をかけられているから、効果がより強く出ているんだ。
ロイドは転移魔法陣を展開させるとサラを連れて消え、シグルド司祭も早々に執務室を出ていった。
そして残された俺と姉さんは、沈黙が漂う空間の中で、それぞれの思考を巡らせていた。
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