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第二章
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しおりを挟む王都で生活を始めて、あっという間に1年の月日が流れた。僕は21歳になり、この世界に来て4度目の収穫祭の時期を迎えようとしていた。ウィルさんとディーンさんは、去年が忙しすぎて収穫祭をまともに楽しめなかったことを考慮し、今年は昼のみの営業にすると言った。
<ノクターナ>に訪れるお客さんの間では、収穫祭の話題で持ちきりだ。それは夜営業でも同じだったが、貴族も混じっている常連さんの間では違った話題が上っていた。
「ここだけの話だが、なんでも今年の王家主催の夜会には、クイントス伯爵家も参加するらしいぞ」
「あの滅多に社交の場に出ないと聞くクイントス家が?一体どういう風の吹き回しだ」
常連さんの話では、普段領地にいる貴族も王家主催の夜会に参加するために、収穫祭の時期は王都に集まるらしい。しかし件のクイントス伯爵家はここ10年ほど、王宮どころか王都にも姿を見せていないそうだ。
クイントス伯爵って、村があった土地を納めている領主様だよね……?
聞き耳を立てながら給仕をしていると、常連さんたちは更に続けた。
「確か、伯爵令息が成人したのは去年だったよな?しかもあの家は、姉であるご令嬢が家督を継ぐと聞いているが」
「どうやら、新しい魔法薬の開発に成功して、王家にその報告に来るのが目的らしい」
「ほう、それはまた…。あそこは代々、優秀な錬金術師のを輩出する名門だからな。今回は一体どんな新薬を開発したのやら…」
「ユイ君。一曲お願いできるかな?」
「はい、かしこまりました」
別のお客さんに演奏をリクエストされて、それ以上会話を聞くことができなかった。2年以上住んでいた土地なのに、その領主様のことをよく知らなかったんだなと、少し恥ずかしく思った。
閉店時間が近づくにつれ、お客さんが徐々に少なくなっていく中、通りの向こう側に一台の馬車が止まっているのが見えた。ウィルさんもそれに気づくと、残っているお客さんを言葉巧みに帰らせ始めた。やがて店内に僕とウィルさんの二人だけになると、僕は急いで残されたグラスを片付け、テーブルを拭き上げた。片付けが終わったのを見計らうと、ウィルさんがドアを開き、馬車に向かって一礼した。すると、馬車の外に控えていた従者がドアが開き、中から金髪碧眼の美しい女性が降りてきた。
「いらっしゃいませ、ナイトレイ様」
「ごきげんよう、ウィリアム。相変わらず勘のいいこと」
店に入ってきたエルゼ・ナイトレイ様は、1年ほど前に婚約者に婚約破棄され、やけ酒を飲みに来たあの女性だ。あの一件以来、定期的に来店するようになり、二度目の来店の際に彼女が侯爵令嬢であることを知った。
「いらっしゃいませ、ナイトレイ様」
「ごきげんよう、ユイ。お久しぶりね。少し見ない間に、美しさに磨きがかかったのではなくて?」
「ナイトレイ様には、遠く及びません」
「あら、お上手だこと」
婚約破棄の約半年後、彼女は家督を継いでナイトレイ侯爵となったらしい。仕事は主に王都で行うそうだが、領地の視察でしばらく王都を離れることになり、今回の来店は実に数か月ぶりだ。
「<ムタティオ=カエロ>をお願い。ユイ、あなたにはいつもの曲をお願いするわ」
「かしこまりました」
彼女は来店すると、必ず同じものを注文する。ウィルさんはカウンターでお酒を手慣れた手つきで作り始めた。僕も一礼し、ピアノの前に座るといつもリクエストされる曲を弾き始めた。
ウィルさんが出来上がった<ムタティオ=カエロ>をテーブルにそっと置くと、彼女はグラスをそっと持ち上げ、いろんな角度から色を楽しむように傾けた。一口含み、レモンの雫を数滴垂らすと、変化する色に見入っていた。
僕が一曲弾き終えると、彼女は次の曲に移ろうとする僕を制止し、手招きしてそばに呼んだ。
「実は、あなたに折り入ってお願いがあるの」
「お願いですか?」
「ええ。2週間後に我が家で開催する夜会で、あなたに演奏してほしいの」
貴族の夜会で演奏?そんなの、僕に務まるはずが……。
「無理を言っていることは分かってるわ。でも、それを曲げてお願いしたいのよ」
「しかし、ナイトレイ様の人脈を駆使すれば、僕以上の適任者が見つかるのでは?」
「いいえ。これは歌で私の心を開放してくれた、あなたにしか頼めないの」
ナイトレイ様は、事の経緯を話してくれた。
今回の夜会は、表向きは特別親しい人だけを招いた親睦会のようなものだが、実はある人たちを慰めることを目的として開催するそうだ。約半年前、彼女が家督を継いだ同じ時期に、ある侯爵家の先代が亡くなったらしい。ナイトレイ家はその侯爵家と先々代の頃から懇意にしていて、亡くなった先代は情に厚く、人望のある方で家族はもちろん領民からも愛されていたそうだ。そんな方を失った家族の悲しみは深く、半年たった今でも立ち直ることができないでいるのだとか。
「特に奥様と孫である私の友人が、酷く落ち込んでいて……。見ているこっちが悲しくなるわ」
「それは、お辛いですね」
「ええ。だからこそ、ユイにお願いしたいの。私もあなたの歌を聴いて、涙を流すことで前に進めたわ。奥様も友人も少し頑固なところがあるから、私と同じようにあなたの歌を聴いたら、前を向けると思うの」
もしかして、彼女に歌を聴かせたあのとき、<言霊>が発動していたのかも……。あのとき僕は、彼女の心に気持ちが同調していた。そこに<言霊>の力が加わって、"慰め"に繋がったとか?
「遺族の皆さんを、お慰めできるかは分かりません。しかし、少しでも前に進むお手伝いができるのでしたら、謹んでお受けします」
不安はかなり大きいけど、僕の力で誰かの心が慰められるなら。
「ありがとう、ユイ。本当に、心から感謝するわ。細かいことは明日改めて、使いの者を送って説明させるから」
そう言うと彼女は何やらウィルさんと話し始め、それが終わると今夜も多めに料金を置いて帰っていった。
「ユイ。明日から夜会が終わるまで、忙しくなるわよ」
ウィルさんが憐れむような顔でそう言うものだから、僕の不安は更に掻き立てられた。僕は選択を誤ったのかもと、早くも後悔しそうになった。
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