【完結】あなたのいない、この異世界で。

Mhiro

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第二章

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 スタンピードは、恐怖や興奮による集団暴走や、動物や魔物の群れが何らかの理由で溢れて暴走する現象を指す言葉だったはずだ。しかし、モーリス大司教様の言うスタンピードは、それとは少しニュアンスが違う気がした。

「フレイマ辺境伯領には、国内でも特に魔力量の多い騎士が多かった。そんな彼等が此度の戦争で命を落とし、生き残った者は主や仲間を失ってしまった。彼の地は今、生者の強い悲しみだけでなく死者の無念も色濃く残り、それによって生まれた負の魔力が、魔獣たちのスタンピードを引き起こす可能性があるのだ」

 なぜそんなことが分かるのかという、僕の疑問を読み取ったように、モーリス大司教様が付け加えた。

「詳しくは話せないが、なぜ分かるのかは私のスキルが関係している、とだけ伝えておこう」

『だからこれ以上詮索するな』、そう言われた気がした。自衛のためにもスキルはできるだけ秘密にするよう、僕に教えてくれたのは他でもないモーリス大司教様だ。当然彼も、そう簡単には自分のスキルについて教えてくれないだろう。

「では、僕の力でどうにかできると考えた、その根拠をお聞かせください」
「それは、これだ」

 モーリス大司教様は魔法でティーカップやお菓子の乗った皿を移動させると、長方形の重厚な木箱を僕の目の前に置いた。その蓋が音もなく持ち上がると、そこには一つのガラス瓶が入っていた。手の平に収まるほどの小瓶で、蔦をかたどった細い銀が巻き付くように覆っている。そして、銀の蔦はガラス栓にも巻き付いていて、中を開けられないようになっている。
 瓶の中には、薄い水色がかった透明な物が入っていた。それはガラスというよりは、透明度の高い塩の結晶のようだ。

「……アーティファクト?」

 まじまじと小瓶を見つめる僕の隣で、ルークが目を見開いてぽつりと呟いた。

「さすがは錬金術師の名門たる、クイントス家のご令息だ。おっしゃるとおり、これはアーティファクトで、名を<最後の救済>という」

 僕が小首を傾げていると、ルークが説明してくれた。
 アーティファクトとは、遥か昔の時代に錬金術師によって作られた、とても希少な魔法具のことだそうだ。現存するものはほとんどなく、書物の中でしか語られない遺物と言われている。そして、そのアーティファクトは一様に、<世界樹>の一部が素材として使われているらしい。

「僅かに<世界樹>と同じ魔力を感じる。確かに本物だ。でも、これが<最後の救済>で、本当に存在していたなんて……。どこでこれを?」
「それも、私のスキルが関係しているとだけ言っておこう」

 ルークの問いをやんわり跳ね除け、モーリス大司教様は話を続けた。

「このアーティファクトはその昔、人々の心を慰める『鎮魂師』と呼ばれる者が所持しておった。鎮魂師は生者の心だけでなく死者の魂をも慰め、そこに生まれた強い感情を結晶化していたそうだ。結晶化した感情は<想いの欠片>と呼ばれ、このアーティファクトはその<想いの欠片>を集めるために作られたと言われている」

 モーリス大司教様からアーティファクトの起源を聞いて、今回のフレイマ辺境伯領の話との繋がりがなんとなく見えてきた。

「その鎮魂師が持つスキルも、<言霊>だった。だから、君が西方辺境伯領の民に慰めを与えることで悲しみを結晶化できれば、結果的にスタンピードを防げるのではと考えた」
「…つまりユイに、その鎮魂師と同じことをしろと?」

 ルークのどこか怒気を含むその言葉に、僕は一瞬たじろいでしまった。

「実際、彼は昨夜のナイトレイ侯爵主催の夜会でモルゲン侯爵家の二人を慰め、悲しみを結晶化させている」

 じゃあ、さっき見せてもらった<最後の救済>に入っていた結晶は、モルゲン侯爵家のお二人の<想いの欠片>なのか?それにしても、モーリス大司教様も昨夜の夜会に参加していたなんて、全然知らなかった。

「一人や二人ならまだしも、そんな大勢を対象にスキルを発動したら、魔力が枯渇してしまう。もしそうなったら、ユイの命にも危険が及ぶんですよ!?」

 普段の様子からは想像できないようなルークの気の荒げ様に、僕は驚いた。それと同時に、僕の身を案じてくれるその姿に、胸がじんわりと温かくなるのを感じる。

「昨夜、久方ぶりにモルゲン前侯爵夫人と会って話をしたときは驚いた。あんなに明るい表情を見たのは、前侯爵が存命だったころ以来だ。聞けば、君の歌を聴いて気持ちが前向きになったと、笑って話していたよ」

 誰かの心が慰められるということは、その人を心配する人もまた救われるのかもしれない。柔らかく笑うモーリス大司教様を見て、僕はそう思った。

「……モーリス大司教様。少し、考える時間をいただけないでしょうか?」
「ユイ!?」
「もちろん。ただし、あまり時間に猶予はない。2日後にまたここで、答えを聞かせてくれるか?」
「わかりました」
「それと、もう一つ───」

 モーリス大司教様は内緒話をするように自身の口元に手を当て、そっと僕の耳であることを囁いた。その話があまりにも夢物語のような内容で、僕は思わず「えっ?」と言葉が漏れた。

「……それも踏まえて、考えてみてほしい」

 そう言い残すと、モーリス大司教様はガゼボから去っていき、僕とルークだけが残された。
 僕は未だ冷める気配のない手元の紅茶を見つめながら、最後に囁かれたモーリス大司教様の言葉を反芻した。

 この件を引き受ければ、ルークの言うとおり命の危険に晒されるかもしれない。でも、事を成し遂げた時、僕の中で何かが変わるような、そんな予感がした。


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