異世界転生したと思ったら、悪役令嬢(男)だった

カイリ

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#26 皇帝誕生祭

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 名前で呼んでほしいと言われて初めて、彼を名前で呼んだことがないことに気づいた。無意識のうちに俺はずっと彼をヒロインだと思っていて、ちゃんとアルフレッドとして見ていなかった。あまりに失礼すぎる。

 ヒロインと思っているとは考えていないだろうけど、アルフレッドは俺が別人を重ねて見ていることに気づいていたのかもしれない。

 だからこんなことをお願いしてきたのだろう。

「川沿いにランタンが並ぶんです。綺麗ですよ」

「へえ」

 イルミネーションね、と頭の中できらきらとした電灯が脳裏によぎる。この話をしたってことは見に行くつもりにしているのだろう。うん、野郎二人で見に行くにしては寒すぎる光景かもしれないが、きっとアルフレッドは俺に楽しんでほしい一心なのだろう。貴族と平民とでは生きている世界が違うと言っても過言ではない。

 まあ堅苦しい社交界よりもこちらのほうが俺としても楽しいけれど。

「見に行きたいなって思ってるんですけど、まだ時間って大丈夫ですか?」

 すっかり日が暮れて夜となってしまった。とっぷりと暗くなった空を見上げて俺は息を吐く。

 ケイシーに夜には帰ると言ってしまったが、まだ何となく物足りない気がして無性に帰りたくなかった。

「大丈夫だ」

 そう答えるとアルフレッドは「やった」と小さい声で呟いた。

 最初は夕暮れ時には帰るつもりだったのに予想以上に楽しくて時間が過ぎるのはあっという間だった。きっと俺はこちらの生活のほうが性に合っているのかもしれない。それにどうせ隠れて護衛も付いているだろうし、ちょっとぐらい羽目を外してもいいだろう。

「とっておきの場所があるんです」

 アルフレッドは嬉しそうに笑う。ぐいと俺の手を掴んで歩き出した。

 皇都には一本の大きな川がある。それを挟んで皇宮があり、その背には竜が棲むと噂される国で一番大きな山が聳えている。きっと竜が棲んでいるというのはよくあるおとぎ話で実際は活火山だったりするのだろう。

 この国を興した皇帝は地の利を生かして居城を作り、近辺を統一すると平民たちが皇宮の近くに街を作った。そうして大きくなったのが皇都だ。

 皇帝の誕生祭ではこの川に手作りのランタンを飾るのが伝統らしく、川沿いを歩いているとまばゆいオレンジ色の光に照らされて幻想的だ。きゃっきゃと騒ぎながらランタンに火を灯す子供たち。平穏だな、と心の底から思った。

「ヴィンセント様。ちょっと待っててください」

 人込みから離れるとアルフレッドは俺を置いて駆け足でどこかに行ってしまう。その背を見送り、立っているのも疲れたのでその場に座り込む。今日はよく歩いた。明日は絶対に筋肉痛だ。普段から馬車ばかり使ってさほど運動をしていないせいか、一日中遊ぶなんてしたら体が悲鳴を上げてしまう。

「お待たせしました。モルドワインです」

「ワイン……?」

 手渡された木製のカップを受け取る。もくもくと湯気の上るそれからはスパイスと酒の香りがする。ホットワインか?! と思ったが、この国には未成年の飲酒を禁止していない。さすがに子供から飲むなんてことはないけれど、十五を過ぎれば大体の人が酒を経験している。

 俺だって去年ぐらいから付き合いがあれば飲んでいた。アルフレッドも同じなのだろう。日が落ちて寒さが増しているからホットワインは体を温めるのに最適だ。

「あれ、お酒、ダメでした?」

「いや、大丈夫だ」

 ずず、とすする様に飲むと芳醇なフルーツとスパイスの香りが口の中に広がる。ワインも嫌いではないけれど、フルーツやスパイスがふんだんに入っていてワインの味が気にならない。

「美味い」

「でしょ」

 隣を見ると得意げに笑っている。今日は俺に祭りの楽しみ方を教えてくれているようだ。俺も何か教えてやれることはないだろうかと考えてみるが、貴族の間なんて相手の裏を読み、腹の探り合いばかりで楽しいことなんて一つもない。こいつにそんな汚い世界を知ってほしくないから却下だ。

「アルフレッド。今日は、本当に楽しかった」

 締めくくりのようになってしまったが、思ったことをそのまま口にするとアルフレッドは嬉しそうな顔をする。

「今朝までつまんなかったらどうしよって不安だったけど、ヴィンセント様と一緒に遊んでたらそんなことすっかり忘れちゃってて……。でも楽しんでくれてよかった」

「今日は店番とかよかったのか?」

「はい。母には話してきましたから」

 そう言ってアルフレッドはワインを一口飲みこむ。はあ、と息を吐くと、水蒸気が空に舞う。

「ここね。川を一望できるんですよ」

 すっと指をさした方向に目を向けると、ランタンに照らされた川が地平線まで続いていた。きらきらと輝くそれはまるで東洋の龍のようにも見えた。

「綺麗、だな」

 思わず息を呑む。

「でしょ。ここもね、俺のお気に入りの場所なんです。今日は俺が好きなものを全部、ヴィンセント様に知ってほしくて連れて行きました」

 だからアルフレッドは今朝まで不安だったのだろう。自分が好きなものを人に教えるのは楽しみであり、そしてわずかな不安も残る。自分だけが楽しいと思っていて、他の人は違うかもしれない。美味い物や綺麗な物は特に。

「ありがとう」

 何か俺もアルフレッドにしてやりたい気持ちがあるもの、それこそ本当に楽しめるのか疑問だ。貴族の子息なんて狩猟かかけ事ぐらいしか娯楽がない。時たま音楽をやっていたりするやつもいるけれど、生憎、俺はそちらの方面には才能がなかったようで暇さえあればかけ事ばかりしていた。どうしようもない奴だった。

「俺のほうこそ、一日付き合ってくれてありがとうございました。忙しいのに時間も空けてくれて」

「別に忙しくない。ケイシーも言っていただろ? 暇しているって」

「ヴィンセント様が否定してたじゃないですか」

「あれは……、暇人って思われたくなかっただけだ」

 まあ、嘘を吐いていたというわけだが、アルフレッドはおかしそうに笑って「何それ」という。どうしようもなく居た堪れなくなった俺はそっぽを向いてワインを飲み込む。じわりと体の芯から温まっていくのを感じる。アルコールが入ったせいもあって気分が少し高揚している気がした。

「ねえ、ヴィンセント様」

 するりとコップを持っていない手を握られてアルフレッドを見る。

「どうした?」

 どこか思いつめたような顔をする彼に仄かな不安を覚えた。今まで楽しかったって話をしているのに、どうしてそんな顔をするのか俺には分からない。

「俺、ヴィンセント様のことが好きです」

「うん……? 俺もお前のこと、嫌いじゃないぞ」

 わざわざ改まって言われると気恥ずかしい。そんなこと言い合わなくても、俺の中でアルフレッドは名前で呼ぶのを許してやるぐらいに気心を許しているつもりだが、彼にはそれが通じていなかったのだろうか。

 アルフレッドは困惑している俺の顔を見るなり「そうじゃないんだけどな」と呟いてぐいと体を寄せてきた。

 ちゅ、と唇が触れ合う。

「好きなんです、ヴィンセント様のことが」

 そう言ってもう一度顔を近づけてきたので、俺はゆっくりと目を瞑ってしまった。




 アルフレッドに対して悪い感情は最初から持っていなかった。ヒロインが男だってことには驚かされたが、正直で根が真っすぐで愛嬌もあって、何より顔と体が良い。いや、こういうとめちゃくちゃ皇女のようだが、人柄が良いのに顔まで良いから多少のことなど許してやれるのだ。

 だからと言ってアルフレッドに恋愛感情を抱いているか、と言われれば、それはまた微妙なところなのだが、キスをされても嫌だとは思わなかった。ってことは好きなんだろうか。うーん、よく分からない。

「ごめんなさい。嫌、でしたよね」

「嫌だったら突き飛ばしてるだろ」

「え、嫌じゃないんですか!?」

 俺としてもどうなのかよく分からないのだ。これまでずっとここはゲームの世界で、彼は主人公で、俺は悪役令嬢だから追放とかされないよう心掛けているだけで、自分の感情に目を向ける余裕はなかった。皇女を婚約者に持ち、物語と同じように自分から主人公へ感情が向くのを目の前で見せつけられても、俺の感情は揺れ動かなかった。心底、ヴィンセント・ド・シェラードという人間に嫌悪した瞬間だった。

 ヴィンセントにとって、悪役令嬢にとって、皇女(王子)との婚約は自分のためでしかなかった。

 主人公に嫉妬したのも所有物を奪われたことによる怒りだったのだ。つくづく自分勝手で傲慢だ。

 そんな俺が誰かを好きになるなんてこと、出来るはずがなかった。

「正直なところ、好きかどうかは、分からない」

「はい」

 分かり切っているという返事に俺は驚いて顔を上げる。

「いいのか? それで」

「ええ。今日、一緒に居られただけで十分なんです」

 アルフレッドはすっきりした顔をしている。それに嫌な予感がして、俺はアルフレッドの胸倉を掴む。

「どういうことだよ」

「俺とヴィンセント様の間には身分と言う壁があります。それにあなたは皇女の婚約者だ。俺はこれ以上、あなたの邪魔をしたくないんです」

 淡々とそう話すアルフレッドに、俺は激しく動揺していた。名前で呼ぶのは今日だけでいい、とか、やたらと皇帝誕生祭に拘っていたこととか、確かに予兆はあったけれど俺は見て見ぬふりをしていた。

「十分なぐらい思い出が作れました」

「勝手に、決めるなよ」

「でもこれ以上、俺達が仲良くしてても、良いことはないと思うんです。気持ちを伝えたりするつもりはなかったんですが、黙ってもいられなかっただろうし、…………本当にありがとうございました」

 そう言ってアルフレッドは俯いてしまった。俺も胸倉を掴んでいた手を離してアルフレッドから目を逸らす。

「馬車まで送ります」

「…………いらない」

 まだカップの中にはホットワインが残っていたが、俺はそれをアルフレッドに押し付けると立ち上がって馬車がある市場の入口へと向かった。

 むしゃくしゃするし腹も立つ。

 けれど不思議と涙は出て来なかった。
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