【完結】運命の番に逃げられたアルファと、身代わりベータの結婚

貴宮 あすか

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第34話 どんなことでもできる(前編)

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 新は、実家である中野家の応接室で父の忠彦を待っていた。すっかり指定席にされた直樹の膝の上で、夫にもたれかかる。
 互いに愛を確認しあったあとの交歓は激しかった。ベータなのにアルファに亀頭球で栓をされたまま、お腹の中に濃厚な精液を大量に出され、亀頭球が萎えたあとも硬度の残る長大なペニスで腸壁に子種を塗り込まれた。
 アルファってみんな、こんなに愛が深いものなんだろうか。
 これまでを取り返すかのような愛の営みだった。明かりをつけたままさまざまな体位で愛されて、新は女を抱けない体にされてしまった。
 精液が残っていると腹痛になるからと丁寧に後始末されたあとも、どれほど新を愛しているかを熱く語られて、嬉しいけれど恥ずかしい。経験値がなさすぎて「俺も愛してます」しか言えなかったけれど、心をこめて伝えたら優しく微笑まれて、それだけで新の心は温かくなった。
 ずっと直樹と一緒だったからよく知らないけれど、おそらく兄と拓海は無事に番になれたのだろう。「発情期明けの食事を用意してやれ。中野家に連絡して、迎えが来たら丁重にお見送りしろ」という直樹の指示を、夢うつつに聞いた気がする。

「ん?」
 新が見ていることに気づいて、直樹が目元を和らげる。新は今でも気になっていることを尋ねた。
「本当に俺で良かったんですか。世の中の人は、『アルファにとって、運命の番の首筋を噛んで番の契約を結ぶのが一番の幸せ』と考えます。ベータの俺を配偶者として世間に紹介したら、あなたが侮られるのではありませんか?」
 直樹は少し考えて言った。
「そうかもしれない。だが世間から評価されれば、人は幸せになれるんだろうか」
 それは――なれないと思う。新が答えると、直樹は頷いた。
「アルファがオメガの首筋を噛めば、それだけで番の契約がなされてオメガは自分だけのものになる。素晴らしい、万々歳だ。……俺もそう思っていた。相手に愛され続けるための努力なんていらない、相手のことを知る手間も必要ない、相手に心変わりされる不安もフェロモンはすべて省いてくれる。とても楽で、でも、いびつだ」
「はい」
「それを俺は気持ち悪いと感じる。そう感じるようになってしまった。新を愛してから。お前の心を繋ぎ止めるために、努力し続けたくなった」
 そうだ。この人は俺にひどいことを言ってしまったのを、悔やんで悔やんで、悔やみ続けてくれた。そして俺の心を開かせるために言葉を惜しまなくなった。
「新は自分がベータであることを引け目に感じているようだが、そんなふうに思う必要はまったくない。お前はそのままで完璧な、至高の存在だ。決して誰にも渡さない。新を失わないためなら、俺はどんなことでもできる」
 この人は本気だ。中野家と全面戦争をすると言われたときの、恐怖と痺れるような甘美がよみがえった。
「どんなことでも?」
「ああ。どんなことでも」
「嬉しい」
 大切な人の頬を撫でたとき、応接室の扉が開いた。
「待たせてすまなかった」
 新の父親はニューヨークから帰国したばかりとは思えないぐらい、エネルギッシュだった。ニューヨークと東京の時差は十四時間だというのに、時差ボケした様子もない。優れた能力を持つアルファの中でも、彼は群を抜いている。『経済界の怪物』中野忠彦ならではの、超人的な体力だった。
 そっと新を膝から下ろしソファに座らせた直樹は、直立して深々と頭を下げた。
「本日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」
「木南くんには律のことで迷惑をかけたね」
 そう言って中野忠彦は一人掛けのソファに座った。相手にも座るよう手振りで伝えたが、直樹は頭は上げたものの座らなかった。
「いえ、新のマンションよりも我が家のほうが警備が厳重と判断しました」
「そのとおりだ。律を狙った中国マフィアは壊滅させたが、新の家は割れてしまった。新、今のタワーマンションは引き払いなさい。新しい物件は私のほうで手配する」
「そのことでお話があります」
 直樹が声を大きくする。忠彦の顔から見せかけの笑顔の仮面が剥がれ落ち、無表情になった。新は不安な気持ちで二人の優れたアルファを交互に見た。
「聞こう」

「俺は亀頭球除去手術を受けるつもりです」

 その言葉に一番に反応したのは新だった。
「どうして!」
「オメガのフェロモンに反応したくないからだ。律に出会ってはっきりとわかった。フェロモンは嗅覚だけで感じるんじゃない、複数の感覚器で受容している。感覚というのは最終的には脳で受け取るから、脳に障害を負わせたらフェロモンは感知できなくなるが、それは困る」
「当たり前だよ」
 新は真っ青になって夫に取りすがった。さっきの、自分のためならどんなことでもできるという言葉が脳裏に去来する。直樹は新を見つめて唇をつりあげた。
「感覚器を損なうことができないなら、運動器を機能不全にすればいいんだ」
 この人は本気だ。新はどう説得すればいいかわからなかった。男女関係なくアルファにしか存在しない亀頭球、そのせいでアルファはオメガのフェロモンを感知すると、激しい性衝動に見舞われる。亀頭球を切除しても男性機能は衰えないし、アルファとしての能力も低下しないけれど、フェロモンに反応することはなくなってしまう。 
 新は激しく首を振った。
「病気でもないのに手術するなんて。そんなことしなくたって、俺は直樹のこと信じてる」
「新が信じてくれても、オメガと『事故』が起きたら? そして相手が俺の子どもを孕んだら?」
 ショックを受けている新ではなく、その父親を直樹が睨みつける。
「あなたはそうやって、新の人生から俺を『排除』するつもりだ。……そうですね、お義父さん」
 木南直樹の告発に、中野忠彦は薄笑いを浮かべた。 

「面白いことを言う。続けなさい」
 忠彦の穏やかさは不気味だったが、直樹は一歩も引こうとしなかった。
「そもそもあなたは、俺と律を結婚させるつもりなんてなかった」
 その言葉に否とも応とも言わず、忠彦は薄笑いを浮かべたまま尋ねた。
「どうしてそう思った」
 年上のアルファから挑発されても、若いアルファは深く息を吐いて誘いに乗らなかった。
「俺は第一報で律が親友と駆け落ちしたと聞いた。だが新から聞いた話は違う。律と同い年の拓海は、側仕えで、護衛で、家族みたいなもので、常に一緒に過ごしていたと教えてくれた。昔から側にいて公の場でも離れない、そんな『親友』がいるわけがない。彼こそが、あなたの用意した律の番の相手だ」
「まさか! だって彼には経営の才能なんてない。金持ちの息子でもない。律を彼と結婚させても、なんのメリットもありません」
 新の反論に直樹は首を振った。
「違う。俺も勘違いしていたが、君の父親が律の番に求めるのは企業の経営能力じゃない。律をいかなる危険からも、運命の番からも守り抜く強さと深い愛だ」
 新はハッとした。そのとおりだ。父は自分たち兄弟を深く愛してくれている。そんな父が、息子の幸せを願わないはずがない。
「大切な、大切な息子を政略結婚の駒にするなんて、あなたに限ってありえない。園遊会に俺を招待したあなたは、俺が律と会うこともできなかった時点で、俺を見限ったはずだった。あなたの誤算は、新が俺を好きになったことだ」

「新、もう満足しただろう。そんな男は捨てて、我が家に戻ってくるんだ!」

 中野忠彦はソファから立ち上がった。その目は直樹への敵意と憎悪で輝いていた。
「そんな、お前を律の身代わり扱いするような男! お前がどうしてもこの男を諦めないから、一度結婚させてやったら気が済むかと思って認めた。そうしたらどうだ、週末婚だと! このアルファが本当にお前のことを愛しているなら、片時もお前と離れられないはずだ。そんな奴を、私の大事な新の配偶者として認められるか!」

 忠彦の怒号は凄まじかった。けれど直樹は怯まなかった。
「申し訳ありませんでした」
 直樹は応接室の床に座ると、忠彦に向かって深々と土下座した。

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