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些細なおはなし
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※まえがき
これは約十年ほど前の些細なおはなし。
夏弥と洋平が小学校にあがったばかりの、まだ幼かったころの思い出を断片的に書きました。挿話なので、このおはなしはこのページで終わりの予定です。
◇
ある年の四月某日。時刻は夕方。
空には赤く染まったおぼろ雲が張り付いている。
三條の市立小学校から、夏弥は洋平に案内される形で鈴川家へとやってきていた。
学校が終わって、洋平の家で遊ぼうということになったのだ。
鈴川家は、真っ白な外壁のお家だった。
家の脇にはちょっとした庭があって、そこに色鮮やかな花々が咲いている。
レンガブロックで囲った植え込み。
パンジーやペチュニア、マーガレット。
母親の趣味がガーデニングなのだろう。
ブリキのジョウロやゴム長靴が、素敵なラックにちょこんと置いてある。
それらは全て、傾いた赤い陽のひかりをたくさん浴びていた。
「ただいまー! おかあーさーん! 友達つれてきたあー!」
小学生の彼らに比べてずっと大きな玄関扉。
それを引き開けてから、洋平が叫ぶ。
洋平のすぐ後ろには、ランドセルの肩ベルトをぎゅっと握り込む夏弥がいて。
洋平の声が家中に響いたかと思うと、奥から気立ての良さそうな女性が現れる。
三十代に差し掛かっているだろうという見た目のその女性こそが、洋平のお母さんである。
彼女は幼い夏弥から見てもわかるくらいの、とびきりの美人さんだった。
やや目が細く、スタイルも良い。
出るところが出ている。そんな表現はこの人のためにこそある。
「おかえりなさーい。……あら? 洋ちゃん、もうお友達ができたの?」
「うん。夏弥っていうんだ!」
「お、おじゃまします! と、藤堂、夏弥です!」
「夏弥くんね。ゆっくりしていってねぇ~」
「ダ、ダッチェ◯みたい……」
「……?」
唐突につぶやいた夏弥の言葉に、洋平も、洋平のお母さんも、何のことかサッパリわからないという顔をする。
夏弥がそう口にしたのも仕方のないこと。
なぜなら、洋平のお母さんは、おしゃれキャッ◯のダッチェ◯に顔立ちがよく似ていたからである。ちなみに、ダッチェ〇はお金持ちの婦人に飼われている美しいメスの白猫である。
「夏弥! 早く俺の部屋でゲームやろうぜ!」
「うん……」
夏弥は、初めて入る同級生の家に、ほんの少しだけドキドキしていた。
その鈴川家の二階。洋平の部屋へと案内される。
ランドセルを担ぎながら、二人は階段を駆け上がっていった。
バタバタと足音を立てて上がり切り、すぐ手前の部屋。そこが洋平の部屋だった。
「わあぁ……。……洋平くんの部屋、おっきいね!」
ドアを開けてすぐ、夏弥は目をきらきらと輝かせる。
十二帖ほどの部屋は、小さな夏弥からすればとっても広く感じられる。
その広い部屋を、夏弥は忙しなく見渡していた。
「そう? そんなことないよ。コレくらいフツーじゃない?」
何を驚いてるのかわからないといった様子で、洋平は自分の学習机の脇にランドセルをひっかける。
「フツーじゃないよ!? ボクの部屋よりずっとでっかい! あんな大きなテレビもないし、漫画もたくさんある!」
幼い頃、まだ夏弥は一人称がボクだったし、洋平のことを「洋平くん」と呼んでいた。
お互い、身長も今よりずっと低くて、そして声変わりもしていない。
頬にニキビの一つもなければ、全体的に肌もつるつるで、スベスベで。
無論、お肌の話でいえば、洋平はこの頃から今まででさしたる変化もなさそうなのだけれど。
「〇マブラやろうぜ、〇マブラ~!」
「あの、洋平くん。ボクまだ〇マブラやったことないんだけど……それでも大丈夫?」
「なに気にしてんだよー。そんなんやってればパパっとウマくなるって! 俺なんてソッコー上達したよ? このままやったらすぐにプロだな!」
「プ、プロ……?」
「ほら、とりあえずコントローラー持って。始めようぜ! 今日から俺が夏弥のお師匠さんになるから!」
「うん……と、とにかくやってみるけど……死んじゃったらごめんね?」
夏弥は、かの有名な対戦ゲーム「〇マブラ」のことをあまりよくわかっていなかった。対戦相手に、死んだらごめんも何も無いものである。
洋平と夏弥の二人は、テレビの前で横並びに座った。
夏弥がランドセルを肩からおろしてそばに寝かせているあいだ、洋平はテレビ台の下の引き出しから、ゲーム機やコントローラーをゴトゴトと引っ張り出してくる。
すると、そんなタイミングで、二人が背にしていた部屋の扉が開けられた。
「カチャリ」と音がしたその次の瞬間。
「ああーっ! おにいちゃんがゲームしようとしてるー!」
扉を開けてきたのは、今年六歳になる洋平の妹、美咲だった。
扉のノブに手を伸ばしながら、はっけーん! とでも言いたそうな顔だ。
くりんとした瞳と、鎖骨のあたりまで流すように伸ばした黒髪。
生まれてくる星を間違えたかというくらいの、信じられない可愛さである。
「うわ、なんだよ美咲! 勝手に入ってくんなよ!」
「いいじゃんかあ! ねぇ何のゲームして遊ぶの? あれ? ……そ、そっちの人だれ?」
「うるさいなぁ~。お前は一人で遊んでろよ! 俺は今、夏弥と遊ぶんだよ! どっかいけ!」
洋平は、せっかく連れてきた友達の前で、妹と遊んでなんていられないといった様子である。
邪険に扱われつつも、美咲は洋平の隣で大人しく座っている男の子に目を向ける。
その目は、知らない人間が家のなかへやってきたことへの不安感からか、ただじっと調べるように見つめていて。
「なつや……? だれ?」
「こ、こんにちは……」
夏弥は子供心ながら、美咲の視線に気まずさを感じつつ、歯切れの悪い「こんにちは」を声に出す。
「……。お兄ちゃん。みさきも一緒に遊びたい!」
「ダメだっ! お前はひとりで遊んでろよな!」
「ど、どうしてそんなひどいこと言うの? みさき、お兄ちゃんになにかしちゃった……?」
小さな美咲は、着ていたトレーナーの裾をマシュマロみたいな手でぎゅっと握る。
いつもは遊んでくれるはずの洋平お兄ちゃんの見慣れない態度に、美咲の心はどんどん寂しくなっていった。
「どっか行けってば! 今日はお前と遊んでるヒマないの! 俺は忙しいんだ!」
「ふえ……ううぅ……」
悲しいことに、いくら妹が妖精のように可愛くても、お兄ちゃんにとっては所詮めんどくさい妹だという事らしい。
夏弥は、そんな洋平と美咲のやり取りを見ていて、少し心が痛くなるのを感じる。
美咲は今にも泣き出してしまいそうだった。
今にも、その可愛い顔が崩れて、悲しみに歪んで、うわんうわんと泣いてしまう。
そんな未来が、夏弥にも透けて見えるようで仕方がなかった。
「……美咲ちゃんも一緒に遊ぶ?」
「うぅぇ…………! え? ……いいの?」
「うん。ボクも洋平くんには負けるかもしれないけど、一緒にたおそう!」
「……う、うん。たおす!!」
たおす! と威勢よく美咲は言い放った。
愛すべき洋平お兄ちゃんは、どうやら自分を邪魔者扱いしくさっているし、誰だかよくわからない夏弥なる男の子は、自分の味方をしてくれるらしい。
本能的に、そういった状況を理解したのである。
「俺に勝とうとか思ってんの? 夏弥も美咲も弱すぎてヨユーだし!」
「や、やってみなきゃわかんないよ! ……美咲ちゃん、このゲームしたことあるの?」
「あるけど、お兄ちゃんには勝ったことない……。でも今日は勝つ! みさきはお兄ちゃんより強いもん!」
「夏弥ー。美咲に期待しないほうがいいぜ? 俺なんて足でやったって勝てるくらいだ。ほんとザコいんだからコイツ」
「え!? 足だけで!?」
「強いもん! みさき強いから平気! いいから始めて、お兄ちゃん!」
「わっ」
美咲は夏弥が手にしていたコントローラーをひったくって、ササッと座り込む。
一応、夏弥とチームを組んでいるという意識のせいか、小さな美咲は夏弥に身体をくっつけて画面のほうをじっと睨んでいる。
夏弥にくっついている美咲はやはり信じられないくらい可愛い。
ちなみに、チーム戦だからってくっつきながらやる必要はない。
「オッケー。じゃあ二対一な? 五回死んだほうが負け」
「わかった!! みさきがこっちのテレビのやっつけるから、なつやはお兄ちゃんをやっつけて!」
「わ、わかった!」
「え。俺をやっつける……? 待てよお前ら! プレイヤーの俺を攻撃する気かっ!?」
「洋平くん、五回死んだほうが負けなんだよね!? ボクは負けないよ!」
「どういうゲームなんだよ夏弥!」
洋平の言う二対一。それはあくまで画面内でのことだった。
〇マブラなのだから当然そう思うだろう。
しかし、横に座る夏弥と美咲はそんなこと関係無いらしく。
美咲はテレビ画面の中で。夏弥はテレビ画面の外で。
さかずきを交わし合った仲かといわんばかりの絆でもって戦おうとしていた。
夏弥は、少なくとも洋平を五回は死に至らしめると公言している。
とんでもない小学生だ。
そんなわけで、よくわからない三人の戦いが幕を開けたのだった。
◇
「あ! この、……あひゃひゃっ! ああ! お、おいやめろ! 夏弥のバカ! 脇くすぐんなよ!! 集中できないだろうが!?」
「これがボクの、いや、ボクたちの戦い方だよ!」
「きたねぇぞ!」
夏弥は洋平の脇を一生くすぐっていた。
とっさに思いついた秘技・こちょこちょ作戦である。
まあ、卑怯とも言う。
そんな妨害を受けておかしな挙動を示す洋平のキャラクターに、美咲は容赦なくAボタンの連打をお見舞いしていく。
美咲の操作しているキャラクターは、美咲同様可愛らしい女の子のようだけれど、キュートな見た面に反してずいぶんな張り手をかましている。力強い。
「あたしのが強いもん! ほらほらほらあ! お兄ちゃんどう? これで終わりでしょ!? 終わってよおおぉ!」
「何言ってんだ!? 俺はまだあはは! なっ、やめろ! あ、あはは!? ああー! 死んだあああっ!」
洋平の操作するキャラは、激しい音と共に画面の外へ消えた。
直後、テレビ画面が暗転する。
それからすぐに戦闘のリザルト画面。
結果はもちろん、美咲の操作していた女の子キャラの勝利だ。
「やった! 美咲ちゃんが勝った! ボクたちが勝ったんだ!」
「やったやったやったああー! いえーーい!」
勝利の王冠を手にした美咲のキャラが、こちらに向けてウインクを決めている。
そんな画面を前にして、美咲と夏弥は手を取り合い盛大に喜んだ。
満面の笑みで、二人は握り合った手をブンブンとふっている。
「ズルだ! こんな戦い、俺は認めないからな!?」
「お兄ちゃん何それ~。負けたくせに言い訳とかかっこわる~い。えへへ。なつやを見習ってよね~!」
「ふふっ。いやぁ~……」
夏弥が照れ臭そうに頭をかいていると、洋平はむすっとした顔で反論する。
「ぐぬ……。お、おい美咲! 夏弥って呼び捨てにすんなよ!! 俺と同じでお前よりも年上なんだぞ!」
「……え? お兄ちゃんと同じ……?」
「そ、そうだよ! だから夏弥のこと呼び捨てにしちゃいけないんだからな!? 今度から夏弥お兄ちゃんって呼べよ!」
洋平はよくわからない命令を口にしていた。
負けた悔しさのせいに違いない。
「なつやお兄ちゃん……? あ! それならみさき、今度からなつやのこと、なつ兄って呼ぶ!!」
「え? でもそれはちょっと……や、やめてよ美咲ちゃん。恥ずかしいよ……」
「えぇ……。やだ! みさきはなつ兄って呼ぶ! そう呼ぶの! ぜったい呼ぶの!」
困惑する夏弥の前で、美咲はわがままを言っていた。
無邪気ほど、無敵なものはないのかもしれない。
「わわ、わかった! わかったからそんな大きな声出さないで!」
「あははは! 夏弥も大変だなぁ~!」
「洋平くん、楽しそうでいいね……」
実際、夏弥はこの時、「なつ兄」と呼ばれることに違和感があった。
なぜなら、それは偶然にも自分の妹、秋乃が自分を呼ぶ時の呼び方と同じだったからだ。
本当に一番親しい存在、秋乃だけが呼んでいいはずの呼び方。そう感じていた。
一度ゲームで結託して洋平を倒した仲とはいえ、美咲に呼ばれると少しだけ不思議な気持ちになってしまうわけで。
(秋乃以外にも、ボクをそんな風に呼ぶ子がいるんだ……)
無意識だけれど、夏弥はその頃から、少しずつ美咲をもう一人の妹のように思っていたのかもしれない。
この呼び方は、月日を経ていくほどに違和感が薄くなっていった。
それはつまり、夏弥にとって美咲が、妹のような存在へと移り変わっていったという証明でもあるのだ。
これは約十年ほど前の些細なおはなし。
夏弥と洋平が小学校にあがったばかりの、まだ幼かったころの思い出を断片的に書きました。挿話なので、このおはなしはこのページで終わりの予定です。
◇
ある年の四月某日。時刻は夕方。
空には赤く染まったおぼろ雲が張り付いている。
三條の市立小学校から、夏弥は洋平に案内される形で鈴川家へとやってきていた。
学校が終わって、洋平の家で遊ぼうということになったのだ。
鈴川家は、真っ白な外壁のお家だった。
家の脇にはちょっとした庭があって、そこに色鮮やかな花々が咲いている。
レンガブロックで囲った植え込み。
パンジーやペチュニア、マーガレット。
母親の趣味がガーデニングなのだろう。
ブリキのジョウロやゴム長靴が、素敵なラックにちょこんと置いてある。
それらは全て、傾いた赤い陽のひかりをたくさん浴びていた。
「ただいまー! おかあーさーん! 友達つれてきたあー!」
小学生の彼らに比べてずっと大きな玄関扉。
それを引き開けてから、洋平が叫ぶ。
洋平のすぐ後ろには、ランドセルの肩ベルトをぎゅっと握り込む夏弥がいて。
洋平の声が家中に響いたかと思うと、奥から気立ての良さそうな女性が現れる。
三十代に差し掛かっているだろうという見た目のその女性こそが、洋平のお母さんである。
彼女は幼い夏弥から見てもわかるくらいの、とびきりの美人さんだった。
やや目が細く、スタイルも良い。
出るところが出ている。そんな表現はこの人のためにこそある。
「おかえりなさーい。……あら? 洋ちゃん、もうお友達ができたの?」
「うん。夏弥っていうんだ!」
「お、おじゃまします! と、藤堂、夏弥です!」
「夏弥くんね。ゆっくりしていってねぇ~」
「ダ、ダッチェ◯みたい……」
「……?」
唐突につぶやいた夏弥の言葉に、洋平も、洋平のお母さんも、何のことかサッパリわからないという顔をする。
夏弥がそう口にしたのも仕方のないこと。
なぜなら、洋平のお母さんは、おしゃれキャッ◯のダッチェ◯に顔立ちがよく似ていたからである。ちなみに、ダッチェ〇はお金持ちの婦人に飼われている美しいメスの白猫である。
「夏弥! 早く俺の部屋でゲームやろうぜ!」
「うん……」
夏弥は、初めて入る同級生の家に、ほんの少しだけドキドキしていた。
その鈴川家の二階。洋平の部屋へと案内される。
ランドセルを担ぎながら、二人は階段を駆け上がっていった。
バタバタと足音を立てて上がり切り、すぐ手前の部屋。そこが洋平の部屋だった。
「わあぁ……。……洋平くんの部屋、おっきいね!」
ドアを開けてすぐ、夏弥は目をきらきらと輝かせる。
十二帖ほどの部屋は、小さな夏弥からすればとっても広く感じられる。
その広い部屋を、夏弥は忙しなく見渡していた。
「そう? そんなことないよ。コレくらいフツーじゃない?」
何を驚いてるのかわからないといった様子で、洋平は自分の学習机の脇にランドセルをひっかける。
「フツーじゃないよ!? ボクの部屋よりずっとでっかい! あんな大きなテレビもないし、漫画もたくさんある!」
幼い頃、まだ夏弥は一人称がボクだったし、洋平のことを「洋平くん」と呼んでいた。
お互い、身長も今よりずっと低くて、そして声変わりもしていない。
頬にニキビの一つもなければ、全体的に肌もつるつるで、スベスベで。
無論、お肌の話でいえば、洋平はこの頃から今まででさしたる変化もなさそうなのだけれど。
「〇マブラやろうぜ、〇マブラ~!」
「あの、洋平くん。ボクまだ〇マブラやったことないんだけど……それでも大丈夫?」
「なに気にしてんだよー。そんなんやってればパパっとウマくなるって! 俺なんてソッコー上達したよ? このままやったらすぐにプロだな!」
「プ、プロ……?」
「ほら、とりあえずコントローラー持って。始めようぜ! 今日から俺が夏弥のお師匠さんになるから!」
「うん……と、とにかくやってみるけど……死んじゃったらごめんね?」
夏弥は、かの有名な対戦ゲーム「〇マブラ」のことをあまりよくわかっていなかった。対戦相手に、死んだらごめんも何も無いものである。
洋平と夏弥の二人は、テレビの前で横並びに座った。
夏弥がランドセルを肩からおろしてそばに寝かせているあいだ、洋平はテレビ台の下の引き出しから、ゲーム機やコントローラーをゴトゴトと引っ張り出してくる。
すると、そんなタイミングで、二人が背にしていた部屋の扉が開けられた。
「カチャリ」と音がしたその次の瞬間。
「ああーっ! おにいちゃんがゲームしようとしてるー!」
扉を開けてきたのは、今年六歳になる洋平の妹、美咲だった。
扉のノブに手を伸ばしながら、はっけーん! とでも言いたそうな顔だ。
くりんとした瞳と、鎖骨のあたりまで流すように伸ばした黒髪。
生まれてくる星を間違えたかというくらいの、信じられない可愛さである。
「うわ、なんだよ美咲! 勝手に入ってくんなよ!」
「いいじゃんかあ! ねぇ何のゲームして遊ぶの? あれ? ……そ、そっちの人だれ?」
「うるさいなぁ~。お前は一人で遊んでろよ! 俺は今、夏弥と遊ぶんだよ! どっかいけ!」
洋平は、せっかく連れてきた友達の前で、妹と遊んでなんていられないといった様子である。
邪険に扱われつつも、美咲は洋平の隣で大人しく座っている男の子に目を向ける。
その目は、知らない人間が家のなかへやってきたことへの不安感からか、ただじっと調べるように見つめていて。
「なつや……? だれ?」
「こ、こんにちは……」
夏弥は子供心ながら、美咲の視線に気まずさを感じつつ、歯切れの悪い「こんにちは」を声に出す。
「……。お兄ちゃん。みさきも一緒に遊びたい!」
「ダメだっ! お前はひとりで遊んでろよな!」
「ど、どうしてそんなひどいこと言うの? みさき、お兄ちゃんになにかしちゃった……?」
小さな美咲は、着ていたトレーナーの裾をマシュマロみたいな手でぎゅっと握る。
いつもは遊んでくれるはずの洋平お兄ちゃんの見慣れない態度に、美咲の心はどんどん寂しくなっていった。
「どっか行けってば! 今日はお前と遊んでるヒマないの! 俺は忙しいんだ!」
「ふえ……ううぅ……」
悲しいことに、いくら妹が妖精のように可愛くても、お兄ちゃんにとっては所詮めんどくさい妹だという事らしい。
夏弥は、そんな洋平と美咲のやり取りを見ていて、少し心が痛くなるのを感じる。
美咲は今にも泣き出してしまいそうだった。
今にも、その可愛い顔が崩れて、悲しみに歪んで、うわんうわんと泣いてしまう。
そんな未来が、夏弥にも透けて見えるようで仕方がなかった。
「……美咲ちゃんも一緒に遊ぶ?」
「うぅぇ…………! え? ……いいの?」
「うん。ボクも洋平くんには負けるかもしれないけど、一緒にたおそう!」
「……う、うん。たおす!!」
たおす! と威勢よく美咲は言い放った。
愛すべき洋平お兄ちゃんは、どうやら自分を邪魔者扱いしくさっているし、誰だかよくわからない夏弥なる男の子は、自分の味方をしてくれるらしい。
本能的に、そういった状況を理解したのである。
「俺に勝とうとか思ってんの? 夏弥も美咲も弱すぎてヨユーだし!」
「や、やってみなきゃわかんないよ! ……美咲ちゃん、このゲームしたことあるの?」
「あるけど、お兄ちゃんには勝ったことない……。でも今日は勝つ! みさきはお兄ちゃんより強いもん!」
「夏弥ー。美咲に期待しないほうがいいぜ? 俺なんて足でやったって勝てるくらいだ。ほんとザコいんだからコイツ」
「え!? 足だけで!?」
「強いもん! みさき強いから平気! いいから始めて、お兄ちゃん!」
「わっ」
美咲は夏弥が手にしていたコントローラーをひったくって、ササッと座り込む。
一応、夏弥とチームを組んでいるという意識のせいか、小さな美咲は夏弥に身体をくっつけて画面のほうをじっと睨んでいる。
夏弥にくっついている美咲はやはり信じられないくらい可愛い。
ちなみに、チーム戦だからってくっつきながらやる必要はない。
「オッケー。じゃあ二対一な? 五回死んだほうが負け」
「わかった!! みさきがこっちのテレビのやっつけるから、なつやはお兄ちゃんをやっつけて!」
「わ、わかった!」
「え。俺をやっつける……? 待てよお前ら! プレイヤーの俺を攻撃する気かっ!?」
「洋平くん、五回死んだほうが負けなんだよね!? ボクは負けないよ!」
「どういうゲームなんだよ夏弥!」
洋平の言う二対一。それはあくまで画面内でのことだった。
〇マブラなのだから当然そう思うだろう。
しかし、横に座る夏弥と美咲はそんなこと関係無いらしく。
美咲はテレビ画面の中で。夏弥はテレビ画面の外で。
さかずきを交わし合った仲かといわんばかりの絆でもって戦おうとしていた。
夏弥は、少なくとも洋平を五回は死に至らしめると公言している。
とんでもない小学生だ。
そんなわけで、よくわからない三人の戦いが幕を開けたのだった。
◇
「あ! この、……あひゃひゃっ! ああ! お、おいやめろ! 夏弥のバカ! 脇くすぐんなよ!! 集中できないだろうが!?」
「これがボクの、いや、ボクたちの戦い方だよ!」
「きたねぇぞ!」
夏弥は洋平の脇を一生くすぐっていた。
とっさに思いついた秘技・こちょこちょ作戦である。
まあ、卑怯とも言う。
そんな妨害を受けておかしな挙動を示す洋平のキャラクターに、美咲は容赦なくAボタンの連打をお見舞いしていく。
美咲の操作しているキャラクターは、美咲同様可愛らしい女の子のようだけれど、キュートな見た面に反してずいぶんな張り手をかましている。力強い。
「あたしのが強いもん! ほらほらほらあ! お兄ちゃんどう? これで終わりでしょ!? 終わってよおおぉ!」
「何言ってんだ!? 俺はまだあはは! なっ、やめろ! あ、あはは!? ああー! 死んだあああっ!」
洋平の操作するキャラは、激しい音と共に画面の外へ消えた。
直後、テレビ画面が暗転する。
それからすぐに戦闘のリザルト画面。
結果はもちろん、美咲の操作していた女の子キャラの勝利だ。
「やった! 美咲ちゃんが勝った! ボクたちが勝ったんだ!」
「やったやったやったああー! いえーーい!」
勝利の王冠を手にした美咲のキャラが、こちらに向けてウインクを決めている。
そんな画面を前にして、美咲と夏弥は手を取り合い盛大に喜んだ。
満面の笑みで、二人は握り合った手をブンブンとふっている。
「ズルだ! こんな戦い、俺は認めないからな!?」
「お兄ちゃん何それ~。負けたくせに言い訳とかかっこわる~い。えへへ。なつやを見習ってよね~!」
「ふふっ。いやぁ~……」
夏弥が照れ臭そうに頭をかいていると、洋平はむすっとした顔で反論する。
「ぐぬ……。お、おい美咲! 夏弥って呼び捨てにすんなよ!! 俺と同じでお前よりも年上なんだぞ!」
「……え? お兄ちゃんと同じ……?」
「そ、そうだよ! だから夏弥のこと呼び捨てにしちゃいけないんだからな!? 今度から夏弥お兄ちゃんって呼べよ!」
洋平はよくわからない命令を口にしていた。
負けた悔しさのせいに違いない。
「なつやお兄ちゃん……? あ! それならみさき、今度からなつやのこと、なつ兄って呼ぶ!!」
「え? でもそれはちょっと……や、やめてよ美咲ちゃん。恥ずかしいよ……」
「えぇ……。やだ! みさきはなつ兄って呼ぶ! そう呼ぶの! ぜったい呼ぶの!」
困惑する夏弥の前で、美咲はわがままを言っていた。
無邪気ほど、無敵なものはないのかもしれない。
「わわ、わかった! わかったからそんな大きな声出さないで!」
「あははは! 夏弥も大変だなぁ~!」
「洋平くん、楽しそうでいいね……」
実際、夏弥はこの時、「なつ兄」と呼ばれることに違和感があった。
なぜなら、それは偶然にも自分の妹、秋乃が自分を呼ぶ時の呼び方と同じだったからだ。
本当に一番親しい存在、秋乃だけが呼んでいいはずの呼び方。そう感じていた。
一度ゲームで結託して洋平を倒した仲とはいえ、美咲に呼ばれると少しだけ不思議な気持ちになってしまうわけで。
(秋乃以外にも、ボクをそんな風に呼ぶ子がいるんだ……)
無意識だけれど、夏弥はその頃から、少しずつ美咲をもう一人の妹のように思っていたのかもしれない。
この呼び方は、月日を経ていくほどに違和感が薄くなっていった。
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