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◇ ◇ ◇
『ふぅーん……』
なんというか。
あれこれ考えて送信した末の返信が、拍子抜けレベルの返信であることはラインのトーク画面上でよく起きる現象なのだろうけれど、それにしたって短い返信だった。
ほんの数文字。美咲の返したそのメッセージの裏に、どんな感情が隠れていたのかは夏弥の知るところじゃない。
しかも、その返信でラインのやり取りが終わるのかと思いきや、どうやらそうじゃないらしくて。
補足するように次のラインがすぐに送られてきた。
『ねぇ今日の夕飯、またあたしに料理教えてよ。せめて月浦さんと同じくらいできるようになりたいし』
そのメッセージを読んでから、ゆっくりと息を吐く。
そして夏弥は『了解』とだけ返信して、手にしていたスマホをスリープ状態にしたのだった。
横に並んで座っていた秋乃をチラ見して、モニターへ目を向ける。
秋乃はまたしてもアザラシのクッションをぎゅむっとつかみ、抱きかかえている。
夏弥の視線がスマホからモニターへ移ったことを察したのか、秋乃はさりげなく話題を切り出しはじめた。
「ねー、なつ兄。さっきの電話、誰と話してたの~? 洋平?」
「いや。クラスメイトの男子だよ」
「なんだ。洋平じゃないんだー」
「洋平に何か用だった?」
「別に用事なんてないけどさ~……」
それまでモニターに目を向けていた秋乃が、夏弥の方に向き直る。
「ん? なに? どうしたよ。急に」
「なつ兄ってさー……」
「……」
突然、名付けようもない沈黙が藤堂兄妹のあいだに漂いだす。
一体どうしたというのか。
夏弥はただ、じっと見つめて来る妹が何を考えているのか、その予想だけをしてみることにした。
予想してみるものの、今ひとつコレかなというものが思い付かない。
(ここまで溜めに溜めているんだから、秋乃らしくない質問でもするつもりなのかもしれないな)と、隣に座るお兄ちゃんが予想してあげられるのはこのくらいのものだった。
「なつ兄って……エッ〇、したことある?」
「え。…………え?」
ピキンと固まった。
確かに秋乃らしくなかった。
二人のあいだに漂っていた沈黙が、そのまま凍り付いたようだった。
絶句中の夏弥は、頭の中で様々なことを考えていた。
(どうしちゃったんだ秋乃。お前がネット界隈の下ネタを文字通り屁とも思わないツワモノだということは重々承知してる。
特殊性癖について一時期誇らしげに語ったりしてたよな?「ネットではこういうジャンルがあって~」とか。そっちに造詣が深いことは俺も承知してる。かろうじてな。
……だが、こと現実世界におけるセクシャルな話題は、今までずっとノータッチだったよな……? ていうか、実の兄になんてこと訊いてやがる?)
どのご家庭でもほぼ等しくそうであろうが、セクシャルな話題は触れちゃいけないトピックになりがちである。それは藤堂兄妹もご多分に漏れず。
「ねぇ、どうなのよ?」
だというのにこの妹君は、閉口するお兄ちゃんの気持ちなんてお構いなし。
今日に限っては、なぜかグイグイ来る。
「あんちゃん、最近調子どう?」的な、薄汚れたバーで酒を嗜んどるおっさんのごとし口調で問い掛けてくる。
「こういうのさ、訊くならまず自分から言うべきじゃね……?」
「!」
夏弥の切り返しに、秋乃は面喰らったようだった。
「あ、わ……わたしは……」
秋乃の顔が、急に赤くなりはじめる。
心なしか、しゅううと音を立てて湯気まで出しているように見える。
大きい黒縁メガネの奥に控えた瞳が、若干潤んでいた。
そんな秋乃に、夏弥はジト目を向け続けていて。
「わっ、たっ、たか、た……!」
「たんたか?」
声にならない、とはこのような状態異常のことを指すのかもしれない。
秋乃は無意識に、自分が穿いているスウェットズボンへと手を伸ばしていった。
前述したけれど、このスウェットズボンはいつ頃からか虫食い被害に遭っていて、太ももの辺りに直径約二センチほどのいびつな穴が開いている。
秋乃はその穴に指を入れ、ほじほじと指を動かすことで冷静さを取り戻そうとしているようだった。
「お、おいっ。あんまり穴をいじると広がるぞ?」
「あ。……確かに」
「ていうか、それ。早く新しいスウェット買ったほうがいいかもね」
「う、うむ……。それはその通り。でもね、こうやって穴に指入れてると落ち着くのよなぁ~」
「へぇ……。で? 秋乃は、したことあるんだ?」
「え? したことって?」
「いや、さっきの質問なんだが」
「ひぇ⁉」
夏弥がさっきの質問を続けてくると思っていなかったからか、秋乃は出したこともないような声を出してしまった。
「いやぁ~もうこの話はいいでしょ! やめよ? やめよう、なつ兄! わかれっ!」
「わかれ、ってお前……」
落ち着き払っている夏弥とは対照的に、秋乃は真っ赤な顔のまま目を泳がせている。
「もういいじゃん! ね?」
「……」
「あっ! ほらほら、にゃん〇いの三話がもう終わるにょ!」
「ああ……そうだな」
(「にょ」ってなんだよ。にゃん〇いの「にゃ」に引っ張られすぎだろ。……というか、元はといえば秋乃がその質問を言い出したんだけどな……)
もうこの話題に触れてはいけない。
というより、触れると秋乃が壊れてしまいそうなので、夏弥はここまでにしておこうと思った。
テレビモニターに映り続けるアニメの第三話は、おかげさまであまり二人の記憶に残らなかった。
(なんだったんだよ、秋乃のやつ……)
◇ ◇ ◇
午後五時過ぎ。
昼間あれだけ青空にへばりついていた太陽も、そこそこ西に落ちだした頃。
夏弥は夕飯の食材を買ってから、鈴川家201号室へ帰ることにした。
秋乃とは、あれからずっとだらだらとアニメを見続けるだけだった。
会話といえば、「なつ兄、今季アニメ見てる?」「そもそも数年見てない」といった取るに足らないものか、「洋平と最近どう?」「どうも何も、洋平はずっと洋平だよ~」「秋乃はずっと秋乃だしな」といった波の一つも立たないやり取りくらいしかなかった。
美咲が秋乃に変装していた件について、巻き込まれていることを秋乃本人に伝えてもよかったのだけれど……。
ただ、その話は説明が長くなりそうだと思い、今じゃなくても良いだろうと夏弥は判断したのだった。
現在、外の気温は多少落ち着いたようだけれど、それでも未だにむわぁんとした空気が夏弥の全身にまとわりついてきていた。
(これじゃ今日は熱帯夜だな。夕飯は豚の冷しゃぶにでもするか……)
藤堂家のアパートを出てからスーパーまで。ずっとその献立のことを考えていたので、買うもの自体は何も迷うことなく買えた。
実質、スーパーに滞在していた時間は数十分にも満たなかった。
こう連日暑い日が続くと、食事も冷たいものに偏りはじめるが、それも仕方のないことだ。
もはやすっかり見慣れてしまった鈴川家までの道のりを歩きつつ、夏弥は豚肉にかけるドレッシングを、青じそにするかごまだれにするか、今一度悩んでいた。
その時だった。
「あ、夏弥さん」
「あれ?」
夏弥は途中の十字路に差し掛かった場面で、偶然美咲と鉢合わせしたのである。
『ふぅーん……』
なんというか。
あれこれ考えて送信した末の返信が、拍子抜けレベルの返信であることはラインのトーク画面上でよく起きる現象なのだろうけれど、それにしたって短い返信だった。
ほんの数文字。美咲の返したそのメッセージの裏に、どんな感情が隠れていたのかは夏弥の知るところじゃない。
しかも、その返信でラインのやり取りが終わるのかと思いきや、どうやらそうじゃないらしくて。
補足するように次のラインがすぐに送られてきた。
『ねぇ今日の夕飯、またあたしに料理教えてよ。せめて月浦さんと同じくらいできるようになりたいし』
そのメッセージを読んでから、ゆっくりと息を吐く。
そして夏弥は『了解』とだけ返信して、手にしていたスマホをスリープ状態にしたのだった。
横に並んで座っていた秋乃をチラ見して、モニターへ目を向ける。
秋乃はまたしてもアザラシのクッションをぎゅむっとつかみ、抱きかかえている。
夏弥の視線がスマホからモニターへ移ったことを察したのか、秋乃はさりげなく話題を切り出しはじめた。
「ねー、なつ兄。さっきの電話、誰と話してたの~? 洋平?」
「いや。クラスメイトの男子だよ」
「なんだ。洋平じゃないんだー」
「洋平に何か用だった?」
「別に用事なんてないけどさ~……」
それまでモニターに目を向けていた秋乃が、夏弥の方に向き直る。
「ん? なに? どうしたよ。急に」
「なつ兄ってさー……」
「……」
突然、名付けようもない沈黙が藤堂兄妹のあいだに漂いだす。
一体どうしたというのか。
夏弥はただ、じっと見つめて来る妹が何を考えているのか、その予想だけをしてみることにした。
予想してみるものの、今ひとつコレかなというものが思い付かない。
(ここまで溜めに溜めているんだから、秋乃らしくない質問でもするつもりなのかもしれないな)と、隣に座るお兄ちゃんが予想してあげられるのはこのくらいのものだった。
「なつ兄って……エッ〇、したことある?」
「え。…………え?」
ピキンと固まった。
確かに秋乃らしくなかった。
二人のあいだに漂っていた沈黙が、そのまま凍り付いたようだった。
絶句中の夏弥は、頭の中で様々なことを考えていた。
(どうしちゃったんだ秋乃。お前がネット界隈の下ネタを文字通り屁とも思わないツワモノだということは重々承知してる。
特殊性癖について一時期誇らしげに語ったりしてたよな?「ネットではこういうジャンルがあって~」とか。そっちに造詣が深いことは俺も承知してる。かろうじてな。
……だが、こと現実世界におけるセクシャルな話題は、今までずっとノータッチだったよな……? ていうか、実の兄になんてこと訊いてやがる?)
どのご家庭でもほぼ等しくそうであろうが、セクシャルな話題は触れちゃいけないトピックになりがちである。それは藤堂兄妹もご多分に漏れず。
「ねぇ、どうなのよ?」
だというのにこの妹君は、閉口するお兄ちゃんの気持ちなんてお構いなし。
今日に限っては、なぜかグイグイ来る。
「あんちゃん、最近調子どう?」的な、薄汚れたバーで酒を嗜んどるおっさんのごとし口調で問い掛けてくる。
「こういうのさ、訊くならまず自分から言うべきじゃね……?」
「!」
夏弥の切り返しに、秋乃は面喰らったようだった。
「あ、わ……わたしは……」
秋乃の顔が、急に赤くなりはじめる。
心なしか、しゅううと音を立てて湯気まで出しているように見える。
大きい黒縁メガネの奥に控えた瞳が、若干潤んでいた。
そんな秋乃に、夏弥はジト目を向け続けていて。
「わっ、たっ、たか、た……!」
「たんたか?」
声にならない、とはこのような状態異常のことを指すのかもしれない。
秋乃は無意識に、自分が穿いているスウェットズボンへと手を伸ばしていった。
前述したけれど、このスウェットズボンはいつ頃からか虫食い被害に遭っていて、太ももの辺りに直径約二センチほどのいびつな穴が開いている。
秋乃はその穴に指を入れ、ほじほじと指を動かすことで冷静さを取り戻そうとしているようだった。
「お、おいっ。あんまり穴をいじると広がるぞ?」
「あ。……確かに」
「ていうか、それ。早く新しいスウェット買ったほうがいいかもね」
「う、うむ……。それはその通り。でもね、こうやって穴に指入れてると落ち着くのよなぁ~」
「へぇ……。で? 秋乃は、したことあるんだ?」
「え? したことって?」
「いや、さっきの質問なんだが」
「ひぇ⁉」
夏弥がさっきの質問を続けてくると思っていなかったからか、秋乃は出したこともないような声を出してしまった。
「いやぁ~もうこの話はいいでしょ! やめよ? やめよう、なつ兄! わかれっ!」
「わかれ、ってお前……」
落ち着き払っている夏弥とは対照的に、秋乃は真っ赤な顔のまま目を泳がせている。
「もういいじゃん! ね?」
「……」
「あっ! ほらほら、にゃん〇いの三話がもう終わるにょ!」
「ああ……そうだな」
(「にょ」ってなんだよ。にゃん〇いの「にゃ」に引っ張られすぎだろ。……というか、元はといえば秋乃がその質問を言い出したんだけどな……)
もうこの話題に触れてはいけない。
というより、触れると秋乃が壊れてしまいそうなので、夏弥はここまでにしておこうと思った。
テレビモニターに映り続けるアニメの第三話は、おかげさまであまり二人の記憶に残らなかった。
(なんだったんだよ、秋乃のやつ……)
◇ ◇ ◇
午後五時過ぎ。
昼間あれだけ青空にへばりついていた太陽も、そこそこ西に落ちだした頃。
夏弥は夕飯の食材を買ってから、鈴川家201号室へ帰ることにした。
秋乃とは、あれからずっとだらだらとアニメを見続けるだけだった。
会話といえば、「なつ兄、今季アニメ見てる?」「そもそも数年見てない」といった取るに足らないものか、「洋平と最近どう?」「どうも何も、洋平はずっと洋平だよ~」「秋乃はずっと秋乃だしな」といった波の一つも立たないやり取りくらいしかなかった。
美咲が秋乃に変装していた件について、巻き込まれていることを秋乃本人に伝えてもよかったのだけれど……。
ただ、その話は説明が長くなりそうだと思い、今じゃなくても良いだろうと夏弥は判断したのだった。
現在、外の気温は多少落ち着いたようだけれど、それでも未だにむわぁんとした空気が夏弥の全身にまとわりついてきていた。
(これじゃ今日は熱帯夜だな。夕飯は豚の冷しゃぶにでもするか……)
藤堂家のアパートを出てからスーパーまで。ずっとその献立のことを考えていたので、買うもの自体は何も迷うことなく買えた。
実質、スーパーに滞在していた時間は数十分にも満たなかった。
こう連日暑い日が続くと、食事も冷たいものに偏りはじめるが、それも仕方のないことだ。
もはやすっかり見慣れてしまった鈴川家までの道のりを歩きつつ、夏弥は豚肉にかけるドレッシングを、青じそにするかごまだれにするか、今一度悩んでいた。
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