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◇ ◇ ◇
日付が変わり、美咲のおすすめ『ガムシロ入りこっちゅ牛乳』を飲んだのが一昨日。
今日はいよいよ夏祭り当日。
二日間行われるうちの一日目なわけだが、例年通りであれば、今夜は夜空に大きな花火が打ち上げられる予定だ。
「――美咲、支度できた? いい加減三條駅に向かわないと遅れると思うんだけど」
「ま、待ってよ。ちょっと寝ぐせがさ……」
ただいまの時刻は午後四時半。
鈴川家のアパート201号室で、夏弥と美咲はバタバタしていた。
いや、夏弥と美咲というよりも、バタバタしていたのはほとんど美咲一人だけだった。
「寝ぐせ? さっきまでお昼寝してたんだ?」
「いや……。寝るつもりなんてなかったんだけど、お昼食べてから睡魔がヤバくて」
「あ~……。戦った結果、睡魔に負けたんだ」
「……負けてないし」
「勝ってもないだろ。あ、右後ろもちょいハネてる」
「え。……わっ。マジじゃん」
夏弥は時間に余裕があったので、すでに着替え終わっている。一方美咲は、寝ぐせのついた髪に苦戦しているようだった。
脱衣室のドアは開けっ放しになっていて、美咲はそこで洗面台の鏡を見ながら整えている。
黒のオフショルダーシャツに淡い色のジーンズを合わせていて、やや大人っぽい印象のコーディネート。いつものナチュラルメイクはもう済んでいて、あとは本当に髪の毛だけなんとかしなきゃといった状況だった。
「もう。寝ぐせが言うこと聞かない」
そうこうしている間に、時間は刻一刻と過ぎていく。
あと三十分しかない。
事前に連絡を取っていた四人は、夕方五時過ぎに駅前に集まろうという話になっていた。
以前、洋平と芽衣が待ち合わせに使っていたあの駅前だ。
「ていうか、やっぱりカップルとか家族連れが多いのか……」
慌てる美咲をよそに、夏弥はリビングの窓辺へ近寄ってそうつぶやいた。
アパートの横に伸びている街路には、すでに夏祭りへと向かう地元の人達の姿がちらほらと見えていて。
「オッケー。夏弥さん、あたし準備でき――「よく考えたら、一緒に行かなくてもいいんだよな」
思わず、夏弥はそんなセリフをこぼしてしまった。
「え」
「あ……」
夏弥が振り返ると、そこには美咲が居た。
これから出掛けるためにせっせと寝ぐせを直した美咲だ。
夏弥の言葉を聞いて、少し目を丸くさせていた。
しかし夏弥がそんな心にもないことをボソッと言ってしまったのも、無理はないのかもしれない。
なぜなら、彼がたった今眺めていた人達は、『男女二人組=付き合っている者同士』という式に当てはまりすぎていたから。
「一緒に行かないって……。まぁ……別々で駅に向かうのもアリだろうけど……」と美咲がローテンションで応える。
「や。今のは違うんだ」
「違うって……何が……?」
「ちがっ…………違くは……ないんだけど……」
「?」
気持ちをうまく言語化できない。
(どう説明すればいいんだよ。……俺だってよくわからないのに)
一緒に行かなくてもいい。
それは、美咲と一緒に歩く照れくささと、自信のなさから出た言葉だった。
夏弥とのお出掛けに備えていた美咲は、まごう事なき美少女である。
濁りなんて一切ない澄んだ目と、整った鼻筋。涼しげな口元。
明るい髪色のショートボブもしゃれっ気に富んでて良い。
立っているだけでそこに華やかさと清涼感を与えるような、すっきりとした青い花みたいな存在。
外に出れば、きっと多くの人が美咲のことを見るはずで。
そんな女の子の隣を、自分なんかが歩くのか。
あの、人の波に混ざって歩くのか。
そんな想像をしてちょっと自信を失うのも、ごく自然なことなのかもしれない。
「今外に出て一緒に歩くと、付き合ってるって思われるんじゃないかって」
やっとの思いで言葉にしてみる。
夏弥が現在説明できる最適な理由は、これくらいなのかもしれない。
「……なるほどね」
「それに、美咲が髪を梳かしてるタイミングだったから。先に行っても悪くなかったかなって思ったんだ」
「ふぅーん……。でも夏弥さん。一つ重要な問題を見落としてると思う」
「重要な問題?」
「うん」
「……?」
小首をかしげる夏弥を前に、美咲は少しタメを入れてから答えた。
「あたし、駅までの道のり覚えてないんだけど」
◇ ◇ ◇
八月の夕暮れ時は、ほどほどに温かい風が吹いているようだった。
夏弥と美咲は、結局二人で並んで駅まで向かう形をとった。
美咲は駅までの道のりを覚えてない。
これは夏弥にとっても意外だった。
ただそこで「いや、ググれば一人でも行けるだろ」と夏弥が言わなかったのは、そこまで拒む気持ちが強くないからで。
夏弥だって、できることなら美咲と一緒に向かいたかった。
ひよらず、怖気づかず、自信をもって彼女の横を歩けたら、どんなにいいかわからない。
最近、恋愛的な意識を持ち始めたことで、周囲の目がことさら気になり始めていて。
「まぁ道がわからないんじゃ仕方ないな」
「普段使わない道だし、知らなくてフツーじゃん? 通学も基本徒歩だし」
「ははっ。言えてるわ」
けれどこうして『理由』を一つ手に入れたことで、夏弥はずいぶん心が軽くなったような気がした。
「やっぱり家族連れも多いんだな」
「そうみたい」
二人の前方には、何人もの後ろ姿が見えていた。
母親と手を繋ぐ男の子。
複数人でしゃべりながら闊歩する二十代ぐらいの男性グループ。
中年の夫婦。など、本当にさまざまだけれど、その中でも家族連れとカップルがやはり一番多いようだった。
ガヤガヤとした喧騒にも包まれている。
そんな中。
「あ、浴衣」
と美咲が声をあげる。
視線の先には浴衣を着ている小さな女の子がいた。
桜の花びらが綺麗に描かれている浴衣だった。
「浴衣着てる人もいるんだ」と、夏弥も合わせたように感想を述べる。
「ね。いいよね浴衣」
「美咲も着ればよかったじゃん」
「……いや、あのさ、浴衣って高いし、レンタルにしても色々大変だからね? 汚したらどうしようとか」
「なるほど……そういう現実的な事情が」
「当たり前じゃん。そんなホイホイ着れるのは作り話の世界だけだから。夢見過ぎでしょ」
「……そうかもな」
「……でも」
美咲はそこで言い淀む。
夢見過ぎでしょ、と達観気味なセリフを先に置いておきながら、あとに続く言葉のためにはにかんでいるようで。
「……?」
そんな彼女の横顔を夏弥はチラッと見る。
その横顔は、思わずうっとりしそうなくらい絵になっている。
多くの男子が美咲に告白した、という事実は、この顔かたちからも十分納得できる。
そんなことを改めて思ったりしていると、美咲が再び口を開く。
「あたしも…………浴衣着たら可愛いと思う……?」
「それは……」
「それは?」
(可愛いに決まってるだろ。普段着でもさっきからすれ違う人にチラチラ見られてんだから。浴衣なんて着たらどうなるんだよ……)
浴衣は、女の子のビジュアルをぐぐっと向上させてくれる。
色選びのセンスなども多少問われるだろうけれど、よっぽどじゃなければハズレを引くことはなく。
また、本人があまり似合ってないと思っていても、男の子は大抵の浴衣姿に「可愛い!」とうららかな感想を持ってしまうのが現実である。
「かっ、わいい、でしょう、ね」
「ふふっ。またカタコトじゃん。なにそれ」
夏弥は美咲に向けていた視線をそらしながら、そう応えた。
どきまぎしている夏弥を見て、それならレンタルでもいいから着ればよかった、とこっそり美咲は思うばかりで。
二人は一歩ずつ駅へと進む。
もうすぐ、洋平達と合流する予定の駅にたどり着く。
間もなく、四人は数年ぶりに遊ぶことになる。
夏祭りにふさわしい夜が、四人を待ってくれている。
日付が変わり、美咲のおすすめ『ガムシロ入りこっちゅ牛乳』を飲んだのが一昨日。
今日はいよいよ夏祭り当日。
二日間行われるうちの一日目なわけだが、例年通りであれば、今夜は夜空に大きな花火が打ち上げられる予定だ。
「――美咲、支度できた? いい加減三條駅に向かわないと遅れると思うんだけど」
「ま、待ってよ。ちょっと寝ぐせがさ……」
ただいまの時刻は午後四時半。
鈴川家のアパート201号室で、夏弥と美咲はバタバタしていた。
いや、夏弥と美咲というよりも、バタバタしていたのはほとんど美咲一人だけだった。
「寝ぐせ? さっきまでお昼寝してたんだ?」
「いや……。寝るつもりなんてなかったんだけど、お昼食べてから睡魔がヤバくて」
「あ~……。戦った結果、睡魔に負けたんだ」
「……負けてないし」
「勝ってもないだろ。あ、右後ろもちょいハネてる」
「え。……わっ。マジじゃん」
夏弥は時間に余裕があったので、すでに着替え終わっている。一方美咲は、寝ぐせのついた髪に苦戦しているようだった。
脱衣室のドアは開けっ放しになっていて、美咲はそこで洗面台の鏡を見ながら整えている。
黒のオフショルダーシャツに淡い色のジーンズを合わせていて、やや大人っぽい印象のコーディネート。いつものナチュラルメイクはもう済んでいて、あとは本当に髪の毛だけなんとかしなきゃといった状況だった。
「もう。寝ぐせが言うこと聞かない」
そうこうしている間に、時間は刻一刻と過ぎていく。
あと三十分しかない。
事前に連絡を取っていた四人は、夕方五時過ぎに駅前に集まろうという話になっていた。
以前、洋平と芽衣が待ち合わせに使っていたあの駅前だ。
「ていうか、やっぱりカップルとか家族連れが多いのか……」
慌てる美咲をよそに、夏弥はリビングの窓辺へ近寄ってそうつぶやいた。
アパートの横に伸びている街路には、すでに夏祭りへと向かう地元の人達の姿がちらほらと見えていて。
「オッケー。夏弥さん、あたし準備でき――「よく考えたら、一緒に行かなくてもいいんだよな」
思わず、夏弥はそんなセリフをこぼしてしまった。
「え」
「あ……」
夏弥が振り返ると、そこには美咲が居た。
これから出掛けるためにせっせと寝ぐせを直した美咲だ。
夏弥の言葉を聞いて、少し目を丸くさせていた。
しかし夏弥がそんな心にもないことをボソッと言ってしまったのも、無理はないのかもしれない。
なぜなら、彼がたった今眺めていた人達は、『男女二人組=付き合っている者同士』という式に当てはまりすぎていたから。
「一緒に行かないって……。まぁ……別々で駅に向かうのもアリだろうけど……」と美咲がローテンションで応える。
「や。今のは違うんだ」
「違うって……何が……?」
「ちがっ…………違くは……ないんだけど……」
「?」
気持ちをうまく言語化できない。
(どう説明すればいいんだよ。……俺だってよくわからないのに)
一緒に行かなくてもいい。
それは、美咲と一緒に歩く照れくささと、自信のなさから出た言葉だった。
夏弥とのお出掛けに備えていた美咲は、まごう事なき美少女である。
濁りなんて一切ない澄んだ目と、整った鼻筋。涼しげな口元。
明るい髪色のショートボブもしゃれっ気に富んでて良い。
立っているだけでそこに華やかさと清涼感を与えるような、すっきりとした青い花みたいな存在。
外に出れば、きっと多くの人が美咲のことを見るはずで。
そんな女の子の隣を、自分なんかが歩くのか。
あの、人の波に混ざって歩くのか。
そんな想像をしてちょっと自信を失うのも、ごく自然なことなのかもしれない。
「今外に出て一緒に歩くと、付き合ってるって思われるんじゃないかって」
やっとの思いで言葉にしてみる。
夏弥が現在説明できる最適な理由は、これくらいなのかもしれない。
「……なるほどね」
「それに、美咲が髪を梳かしてるタイミングだったから。先に行っても悪くなかったかなって思ったんだ」
「ふぅーん……。でも夏弥さん。一つ重要な問題を見落としてると思う」
「重要な問題?」
「うん」
「……?」
小首をかしげる夏弥を前に、美咲は少しタメを入れてから答えた。
「あたし、駅までの道のり覚えてないんだけど」
◇ ◇ ◇
八月の夕暮れ時は、ほどほどに温かい風が吹いているようだった。
夏弥と美咲は、結局二人で並んで駅まで向かう形をとった。
美咲は駅までの道のりを覚えてない。
これは夏弥にとっても意外だった。
ただそこで「いや、ググれば一人でも行けるだろ」と夏弥が言わなかったのは、そこまで拒む気持ちが強くないからで。
夏弥だって、できることなら美咲と一緒に向かいたかった。
ひよらず、怖気づかず、自信をもって彼女の横を歩けたら、どんなにいいかわからない。
最近、恋愛的な意識を持ち始めたことで、周囲の目がことさら気になり始めていて。
「まぁ道がわからないんじゃ仕方ないな」
「普段使わない道だし、知らなくてフツーじゃん? 通学も基本徒歩だし」
「ははっ。言えてるわ」
けれどこうして『理由』を一つ手に入れたことで、夏弥はずいぶん心が軽くなったような気がした。
「やっぱり家族連れも多いんだな」
「そうみたい」
二人の前方には、何人もの後ろ姿が見えていた。
母親と手を繋ぐ男の子。
複数人でしゃべりながら闊歩する二十代ぐらいの男性グループ。
中年の夫婦。など、本当にさまざまだけれど、その中でも家族連れとカップルがやはり一番多いようだった。
ガヤガヤとした喧騒にも包まれている。
そんな中。
「あ、浴衣」
と美咲が声をあげる。
視線の先には浴衣を着ている小さな女の子がいた。
桜の花びらが綺麗に描かれている浴衣だった。
「浴衣着てる人もいるんだ」と、夏弥も合わせたように感想を述べる。
「ね。いいよね浴衣」
「美咲も着ればよかったじゃん」
「……いや、あのさ、浴衣って高いし、レンタルにしても色々大変だからね? 汚したらどうしようとか」
「なるほど……そういう現実的な事情が」
「当たり前じゃん。そんなホイホイ着れるのは作り話の世界だけだから。夢見過ぎでしょ」
「……そうかもな」
「……でも」
美咲はそこで言い淀む。
夢見過ぎでしょ、と達観気味なセリフを先に置いておきながら、あとに続く言葉のためにはにかんでいるようで。
「……?」
そんな彼女の横顔を夏弥はチラッと見る。
その横顔は、思わずうっとりしそうなくらい絵になっている。
多くの男子が美咲に告白した、という事実は、この顔かたちからも十分納得できる。
そんなことを改めて思ったりしていると、美咲が再び口を開く。
「あたしも…………浴衣着たら可愛いと思う……?」
「それは……」
「それは?」
(可愛いに決まってるだろ。普段着でもさっきからすれ違う人にチラチラ見られてんだから。浴衣なんて着たらどうなるんだよ……)
浴衣は、女の子のビジュアルをぐぐっと向上させてくれる。
色選びのセンスなども多少問われるだろうけれど、よっぽどじゃなければハズレを引くことはなく。
また、本人があまり似合ってないと思っていても、男の子は大抵の浴衣姿に「可愛い!」とうららかな感想を持ってしまうのが現実である。
「かっ、わいい、でしょう、ね」
「ふふっ。またカタコトじゃん。なにそれ」
夏弥は美咲に向けていた視線をそらしながら、そう応えた。
どきまぎしている夏弥を見て、それならレンタルでもいいから着ればよかった、とこっそり美咲は思うばかりで。
二人は一歩ずつ駅へと進む。
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