友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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◇ ◇ ◇

 九月の朝の街は、片目を閉じたくなる程度のまぶしさにあふれていた。

 アパートから出てすぐの道端。
 そこには夜のあいだにたっぷりと冷やされた空気の余韻が残っていて。

「思ったより肌寒いね」

「だな。最近、一気に気温が下がったからな」

 制服姿の夏弥と美咲は、その場で少し立ち止まっていた。

 視界には大きいゴミ袋を片手に歩くサラリーマン。
 集団登校をしている小学生の姿なんかも、ちらほらと伺える。

「……ところで、今日は美咲が先に行く?」

「先?」

 夏弥の「先に行く?」という質問に、美咲はパッと答えられない。

 要するに、ここから先別々で学校へ向かうけれど、どちらが先に歩くか。という趣旨の質問である。

「だって一緒に学校行ってたら、あからさまに付き合ってますって感じがしないか……?」

「……確かに」

 難しいもので、付き合いたての二人にとってはその事実が晒されることに少なくない抵抗があった。

 加えて美咲はとびきりの美少女で、周囲はよく彼女のスキャンダルに目を光らせている。

 下校時なら生徒数もある程度バラけるので、まだ騒がれにくい。
 が、朝の登校でご一緒となると話は変わってくる。

 不用意に連れ立って登校することは、何かとリスキー。
 そんな認識が、いつの間にか暗黙のまま共有されていたのだった。

「で、でも……この辺ならうちの学校の生徒、あんまり通らなくない?」と美咲。

「……通らない、か」

 美咲の言う通りで、三條高校は市外から通学する生徒も多かった。

 彼らは電車を利用する。
 駅はアパートから高校を挟んで反対側に位置するので、ほとんど彼らと会うこともなかった。

 近隣に住む生徒もいないわけではないけれど、この近辺で言えばさほど多くもない。

 今も視界に見えているのは大人や小中学生。
 夏弥達とは被らない年齢層がほとんどだった。

「そうだな。じゃあ、思い切っていってみますか」

「……。思い切らないとダメなの、夏弥さんらしいね」

「……おっと? 俺、朝から煽られてる?」

「ふっ。……てか、もう行かない? 遅刻したくないし」

「あ、おい。待てって美咲」

 夏弥を置いて、美咲は先に歩きはじめる。

 颯爽と歩きだす美咲の姿はまさしく可憐な青い花。
 茶髪のショートボブや短めのスカートを風にさらりとなびかせて、軽やかに前へ前へと進んでいく。

 その後、美咲はおもむろにカバンからスマホを取り出して、ちょこちょこといじる。
 さっきラインを送った相手から、タイミング良く返信が届いていたらしい。

 そのラインのやり取りがどのようなものだったかというと――

『お久しぶりです、月浦さん。今日、よかったらお話できますか?』

 美咲はまど子にラインを送っていたのだった。
 これに対するまど子からの返信は、次のようなもので。

『秋乃ちゃん、久しぶり! うん。大丈夫だけどどうしたの?』

 依然として、まど子は美咲のラインを秋乃からのものだと思い込んでいるようだった。

 美咲は、ひとまずその勘違いを訂正しないまま、話の内容を進める。

『その、なつ兄には内緒で月浦さんにご相談したいことがあって……。放課後、時間ありますか?』

『藤堂くんには内緒? ……うん、わかった!』

 まど子もちょうどスマホを見ていたからなのか、秒で返信が送られてくる。

『ありがとうございます。それじゃ、放課後にまた連絡します』

 と、そこまで打ち終えてから、振り返る。
 振り返ると、そこには少し早歩きで追いかけてくる夏弥の姿があった。

「……あ、やっと立ち止まった。一緒に行くんだろ? そんなトコトコ行かれたら朝から疲れるんだが……?」

「誰かさんが遅いからじゃん? うじうじ悩んでさ。もう……見られたら見られた。バレたらバレた、じゃない?」

「まぁ……正直、時間の問題だしな。けどそれ、夏祭りの時に視線気にしてた奴が言うセリフか……?」

「お祭りは密度が違うじゃん。通学で見掛ける人の数と比になんないでしょ」

「……。言えてるな」

 そんなわけで、夏弥と美咲の二人は堂々と登校することにしたのだった。

 ――当然、学校に近付くにつれ、三條高校の生徒も増えてきて。


(えぇ⁉ あの鈴川美咲が、男連れで登校⁉)
(鈴川の妹が、男子と仲良くおしゃべりししてる⁉)
(はぁ? 誰だよあの無個性野郎は。ゲームのキャラメイクで言うところのデフォ顔じゃねぇか!)

 などという一般男子生徒達の心の叫びが、夏弥の後頭部や背中にぶすぶすと刺さりまくっていた。

(おお……視線が痛いのなんのって……)

 こうなることは知っていた。
 夏弥は内心うんうんとうなずきつつも、変な汗が止まらなかった。
 ゴリゴリに削られる精神は豆腐のごとき脆さである。

「夏弥さん、大丈夫?」

「ふふ。大丈夫よ、美咲~。お母さんこういうの全スルーできる性格だから~」

 夏弥は引きつった笑顔のまま、顔を左右に振っておどけてみせる。
 ただその口角はピクピクと震えている。
 本当に全スルーできれば、きっと何の気苦労もないのだろう。

「あのさ……無理にママ感出して、ごまかしてない?」

「ごまかす?」

「ちょっと冷や汗かいてるし、顔が引きつってるみたいだけど……?」

「これは生まれつきな。こういう顔で生まれてきたんだよ」

「……へぇ。じゃあ引きつった顔のままこの世に誕生したんだ? めっちゃシュールじゃん。シュールレアリズム宣言じゃん」

「むっ。それを言うならシュールレアな」

「……ぷふっ。こまかっ」

 夏弥はちっちゃな抵抗とばかりにボソボソ言ってみていた。
 リズムでもリスムでも、正しくはどちらでもいいのだが。

 夏弥の珍妙なママ感やシュールネタはさておいて、二人はまわりの視線を浴びながら高校の門をくぐる。

 そのまま生徒玄関まで向かう。
 その道すがら。

 視界の脇には等間隔に植えられたイチョウの木が並び、その間に白い校舎が控えていた。

 窓ガラスがズラリと並んでいて、歩くたび透過と反射を繰り返していて。
 その窓の向こうに、窓際で談笑する生徒達が見えていた。

「……っ!」

 そのうち、中にいた女子達が二人の存在に気付く。
 気付くなり窓ガラスを開け、何かヒソヒソ話をし始めていた。

(ああ……噂されてそう……。「鈴川さんが男子と歩いてるぅ!」だとか、「どういう関係? あの先輩ともしかして⁉」みたいなこと言われてんだろうな……)

 夏弥はあくまで、その噂の中心人物が美咲であることを忘れていなかった。

 これだけ綺麗な顔立ちの美咲が、自分みたいな平凡の極み系男子なんかと歩いていれば、それだけでちょっとした事件のような扱いを受ける。

 夏弥がそう感じてしまうのは、決して彼の卑屈さゆえじゃない。
 この顔面偏差値の優劣は、事実としてそこにあり続けているのだから。

「やっぱり。噂されるんだな」

「それね。……イヤだった?」

「いい気分にはならないよな。……まぁ、俺なんてそもそも名前すら認識されてない可能性あるけど」

「……。学年が違うしね。……てか、あたしはもう噂されても吹っ切れようって決めてたんだけどさ」

「そうなのか?」

 夏弥は意外に思って、横を歩く美咲に目を向ける。
 美咲はその問いにコクリと軽くうなずいて、真っ直ぐ前だけを見つめていた。

「美咲がそう言うなら、俺も気にしないようにするけど。……ただ、根も葉もないようなこと言われたら、それは注意しておいたほうがいいよな。今こっちにスマホを向けてるあの女子達とか。平気で俺達のこと撮ってるんじゃね? って思うし。…………あれ、一年生の教室だよな」

「あー……ね。あれは撮ってるかも」

「中に入ったらお説教だな。美咲のツンドラ攻撃をお見舞いしてやってくれ」

「ツンドッ……はぁ……。それなら夏弥さんにお見舞いしていい? 今日ちょうどカバンの中にいい感じの英和辞典入ってるんだよね。ガツンと効きそうなやつ」

「えっ。英和辞典は人を殴るための武器じゃありませんことよ?」

 夏弥のその言葉に美咲はジト目を向ける。

「……夏弥さん、知ってた? 実は薄い教科書のほうが、当てるとこ次第でかなり攻撃力出るってこと」

「英和辞典はまだ攻撃力が低いとか言いたいのかな? 穏やかじゃねぇな……」

「こっちもバリバリ攻撃力高いけどね」

 美咲はカバンにちょんちょんと指を差している。
 真顔でそんなことをおっしゃるもんじゃない。

「その攻撃は俺じゃなくてあの女子達に向けてくんない? こっちはね、被害者なんですよ被害者。これからも平和に過ごしていく予定の、人畜無害な男子生徒なんですよ?」

「じゃあそうする」

「ああ、そうしてく…………え?」

 夏弥は一瞬耳を疑う。目が点になる、とはこの表情のことだ。

 夏弥のその急変する態度が面白かったのか、美咲はフフッと鼻を鳴らして上機嫌。
 足取りも軽くなっているようだった。

 ただ、未だに周囲の視線が刺さり続ける状況は変わらなかった。
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