3 / 10
3 便宜上の結婚
しおりを挟む
「なっ、なんだと……!? えっ!?」
いくら狂人めいていても、フィリップ卿はイスフェルト侯爵令息だ。紋章の力は絶大だったようで、後ずさって蒼褪めた。
私はあまりの事態に、頭が真っ白。
ただ、外側からがっしりと掴まれた腕の感触は、嫌ではなかった。
「その情熱は最たるものだが、好ましくはない。聞けばシェルヴェン伯爵邸には招かれてさえいないそうではないか。すると忍び込んだか、賊のように。恥を知れ。なにより、私の妻になる娘に手を出すなど無礼にも程がある。どういうつもりだ」
「どっ、どうもなにも……! ルートは僕と結婚するはずなんです! 忍び込んだのは、彼女の父親が僕とルートの仲を引き裂こうとばかりするからです!! あ、あなあなあなたと結婚するだなんて、なにかの間違いですッ!!」
「否、間違いではない」
「嘘だぁッ!!」
フィリップ卿が髪を掻き毟りながら泣き出した。
悍ましい。
でも、苦しむ姿を見たら胸がスッとした。
そんな自分に驚いた。
「嘘ではない。今後、私の妻となるこのルートに邪な気持ちで近づきこの体に触れたなら、公的に処罰を下す。そして私の家族となるシェルヴェン伯爵への無礼を働いた責任は取ってもらうぞ。覚悟したまえ」
「違う……嫌だっ、こんなのおかしいッ!! ルート! ルート!! なんとか言ってくれ!! 僕を愛しているんだよね!? 僕と結婚するために、あの忌々しい男との婚約を破談にしたんだろうッ!? 閣下はなにか誤解をなさっているんだ! きっ、君からきちんと説明してくれよッ!!」
「……」
私は、言葉を発するために大きく息を吸い込んだ。
そんな私を、公爵閣下が押し止める。私は口を噤んだ。そして、私が言いたかった言葉が閣下の口から告げられた。
「先の婚約が破談になったのは貴殿のためではない。貴殿のせいで破談になったのだ。その思い上がった執着心と愚かな行いのせいでルート・ユングクヴィストの名誉を傷つけた。これを言うのは二度目だが、恥を知れ。そして立ち去り、二度とその姿を現すな」
「い……いやだ……っ、嫌だぁっ!!」
兄がフィリップ卿を掴み引き摺り始める。
「さ、フィリップ卿。こちらへ。これから結婚式の打ち合わせがありますので、申し訳ないがお帰り下さい」
「嘘だあぁぁぁッ!!」
その叫びがあってやっと父が書斎から飛び出した。
そして目を丸くして、立ち竦んだ。
「な、なんだ……いったい、これは……!?」
気持ちはよく理解できた。
兄に引き摺られていくフィリップ卿の叫びは、まったく理解できなかったけれど。
「ルートは僕のものだ! 僕と結婚するんだぁッ!!」
「黙れ無礼者!!」
「!」
閣下が声を荒げたので、私も飛び上がる。
「ルート! ルート!! 大丈夫だ、きっと助けに行くからね! だから、待っていてくれ。絶対に早まるんじゃない。なにがなんでも純潔を守り抜くんだ! いいね!! 愛してる! 愛してるよ、ルートォォォォッ!!」
最後まで悍ましい事を喚いていた。
けれど、兄は構わずフィリップ卿を連れて行った。考えられない事だった。まるで、本当に、公爵閣下の後ろ盾を得たかのように……
「愚かな」
頭の上で閣下が低く洩らす。
「!」
私は驚いて再び跳ねた。
そして、ついに頭の片隅で理解した。
ランデル公爵閣下ともあろう方を前にしている。
泣いている場合ではなかった。
「あっ」
身を離すそぶりを感じ取り、閣下はすぐに解放してくれた。
そして向かい合い、その厳かな御尊顔を仰ぎ、私はまた違った意味で息を呑んだ。雲の上の人が目の前にいて、助けてくれたのだ。地獄から救ってくれた。
「あ、ありがとうございました。その、お助け下さり、本当に……」
「ランデル公爵閣下……?」
父も戸惑いを隠せないようだ。
「シェルヴェン卿、急な事ですまない。シャーリーと話はついている」
「む、息子と……?」
「貴殿の娘であるルートの身の安全を守るため、伴侶として申し出た」
「えっ!?」
「えっ!?」
父と一緒に驚きの声を上げ、どちらともなく身を寄せ合う。
今さっき、閣下はフィリップ卿を追い払ってくれた。
私と結婚するというのは、そのための方便だった。はずだ。
でも、たしかに兄の態度はあまりに強気で、腑に落ちない部分もあった。
もし本当にシェルヴェン伯爵家がランデル公爵家と縁戚になるとすれば、納得しないでもない。
「……」
だからって、私が、ランデル公爵閣下の、妻に?
それはあまりにも突飛で、在り得ない、ある意味ではおとぎ話のような……
「安心してほしい、ルート。これは便宜上の結婚だ。もし恋をするなら、誰とでもしたらいい。跡継ぎが生まれなければ親族から相続人を選ぶまでの話だ」
「な、なぜ……」
つい口に出てしまう。
「単純な人助けだ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」
信じられない話だった。
けれど、これが始まりだった。私は本当にランデル公爵夫人になった。
いくら狂人めいていても、フィリップ卿はイスフェルト侯爵令息だ。紋章の力は絶大だったようで、後ずさって蒼褪めた。
私はあまりの事態に、頭が真っ白。
ただ、外側からがっしりと掴まれた腕の感触は、嫌ではなかった。
「その情熱は最たるものだが、好ましくはない。聞けばシェルヴェン伯爵邸には招かれてさえいないそうではないか。すると忍び込んだか、賊のように。恥を知れ。なにより、私の妻になる娘に手を出すなど無礼にも程がある。どういうつもりだ」
「どっ、どうもなにも……! ルートは僕と結婚するはずなんです! 忍び込んだのは、彼女の父親が僕とルートの仲を引き裂こうとばかりするからです!! あ、あなあなあなたと結婚するだなんて、なにかの間違いですッ!!」
「否、間違いではない」
「嘘だぁッ!!」
フィリップ卿が髪を掻き毟りながら泣き出した。
悍ましい。
でも、苦しむ姿を見たら胸がスッとした。
そんな自分に驚いた。
「嘘ではない。今後、私の妻となるこのルートに邪な気持ちで近づきこの体に触れたなら、公的に処罰を下す。そして私の家族となるシェルヴェン伯爵への無礼を働いた責任は取ってもらうぞ。覚悟したまえ」
「違う……嫌だっ、こんなのおかしいッ!! ルート! ルート!! なんとか言ってくれ!! 僕を愛しているんだよね!? 僕と結婚するために、あの忌々しい男との婚約を破談にしたんだろうッ!? 閣下はなにか誤解をなさっているんだ! きっ、君からきちんと説明してくれよッ!!」
「……」
私は、言葉を発するために大きく息を吸い込んだ。
そんな私を、公爵閣下が押し止める。私は口を噤んだ。そして、私が言いたかった言葉が閣下の口から告げられた。
「先の婚約が破談になったのは貴殿のためではない。貴殿のせいで破談になったのだ。その思い上がった執着心と愚かな行いのせいでルート・ユングクヴィストの名誉を傷つけた。これを言うのは二度目だが、恥を知れ。そして立ち去り、二度とその姿を現すな」
「い……いやだ……っ、嫌だぁっ!!」
兄がフィリップ卿を掴み引き摺り始める。
「さ、フィリップ卿。こちらへ。これから結婚式の打ち合わせがありますので、申し訳ないがお帰り下さい」
「嘘だあぁぁぁッ!!」
その叫びがあってやっと父が書斎から飛び出した。
そして目を丸くして、立ち竦んだ。
「な、なんだ……いったい、これは……!?」
気持ちはよく理解できた。
兄に引き摺られていくフィリップ卿の叫びは、まったく理解できなかったけれど。
「ルートは僕のものだ! 僕と結婚するんだぁッ!!」
「黙れ無礼者!!」
「!」
閣下が声を荒げたので、私も飛び上がる。
「ルート! ルート!! 大丈夫だ、きっと助けに行くからね! だから、待っていてくれ。絶対に早まるんじゃない。なにがなんでも純潔を守り抜くんだ! いいね!! 愛してる! 愛してるよ、ルートォォォォッ!!」
最後まで悍ましい事を喚いていた。
けれど、兄は構わずフィリップ卿を連れて行った。考えられない事だった。まるで、本当に、公爵閣下の後ろ盾を得たかのように……
「愚かな」
頭の上で閣下が低く洩らす。
「!」
私は驚いて再び跳ねた。
そして、ついに頭の片隅で理解した。
ランデル公爵閣下ともあろう方を前にしている。
泣いている場合ではなかった。
「あっ」
身を離すそぶりを感じ取り、閣下はすぐに解放してくれた。
そして向かい合い、その厳かな御尊顔を仰ぎ、私はまた違った意味で息を呑んだ。雲の上の人が目の前にいて、助けてくれたのだ。地獄から救ってくれた。
「あ、ありがとうございました。その、お助け下さり、本当に……」
「ランデル公爵閣下……?」
父も戸惑いを隠せないようだ。
「シェルヴェン卿、急な事ですまない。シャーリーと話はついている」
「む、息子と……?」
「貴殿の娘であるルートの身の安全を守るため、伴侶として申し出た」
「えっ!?」
「えっ!?」
父と一緒に驚きの声を上げ、どちらともなく身を寄せ合う。
今さっき、閣下はフィリップ卿を追い払ってくれた。
私と結婚するというのは、そのための方便だった。はずだ。
でも、たしかに兄の態度はあまりに強気で、腑に落ちない部分もあった。
もし本当にシェルヴェン伯爵家がランデル公爵家と縁戚になるとすれば、納得しないでもない。
「……」
だからって、私が、ランデル公爵閣下の、妻に?
それはあまりにも突飛で、在り得ない、ある意味ではおとぎ話のような……
「安心してほしい、ルート。これは便宜上の結婚だ。もし恋をするなら、誰とでもしたらいい。跡継ぎが生まれなければ親族から相続人を選ぶまでの話だ」
「な、なぜ……」
つい口に出てしまう。
「単純な人助けだ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」
信じられない話だった。
けれど、これが始まりだった。私は本当にランデル公爵夫人になった。
141
あなたにおすすめの小説
王太子に婚約破棄され塔に幽閉されてしまい、守護神に祈れません。このままでは国が滅んでしまいます。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
リドス公爵家の長女ダイアナは、ラステ王国の守護神に選ばれた聖女だった。
守護神との契約で、穢れない乙女が毎日祈りを行うことになっていた。
だがダイアナの婚約者チャールズ王太子は守護神を蔑ろにして、ダイアナに婚前交渉を迫り平手打ちを喰らった。
それを逆恨みしたチャールズ王太子は、ダイアナの妹で愛人のカミラと謀り、ダイアナが守護神との契約を蔑ろにして、リドス公爵家で入りの庭師と不義密通したと罪を捏造し、何の罪もない庭師を殺害して反論を封じたうえで、ダイアナを塔に幽閉してしまった。
自信過剰なワガママ娘には、現実を教えるのが効果的だったようです
麻宮デコ@SS短編
恋愛
伯爵令嬢のアンジェリカには歳の離れた妹のエリカがいる。
母が早くに亡くなったため、その妹は叔父夫婦に預けられたのだが、彼らはエリカを猫可愛がるばかりだったため、彼女は礼儀知らずで世間知らずのワガママ娘に育ってしまった。
「王子妃にだってなれるわよ!」となぜか根拠のない自信まである。
このままでは自分の顔にも泥を塗られるだろうし、妹の未来もどうなるかわからない。
弱り果てていたアンジェリカに、婚約者のルパートは考えがある、と言い出した――
全3話
私を捨てた婚約者へ――あなたのおかげで幸せです
有賀冬馬
恋愛
「役立たずは消えろ」
理不尽な理由で婚約を破棄された伯爵令嬢アンナ。
涙の底で彼女を救ったのは、かつて密かに想いを寄せてくれた完璧すぎる男性――
名門貴族、セシル・グラスフィット。
美しさ、強さ、優しさ、すべてを兼ね備えた彼に愛され、
アンナはようやく本当の幸せを手に入れる。
そんな中、落ちぶれた元婚約者が復縁を迫ってくるけれど――
心優しき令嬢が報われ、誰よりも愛される、ざまぁ&スカッと恋愛ファンタジー
不倫した妹の頭がおかしすぎて家族で呆れる「夫のせいで彼に捨てられた」妹は断絶して子供は家族で育てることに
佐藤 美奈
恋愛
ネコのように愛らしい顔立ちの妹のアメリア令嬢が突然実家に帰って来た。
赤ちゃんのようにギャーギャー泣き叫んで夫のオリバーがひどいと主張するのです。
家族でなだめて話を聞いてみると妹の頭が徐々におかしいことに気がついてくる。
アメリアとオリバーは幼馴染で1年前に結婚をして子供のミアという女の子がいます。
不倫していたアメリアとオリバーの離婚は決定したが、その子供がどちらで引き取るのか揉めたらしい。
不倫相手は夫の弟のフレディだと告白された時は家族で平常心を失って天国に行きそうになる。
夫のオリバーも不倫相手の弟フレディもミアは自分の子供だと全力で主張します。
そして検査した結果はオリバーの子供でもフレディのどちらの子供でもなかった。
婚約破棄をすると言ってきた人が、1時間後に謝りながら追いかけてきました
柚木ゆず
恋愛
「アロメリス伯爵令嬢、アンリエット。お前との婚約を破棄する」
ありもしない他令嬢への嫌がらせを理由に、わたしは大勢の前で婚約者であるフェルナン様から婚約破棄を宣告されました。
ですがその、僅か1時間後のことです。フェルナン様は必死になってわたしを追いかけてきて、謝罪をしながら改めて婚約をさせて欲しいと言い出したのでした。
嘘を吐いてまで婚約を白紙にしようとしていた人が、必死に言い訳をしながら関係を戻したいと言うだなんて。
1時間の間に、何があったのでしょうか……?
婚約破棄された私は、世間体が悪くなるからと家を追い出されました。そんな私を救ってくれたのは、隣国の王子様で、しかも初対面ではないようです。
冬吹せいら
恋愛
キャロ・ブリジットは、婚約者のライアン・オーゼフに、突如婚約を破棄された。
本来キャロの味方となって抗議するはずの父、カーセルは、婚約破棄をされた傷物令嬢に価値はないと冷たく言い放ち、キャロを家から追い出してしまう。
ありえないほど酷い仕打ちに、心を痛めていたキャロ。
隣国を訪れたところ、ひょんなことから、王子と顔を合わせることに。
「あの時のお礼を、今するべきだと。そう考えています」
どうやらキャロは、過去に王子を助けたことがあるらしく……?
【完結】お姉様!脱お花畑いたしましょう
との
恋愛
「私と結婚して頂けますか?」
今日は人生で最高に幸せな日ですわ。リオンから結婚を申し込まれましたの。
真実の愛だそうです。
ホントに? お花畑のお姉様ですから、とっても心配です。私の中のお姉様情報には引っかかっていない方ですし。
家族のため頑張って、脱お花畑目指していただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿です。不慣れな点、多々あるかと思います。
よろしくお願いします。
妹の様子が、突然おかしくなりました
柚木ゆず
恋愛
「お姉様っ、奪うなんて言ってごめんなさいっ! あれは撤回しますっ! ジョシュア様に相応しいのはやっぱりお姉様だったわっっ!!」
私の婚約者であるランザルス伯爵家のジョシュア様を好きになり、奪い取ると宣言していた妹のロレッタ。そんなロレッタはある日突然こう言い出し、これからは私を応援するとも言い出したのでした。
ロレッタはお父様とお母様にお願いをして、私を軟禁してまで奪おうとしていたのに……。何があったのでしょうか……?
※9月7日 タイトルの一部とあらすじの一部を変更させていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる