婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。

百谷シカ

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2 救いの手

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「それしかないのかしら……もう、神さまのところへ行くしか……」


 涙を拭きながら言葉を絞り出す。
 兄がそっと抱きしめてくれた。


「侯爵家には逆らえない。恐ろしい事が起きる前に、安全なところへ行くんだ」

「お兄様……っ」


 父の言った遠くの修道院は、厳格で、親族であろうと異性との接触を禁じている。だからこそ物理的にもフィリップ卿から守ってはくれる。結婚を諦めるのはもう仕方がない。でも、父や兄とも二度と会えなくなってしまう。

 母は幼い頃、天に召されてしまった。
 修道院に入ったら、私に会いに来てくれるひとは、誰もいない。


「お前を苦しめたくはない。だが、考えてみてくれ。そうすればわかるはずだ。そして、心の整理を……つけてくれ」


 日ごとに届く悍ましい愛の手紙。
 積み重なる贈り物。

 このままここで暮らしていても、気が狂ってしまう。
 気が狂う前にさらわれて、恐ろしい事をされてしまいでもしたら、もう後戻りはできなくなる。生きていられなくなる。


「お父様、私……修道院に行きます」


 そう返事をした直後だった。
 父の書斎を出て廊下を歩いていると、ふいに腕を掴まれた。


「!?」


 凍り付いた。
 フィリップ卿だった。


「……!?」


 どうして!?
 なぜ、ここに!?

 あまりの恐怖に声も出ない。
 そんな私を抱えこみ、フィリップ卿が顔を近づけてくる。


「……っ、いやぁ……っ!!」

「!」


 その頬をひっかいて、突き飛ばした。
 そして腰が抜けて、声も出なくて、私は首から下げていたペンダントを窓に投げつけた。ガラスの割れる音に、誰かが気づいてくれると信じて。


「もう大丈夫だよ、ルート。恐がらなくていい。僕が助けてあげる」

「……?」


 フィリップ卿の言葉は、いつも意味がわからない。
 恐ろしくて涙が溢れた。


「望まない結婚からやっと解放されたのに、今度は修道院だなんて、君の父親たる男は本当に酷いね。許せないよ。殺してやりたい。だけど、いくら極悪人でも君のたったひとりの御父上だからね。命までは奪いはしない。でも、これ以上、僕から君を奪わせもしないよ。さあ、行こう! ルート! 愛してる! 今こそ結婚しよう!!」

「……いやっ」


 フィリップ卿は興奮で目が潤み、唾も撒き散らして覆い被さって来る。
 
 どこにも安全な場所なんてない。
 もっと早く、神さまに助けを求めればよかった。


「僕のルート……ああ、嬉しい。やっと、完全に僕のものになったんだよ」

「それは違う」


 聞き慣れない声が重く響く。
 私は驚いて顔をあげた。

 フィリップ卿も声のするほうへ身を捩り確認している。


「……?」


 兄がいた。
 その兄を押し退けるようにして、ひとりの男性が歩いてくる。知らない人物だ。けれど、その身形と風格から貴族である事は推察できた。

 
「なんだ貴様……!」


 フィリップ卿が声を荒げる。
 兄が勝ち誇ったように口角をあげた。


「?」


 なにか、いいほうへ事態が動いたのだ。
 歩いて来た男性はフィリップ卿を払い除けると、腰を抜かしていた私を丁寧に助け起こした。兄と父のちょうど間くらいの年齢に見えるその人は、どこか冷たく乾いていて、それがなぜか安心感を与えた。なんであろうとフィリップ卿よりはるかにましだ。


「貴殿は思い違いをしている」


 彼は言った。


「なんだと……!?」


 フィリップ卿が醜悪な表情で睨みつけると、彼がその正体を明らかにした。


「この紋章を見たまえ。私はランデル公爵。そしてルートは私の妻になる娘だ」
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