4 / 19
4 星をなぞる博士の静寂
しおりを挟む
窓から差し込む光の帯が、細かい塵を輝かせている。
高い書架の前で背伸びしていた私は、その存在に気付かなかった。
「お取りしましょう」
「え?」
踵を下ろし振り向くと、背の高い紳士がすぐそばまで歩いてきていた。
切れ長の目に銀縁の眼鏡がよく似合う、知的な顔立ち。すっきりした鼻梁から薄い唇まで、その静けさと冷たさがまるで氷のようだ。
けれど、親切だった。
「どの本です?」
「あ……」
私は背表紙を読み上げ、少し脇に避ける。
私の頭が、恐らく彼の鎖骨にも届かない。物静かな雰囲気ではあるけれど、整った体躯からは秘めたる躍動感が垣間見える。
彼は難なく目的の本を取り、私に体を向けた。
「……」
表題を確かめる目つきが、思いのほか優しい。
「星に興味が?」
「あ、はい。実は私ではないのです」
「と言うと?」
「教会の孤児院で、子供たちに読み書きや簡単な礼儀作法を教えております」
「それは素晴らしい」
「ありがとうございます。ある子が近頃、天体に強い関心を持ち始めたのですが、私はまったく詳しくないので、勉強をと思ったのです」
「そうですか。それなら──」
彼は明るい表情で笑みさえ浮かべながら、私に本を手渡した。
「いい本を知っています。星の神話について論じた本です。天体図の挿絵がふんだんに使われていて興味深いですよ。子供には難しいでしょうが、あなたにはうってつけです」
まさに私の求めている情報だった。
つられて笑顔になり、つい前のめりになってしまう。
「教えてください」
「持ってきましょう」
「え?」
それは、あまりに申し訳ない。
この学術都市アデラインにおいて、王立図書館に日中から出入りしているという事は、彼は国営機関の職務中であるか、なんらかの立場で必要に迫られて調査に訪れているという事。
「いえ、それは」
「気にしないで。少し思うところもあるので、それを読んで待っていてください」
彼は近くの席を指差し、光の帯の中で微笑んだ。
「すぐ戻ります」
「……」
広い背中を見送って尚しばらく佇んでいた私は、ゆっくりと指示された席について、表紙を開いた。
なにか、魔法にでもかかってしまったような、ふしぎな感覚。
ただそれを考えていても仕方ないので、私は序文を読み始めた。文字を追うと雑念は吹き飛び、すぐに集中できたため、彼も一瞬で戻ったように感じた。
何冊も大小様々な本を抱えている。
その姿を冷静に目で追いながら、私は椅子から立ちあがった。
「お待たせ」
机に本を置いた彼に、深く膝を折って頭を垂れる。
「御親切に心から感謝致します。私はローガン伯爵令嬢ラモーナ・スコールズと申します。本当に助かりました」
「ああ、これは失礼」
私が姿勢を正した頃、彼は笑顔を浮かべ踵を揃えていた。
「私はシオドリック・ダッシュウッド博士。王立科学研究所の所長補佐を任されている者です」
「……!」
私は驚いて息を止め、彼を見あげた。
名前は知っている。
国王陛下直々に科学の研究を任された、フィンストン侯爵令息。
「理事の御令嬢でしたか」
「あ……ッ、御無礼をお許しください」
「いえいえ。どうか硬くならないで。なんともないですし、それに私は、ここではただの博士です」
父から聞いた通り、誠実で物静かな印象。
それに研究熱心で、謙虚で、けれど風格が備わっている。
「さあ、座って。わからないところは教えます」
「え……でも、お忙しいのでは」
「息抜きで来ているんです。少年の情熱を私も応援したい。もちろんあなたも」
「……」
思いがけない親切に胸が熱くなる。
「あ、少女かな?」
ダッシュウッド博士は高揚感も顕わに向かいの席に着いてしまった。
「男の子です」
私も席に着く。
積んだ本のいちばん上にはノートがあり、博士はそれをまず自身の前に置いて、本を分類し始めた。
「あなたがそれを読み進めている間に、簡単な補足説明をまとめておく。いつでも遠慮なく声をかけて」
既に長く美しい指が鉛筆を走らせている。
私は申し出をありがたく受け入れ、読書を始めた。
つい没頭し、ふと顔をあげたとき、文面を行き来する博士の双眸に見惚れている自分に気づいた。夜空のように深く、果てしなく、澄んでいる。
私は心地よい静寂の中、再び本に目を落とした。
高い書架の前で背伸びしていた私は、その存在に気付かなかった。
「お取りしましょう」
「え?」
踵を下ろし振り向くと、背の高い紳士がすぐそばまで歩いてきていた。
切れ長の目に銀縁の眼鏡がよく似合う、知的な顔立ち。すっきりした鼻梁から薄い唇まで、その静けさと冷たさがまるで氷のようだ。
けれど、親切だった。
「どの本です?」
「あ……」
私は背表紙を読み上げ、少し脇に避ける。
私の頭が、恐らく彼の鎖骨にも届かない。物静かな雰囲気ではあるけれど、整った体躯からは秘めたる躍動感が垣間見える。
彼は難なく目的の本を取り、私に体を向けた。
「……」
表題を確かめる目つきが、思いのほか優しい。
「星に興味が?」
「あ、はい。実は私ではないのです」
「と言うと?」
「教会の孤児院で、子供たちに読み書きや簡単な礼儀作法を教えております」
「それは素晴らしい」
「ありがとうございます。ある子が近頃、天体に強い関心を持ち始めたのですが、私はまったく詳しくないので、勉強をと思ったのです」
「そうですか。それなら──」
彼は明るい表情で笑みさえ浮かべながら、私に本を手渡した。
「いい本を知っています。星の神話について論じた本です。天体図の挿絵がふんだんに使われていて興味深いですよ。子供には難しいでしょうが、あなたにはうってつけです」
まさに私の求めている情報だった。
つられて笑顔になり、つい前のめりになってしまう。
「教えてください」
「持ってきましょう」
「え?」
それは、あまりに申し訳ない。
この学術都市アデラインにおいて、王立図書館に日中から出入りしているという事は、彼は国営機関の職務中であるか、なんらかの立場で必要に迫られて調査に訪れているという事。
「いえ、それは」
「気にしないで。少し思うところもあるので、それを読んで待っていてください」
彼は近くの席を指差し、光の帯の中で微笑んだ。
「すぐ戻ります」
「……」
広い背中を見送って尚しばらく佇んでいた私は、ゆっくりと指示された席について、表紙を開いた。
なにか、魔法にでもかかってしまったような、ふしぎな感覚。
ただそれを考えていても仕方ないので、私は序文を読み始めた。文字を追うと雑念は吹き飛び、すぐに集中できたため、彼も一瞬で戻ったように感じた。
何冊も大小様々な本を抱えている。
その姿を冷静に目で追いながら、私は椅子から立ちあがった。
「お待たせ」
机に本を置いた彼に、深く膝を折って頭を垂れる。
「御親切に心から感謝致します。私はローガン伯爵令嬢ラモーナ・スコールズと申します。本当に助かりました」
「ああ、これは失礼」
私が姿勢を正した頃、彼は笑顔を浮かべ踵を揃えていた。
「私はシオドリック・ダッシュウッド博士。王立科学研究所の所長補佐を任されている者です」
「……!」
私は驚いて息を止め、彼を見あげた。
名前は知っている。
国王陛下直々に科学の研究を任された、フィンストン侯爵令息。
「理事の御令嬢でしたか」
「あ……ッ、御無礼をお許しください」
「いえいえ。どうか硬くならないで。なんともないですし、それに私は、ここではただの博士です」
父から聞いた通り、誠実で物静かな印象。
それに研究熱心で、謙虚で、けれど風格が備わっている。
「さあ、座って。わからないところは教えます」
「え……でも、お忙しいのでは」
「息抜きで来ているんです。少年の情熱を私も応援したい。もちろんあなたも」
「……」
思いがけない親切に胸が熱くなる。
「あ、少女かな?」
ダッシュウッド博士は高揚感も顕わに向かいの席に着いてしまった。
「男の子です」
私も席に着く。
積んだ本のいちばん上にはノートがあり、博士はそれをまず自身の前に置いて、本を分類し始めた。
「あなたがそれを読み進めている間に、簡単な補足説明をまとめておく。いつでも遠慮なく声をかけて」
既に長く美しい指が鉛筆を走らせている。
私は申し出をありがたく受け入れ、読書を始めた。
つい没頭し、ふと顔をあげたとき、文面を行き来する博士の双眸に見惚れている自分に気づいた。夜空のように深く、果てしなく、澄んでいる。
私は心地よい静寂の中、再び本に目を落とした。
2,540
あなたにおすすめの小説
【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪
山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。
「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」
そうですか…。
私は離婚届にサインをする。
私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。
使用人が出掛けるのを確認してから
「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」
幼馴染の婚約者を馬鹿にした勘違い女の末路
今川幸乃
恋愛
ローラ・ケレットは幼馴染のクレアとパーティーに参加していた。
すると突然、厄介令嬢として名高いジュリーに絡まれ、ひたすら金持ち自慢をされる。
ローラは黙って堪えていたが、純粋なクレアはついぽろっとジュリーのドレスにケチをつけてしまう。
それを聞いたローラは顔を真っ赤にし、今度はクレアの婚約者を馬鹿にし始める。
そしてジュリー自身は貴公子と名高いアイザックという男と結ばれていると自慢を始めるが、騒ぎを聞きつけたアイザック本人が現れ……
※短い……はず
【完結】私の小さな復讐~愛し合う幼馴染みを婚約させてあげましょう~
山葵
恋愛
突然、幼馴染みのハリーとシルビアが屋敷を訪ねて来た。
2人とは距離を取っていたから、こうして会うのは久し振りだ。
「先触れも無く、突然訪問してくるなんて、そんなに急用なの?」
相変わらずベッタリとくっ付きソファに座る2人を見ても早急な用事が有るとは思えない。
「キャロル。俺達、良い事を思い付いたんだよ!お前にも悪い話ではない事だ」
ハリーの思い付いた事で私に良かった事なんて合ったかしら?
もう悪い話にしか思えないけれど、取り合えずハリーの話を聞いてみる事にした。
断罪された公爵令嬢に手を差し伸べたのは、私の婚約者でした
カレイ
恋愛
子爵令嬢に陥れられ第二王子から婚約破棄を告げられたアンジェリカ公爵令嬢。第二王子が断罪しようとするも、証拠を突きつけて見事彼女の冤罪を晴らす男が現れた。男は公爵令嬢に跪き……
「この機会絶対に逃しません。ずっと前から貴方をお慕いしていましたんです。私と婚約して下さい!」
ええっ!あなた私の婚約者ですよね!?
【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~
山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」
母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。
愛人宅に住み屋敷に帰らない父。
生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。
私には母の言葉が理解出来なかった。
【完結】婚約破棄?勘当?私を嘲笑う人達は私が不幸になる事を望んでいましたが、残念ながら不幸になるのは貴方達ですよ♪
山葵
恋愛
「シンシア、君との婚約は破棄させてもらう。君の代わりにマリアーナと婚約する。これはジラルダ侯爵も了承している。姉妹での婚約者の交代、慰謝料は無しだ。」
「マリアーナとランバルド殿下が婚約するのだ。お前は不要、勘当とする。」
「国王陛下は承諾されているのですか?本当に良いのですか?」
「別に姉から妹に婚約者が変わっただけでジラルダ侯爵家との縁が切れたわけではない。父上も承諾するさっ。」
「お前がジラルダ侯爵家に居る事が、婿入りされるランバルド殿下を不快にするのだ。」
そう言うとお父様、いえジラルダ侯爵は、除籍届けと婚約解消届け、そしてマリアーナとランバルド殿下の婚約届けにサインした。
私を嘲笑って喜んでいる4人の声が可笑しくて笑いを堪えた。
さぁて貴方達はいつまで笑っていられるのかしらね♪
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
〖完結〗愛人が離婚しろと乗り込んで来たのですが、私達はもう離婚していますよ?
藍川みいな
恋愛
「ライナス様と離婚して、とっととこの邸から出て行ってよっ!」
愛人が乗り込んで来たのは、これで何人目でしょう?
私はもう離婚していますし、この邸はお父様のものですから、決してライナス様のものにはなりません。
離婚の理由は、ライナス様が私を一度も抱くことがなかったからなのですが、不能だと思っていたライナス様は愛人を何人も作っていました。
そして親友だと思っていたマリーまで、ライナス様の愛人でした。
愛人を何人も作っていたくせに、やり直したいとか……頭がおかしいのですか?
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全8話で完結になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる