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番外編ー2 祖父の心、私の命(※パンジー視点)
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母の唾を浴びて、私は呆然と立ち尽くした。
それから、足の力が抜けた。
膝から崩れ落ちた私を、母はしわがれた声で笑い続けた。
「アハハハハッ! 悲しい顔して、可笑しいッ!! だったら死ねば!? パパが待ってるわ! あんたが私と同じくらい苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、それで血を噴いて死んだら、あんたの父親に殺された人間の恨みもきっと晴れるでしょうよ!!」
「シスター・パンジー!? どなたですか!?」
シスターが助けに来てくれた。
母は私をぎろりと睨んで、にやりと笑って、そして走り去った。
黒いローブを、死神のように、はためかせて。
「……」
息が、うまくできない。
蹲る私の肩を、シスターが掴んだ。
「シスター・パンジー? 大丈夫ですか? なにをされたのです?」
「……っ」
涙が零れた。
シスターが強引に私の体を探り、怪我がないかを確かめている。
「誰か!」
シスターは、私を心配してくれている。
でももう、わかっていた。
私には、そんな価値はないのだという事が。
「あ……あぁ……」
嗚咽が、せり上がる。
震える手で顔を覆った。
「ああああああぁぁぁッ!!」
私は、許されない存在。
生まれて来てはいけない存在だったのだ。
私は部屋に運ばれた。
ずっと泣いていた。
泣く権利さえないとわかっていても、止められなかった。
扉の外からシスターたちの声が聞こえた。
「お医者様をお呼びしますか?」
「いいえ、様子を見ましょう」
「お気の毒に」
「きっと立ち直ります。神様が招かれた、尊い命なのですから」
神様だって、愛さない。
母はそう言っていた。
でも嗚咽をあげながら、シスターの言葉に縋っていく自分の心に気づいていた。
翌朝、食事を運んでくれたシスターに、私は、すべてを打ち明けた。
シスターは真剣に話を聞いてくれた。そして私の手を握った。
「祈りましょう。シスター・パンジー」
私に残された生きる意味は、たしかに、それだけだった。
私は、祈り続けた。
神様、こんな私でごめんなさい。
神様、どうか、みんなを守ってください。幸せにしてください。
「……」
あるとき。
私は、いろいろな事がわかるようになった。
シスターたちが本心から私を支えてくれている事や、私がどれほど恥知らずな人間で、愚かで、優しく手を差し伸べてくれた人たちを酷く傷つけてしまったのか、自分の姿が見えるようになった。
私は祖父と……あの親切な善き人、ローガン伯爵に手紙を書いた。
シスターがきちんとした手紙の書き方を教えてくれた。
夏だった。
祖父が、会いに来てくれた。
「パンジー」
「お祖父様……」
久しぶりに見た祖父は、記憶の通りに、シワシワだった。
老人は年をとらないのだ。
だけど、祖父の目が、優しい気がした。
「パンジー、手紙をありがとう。お前に、伝えなければと思ったんだよ。生きているうちに直接」
そう祖父は前置きをして、言った。
「お前の母親は、よく、お前の祖母と一緒に、その故郷へ帰省していた。私は土地を離れる事は出来なかったから、自由にさせていた。そして、ある時、お前の母親は、お前を身籠って帰って来た」
「はい」
「お前の父親は水夫だ。婿入りさせようと手を尽くしたが、既に遅かった。雇い主の一家を襲い、囚われ、処刑されていた」
「……はい」
祖父は注意深く言葉を選んでいた。
そしてその姿を、私は、ずっと、見て育ったのだとわかるようになっていた。
胸が苦しい。
「だが、パンジー。お前の父親の罪は、お前自身の罪ではないのだ。それだけは確実に分けて考えなければいかん。わかるかい? お前は碌でもない親から生まれた子だが、極悪人の分身ではないのだ。極悪人に成り下がり、悪魔に魂を売り渡したのは、お前ではなく、お前の母親なんだ。私の……娘だ」
「……」
私は、母の事を祖父と話しあう心境にはどうしてもなれなかった。
「私は、妻も、娘も……お前も、愛する事ができなかったよ。だが、守ろうとしたんだ。しかし、守り切れなかった。私はできない事をやろうとしてしまったんだ。もっと早く、お前を、神様にお預けすればよかったな。すまなかった、パンジー」
祖父の目が潤んでいる。
私は泣かないように努力しながら、祖父に微笑んだ。
「いいえ」
私はまず、はっきりと、そう伝えた。
「お祖父様が、私を愛せなかったのは……当然の事ですし、今はもう、お祖父様が、私を守ってくださっていた事がよくわかります。ありがとうございました」
「……!」
祖父が手を伸ばし、そして、触れずに骨ばった指を握り込む。
私に触りたくないのではなく、シスターになった私には親族であっても男性は触れない事が好ましいから、堪えてくれたのだ。
「お前は、優しい子だったのだな」
絞り出すように、祖父が言ってくれた。
私は笑みが零れた拍子に、涙も零してしまった。
私は首を振った。
「わかりません。だけど、神様の傍にいて、シスター・パンジーとして生きるなら、いつか……ほんの少しでも、奉仕をしたり、あの方のように、子供のお世話をしたりできる人間になれるかもしれません。誰かの役に立ちたいなんて、烏滸がましい事は思っていません。ただ、こんな私だけれど、どんな形であっても、神様が用いてくださったら……いいなって、思うのです」
「パンジー」
「お祖父様、どうか、お体を大切になさってください。お帰りも、たくさん休んで、御無理のないように、長い旅ですから安全を第一になさってください」
「パンジー……ありがとう」
「お祖父様の日々の安寧を、ずっと、お祈りしております」
シスターたちと共に、祖父を見送りに出る。
日の沈む前に、宿に辿り着いてもらわなければいけないから。
年老いた祖父の背中を見ていると、急に胸が締めつけられた。
もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
頻繁に会える距離ではないのだし、これこそが、神様が与えてくださった奇跡なのかもしれない。本当に、そう思った。
馬車に乗り込む間際、私はもう一度、祖父に駆け寄り声をかけた。
「お祖父様」
「うん?」
手すりに捉まったまま振り向いた祖父と、目が合う。
寂しさが吹き飛びはしなかった。ただ、別のもので、覆われた。
くすぐったくて、あたたかくて。
私は、生まれて初めて、心から寛いで、祖父の顔を見つめた。
「私、今……初めて、お祖父様が愛してくださっている気がします」
祖父が目を細めて、そうだよ、と囁いた。
「私も……!」
涙が溢れる。
祖父は、今度は私の頭を撫でた。
誰も咎めなかった。
神様が、私たちを家族にしてくださった。その瞬間だったから。
それから、足の力が抜けた。
膝から崩れ落ちた私を、母はしわがれた声で笑い続けた。
「アハハハハッ! 悲しい顔して、可笑しいッ!! だったら死ねば!? パパが待ってるわ! あんたが私と同じくらい苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、それで血を噴いて死んだら、あんたの父親に殺された人間の恨みもきっと晴れるでしょうよ!!」
「シスター・パンジー!? どなたですか!?」
シスターが助けに来てくれた。
母は私をぎろりと睨んで、にやりと笑って、そして走り去った。
黒いローブを、死神のように、はためかせて。
「……」
息が、うまくできない。
蹲る私の肩を、シスターが掴んだ。
「シスター・パンジー? 大丈夫ですか? なにをされたのです?」
「……っ」
涙が零れた。
シスターが強引に私の体を探り、怪我がないかを確かめている。
「誰か!」
シスターは、私を心配してくれている。
でももう、わかっていた。
私には、そんな価値はないのだという事が。
「あ……あぁ……」
嗚咽が、せり上がる。
震える手で顔を覆った。
「ああああああぁぁぁッ!!」
私は、許されない存在。
生まれて来てはいけない存在だったのだ。
私は部屋に運ばれた。
ずっと泣いていた。
泣く権利さえないとわかっていても、止められなかった。
扉の外からシスターたちの声が聞こえた。
「お医者様をお呼びしますか?」
「いいえ、様子を見ましょう」
「お気の毒に」
「きっと立ち直ります。神様が招かれた、尊い命なのですから」
神様だって、愛さない。
母はそう言っていた。
でも嗚咽をあげながら、シスターの言葉に縋っていく自分の心に気づいていた。
翌朝、食事を運んでくれたシスターに、私は、すべてを打ち明けた。
シスターは真剣に話を聞いてくれた。そして私の手を握った。
「祈りましょう。シスター・パンジー」
私に残された生きる意味は、たしかに、それだけだった。
私は、祈り続けた。
神様、こんな私でごめんなさい。
神様、どうか、みんなを守ってください。幸せにしてください。
「……」
あるとき。
私は、いろいろな事がわかるようになった。
シスターたちが本心から私を支えてくれている事や、私がどれほど恥知らずな人間で、愚かで、優しく手を差し伸べてくれた人たちを酷く傷つけてしまったのか、自分の姿が見えるようになった。
私は祖父と……あの親切な善き人、ローガン伯爵に手紙を書いた。
シスターがきちんとした手紙の書き方を教えてくれた。
夏だった。
祖父が、会いに来てくれた。
「パンジー」
「お祖父様……」
久しぶりに見た祖父は、記憶の通りに、シワシワだった。
老人は年をとらないのだ。
だけど、祖父の目が、優しい気がした。
「パンジー、手紙をありがとう。お前に、伝えなければと思ったんだよ。生きているうちに直接」
そう祖父は前置きをして、言った。
「お前の母親は、よく、お前の祖母と一緒に、その故郷へ帰省していた。私は土地を離れる事は出来なかったから、自由にさせていた。そして、ある時、お前の母親は、お前を身籠って帰って来た」
「はい」
「お前の父親は水夫だ。婿入りさせようと手を尽くしたが、既に遅かった。雇い主の一家を襲い、囚われ、処刑されていた」
「……はい」
祖父は注意深く言葉を選んでいた。
そしてその姿を、私は、ずっと、見て育ったのだとわかるようになっていた。
胸が苦しい。
「だが、パンジー。お前の父親の罪は、お前自身の罪ではないのだ。それだけは確実に分けて考えなければいかん。わかるかい? お前は碌でもない親から生まれた子だが、極悪人の分身ではないのだ。極悪人に成り下がり、悪魔に魂を売り渡したのは、お前ではなく、お前の母親なんだ。私の……娘だ」
「……」
私は、母の事を祖父と話しあう心境にはどうしてもなれなかった。
「私は、妻も、娘も……お前も、愛する事ができなかったよ。だが、守ろうとしたんだ。しかし、守り切れなかった。私はできない事をやろうとしてしまったんだ。もっと早く、お前を、神様にお預けすればよかったな。すまなかった、パンジー」
祖父の目が潤んでいる。
私は泣かないように努力しながら、祖父に微笑んだ。
「いいえ」
私はまず、はっきりと、そう伝えた。
「お祖父様が、私を愛せなかったのは……当然の事ですし、今はもう、お祖父様が、私を守ってくださっていた事がよくわかります。ありがとうございました」
「……!」
祖父が手を伸ばし、そして、触れずに骨ばった指を握り込む。
私に触りたくないのではなく、シスターになった私には親族であっても男性は触れない事が好ましいから、堪えてくれたのだ。
「お前は、優しい子だったのだな」
絞り出すように、祖父が言ってくれた。
私は笑みが零れた拍子に、涙も零してしまった。
私は首を振った。
「わかりません。だけど、神様の傍にいて、シスター・パンジーとして生きるなら、いつか……ほんの少しでも、奉仕をしたり、あの方のように、子供のお世話をしたりできる人間になれるかもしれません。誰かの役に立ちたいなんて、烏滸がましい事は思っていません。ただ、こんな私だけれど、どんな形であっても、神様が用いてくださったら……いいなって、思うのです」
「パンジー」
「お祖父様、どうか、お体を大切になさってください。お帰りも、たくさん休んで、御無理のないように、長い旅ですから安全を第一になさってください」
「パンジー……ありがとう」
「お祖父様の日々の安寧を、ずっと、お祈りしております」
シスターたちと共に、祖父を見送りに出る。
日の沈む前に、宿に辿り着いてもらわなければいけないから。
年老いた祖父の背中を見ていると、急に胸が締めつけられた。
もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
頻繁に会える距離ではないのだし、これこそが、神様が与えてくださった奇跡なのかもしれない。本当に、そう思った。
馬車に乗り込む間際、私はもう一度、祖父に駆け寄り声をかけた。
「お祖父様」
「うん?」
手すりに捉まったまま振り向いた祖父と、目が合う。
寂しさが吹き飛びはしなかった。ただ、別のもので、覆われた。
くすぐったくて、あたたかくて。
私は、生まれて初めて、心から寛いで、祖父の顔を見つめた。
「私、今……初めて、お祖父様が愛してくださっている気がします」
祖父が目を細めて、そうだよ、と囁いた。
「私も……!」
涙が溢れる。
祖父は、今度は私の頭を撫でた。
誰も咎めなかった。
神様が、私たちを家族にしてくださった。その瞬間だったから。
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