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5 兵糧とディナー
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辿り着いてしまえば、療養以外にやる事がなかった。
処方された薬が効いてよく眠れるようになり、たった半日しか経ってなのにかなり体調がいい。やっぱり、過信して無理な旅程を組んでしまったのかもしれない。
と思っていたら、夕方、モーリスから夕食に誘われた。
一瞬だけ、迷う。
彼は高名な大元帥イヴォン伯爵の御令息で、私は伯爵令嬢とはいえ田舎貴族。
日常の食生活には大きな隔たりがある。
幼い頃、ジャガイモ畑で朝から晩まで精を出して、お腹が空きすぎて、魚のソテーを手づかみで貪り食った事がある。
その頃はうちが貧しい事も、農民の厳しい生活も理解できていなかった。ただ私は、一生懸命働いている人たちを見て、自分もそうせずにはいられなかったのだ。
父は嫌そうな顔をしたけれど、母は教えてくれた。
戦場では、なにがなんでも生き延びなければならない。
食べる事は、命を繋ぐ事。魚はよく加熱し、生水は決して飲んではいけない。
「……」
彼を始めて間近で見たのは、ニザルデルンの夕べ。
数人の部下を伴い、看護婦たちの天幕にわざわざ焼いた猪肉を届けてくれた。
──君たちの働きに、心からの賞賛と感謝を込めて。食べてくれ。
厳しい将軍はその厳めしい表情を崩す事はなかったけれど、看護婦たちは歓声をあげた。なんといっても、肉だ。貪り食った。
「……ま、いいわね」
気を遣うなんて、今更だ。
誘ってくれたのだから、お言葉に甘えて食卓を囲もう。
私のとった宿は、安くもないけれど高くはなく、案の定、迎えに来た彼によって馬車に乗せられて移動した。要人や大使を持成すのにも使われる、街いちばん高級な宿の大食堂へと。
「……」
「痛むか?」
「いいえ」
痛くないとは言わないけれど、そうではない。
なんというか、私は、贅沢しに来たわけではないのだけれど……
殺風景な街の中にこんな煌びやかな大広間が隠されていたなんて、驚きだわ。
「実家がすっぽり入りそう」
「君はときどき、面白い事を言う」
「ありがとう」
楽団の奏でる優雅な旋律に誘われて、つい、指先がぴくりと蠢いた。
彼が隣で、小さく笑った。
「ダンスにはまだ時期尚早というものだぞ、ラヴィルニー」
「あなたのおかげで、その時は思いのほか早く訪れるかも」
「楽しみだ」
傷があるため、彼は背中ではなく腰に手を添えて来た。
他の男なら肘鉄を食らわせ無礼を後悔させてやるところだけれど、私たちは互いを抱え合い、傷口を晒した仲だ。素直に彼の親切に感謝した。
「酒はよしておこう」
「あなたは飲んで」
「いや。君を挑発するのは本意ではない」
私たちは席についた。
炭酸水で割った果実水が運ばれてくる。
「好きなものを腹いっぱい食えと言ってやりたいが、ほどほどにな」
「栄養がついて、ますます回復が早まるわね」
「では、〈ニザルデルンの英雄〉シビル・ラヴィルニーに。乾杯」
「未来の元帥様に、乾杯」
私たちは和やかで素敵な夕食を囲んだ。
まるでおとぎ話のプリンセスにでもなった気分だったけれど、ちょくちょく軍事的な話題を挟んでくるので、とても気を楽にして過ごす事ができた。
戦場は、命を失う事がある。
けれどこうして、素晴らしい親友を得る事もあるのだ。
私は亡き母を想った。
母は善く生き、生き抜いた。
私はその背中を追っている。
迷いはない。
処方された薬が効いてよく眠れるようになり、たった半日しか経ってなのにかなり体調がいい。やっぱり、過信して無理な旅程を組んでしまったのかもしれない。
と思っていたら、夕方、モーリスから夕食に誘われた。
一瞬だけ、迷う。
彼は高名な大元帥イヴォン伯爵の御令息で、私は伯爵令嬢とはいえ田舎貴族。
日常の食生活には大きな隔たりがある。
幼い頃、ジャガイモ畑で朝から晩まで精を出して、お腹が空きすぎて、魚のソテーを手づかみで貪り食った事がある。
その頃はうちが貧しい事も、農民の厳しい生活も理解できていなかった。ただ私は、一生懸命働いている人たちを見て、自分もそうせずにはいられなかったのだ。
父は嫌そうな顔をしたけれど、母は教えてくれた。
戦場では、なにがなんでも生き延びなければならない。
食べる事は、命を繋ぐ事。魚はよく加熱し、生水は決して飲んではいけない。
「……」
彼を始めて間近で見たのは、ニザルデルンの夕べ。
数人の部下を伴い、看護婦たちの天幕にわざわざ焼いた猪肉を届けてくれた。
──君たちの働きに、心からの賞賛と感謝を込めて。食べてくれ。
厳しい将軍はその厳めしい表情を崩す事はなかったけれど、看護婦たちは歓声をあげた。なんといっても、肉だ。貪り食った。
「……ま、いいわね」
気を遣うなんて、今更だ。
誘ってくれたのだから、お言葉に甘えて食卓を囲もう。
私のとった宿は、安くもないけれど高くはなく、案の定、迎えに来た彼によって馬車に乗せられて移動した。要人や大使を持成すのにも使われる、街いちばん高級な宿の大食堂へと。
「……」
「痛むか?」
「いいえ」
痛くないとは言わないけれど、そうではない。
なんというか、私は、贅沢しに来たわけではないのだけれど……
殺風景な街の中にこんな煌びやかな大広間が隠されていたなんて、驚きだわ。
「実家がすっぽり入りそう」
「君はときどき、面白い事を言う」
「ありがとう」
楽団の奏でる優雅な旋律に誘われて、つい、指先がぴくりと蠢いた。
彼が隣で、小さく笑った。
「ダンスにはまだ時期尚早というものだぞ、ラヴィルニー」
「あなたのおかげで、その時は思いのほか早く訪れるかも」
「楽しみだ」
傷があるため、彼は背中ではなく腰に手を添えて来た。
他の男なら肘鉄を食らわせ無礼を後悔させてやるところだけれど、私たちは互いを抱え合い、傷口を晒した仲だ。素直に彼の親切に感謝した。
「酒はよしておこう」
「あなたは飲んで」
「いや。君を挑発するのは本意ではない」
私たちは席についた。
炭酸水で割った果実水が運ばれてくる。
「好きなものを腹いっぱい食えと言ってやりたいが、ほどほどにな」
「栄養がついて、ますます回復が早まるわね」
「では、〈ニザルデルンの英雄〉シビル・ラヴィルニーに。乾杯」
「未来の元帥様に、乾杯」
私たちは和やかで素敵な夕食を囲んだ。
まるでおとぎ話のプリンセスにでもなった気分だったけれど、ちょくちょく軍事的な話題を挟んでくるので、とても気を楽にして過ごす事ができた。
戦場は、命を失う事がある。
けれどこうして、素晴らしい親友を得る事もあるのだ。
私は亡き母を想った。
母は善く生き、生き抜いた。
私はその背中を追っている。
迷いはない。
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