【完結】真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが

入多麗夜

文字の大きさ
9 / 38

将軍ヴァルトロフ

しおりを挟む
 中庭に響く軍靴の音が、夜の静けさを断ち切った。

 整然と列をなす小隊の先頭には、鋼鉄の軍装に身を包んだ男がいた。銀の装飾が肩章を飾り、その目には一分の曇りもない。

 将軍ヴァルトロフ。 ローゼン自治領樹立と同時にこちら側に来た、数少ない歴戦の猛者。   
 今となっては、本家直属の軍を預かる軍事の最高位の役割を担っていた。

 ヴァルトロフが以前に在籍していた彼の王国では、あまりにも有能すぎたせいで、政敵になると恐れられ、冷遇扱いされてきた可哀そうな1人でもあった。


 ルーヴェル邸の玄関前――


 レティシアは、一歩前に進み出て、彼を迎えた。

「ようこそ、将軍閣下。アルンヘルムへ。遠路はるばるありがとうございます」

 彼女の言葉に、将軍は小さく頷く。

「ご健勝そうで、何よりです。“アルンヘルム東部自治州領主、ローゼン殿下”」

 レティシアが一瞬、口元をゆるめる。

「今は“レティシア様”とお呼びいただいております。本家の意を受けてこの地に立つ者として、形式は正させていただきたく」

「なるほど……承知しました。レティシア様」

「どうぞ、中へ。夜風のなかでのやり取りも風情はありますが、今夜は長くなりそうですもの」

 レティシアが一歩、玄関の内側へ身を引くように促すと、ヴァルトロフは無言で軽く頭を下げた。

「失礼いたします」

 将軍が歩を進めようとした、その時だった。彼の背後に控えていた小隊の兵たちは、誰一人としてその場から動こうとしなかった。彼らの視線は周囲に向けられ、まるで警戒しているかのようだった。

 その様子に気づいたレティシアは、軽く眉を上げたのち、やわらかな声で言葉をかける。

「皆様も、どうぞお入りください。この邸は、小隊規模であれば、十分に応接できます。どうか遠慮なさらずに」

 一瞬、将兵たちが視線を交わす。だが、その緊張はすぐに和らぎ、先頭に立っていた副官らしき若い将校が一歩前に出た。

「……ご配慮、痛み入ります。失礼いたします」

 やがて、一行は礼を整えたまま邸内へと足を進めた。

 廊下には、すでに灯がともされ、香を焚いた静かな空気が流れていた。深夜の静寂に包まれた屋敷のなか、足音だけがゆるやかに響く。

 レティシアとヴァルトロフは、並ぶようにして歩く。

「……随分と、立派になられましたな」

 ふと漏れたヴァルトロフの声は、軍人らしからぬ優しさがあった。

「私とお会いになったことが?」

「ええ。まだ貴女が幼かった頃、王都でお母上に拝謁した折、廊下で並んで立っておられた……貴方様が小さな手で、必死に剣の鍔を握っておられたのを覚えています」

 レティシアは目を丸くし、それから苦笑する。

「では、記憶にある“鎧の人”は、将軍だったのですね。……あの頃は剣の重さどころか、言葉の重みすら分かっていなかったと思います」

「……時の流れというのは、時に残酷ですが、同時に立派でもありますな」

 レティシアはその言葉を受け止めるように、一瞬だけ足を止めた。

「お言葉、感謝いたします。……どうぞ、お入りください。今夜は、長い夜になりそうですから」

 彼女が扉を示すと、ヴァルトロフは深く一礼し、応接室へと歩を進めた。

 応接室内は灯が行き届き、深紅の絨毯と調度が柔らかな温もりを醸していた。銀の茶器から立ち上る湯気が、わずかに香を帯びた空気に溶けてゆく。

 レティシアは将軍の向かいに静かに腰を下ろした。

「それで将軍。やはり、他の地域でも……同様の被害が出ているのですね?」

 ヴァルトロフは頷いた。その目には、戦場帰りの兵のような疲れがうっすらと浮かんでいた。

「はい。すでに三州にて“文書消失”が報告されています。内容は限定的とはいえ、いずれも軍政または対外関係に関わるものばかりでした。犯人の手口も共通しており――内部協力者の存在が濃厚と見ています」

「やはり……」

 レティシアの瞳が一瞬鋭さを帯びた。

「そしてこの“アルンヘルム東部自治州”は、現在、本家にとっても最重要拠点の一つです」

 将軍の声には、はっきりとした重みがあった。

「とりわけ、先日締結されたヴァルドリア公国との交易協定。その交渉過程や覚書の控え、草案までがこの地に保管されています。それを盗まれるとなると信用問題にまで陥ってしまうのではないかと考えております」

 レティシアは深く頷いた。ヴァルドリアとの協定は、今後の経済安定を左右する重要な要素である。その裏付けとなる交渉記録が外部に漏れれば、交渉相手の信頼を失うだけでなく、今後の他国との同盟や通商にも悪影響がでかねない。

「交渉の成果を台無しにされるのは、何よりも避けなければなりませんわね。……守りきれなければ、この地に未来はありません」

 応接室には一瞬の静寂が流れた。燭台の火がわずかに揺れる。

 ヴァルトロフは静かに息を吐き、その目を細めた。

「――だからこそ、本家は私を抜擢したのでしょう。内部の事情を見通せる者として」

 言葉の端に、重くも冷静な確信が滲んでいた。

「それに、万が一、犯人が“身内”であったとしても……王国時代からこの地に関わっていた私ならば、見当はすぐにつきます。面影も癖も、まだ身体に染み付いていますからな」

 ヴァルトロフは椅子の背に手を添え、わずかに体を起こす。

 彼はすでに軍人としての顔に戻っていた。背筋を伸ばし、応接室の扉を押し開けると、すでに外で控えていた副官が一礼して近づく。

「隊を文庫室および官吏区前へ展開させろ。各通路は三人一組で配置。不要な灯りは控え、気配の遮断を優先しろ。――逃がすな」

「はっ!」

 副官が駆け足で離れると、ヴァルトロフは一歩遅れて出てきたレティシアの方を振り返った。

 ヴァルトロフは手袋をはめ直しながら、廊下の奥に目を向ける。

「ではそちらの方も」

「はい。カイルは官吏区前を。エディンとミリアは文庫室へ」

 レティシアの声に、皆が頷いた。

 しばしの沈黙のあと、将軍はゆっくりと歩き出す。
 その背を見送りながら、レティシアもまた、一歩を踏み出した。

「……行きましょう」

 玄関の扉がゆっくりと開かれる。夜風が吹き込み、灯の火をかすかに揺らす。 

 そうして、一行は屋敷を後にした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夫「お前は価値がない女だ。太った姿を見るだけで吐き気がする」若い彼女と再婚するから妻に出て行け!

佐藤 美奈
恋愛
華やかな舞踏会から帰宅した公爵夫人ジェシカは、幼馴染の夫ハリーから突然の宣告を受ける。 「お前は価値のない女だ。太った姿を見るだけで不快だ!」 冷酷な言葉は、長年連れ添った夫の口から発せられたとは思えないほど鋭く、ジェシカの胸に突き刺さる。 さらにハリーは、若い恋人ローラとの再婚を一方的に告げ、ジェシカに屋敷から出ていくよう迫る。 優しかった夫の変貌に、ジェシカは言葉を失い、ただ立ち尽くす。

美人な姉を溺愛する彼へ、最大の罰を! 倍返しで婚約破棄して差し上げます

佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢マリアは、若き大神官フレッドとの結婚を控え、浮かれる日々を送っていた。しかし、神殿での多忙を理由になかなか会えないフレッドへの小さな不安と、結婚式の準備に追われる慌ただしさが、心に影を落とし始める。 海外で外交官の夫ヒューゴと暮らしていた姉カミーユが、久しぶりに実家へ帰省する。再会を喜びつつも、マリアは、どこか寂しい気持ちが心に残っていた。 カミーユとの再会の日、フレッドも伯爵家を訪れる。だが、その態度は、マリアの心に冷たい水を浴びせるような衝撃をもたらした。フレッドはカミーユに対し、まるで夢中になったかのように賛辞を惜しまず、その異常な執着ぶりにマリアは違和感を覚える。ヒューゴも同席しているにもかかわらず、フレッドの態度は度を越していた。 フレッドの言動はエスカレートし、「お姉様みたいに、もっとおしゃれしろよ」とマリアにまで、とげのある言葉を言い放つ。清廉潔白そうに見えた大神官の仮面の下に隠された、権力志向で偽善的な本性が垣間見え、マリアはフレッドへの信頼を揺るがし始める。カミーユとヒューゴもさすがにフレッドを注意するが、彼は反省の色を一切見せない。

「犯人は追放!」無実の彼女は国に絶対に必要な能力者で“価値の高い女性”だった

佐藤 美奈
恋愛
セリーヌ・エレガント公爵令嬢とフレッド・ユーステルム王太子殿下は婚約成立を祝した。 その数週間後、ヴァレンティノ王立学園50周年の創立記念パーティー会場で、信じられない事態が起こった。 フレッド殿下がセリーヌ令嬢に婚約破棄を宣言した。様々な分野で活躍する著名な招待客たちは、激しい動揺と衝撃を受けてざわつき始めて、人々の目が一斉に注がれる。 フレッドの横にはステファニー男爵令嬢がいた。二人は恋人のような雰囲気を醸し出す。ステファニーは少し前に正式に聖女に選ばれた女性であった。 ステファニーの策略でセリーヌは罪を被せられてしまう。信じていた幼馴染のアランからも冷たい視線を向けられる。 セリーヌはいわれのない無実の罪で国を追放された。悔しくてたまりませんでした。だが彼女には秘められた能力があって、それは聖女の力をはるかに上回るものであった。 彼女はヴァレンティノ王国にとって絶対的に必要で貴重な女性でした。セリーヌがいなくなるとステファニーは聖女の力を失って、国は急速に衰退へと向かう事となる……。

もうあなた達を愛する心はありません

佐藤 美奈
恋愛
セラフィーナ・リヒテンベルクは、公爵家の長女として王立学園の寮で生活している。ある午後、届いた手紙が彼女の世界を揺るがす。 差出人は兄ジョージで、内容は母イリスが兄の妻エレーヌをいびっているというものだった。最初は信じられなかったが、手紙の中で兄は母の嫉妬に苦しむエレーヌを心配し、セラフィーナに助けを求めていた。 理知的で優しい公爵夫人の母が信じられなかったが、兄の必死な頼みに胸が痛む。 セラフィーナは、一年ぶりに実家に帰ると、母が物置に閉じ込められていた。幸せだった家族の日常が壊れていく。魔法やファンタジー異世界系は、途中からあるかもしれません。

何か、勘違いしてません?

シエル
恋愛
エバンス帝国には貴族子女が通う学園がある。 マルティネス伯爵家長女であるエレノアも16歳になったため通うことになった。 それはスミス侯爵家嫡男のジョンも同じだった。 しかし、ジョンは入学後に知り合ったディスト男爵家庶子であるリースと交友を深めていく… ※世界観は中世ヨーロッパですが架空の世界です。

婚約者様への逆襲です。

有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。 理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。 だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。 ――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」 すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。 そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。 これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。 断罪は終わりではなく、始まりだった。 “信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

処理中です...