とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜

文字の大きさ
3 / 25

冷めゆく紅茶

しおりを挟む
 王都の朝は、薄曇りだった。
 夜半の雨で石畳は黒く濡れ、行き交う馬車の車輪が泥を跳ねる。
 その鈍い音が、やけに静かな邸内に反響していた。

 セリーヌ・リュミエールは、朝の書斎で一通の報告書に目を通していた。
 淡く香るのは、紅茶ではなくインクの匂い。

 そこに記されていたのは、たった二行の文だった。
 
 エインズワーズ家、取引停止とバートン家、連盟より支援解除。

 それは報告書というより、死の宣告のようは通知であった。

 セリーヌは手を止め、短く息を吐いた。

 窓の外では、曇天の光が灰色の庭に落ちている。

 彼女にとってこれは“復讐”ではない。
 あの日、契約が壊れた瞬間にすべては決まっていた。
 ――取引が終わった。ただ、それだけのこと

 扉の外から、ノックが響いた。
 
「お嬢様、リリア・バートン様が面会を希望されています」

 セリーヌのまつげがわずかに動く。
 
「理由は?」
 
「お詫びを申し上げたいと」

 セリーヌは報告書を閉じ、机の上に静かに置いた。その仕草だけで、答えはもう決まっているようだった。

 「……そう。では、紅茶を淹れてちょうだい。
 わたくしが飲み終えるまでの間だけ、お相手してさしあげるわ」

 
 ●
 
 
 温室には、夜明けの名残がまだ漂っていた。
 水滴を含んだ薔薇がわずかに首を垂れ、光を吸い込むように静まっている。
 磨かれた床石に映る二つの影――セリーヌと、リリア・バートン。

 リリアは両手を胸の前で組み、震える指先を隠すように立っていた。
 
「……お時間をいただき、ありがとうございます」
 
 声は細く、どこか擦れている。

 セリーヌは対面の椅子に腰を下ろし、紅茶を注いだ。
 琥珀色の液体がカップに満ちる音だけが、会話の代わりに響く。
 
「構いませんわ。私の茶が冷めるまでは」

 リリアはその意味を理解し、唇を噛んだ。
 
「わたくし……どうしても、お詫びを申し上げたくて」

「お詫びを?」
 
 セリーヌは紅茶の香りを確かめるように目を伏せた。
 
 湯気が薄れ、静かな空気の中で声だけが聞こえる。
「では、お尋ねしますわ」
 
 ゆっくりと顔を上げる。灰青の瞳が、真正面からリリアを射抜いた。

「何を詫びるつもりなのかしら? 裏切りを? それとも、立場の損失を?」

「そ、そんな……!」
 
 リリアの唇が震える。

「……わたくしは、ただ――」
 
 リリアは必死に言葉を探した。
 
 セリーヌは微動だにせず、その様子を見つめていた。

「“ただ”――ね」
 
 セリーヌがゆっくりと紅茶を口にした。

「責任を逃れる人は、決まってそう言います。“ただ、仕方がなかった”“ただ、そうするしかなかった”――けれど、選んだのはいつだって本人なのですよ」

 リリアの頬が引きつる。
 視線を落としたまま、握った手が白くなる。
 
「……違うんです。わたくしは……信じていたのです、アルフレッド様を」

 「信じていた?」
 
 セリーヌはわずかに笑った。
 その笑みは、哀れみすらも帯びていた。
 
「いいえ、あなたが信じていたのは――“自分が愛されている”という幻想ですわ。彼の誠実も、わたくしの信頼も、あなたにとってはただの飾りだったのでしょう」

 「そんな……わたくしは、そんなつもりじゃ――!」
 
 「ええ、そうでしょうね」
 
 セリーヌの声が重なった。

 「“そんなつもりじゃなかった”。でも、壊してしまったのは事実なのですよ」

 リリアは息を詰まらせ、椅子の縁を掴んだ。
 爪が震え、かすかな音を立てる。
 それでもセリーヌは一歩も動かない。

「あなたが壊したのは、わたくしの婚約でも名誉でもないわ」

 静かな声が、薄曇りの朝に溶けていく。
 
「“信頼”よ。一度失えば、どんな愛でも取り戻せないもの」

 リリアの視界が滲む。
 けれど、涙を流すことはできなかった。
 その資格さえ、もう自分には残っていないと悟っていたから。

 セリーヌは立ち上がり、視線を一度だけリリアに落とした。
 
「――もう、よろしいですわね。紅茶が冷めてしまうわ」

 それだけを告げて、彼女は扉へと向かった。
 背を向けたまま、声の温度だけがわずかに変わる。

「あなたのために言っておきます。後悔は、誰にも聞こえないところでするものですわね」

 扉が閉まる音が響き、温室は再び静まり返った。

 リリアの前には、もう誰もいない。
 冷めた紅茶の表面に、震える涙の粒が落ちた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋
恋愛
銀髪紫眼の美貌の侯爵令嬢、マリーローズ。 完璧な淑女に育った彼女だったが、母は捨て子ジュリエットを寵愛。 婚約者の公爵家嫡男アレックスも、友人も、次々に奪われる――。 家族に裏切られ、すべてを失った彼女が下した決断は、 家族を見かぎり、国を捨て、自らの人生を取り戻すこと。 理不尽な悲恋を力に変え、運命をひっくり返す令嬢の逆転劇! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

〖完結〗お飾り王妃は追放されて国を創る~最強聖女を追放したバカ王~

藍川みいな
恋愛
「セリシア、お前はこの国の王妃に相応しくない。この国から追放する!」 王妃として聖女として国を守って来たセリシアを、ジオン王はいきなり追放し、聖女でもない侯爵令嬢のモニカを王妃にした。 この大陸では聖女の力が全てで、聖女協会が国の順位を決めていた。何十年も一位だったスベマナ王国は、優秀な聖女を失い破滅する。 設定ゆるゆるの架空のお話です。 本編17話で完結になります。

《完結》初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。

【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~

ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」 義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。 父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。 けれど―― 公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。 王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。 さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。 そして下されたのは――家ごとの褫奪。 一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。 欲しがったのは肩書。 継いだのは責任。 正統は叫びません。 ただ、残るだけ。 これは、婚約を奪われた公爵令嬢が “本当に継がれるべきもの”を証明する物語。

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

お前との婚約は、ここで破棄する!

ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」  華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。  一瞬の静寂の後、会場がどよめく。  私は心の中でため息をついた。

婚約破棄?悪役令嬢の復讐は爆速で。

八雲
恋愛
「リリム・フォン・アスタロト! 貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの最中、婚約者である王太子エリオットから身に覚えのない罪を突きつけられた公爵令嬢リリム。隣には「真実の愛」を語るマシュマロ系男爵令嬢シャーリーの姿。 普通の令嬢なら泣き崩れる場面――だが、リリムは違った。

処理中です...