とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜

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騒乱の果てに

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 アレスたちが連れていかれてから、もう数日が経っていた。

 街はいつも通りにざわついていて、商人たちの声が朝霧の中に混ざって流れていく。

 今回の事件は、思っていたよりずっと大きかったらしい。
 オックスフォード商会の不正が暴かれたのをきっかけに、監査局も治安局も内部調査を始めたのだが、その結果は予想外のものだった。

 治安局では、局内でも顔が利いていたグレイが拘束され、監査局では、アナスタシアの直属の上司が不正に関与していたことが判明し、連れて行かれたそうだ。

 どうやらリュミエール商会をよく思わない者が、思ったより多かったらしい。
 
 “あそこが目立つのが気に入らない” とか “昔から派閥がどうのこうの” とか、理由は色々あったようだが、どれも子どものケンカみたいなものだった。

 ただ、そのつけは容赦なく現場に回ってきた。

 内部の粛清が続いた結果、監査局も治安局も空前の人手不足に陥った。笑えない程の規模だった。廊下を歩けば、誰もかれもが走り回っていて、会議室は常に満席。どこも回らないのに、仕事だけは山のように積み上がっていく。

 その余波は北地区にも及んだ。

 本来なら、新しい監査体制が整う予定だったが、人手不足を理由にあっさり棚上げされた。
 ただ、ハルベルト商会が暫くの間は見張りを引き受けるということで、表向きの問題は解決したらしい。

 結局、事件そのものよりも、後処理の方がよほど大変だったというのがオチである。

 だがそれでも、街は動いている。
 
 新しい人間が入り、古い体制が変わり、穴だらけの仕組みをどうにか繋ぎ合わせながら、日々の業務は続いていく。

 あの日の喧騒も、叫び声も、誰かの裏切りも――
 全部、ほんの少しずつ、街のざわめきに紛れていった。 

 リュミエール商会の書斎に、アナスタシアが現れたのは昼過ぎのことだった。
 
 いつもの元気な様子とは違い、少し疲れた顔をしている。
 
「セリーヌさん、お邪魔します……」
 
「どうぞ。お疲れのようね」
 
 セリーヌは椅子を勧め、紅茶を淹れた。
 アナスタシアは椅子に座ると、大きくため息をついた。
 
「もう、大変なんですよ!監査局、今めちゃくちゃなんです!」

「確か……貴方の所からも何人か連れて行かれたのよね」
 
「はい……私の上司が。まさか、あの人まで不正に手を染めていたなんて」

 アナスタシアは紅茶を一口飲んで、続けた。
 
「上がいなくなって、私たち若手に仕事が全部回ってきて。書類の山、会議の連続、クレーム対応……もう、寝る時間もないくらいですよ~」

 アナスタシアは紅茶を飲み干すと、テーブルに額をつける勢いで項垂れた。

「……もう、誰でもいいから助けてほしいです。ほんとに」

「そうね」

 セリーヌはその言葉に苦笑し、しばらく黙っていたが、ふと何かを思い出したように指を軽く打った。

「……そういえば、ひとつ提案があるのだけれど」

 アナスタシアが顔を上げる。

「提案、ですか?仕事手伝ってくれるとかです?」

「いいえ、それとは別の話よ」

 セリーヌは紅茶をひと口飲み、落ち着いた声で続けた。

「そういえば――ハルベルト商会のオルグさんと、とある“約束”をしたことを話したかしら?」

 アナスタシアは眉を寄せた。

「あぁ~……なんかそんな話、前に聞いた気がします。えっと……『今度、何かあったら力になる』とか、そんな感じのですよね?」

「ええ。それよ」

 セリーヌはわずかに口元を上げた。

「その件なんだけれど、彼が提示してきた条件が
 南部の海洋都市《ソルティナ》のお手伝いなのよね」

「……えっ?ソルティナって、あの?あの!!」

 アナスタシアが椅子から浮き上がりかける。

「めちゃくちゃ有名な観光都市じゃないですか!
 海が綺麗で、食べ物が美味しくて、催しが多くて……って、なんでそんなところに?」

「南部の大規模な商業区画の再編が進んでいて、その監査と調整役がどうしても足りないらしいの。オルグさんから“信頼できる外部の人材が欲しい”って頼まれたのよ」

 アナスタシアは瞬きした。

「……それ、すごい話じゃないですか?その辺りの管理って、普通はベテランがやるような仕事で……」

「だからこそ、人手不足で困っているのよ。幾ら発展しているとはいえ、新興都市だからまだまだなのよね」

 アナスタシアは、少し真剣な顔になった。

「で、セリーヌさんが向かうんですか?」

「もちろん行くわ。でも――」

 セリーヌは視線をアナスタシアに向けた。

「私は、あなたも連れて行けたらいいと思ってるの」

「…………え?」

 アナスタシアは固まった。

「えっ、ちょっと待ってください。それって……誘ってるんですか?私を?」

「ええ、そう言ったわ」

 アナスタシアは両手をわたわたさせるように振り、言葉を探す。

「え、ええええ……!? いや、だって……だって私、今の局の仕事も山積みで、呼び戻されたら断れないだろうし、というかそもそも私なんかが関われるような器じゃ――」

「落ち着いて」

 セリーヌは静かに言い、ふっと微笑んだ。

「あなた、案外過小評価しすぎよ」

「……そんなこと、初めて言われました」
 
「本当のことよ。あなたは現場をよく知っているし、状況を把握する冷静さがある。それに、あなたの正直さはどこへ行っても評価されるわ。オックスフォード商会の件でも、あなたにはだいぶ助けられたもの」

 アナスタシアは言葉を失い、目をぱちぱちと瞬かせた。

「……ほんとに、連れて行くつもりなんですか?」

「本気よ。もちろん、あなたが行きたいと思ってくれたら、だけれど」

 アナスタシアは膝の上に視線を落とした。

「……行ってみたい、かも。王都じゃ絶対に経験できない仕事でしょうし……景色も、人も、文化も、全部違うんですよね。それに……私……」

 そこまで言って、アナスタシアはふっと笑う。

「何より、“長期出張”っていう名目で、堂々と逃げられるじゃないですか。あの地獄みたいな書類の山から」

 セリーヌは吹き出しそうになった。

「動機は不純でも、私は歓迎するわ」

 アナスタシアは深呼吸し、椅子の背にもたれかかった。

 アナスタシアは苦笑しながら、深呼吸して椅子の背にもたれた。

「……でも、本当に私が行っていいんですか?
 なんか……夢みたいというか、現実味なくて」

 セリーヌは肩をすくめる。

「不安なら、向こうで私が全部教えるわ。それに大した仕事が多い訳じゃないし、気楽にしていいわよ」
  
 セリーヌの穏やかな声に、アナスタシアはしばし瞬きをした。
 その表情に、ほんの少しだけ迷いが残っているのがわかる。

 だが次の瞬間、その迷いは――勢いよく吹き飛んだ。

「……なんか、そう言われると……」

 アナスタシアは突然ピシッと背筋を伸ばし、拳を握った。

「行ける気がしてきました!!いや、違うな……もう行きたいです!行きます!!」

 書斎の空気が一気に明るくなる。
 
「ふふ、それなら決まりね」

「はいっ!どうせ悩んでも、仕事の山は減らないですし!だったら海の見える場所で仕事する方が絶対いいですし!むしろ人生で一度くらい、大冒険してもバチ当たらないですよね!!」
  
「その意気よ」

 アナスタシアは勢い余って立ち上がる。
 椅子がわずかに軋んだが、そんなことは気にも留めない。

 彼女が荷物をまとめる気満々で扉に向かいかけたその時、セリーヌが声をかける。

「アナスタシア」

「はいっ?」

「――一緒に行けて、嬉しいわ」

 その一言に、アナスタシアの動きが止まり、後ろへ振り返った。

 アナスタシアはぱちんと瞬きをし、目を大きく見開いた。
 しかし次の瞬間には、その表情が一気に明るくなった。

「……私もです!セリーヌさんと一緒なら、どこに行っても楽しいですから!!」

 その無邪気で真っ直ぐな言葉に、セリーヌは小さく肩を震わせて笑った。
  

 こうして、混乱の王都を背に、二人は新しい海の都市へ向かう準備を始める。

 激動の事件は終わりを告げ、街のざわめきはゆっくりと日常を取り戻していく。

 しかし、セリーヌとアナスタシアの新しい物語は、ここからまた動き始めるのだった
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