5 / 62
嬉しい
しおりを挟む「うまいっ」
「美味しい……」
二人の素朴な賞賛に、城で働き始めてから疲弊していた心に沁みた。
「あ……嬉し……」
言葉が詰まった。喉の奥がひっかかって、目の周りが魔力が循環されたかのように熱くなった。
酷い環境と人間関係に弱ってたところに、優しい言葉は駄目だ。
涙は堪えたけど、声が震えてしまった。
「君……」
一度顔を横に振って、気持ちを立て直した。美味しいと言っただけで泣かれても困るだろう。いい大人が、こんな些細なことで泣きたくもない。
「ラズ・マフィンです。助けてくれてありがとうございました。俺、仕事にもどりますね」
お仕着せの腰から下のエプロンを外して粉々になったグラスの欠片を風ですくい、エプロンでくるんで纏めてトレーの上に載せた。
「ラズ、魔法を使うの上手いじゃないか。どうして下級使用人なのかな。中級使用人ではないの?」
ウィス様は不思議そうな顔でトレーの上を見つめた。この人も貴族だと思うので様付けにしよう。家名はなんだろう。わざわざ下級使用人に名乗ったりしないだろうし、困ったな。
「俺、孤児院育ちなんです。城での身元引受人は孤児院長で、下級使用人にしかなれないんです」
中級使用人から魔法を使える者が少し増える。知っている範囲で、魔法の使える下級使用人はラズの他にはいない。
「朝からやってた仕事は何だ? 魔力は少ないみたいだが、枯渇するほど疲れさせるなんて監督不行き届きだぞ」
団長は率いる立場の人間だからか気になったようだ。
「パーティーで使うグラスや皿を洗って乾かして、運んでいたんです」
「それでうろうろしてたのか」
どうやら本当に見られていたらしい。
「もしかして、洗って乾かすのは魔法ですか」
「ええ。人手が足りないらしくて。魔法だと一人で沢山できるから」
「ウィス、私にはわからないんだが、魔法でグラスを洗う? 乾かす? って……出来ることなのか?」
「俺、魔力が少ないから……」
「そんなこと、出来ませんよ! 魔法でそんな繊細なことやってたらこっちの気が触れます」
この人達は騎士だ。悪く言えば脳筋。叩きつけることはできても、グラスを洗うのは無理かもしれない。
「ラズ、と言ったな。とりあえず、今日の仕事は終了だ。そうでないと死ぬかも知れないぞ」
団長はそう言って、俺の頭をポンポンと叩いた。知り合ったばかりの下級使用人にするようなことじゃない。優しいだけでなく、気さくな人みたいだ。
「いえ、いつものことなので。クッキーさえ食べればなんとかなります」
これは誇張でもなんでもなく、本音だ。
「ウィス、これは団長命令だ。ラズを騎士団に勧誘してこい。私が行きたいが、陛下を待たせているからな……」
まさか国王陛下を待たせている? ラズは聞き間違いだろうと思った。
「ラズが青くなってますよ」
「ラズ、このクッキーをもっと食べたい! 引き抜くぞ。嫌じゃないな?」
団長はウィス様の言葉も聞いていなかった。
もちろん、嫌なはずがない。クッキーをもっと食べたいと言ってくれたことが嬉しかった。どこに引き抜かれるのかもわからず頷いてしまうほどに。
どうせあそこにいたらグラスの弁償だけですまないだろう。下級使用人なのに魔法を使えるのが気に入らないのか、同僚達からは目の上のたんこぶみたいな存在として扱われている。仕事のしすぎで魔力枯渇による死亡が現実になりそうだ。
団長と別れて、ウィス様を上司の下に連れて行くことになった。
56
あなたにおすすめの小説
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
新年に余り物でおせちを作ったら、冷酷と噂の騎士団長様に「運命の番」だと求婚されました
水凪しおん
BL
料理人だった俺が転生したのは、男性オメガというだけで家族に虐げられる不遇の青年カイ。
新年くらいはと前世の記憶を頼りに作ったのは、この世界にはない『おせち料理』だった。
それを偶然口にしたのは、氷のように冷酷と噂される最強の騎士団長リアム。
「お前は俺の運命の番だ」
彼の屋敷に保護され、俺の作る料理が彼の心を溶かしていく。
不器用で、だけどまっすぐな愛情を注いでくれる彼と、美味しい料理で紡ぐ、甘くて温かい異世界スローライフ。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
-----------------------------------------
0時,6時,12時,18時に2話ずつ更新
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ぼくの婚約者を『運命の番』だと言うひとが現れたのですが、婚約者は変わらずぼくを溺愛しています。
夏笆(なつは)
BL
公爵令息のウォルターは、第一王子アリスターの婚約者。
ふたりの婚約は、ウォルターが生まれた際、3歳だったアリスターが『うぉるがぼくのはんりょだ』と望んだことに起因している。
そうして生まれてすぐアリスターの婚約者となったウォルターも、やがて18歳。
初めての発情期を迎えようかという年齢になった。
これまで、大切にウォルターを慈しみ、その身体を拓いて来たアリスターは、やがて来るその日を心待ちにしている。
しかし、そんな幸せな日々に一石を投じるかのように、アリスターの運命の番を名乗る男爵令息が現れる。
男性しか存在しない、オメガバースの世界です。
改定前のものが、小説家になろうに掲載してあります。
※蔑視する内容を含みます。
クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~
槿 資紀
BL
イェント公爵令息のリエル・シャイデンは、生まれたときから虚弱体質を抱えていた。
公爵家の当主を継ぐ日まで生きていられるか分からないと、どの医師も口を揃えて言うほどだった。
そのため、リエルの代わりに当主を継ぐべく、分家筋から養子をとることになった。そうしてリエルの前に表れたのがアウレールだった。
アウレールはリエルに献身的に寄り添い、懸命の看病にあたった。
その甲斐あって、リエルは奇跡の回復を果たした。
そして、リエルは、誰よりも自分の生存を諦めなかった義兄の虜になった。
義兄は容姿も能力も完全無欠で、公爵家の次期当主として文句のつけようがない逸材だった。
そんな義兄に憧れ、その後を追って、難関の王立学院に合格を果たしたリエルだったが、入学直前のある日、現公爵の父に「跡継ぎをアウレールからお前に戻す」と告げられ――――。
完璧な義兄×虚弱受け すれ違いラブロマンス
ギルド職員は高ランク冒険者の執愛に気づかない
Ayari(橋本彩里)
BL
王都東支部の冒険者ギルド職員として働いているノアは、本部ギルドの嫌がらせに腹を立て飲みすぎ、酔った勢いで見知らぬ男性と夜をともにしてしまう。
かなり戸惑ったが、一夜限りだし相手もそう望んでいるだろうと挨拶もせずその場を後にした。
後日、一夜の相手が有名な高ランク冒険者パーティの一人、美貌の魔剣士ブラムウェルだと知る。
群れることを嫌い他者を寄せ付けないと噂されるブラムウェルだがノアには態度が違って……
冷淡冒険者(ノア限定で世話焼き甘えた)とマイペースギルド職員、周囲の思惑や過去が交差する。
表紙は友人絵師kouma.作です♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる