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40.さよならできなかった、たった一枚のお助け券
しおりを挟む――ある日の夕方。
自宅のインターフォンが鳴って玄関扉を開けた。
風華さんが家の前に立っている。
夕日を浴びている体はやけに眩しくて、額に手をかざした。
「この前は、迷惑かけてすみませんでした。謝らなきゃいけないと思って……」
申し訳なさそうに頭を下げてきた。
私は唇を結んで、首を振る。
「刈谷くんとゆっくり話せましたか?」
「はい。ミナさんのおかげで。……では、失礼します」
風華さんは短く答えて、背中を向けた。
せっかく自分の意思で来てくれたのに――。
「こっ、ココア……飲んでかない?」
その背中に、すかさず声を張り上げた。
「えっ」
「美味しいの……昨日買ったから、一緒にどうかなって」
少し話をしようって言えば良いだけの話。
素直になるって難しい。
風華さんは少しこちらへ顔を傾け、小さく呟いた。
「5分……」
「えっ」
「それ以上の時間は使えませんから」
彼女は淡々とした口調で私の横を通り抜けて、部屋に上がった。
不器用な性格なんだね。
でも、話してくれるんだ――。
すっと肩の力が抜け、ため息がもれる。
キッチンでココアを淹れ、彼女の前のテーブル上に置く。
彼女はカップを取り、フゥフゥと息をかけて飲む。
袖の隙間から、手首に刻まれている傷が見えた。
思わず目が止まる。
「……私の母は、実の兄ばかりかわいがった。自分の存在なんて透明でした」
彼女の言葉が、私の胸の奥にしまわれている過去と繋がった。
「でもそんな過去に縛られていたころ、新しいお兄ちゃんが助けてくれて……」
テーブルに置いてる彼女の手が揺れ、カップがカタカタと鳴る。
顔を見ると、鼻頭が赤く染まっていく。
「嬉しかった。だから、この人を想っていこうって。でも、ミナさんに言われて気づいたんです。これは執着だったってね」
「風華さん……」
「お兄ちゃん、ミナさんの家から帰ってきたときは、優しい顔だった」
風華さんは、スカートの上に拳を叩きつけると、瞳に溜まっていた一粒の涙がこぼれ落ちた。
私はそれを見た途端、喉の奥が締まっていく。
「その手首の傷より、きっと心の傷のほうが深かったんじゃ……」
「傷……気づいてたんですね」
「ごめんなさい。ココアを飲んでるときに見えてしまって」
ココアの湯気が螺旋状に揺れている。私の気持ちのように。
彼女は軽くまぶたを伏せて頷いた。
「でも、風華さんの気持ち、私にもわかります」
その言葉に反応したかのように、ふと目が合う。
「同じように育ってきたから」
冷たい指先で、ココアのカップをぎゅっと握った。
じんわりと伝わってくるぬくもりは、少し熱く感じるほど。
「でも、気持ちを伝えなかった自分も悪かったなって。伝える強さを教えてくれたのは、刈谷くん」
一枚の”お助け券”。
あれさえなければ、今も私は――。
「だから、心から感謝してるんです」
「……孤独なのは、私だけかと思った」
母親への愚痴をためこんで、クラスメイトに冷やかされた。
自分の気持ちなんて二の次。
勝手に苦しんで、勝手に泣いてた。
そんな私が強くなれたのは――。
「では、5分経ったので失礼します」
風華さんは席を立った。
時計を見ると、きっかり5分に。
「ね、ねぇ……もう少し、話さない?」
少しわかり合えたような気がしたので、引き止めたけど――。
「ライバルなんで、一緒にいたくありません」
彼女は冷たい目で、きっぱりと言いきる。
「……ライバル? どういうことですか?」
きょとんとしたまま、首を傾けた。
風華さんは鼻で笑い、再びカップに指をかけて、ココアを一口飲んだ。
「……気づいてないんですか? 恋じゃなくても、お兄ちゃんのことが好きなんですよ?」
「それはわかってるけど……ライバルって?」
聞くと、風華さんの顔が引きつっていくのがわかった。
「うっわ、鈍感。こんな人、マンガ以外にも存在するんだ……」
鼻で笑われ、私の心の中が濁った。
彼女は背中を向けて三歩あるき、ボソッと呟いた。
「いいこと教えてあげます。お兄ちゃん、いま紗穂さんと会ってますよ?」
「えっ!」
胸がドキンと弾んだ。
「スケジュールアプリを見たんです。最近二人は、結構会ってました。……そろそろ、告白されるんじゃないかな」
「そ、そんな……」
刈谷くんたちが二人で肩を並べて歩いていたあの日を思い出すと、目線が泳いだ。
紗穂さんが、刈谷くんに告白?
もし、告白がうまくいったら、二人は恋人に。
そうなったら、もう二度と刈谷くんと二人きりの時間は過ごせなくなる。
そんなの、嫌――。
「いまどんな気持ちですか?」
「よく……わかんないけど……、胸が苦しいというか――」
風華さんはふっとため息をついて、目線を外した。
換気扇の音が、私たちの間を通り抜けていく。
彼女は、スカートのポケットからお助け券を出して、私に向けた。
「こっ、これは」
「お兄ちゃんがミナさんにあげたけど、自分のために使ったって言ってた。それを私に使ってきたの」
雨の日、風華さんが居なくなって、刈谷くんが辛そうにしてたから。
使うなら、あのときしかなかった。
「あのときは、刈谷くんが辛そうだったから……」
「ばっかじゃないの?」
風華さんは突然声を張り上げる。
「えっ」
「こんな物に頼ってないで、早く自分の気持ちに気づきなさいよ」
私にハイと、お助け券を突き出した。
相変わらずヨレヨレの手触り。
胸を熱くなって、指先が震えた。
「自分の気持ち……って、よくわかんなっ」
「使うかどうかは、ミナさんが自分で決めてくださいね。これで、今回の件はチャラにして下さい」
もう二度と戻ってこないと思っていたのに……。
お助け券に目線を落とす。
風華さんは背中を向けて歩いた。
2歩先で止まり、背中越しに言う。
「お兄ちゃんは絶対に渡しませんよ」
びっくりして見上げると、その背中は凛としていた。
「…………傷つけた場合は、ね。では、失礼します」
彼女は扉をぱたんと閉め、私はお助け券を手に取ったまま取り残された。
「自分の……気持ち、か」
お助け券の重みを肌で感じ、小さくため息をついた。
もし刈谷くんが紗穂さんと恋人になったら、このお助け券は二度と出番がない。
それに、頼ってばかりじゃダメ――終わりにしないと。
「いままで、ありがとう……」
震えた声のまま、紙を両手でつまんだ。
右手を引いて、破ろうとした。
でも、指が先に進まない――。
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