10000回ループした破滅令嬢は吹っ切れて脳筋になりました ~破滅フラグ? 全部物理で解決します~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】

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第26話 生死を賭けた懸垂

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「ふふ、どう? アレクシス。気合が入ったでしょ?」

 レオナの軽やかで楽しげな声が、澄み渡る空へと響いた。

「し、死ぬ! 落ちたら死ぬぅ!」

 悲鳴混じりの叫びが、それに続く。

 高台から突き出した細い棒。そこに必死でしがみついているのは、王太子アレクシスだった。指が棒を握る力は限界に近い。汗がじっとりと手のひらを濡らし、いつ滑り落ちてもおかしくない。

 下を見れば、視界いっぱいに広がる遥かな地面。その高さは尋常ではなかった。

 この手を離せば――即、死。

「お前、俺が王太子と知っての狼藉か!?」

 アレクシスは必死の形相で叫んだ。

「もちろん知っているに決まっているじゃない」

 レオナは涼しい顔で答える。

 アレクシスの額には汗が滲んでいた。心臓の鼓動が、さっきからうるさいほど耳に響いている。

「というか、その口調は何だ! いくら婚約者だからといって、王太子にタメ口など……!!」
「今さら?」

 レオナがくすっと笑う。

「アレクシスなんかに敬語を使いたくないの。まあでも……ふふっ」

 小さく笑う彼女の声が、風に乗って涼しげに響いた。絶体絶命の状況にいるアレクシスの悲鳴を、心から楽しんでいるかのような声音だった。

「何がおかしい!?」
「未だに婚約者と思っているのね」

 レオナが、少し小首をかしげながら言う。

 その仕草が、妙に自然で――そして、意地悪なほど無邪気だった。

「ちょっと気持ち悪いけど……可愛くもあるわね」
「なっ!?」

 アレクシスの顔が、一瞬にして真っ赤になる。

 怒りによるものか、それとも別の感情によるものか。

 彼自身にも、それは分からなかった。

「さあ、動きなさい。懸垂100回まで、あと50回だったかしら? できたらそこから助けてあげる」
「そんな無茶な! 俺は王太子だぞ! 戦士ではないのだ!」
「王太子ならそれくらいできなくてどうするの? 国を背負う者が、自分の体もまともに支えられないようじゃ話にならないわ」
「くっ……!」

 アレクシスは歯を食いしばる。腕はすでに悲鳴を上げているが、ここで止まれば命がない。選択肢はただ一つ――やるしかない。

「あと50回だな……絶対にやってやる……!」

 アレクシスは歯を食いしばり、腕を引いた。上腕が悲鳴を上げ、汗が手のひらを湿らせる。風が吹き抜け、彼の体を冷やすどころか、むしろ寒気を煽るかのようだった。

 だが、やるしかない。落ちれば死ぬ。それに、彼女の前で情けない姿は見せたくなかった。

「51……52……っ!」

 生死の危機があるからか、普段以上に力が出る。信じがたいことに、彼は99回にまで到達してみせた。

「あと一回……!」

 呼吸は荒れ、視界が霞む。腕の感覚はほとんどなくなり、まるで己の体ではないかのようだ。それでも――

「意外にやるじゃない。見くびっていたわ」

 彼女が悠然と声をかける。アレクシスはまともに返事をする余裕もなかった。

「……っ、ぜぇ……ぜぇ……」

 肺が焼けるように痛む。肩も肘も爆発しそうだ。

「最後の仕上げよ! 負荷を追加してあげる!!」

「はぁ……? な、何を――」

 懸垂の鍛錬において、負荷の追加。それはすなわち、重りを増やすということ。

 しかし、ここは塔の頂上。まともな重りなどあるはずもない。

 ならば、どうするか――

「えいっ!」

 その瞬間、彼の背中に何かが飛び乗った。

「!?!?!?!?」

 アレクシスの目が白黒する。

 それも当然だ。懸垂で腕が限界を迎えようとしているまさにその瞬間、レオナが塔の頂上から跳躍し、アレクシスに飛びついてきたのだから。

「さあ、最後の追い込みよ! 私の体重も追加!! ラスト一回!!」

「ちょっ……!? おまっ……!!?」

 アレクシスが声にならない悲鳴を上げる。

 自分の体重だけでも苦しいというのに、さらにレオナの体重が加わったことで、腕が悲鳴を通り越して絶叫していた。

「お、おい!! 本気で言ってるのか!? 俺はもう――!!」

「ほら、王太子殿下なんだから、こんなことで音を上げないでちょうだい?」

「くぅぅぅぅぅ!!」

 気力だけで耐えようとするアレクシス。しかし、もはや指の感覚すらなくなっていた。

 そして――

「――っ!!!」

 次の瞬間、アレクシスは顔を真っ赤に染めたまま、ついに手を離してしまった。

「わっ!?」

 二人の身体が、一瞬の浮遊感の後――

「うわあああああ!!!」

 叫びとともに、塔の頂上から真っ逆さまに落下していく。

 眼下には硬い地面。避ける暇などない。

 そして――

 ドゴオオン!!

 派手な音を立てて、アレクシスとレオナは地面に激突した。

 土煙が舞い上がる。衝撃があまりにも大きく、辺りの小鳥が一斉に飛び立ったほどだ。

 しばらくの沈黙が流れ――

「……あちゃぁ……ちょっと無理があったかしら?」

 レオナが煙の中から顔を出した。

 その傍らには、ぴくりとも動かないアレクシスがいた。

 目は虚ろ、口は半開き。魂が抜けたような顔をしている。

「…………」

 土煙がゆっくりと晴れていく。

 仰向けに倒れたまま、アレクシスは虚ろな目で空を見上げていた。身体のあちこちが痛み、まるで全身が岩になったかのように動かない。

「アレクシス、生きてる?」

 レオナが覗き込んでくる。その顔はどこまでも無邪気で、罪悪感の欠片も感じられない。

「なんとか……な……」

 かすれた声でようやく返事をする。

 あの高さからの落下。常識的に考えれば即死してもおかしくないが、奇跡的に命は助かっていた。もっとも、奇跡の理由は間違いなく――

「まあ当然よね。私が鍛えてるんだもの。自然落下ぐらいで死ぬはずがないわね」

「…………」

 その一言に、アレクシスは思わず遠い目をした。

 いや、どう考えても普通なら死んでいるはずだ。というか、そもそもこんな鍛え方があるか!?

 レオナが無傷なのはいつものことだ。訓練と称して彼女に振り回される日々。理不尽すぎる負荷。

 そして、結果として生き残った自分は――

「……いや、俺もおかしくなってきたのか……?」

 思考がまとまらないまま、アレクシスは深くため息をついた。

 そんな彼の様子を見て、レオナはにっこりと笑う。

「仕方ないわね! こうなったら今日は切り上げてあげる。でも……」

 レオナの声音が、ほんのわずかに楽しげなものへと変わる。

 次の瞬間――

 彼女の瞳が、鋭く光った。

 そのわずかな変化を見逃さなかったアレクシスの背筋に、凍りつくような悪寒が走る。

 これは……危険だ。長年の経験から、彼は悟った。レオナがこういう表情を浮かべたとき、それはすなわち――さらなる地獄の幕開けを意味している。

「明日から、もっと厳しいメニューでガンガン鍛えるから! そのつもりでね!」

「なっ!?」

 アレクシスは思わず身を起こし、声を裏返らせた。

 ――もっと厳しい? これ以上の訓練が、まだあるというのか?

 信じたくなかった。いや、信じたくなかったというより、理解が追いつかなかった。

 今日の訓練だって、尋常ではなかったはずだ。高台から突き出た棒にぶら下がらされ、命がけの懸垂を強いられ――挙句の果てにはレオナが飛び乗ってきて、そのまま地面に叩きつけられる始末。

 常識的に考えれば、これだけでも十分すぎるほど狂気じみた特訓だった。

 それなのに――

「甘えは許さないわ!」

 レオナの声が、まるで雷鳴のように響く。

「死にたくなければ、死ぬ気でついてきなさい!」

 それはまるで、軍隊の号令のようだった。

「ぎっ……ぎゃああああああ!!!」

 アレクシスの絶叫が、澄み渡る空へと吸い込まれていく。彼の悲鳴をかき消すように、涼やかな風が吹き抜けた。

 闇の極大魔法の完成まで、あと五か月と三週間。その日を迎えるまで、彼の肉体と精神が無事である保証は、どこにもなかった。
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