嘘はいっていない

コーヤダーイ

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31甘い朝

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「………ふふっ」

 腕の中に抱いて寝ていたラミが唐突に笑い出したので、マティアスは閉じていた目を開けてラミを見る。よく言う寝言のひとつかとも思うが、幸せそうにむにゃりと笑う寝顔を見るのも気に入っている。
 ふと目を開けたラミと目が合えば、サキがようやく幸せになったよーと告げられた。

「……そうか」

 それはおそらくムスタと結ばれたということだろう。一抹の寂しさとサキを祝福する気持ちが同時に沸き起こる。これからは何かあってもサキが頼るのは自分ではなくムスタになるのだろう、飛びつくように抱きついてくることはもうなくなるのだ。

「マティアスおいで?」

 マティアスは誘われるままにラミの腕の中に包まれ、その胸に頬をつけ目を閉じた。頭の上でラミが歌を歌っている。まどろんで意識が落ちる瞬間、最後までずっと一緒にいるからねと小さな声が聞こえてきてマティアスは片頬を上げた。





 翌朝エーヴェルトへの報告を済ませ、サキの元へ様子見に行くというクラースが持っていくものがあれば、とマティアスの館を訪れた。カティがいそいそと出てきて、サキ坊ちゃまへと大きな籠を預けられる。
 着替えと食べ物が詰まった籠を手にすると、執事のネストリがムスタ様のご衣裳はございますかと尋ねてきた。そういえば服のことなど忘れていたと言えば、よろしければこちらに勝手ながらご用意がございますと紙袋を渡された。
 
 マティアスは今からエーヴェルトと会う予定になっているので、サキのところへ一緒には行けないが何か言付けがあれば頼むと言いおいて、転移で飛んでいってしまった。
 
 クラースが出ようとすればキーラが小走りにやってきて、私もサキ兄さまのところへ行きますと言う。王家の領地内とはいえ、徒歩で行くとずいぶん歩く場所にあるし何より森の奥である。遺跡の地下は暗くて小さな女の子には怖い場所であろうと断れば、キーラは頬をぷっと膨らませた。

「わたし小さな女の子ではないです、もう8歳ですもの。暗いところも平気でしてよ」
「うーん、キーラがレディだとしたら尚更婚約者以外の男と二人きりで出かけるのは不味いでしょ」
「それもそうですわね、わかりました。イェルハルドと共に参ります」

 クラースが答える暇なく既にいくつもの魔法を扱えるキーラが、伝魔法でイェルハルドへと渡りをつける。流石マティアスの娘というかサキの妹というか、とにかくこの家族は行動力に溢れている。
 イェルハルドとの婚約時にはキーラフィーバーを王都に巻き起こした愛らしさはもちろん健在で、家族は揃ってキーラに甘い。キーラの頼みを断るなぞできるのはクラースくらいではないだろうか。

 やがてイェルハルドがキーラを迎えにやって来て、キーラとイェルハルドとクラースという三人で森の奥の遺跡を目指すことになった。キーラが根を上げればイェルハルドが転移で戻れるので安心であろう、とクラースは前を歩く二人を眺めつつ歩いた。
 キーラがもう少し成長すれば間違いなく唯一無二、絶世の美女美男カップルであろう。今は20歳と8歳という12年の差を気にせず仲良く手を繋いで歩く二人を、クラースは微笑ましく眺める。

 根が真面目で優しいイェルハルドとしっかり者のキーラは、とても似合いの二人である。互いを知り尽くしているからか喧嘩をしているのを見たことがないし、それどころか普段あまり会話がない。
 たまにキーラがぽつりと何か言葉にしイェルハルドがぽつりぽつりと返事を返している。それだけで互いに通じるものがあるのかにこりと微笑みあって幸せそうにしているのだから、見ている方も幸せになってしまう。

 サキの元へ出かけるためにきちんと動きやすい服装と靴でやってきたキーラは、泣き言を口にすることもなく森の奥の遺跡まで歩き通した。三人で灯りを持って祠へと入り地下へと降りていく。梯子のところまでやってくると下から、そこで待てとムスタの声が聞こえた。

 しばらく待てばゆったりとしたパンツを纏ったムスタが匂い立つような、これ以上ない色気を放って梯子を途中まで上ってきた。

「サキはまだ寝ておるから、すまんの」

 ゆるりゆるりと尻尾が揺れているのは、上機嫌の証であろうか。

(これは鼻の利かない俺でもわかるわ)

 クラースはサキが出て来ない理由に思い至り、一人苦笑する。ようやく想いを遂げての朝寝であろう、サキは昨夜泣いたのだろうかと考えながらムスタを見れば、金瞳がどういうわけかクラースを見据えていた。
 クラースがネストリとカティ夫婦から預かってきた紙袋と大きな籠をムスタに手渡すと、クラースだけに聞こえる声でサキに心はないのだなと念を押されてしまった。

「大事には思っていますが、あなたの想いとは全く違います」

 獣人を番に持つと大変と聞いたことがある、想いを遂げたら即嫉妬とはサキもひろきのように苦労するのかもしれない。可哀そうにと思いながらも真面目に答えれば、獣耳がぴくりと動いた。

「サキ兄さまはお寝坊さんですの」
「そのようだね、私たちもまた来ればいい」

 婚約者たちののんびりした会話に、テントからごそりと音がしてサキが出てきたようだった。

「……誰か来ているの?」
「サキ、まだ寝ていてよ「サキ兄さまー」」
「………キーラ?」
「イェルハルドとクラースも一緒に居てよ」

 ごそごそとサキが音を立てて、灯りを持って梯子の下まで歩いてきた。やんわりと明かりに浮かんだサキを見て、目をやったイェルハルドとクラースが息を飲んだ。

(これはマズいだろう……)

 サキの一晩ですっかり変わってしまった様子に、クラースは口を覆い横目でちらとイェルハルドを確認する。イェルハルドは動揺した風には見えないが喉仏がこくりと動いたのが目に入った。

 ラミも美しいし可愛らしい、しかしどうやら大人になったらしいサキはその溢れる色気の質が違った。色っぽい、色香、淫靡、どのような言葉も当てはまりはしない。

(表に出せないだろ、これ)

 祠の地下は確かに陽の光届かず暗い、しかし今は健全な朝である。だというのに灯りに照らされたサキは夜そのものを纏っているかのようだった。

 暗いだけの夜ではない、温かさと安らぎと癒しをもってサキはそこに存在していた。
 なぜか星またたく夜空に抱かれてそこに立っている幻影をサキは見せる。

(神々しい……)

「サキ兄さまなんだか……神々しいわ」

 キーラが思いを口にするのと、クラースが同じことを心に思い描いたのとは一緒だった。

「サキ、身体は大丈夫ですか」

 イェルハルドも気づいたのだろう、サキを気遣うように声を掛けた。

「ん、大丈夫、ありがとう」

 照れ笑いをするサキの表情に、イェルハルドだけでなくキーラまでもが赤面した。
 鋭い眼光を感じて視線をやれば、ムスタの金瞳がクラースだけをじとりと見ていた。

(これは二人一緒にしばらく地下に居てもらった方が、色々と安心だな)

 エーヴェルトへと緊急要報告と心の中で書き付けると、また来るからと言いおいて、クラースはイェルハルドとキーラを促して祠を後にした。





「そんなにすごいの?見に行きたいんだけれど」
「いや、しばらくはそっとしておいた方がいいです」
「あのムスタがねぇ」
「獣人の番ってすごいですね」

 クラースからの報告を得て、エーヴェルトは面白そうに笑った。エーヴェルトは昔から父王の友人として奥の館へと滞在していたムスタを知っているが、常に飄々としているムスタしか見たことがない。

 唯一楽しそうにしていたのはごく最近でイェルハルドの成人式のパーティの時である。そういえばパーティの同伴者は獣耳を付けたサキであったし、サキに鼻を擦り合わせたのも同じ日であったことを思い出せば納得のできる話ではある。

「そうかぁ最初から運命だったのかもしれないね」
「そうなんですかね」

 顔を合わせるたびに無言の金瞳に威嚇されるとぼやくクラースに、威嚇されるようなことしたんでしょう明日も様子見に行ってきてねと笑ってエーヴェルトはクラースを解放した。
 
 明日もあの金瞳に睨まれるかと思うと気が重い、確かに役得ではあったがとクラースは大きくため息を吐いた。今夜は誰かの隣でなければ眠れそうにない、クラースは早々に城を出るとぽつぽつと灯りの付きだした城下街へと下っていった。





 マティアスは朝エーヴェルトと話し合った後、再び北の氷城へとやって来ていた。自身に結界を張りラミに花畑へと連れて行ってもらい、そこから北へと転移すれば魔力の消費も少なくあっという間に目的地へと到着してしまう。
 狼人タルブへ伝魔通信の魔導具で連絡を取り、氷城を破壊する旨を伝える。誰もいなくなればそのうち崩れて消えていくとは思うが、魔族の作った謎の魔法陣や魔法回路などはできれば今後悪用されることのないよう破壊しておきたい。
 白熊族へと確認もとってもらい、双方の希望が一致したのでマティアスが氷城について一任されることとなった。

 帰りに転移を繰り返す必要がないのだからと、マティアスは久しぶりに誰に憚られることなく思い切り魔法をぶち放ち、すっきりとした爽快感を味わったのだった。
 元々氷城のあった場所は深い氷の谷ごと消え失せ、遠くまで見渡せるただの氷の平原と化した。様子を見に行った狼人の斥候の一人がマティアスを見て尻尾を巻いて逃げ出した、という話は狼人たちの間では語ってはいけない話となった。



 

 キーラたちが立ち去ったあと、テントに戻りクッションに身を預けたサキはやはりまだ身体が辛いのかくたりと横になっている。大きな籠と紙袋を手にテントへ戻ったムスタは籠から食べ物を取り出すと、かいがいしくサキの世話をし始めた。
 今まではサキがムスタの世話をやいていた感じであったのが一気に逆になり、尽くされる側となったサキも戸惑っていた。

(ムスタ師匠ってこんなにマメだったっけ?)

 疑問が顔に出ていたのか、ムスタがサキの顔を見て笑う。

「獣人の番については知らぬかの」
「……つがい?」
「ふっ、おいおい説明しよう。まずは食事に」
「はーい」

 カティが作ってくれたのはサンドウィッチだった、燻製の薄切り肉が葉野菜と辛み野菜に挟まれて噛めばじゅわっと口の中に肉汁が溢れた。しゃきりとした野菜を一緒に咀嚼すればぴりりと辛みが追いかけてくる。
 小鍋からカップに注がれ渡された温かいスープが、一口飲み込めばじわりと胃に沁み込む。

「ふあー美味しい」
「サキの料理も美味いが、これもまた美味いのう」
「カティの料理は、何を食べても美味しいんです」
「それは良いことじゃのう」

 朝と昼ご飯が一緒になったような時間に食事を終えて、二人は再びごろりと横になった。今朝は約束していた武術の鍛錬もさらえなかったし、特にやるべきこともないのんびりとした時間である。
 サキが横になればムスタがクッションを寝心地良く整えてくれる。ムスタ師匠と呼べば肩が触れ合うところへと横になってくれるから、サキは遠慮なくその胸へと頭を預けた。
 
 サキを支える腕で肩を優しく撫でられて、こんなに甘やかされて自分はこの先大丈夫だろうかと不安に思ってしまう。

(人を愛するってこんなに不安になることだっけ)

 不安をそのまま口にすればムスタが愛おしそうな顔をして笑った。

「獣人の番にそのような不安は無用じゃ」
「でも僕、獣人じゃないし」

 額にちゅっとキスを落とされてムスタの鼻がすり、と掠める。

「サキは違ってもわしは獣人、番は己の命より絶対ぞ」
「ぼ、僕だってムスタ師匠のことが大事ですっ!」
「ありがとうの、サキ」

 かつて幻影が見せた画を気にしても仕方がない、サキは今だけはムスタの大切な番なのである。己の命ある限り愛すると心に誓い、ムスタはサキに少し休めと言い聞かせた。
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