婚約破棄?望むところですわ!やっと、おやつが食べられますわ!

恋の箱庭

文字の大きさ
12 / 28

12

しおりを挟む
「……お、お、お嬢様! 今すぐ、今すぐその箱を捨ててくださいまし! 屋敷の空気が死んでしまいますわ!」


グラッセ公爵邸の離れに、アンナの絶叫が響き渡りました。


私の目の前には、バルカス鉄鋼王国から届けられた百個の銀色の缶詰。

ボリス将軍が「友情の証」として贈ってくれた、伝説の珍味『シュール・ニシン』ですわ。


「何を言っているの、アンナ。これは北の国の知恵が詰まった、究極の熟成食品なのよ? 確かに少し……いえ、かなり個性的(バイオレンス)な香りはするけれど」


「個性的どころではありません! 庭の鳥たちが次々と気絶して落ちてきているのが見えませんか!?」


確かに、窓の外では小鳥たちが白目を剥いて地面に転がっていました。

しかし、食の探求者たる私に、退却という文字はありません。


そこへ、鼻を洗濯ばさみで挟んだ異様な姿の騎士たちが、ドカドカと踏み込んできました。


「チューナ・フォン・グラッセ! 王宮より緊急の沙汰である! 貴殿が持ち込んだ『毒ガス兵器』により、近隣の住民が避難を開始した! 即刻、その汚物を処分せよ!」


「毒ガス兵器だなんて失礼な! これは食べ物ですわ!」


「食べ物が空を飛ぶ衛兵を叩き落とすわけがあるか! ジュリアン殿下もお怒りだ、今すぐ王宮へ出頭せよ!」


私は、愛おしい缶詰たちをワゴンに載せ、意気揚々と王宮へ向かいました。

もちろん、逃げ惑う人々をかき分けながらです。


王宮の広場では、ジュリアン殿下が防護服のような重装備に身を包み、拡声器を手にして叫んでいました。


「チューナ! 貴様、ついに正体を現したな! 食欲を隠れ蓑にして、我が国を異臭で滅ぼそうとするテロリストめ!」


「王子様、ひどいですわ……! わたくしの鼻が、もう使い物になりません……うっ、うっ」


メアリー様は、香水を振りかけたハンカチを十枚くらい重ねて顔に押し当てていました。


「殿下、誤解ですわ。これは正しい調理法さえ知れば、天国へと続く扉を開く鍵になるのです。……ゼノス様、貴方なら分かってくださいますわね?」


広場の隅で、透明な魔力障壁を張って避難していたゼノス様が、静かに歩み寄ってきました。


「……正直に言いましょう、チューナ様。私の理性が『逃げろ』と叫んでいます。しかし、私の胃袋が『彼女を信じろ』と囁いているのです」


「流石ですわ、ゼノス様! では、究極の消臭&絶品アレンジ、披露いたしますわね!」


私はまず、大きな水槽を用意させました。

そして、その水の中で慎重に缶詰の蓋を開けます。


(……ぷしゅっ、という音と共に、水中に黒い泡が広がります。これこそが、熟成の極致……!)


「あ、あいつ、水中で爆弾を解体しているのか!?」


ジュリアン殿下が震える声で実況します。


私は取り出したニシンの身を、牛乳と香草で手早く洗い、細かく刻みました。

そこに、大量の茹でたジャガイモ、赤玉ねぎのみじん切り、そしてたっぷりのサワークリームを投入します。


「ここで秘密兵器ですわ! 我が家の地下でさらに熟成させた、あの『発酵ソース』!」


ドロリとした褐色の液体を加えると、不思議なことが起こりました。

鼻を刺すような強烈なアンモニア臭が、発酵ソースの芳醇な香りと混ざり合い、信じられないほど食欲をそそる「芳香」へと変化したのです。


「……え? 臭くない……? むしろ、なんだかすごく、お酒に合いそうな香りがするわ」


メアリー様が、恐る恐るハンカチを外しました。


「さあ、焼き立てのライ麦パンに載せて召し上がれ! 名付けて『北国の奇跡・まろやかニシン・スプレッド』ですわ!」


私はまず、ゼノス様に最初の一口を差し出しました。


「…………っ! ……ああ、これは……」


ゼノス様は、目を見開いたまま固まりました。


「……最初の一撃は、確かに強烈な海の力強さを感じます。しかし、その直後、ジャガイモの甘みとサワークリームの酸味が、すべてを包み込んで溶かしていく……。……美味い。これは、ワインではなく、強い蒸留酒が欲しくなる味だ」


「な、なんだと!? ゼノス、騙されるな、それは毒だぞ!」


ジュリアン殿下が駆け寄り、奪い取るようにして一口食べました。


「……っ!? ……ぐっ、う……う、美味いじゃないかぁぁぁ!!」


殿下は叫びながら、パンを次々と口へ放り込みました。


「なんだこのコクは! 今まで食べてきたどの魚料理よりも、生命の躍動を感じる! 酒だ! 誰か、バルカスの強い酒を持ってこい!」


「王子様!? わたくしも……あ、あら? 本当に、とっても癖になるお味ですわ……」


メアリー様までが、夢中でスプレッドを塗り始めました。

広場にいた騎士たちや避難していた住民たちも、一人、また一人と香りに誘われて戻ってきます。


「……見てください。異臭騒動が、即席の立食パーティーに変わりましたわ」


私は、満足げに鼻を鳴らしました。


「チューナ様。貴女は本当に……臭いすらも味方につけてしまうのですね。……感服しました」


ゼノス様が、私の手を取り、指先に軽く口づけをしました。


「ひゃ、ひゃい!? ゼノス様、手がニシン臭いですわよ!?」


「構いません。この香りは、貴女と共に戦った勝利の勲章ですから」


そんな格好いい台詞を吐きながら、ゼノス様はこっそりと私の分のスプレッドを自分の皿に確保していました。


その夜。ゼノスの手帳には、もはや崇拝に近い言葉が踊っていました。


『報告:チューナ・フォン・グラッセ。彼女に不可能はない。空気さえも、彼女の手にかかれば極上の調味料となる。……願わくば、このニシンの香りが消えるまで、彼女の隣でずっと酒を酌み交わしていたい。……追伸、王宮の消臭作業には三日を要したが、誰も文句を言わなかった』


騒動は収まり、私の元には「スプレッドのレシピを教えてほしい」という貴族たちからの依頼が殺到。

私は自由な食生活だけでなく、ついに「異臭の支配者」としての地位まで確立してしまったのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする

夏生 羽都
恋愛
ランゲル王国の王太子ヘンリックは結婚式を挙げた夜の寝室で、妻となったローゼリアに白い結婚を宣言する、 ……つもりだった。 夫婦の寝室に姿を見せたヘンリックを待っていたのは、妻と同じ髪と瞳の色を持った見知らぬ美しい女性だった。 「『愛するマリーナのために、私はキミとは白い結婚とする』でしたか? 早くおっしゃってくださいな」 そう言って椅子に座っていた美しい女性は悠然と立ち上がる。 「そ、その声はっ、ローゼリア……なのか?」 女性の声を聞いた事で、ヘンリックはやっと彼女が自分の妻となったローゼリアなのだと気付いたのだが、驚きのあまり白い結婚を宣言する事も出来ずに逃げるように自分の部屋へと戻ってしまうのだった。 ※こちらは「裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。」のIFストーリーです。 ヘンリック(王太子)が主役となります。 また、上記作品をお読みにならなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。

【完結済】婚約破棄から始まる物語~真実の愛と言う茶番で、私の至福のティータイムを邪魔しないでくださいな

をち。「もう我慢なんて」書籍発売中
恋愛
 約束の時間に遅れ、さらには腕に女性を貼り付けて登場したアレックス殿下。  彼は悪びれることすらなく、ドヤ顔でこう仰いました。 「レティシア。君との婚約は破棄させてもらう」  婚約者の義務としての定例のお茶会。まずは遅れたことに謝罪するのが筋なのでは? 1時間も待たせたあげく、開口一番それですか? しかも腕に他の女を張り付けて? うーん……おバカさんなのかしら? 婚約破棄の正当な理由はあるのですか? 1話完結です。 定番の婚約破棄から始まるザマァを書いてみました。

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

六角
恋愛
「可愛げがないから婚約破棄だ」 王国の公爵令嬢コーデリアは、その有能さゆえに「鉄の女」と疎まれ、無邪気な聖女を選んだ王太子によって国外追放された。 極寒の国境で凍える彼女を拾ったのは、敵対する帝国の「氷の皇帝」ジークハルト。 「私が求めていたのは、その頭脳だ」 皇帝は彼女の才能を高く評価し、なんと皇后として迎え入れた! コーデリアは得意の「物流管理」と「実務能力」で帝国を黄金時代へと導き、氷の皇帝から極上の溺愛を受けることに。 一方、彼女を失った王国はインフラが崩壊し、経済が破綻。焦った元婚約者は戦争を仕掛けてくるが、コーデリアの完璧な策の前に為す術なく敗北する。 和平交渉の席、泥まみれで土下座する元王子に対し、美しき皇后は冷ややかに言い放つ。 「頭が高いのではないでしょうか? 私はもう、貴国を支配する帝国の皇后ですので」 これは、捨てられた有能令嬢が、最強のパートナーと共に元祖国を「実務」で叩き潰し、世界一幸せになるまでの爽快な大逆転劇。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

処理中です...