婚約破棄?望むところですわ!やっと、おやつが食べられますわ!

恋の箱庭

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王宮の最奥、国王陛下がお休みになられる「琥珀の間」は、まるでお通夜のような静寂に包まれていました。


この国の絶対的な支配者である国王陛下が、原因不明の食欲不振に陥ってから一週間。

名だたる名医が診察し、最高級の珍味が並べられましたが、陛下はそれらを一度も見向きもせず、「もう、何を食べても味がせぬ」と力なく呟くばかりだったのです。


「……父上! しっかりしてください! ほら、この南国から取り寄せた『極彩色の巨大ツバメの巣』を召し上がってください!」


ジュリアン殿下が必死に器を差し出しますが、陛下は弱々しく首を振るだけです。


「……殿下、無駄ですわ。陛下が求めていらっしゃるのは、そんな派手なだけのお料理ではありませんわ」


メアリー様がしおらしく寄り添っていますが、その瞳には「陛下が倒れたら、ジュリアン様が即位してわたくしが王妃に……」という野心が透けて見えていました。


そこへ、重厚な扉を蹴破らんばかりの勢いで、一人の令嬢……いえ、一人の「食の使徒」が足を踏み入れました。


「……お待たせいたしましたわ! 陛下、そして皆様。……お部屋の空気が重すぎて、せっかくの食欲が逃げてしまいますわよ!」


私、チューナ・フォン・グラッセが、背後にゼノス様を従えて登場しました。


「チューナ! 貴様、ここは静養の場だぞ! 食いしん坊が土足で踏み込んでいい場所ではない!」


「あら殿下。……食べないことが、どれほど生命への冒涜か分かっていらっしゃいますの? ……陛下、私が最後の一皿を用意いたしましたわ。……これを食べても食欲が湧かないというのなら、私は一生、断食してもよろしいですわ!」


「……ほう。……一生、断食か」


陛下の瞳に、わずかな光が宿りました。

美食家として知られた陛下にとって、私のその宣言がいかに重いものか、伝わったのでしょう。


「……よかろう。……その覚悟、受けて立とう。……さあ、見せてみよ。……世界中の珍味に飽きた余に、何を食わせるというのだ」


私は不敵に微笑み、ワゴンに載せてきた銀の蓋を開けました。


立ち上ったのは……。

驚くほど「普通」の、しかしどこか懐かしく、胸の奥をギュッと掴むような香りでした。


「……なっ、なんだこれは!? ……ただの、お粥ではないか!」


ジュリアン殿下が叫びました。


確かにそれは、土鍋で炊かれた真っ白なお粥でした。

ですが、ただのお粥ではありません。

私は、これまで集めてきた最高の食材たちの「残り香」をすべてこの一杯に注ぎ込んだのです。


「……陛下。……これは『お米の涙』と名付けた一皿ですわ。……お米が最も甘くなるまでじっくりと煮込み、そこに例の『発酵ソース』をほんの一滴。……そして、上には丁寧に煎った『香ばしい焦がし塩』を少々」


私はお粥を小鉢に盛り、陛下に差し出しました。


「……何の飾りもない、ただの白い粥。……これが、余への最後の一皿だと申すか」


「……ええ。……陛下は、足し算の料理に疲れ果てていらっしゃるのです。……今の陛下に必要なのは、舌を刺激する贅沢ではなく、胃袋を優しく撫でるような『慈しみ』ですわ」


陛下はおそるおそる、スプーンで白い粥を掬い、口に運びました。


「…………っ!!」


陛下の手が、小刻みに震え始めました。


「…………ああ。…………温かい。…………お米の、純粋な甘みが、乾ききった喉を潤していく……。…………そして、この隠し味の塩気。……忘れていた。……空腹だった頃の、あの切実な『美味い』という感覚を……!」


陛下は、むせび泣くようにお粥を啜り始めました。


「……美味い。……美味いぞ、チューナ! ……余は、何を贅沢に溺れていたのだ。……こんなにも、米のひと粒ひと粒が尊いものだったとは!」


陛下は一気に土鍋を空にすると、力強く立ち上がりました。


「……おかわりだ! ……チューナ! ……今すぐ、余に肉を持ってこい! ……あの、脂の乗った分厚いステーキをだ!」


「……陛下! ……大復活ですわね!」


私は、準備していた特大のステーキをワゴンから取り出しました。


会場の誰もが、言葉を失って立ち尽くしていました。

陛下が、まるで若者のような勢いで肉に食らいつく姿を、ただ呆然と見守るしかありません。


「……信じられん。……医者も匙を投げた食欲不振を、一杯の粥で……。……いや、あれは粥の形をした、彼女の『愛』だったのか」


ゼノス様が、静かに、そして誰よりも熱い眼差しで私を見つめていました。


「……ふふ。……ゼノス様。……愛なんて、そんな抽象的なものではありませんわ。……私はただ、陛下が食べ残すであろうステーキを、後でお裾分けしてもらおうと企んでいただけですわ!」


「……貴女という人は、本当に……。……ですが、その素直さが陛下を救ったのでしょうね」


ゼノス様は、私の口元についていた米粒を、指先で優しく取ってくれました。


その夜。陛下は完全に回復し、王宮では深夜まで宴が開かれました。

ジュリアン殿下とメアリー様は、「自分たちの持ってきた珍味が全否定された」とショックを受け、しばらくは野菜中心の質素な生活を送ることになったそうです。


その夜。ゼノスの手帳には、もはや伝説の記録のような言葉が並んでいました。


『報告:チューナ・フォン・グラッセ。彼女はついに、この国の頂点に立つ王の命さえも食い止めた。……いや、彼女の食欲が、死の淵にいた王を引き戻したのだ。……彼女の隣にいることは、世界で最も安全で、そして最も刺激的な特等席だ。……追伸、陛下から『チューナに爵位を上げよ』との命があったが、彼女は『それより調理場の使用権を広げてください』と即答した。……やはり、彼女は最高の女だ』


王様の復活劇は大成功。

しかし、元気になりすぎた陛下が「チューナを自分の養女にして、毎日ご飯を作らせたい」と言い出し、ゼノス様と史上最大の「チューナ争奪戦」が始まることになるのは、また別のお話です。
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